第65話 知らせは、追うための道になる
補修口へ向かった兵が、小扉の前に立った。
私は兵の手が小扉へかかるのを見てから、床近くの継ぎ目を示した。
「そこは塞いでください。ただし、追う先は別です」
兵の手が小扉の縁で止まる。
補修口側には、濃い青い反応が残っている。
けれど、それは小扉の縁に集められているだけだった。
奥へ入った跡ではない。
カイリアが逃げ込んだように見せるための跡だ。
私は、もう一つの反応へ視線を移した。
床近くの壁の継ぎ目。
そこに、青い反応が乱れている。
まっすぐ奥へ続かず、途中で向きを変えられていた。
「カイリアはこちらを使っています」
老技官が壁際へ寄る。
「補修口ではなく、壁の継ぎ目か」
「はい。補修口の反応は、追手を誘うためのものです」
私は継ぎ目を示した。
「カイリアは壁裏の小扉を使って奥へ移っています」
ゼクスは、補修口へ向かった兵をその場に残し、別の兵へ視線を向けた。
「補修口は塞いだままにしろ。搬入口、資材置き場裏、夜間連絡路側にも人を回せ」
「はっ」
「無理に奥へ入るな。逃げ道を消せ」
兵がそれぞれの持ち場へ走った。
私は壁際にしゃがみ、継ぎ目の下を確認した。
小さな金具の欠片が落ちている。
老技官が灯りを寄せた。
若い技官が横から覗き込む。
「補修口の固定具です。内側に付いている部品です」
老技官が欠片の端を見る。
「曲げて戻した跡がありますな。自然に外れたものではありません」
「補修口に濃い反応を残すために使ったのでしょう」
私は床に落ちた欠片から、壁の継ぎ目へ視線を戻した。
継ぎ目の一部だけ、縁が新しく削れている。
補修口の固定具で付いた跡ではない。
もっと細いものを差し込んだ跡だった。
若い技官が息を詰める。
「この傷は、固定具では付きません」
老技官が灯りを近づけた。
「補修通路で使う操作棒ですな。壁の中の金具を鳴らして、離れた場所へ音を送る道具です」
ゼクスの目が細くなる。
「それを合図に使ったのか」
「はい」
私は継ぎ目に残った跡を見た。
「補修口は追手を誘うため。こちらは、王宮内の誰かへ音を送るためです」
追手を補修口へ向け、その間に別の場所へ音を送る。
カイリアは、逃げるだけではなかった。
奥から兵の声が返った。
「資材置き場裏、押さえました!」
「搬入口側、閉鎖!」
「補修口前、配置済みです!」
逃げ道が一つずつ塞がれていく。
その時、壁の奥で金属音が鳴った。
床に落ちた欠片の音ではない。
壁の中を伝って、少し離れた場所で返った音だった。
兵たちが動きを止める。
私は壁に残る反応を見た。
門側へは向かっていない。
王宮の外へ抜ける流れではない。
青い反応は壁の中で曲がり、王宮の奥へ返っている。
「外ではありません」
ゼクスがこちらを見る。
「王宮内ですか」
「はい。知らせを受ける者が中にいます」
兵たちの間に緊張が走った。
その時、資材置き場側から声が上がる。
「いたぞ!」
私たちが向かった先は、資材置き場の裏へ続く補修用の細い通路だった。
荷を運ぶための場所ではない。
壁裏を点検するための空間だ。
小扉の奥で、カイリアは壁際に片膝をついていた。
逃げ道を探しているのではない。
細い金具を、継ぎ目へ差し込もうとしている。
知らせを送るためだ。
「止めろ!」
兵が踏み込む。
カイリアの指が細い金具に触れた。
壁の奥で、短い金属音が鳴る。
次の瞬間、兵がカイリアの手首を押さえた。
細い金具が床へ落ちる。
乾いた音が、狭い通路に響いた。
カイリアは剣も杖も持っていない。
それでも、押さえられたまま壁へ手を伸ばそうとした。
送った知らせが届いたかを確かめようとしている。
ゼクスが短く告げた。
「金具に触れさせるな。壁から離せ」
兵がカイリアを壁から引き離す。
カイリアは荒い息のまま、私を見た。
「……遅い」
通路にいた兵たちが身構える。
カイリアは、押さえられたまま言った。
「知らせは、もう出ています」
兵たちの視線が、門の方角へ動いた。
私は壁に残った反応を確認する。
門へ向かう跡はない。
外へ抜けていない。
青い反応は王宮の内側で折り返している。
「ええ。だから追えます」
カイリアの視線が、床の細い金具から私へ戻った。
「……なぜ、分かるのですか」
「門へ向かう反応がありません」
私は壁に残った青い跡を見た。
「あなたが鳴らした金具の反応は、王宮の内側へ返っています。外へ出たのではない」
カイリアは答えなかった。
床に落ちた細い金具を見たまま、唇を噛む。
知らせは、カイリアの勝ちではない。
こちらが次へ進むための手がかりになった。
ゼクスが兵へ命じる。
「連れていけ。欠片と金具も回収しろ」
カイリアは立たされた。
床には、二つの物が残っている。
補修口に跡を残すための固定具の欠片。
知らせを送るための細い金具。
カイリアは、逃げ道と知らせを同時に用意していた。
カイリアは、近くの取調べ用の部屋へ移された。
机には、二つの物と、必要な控えだけが並べられた。
補修口に跡を残した固定具の欠片。
王宮内へ音を送った細い金具。
その横には、同じ管理印が押された控えだけがある。
通行札、補修材、返却箱、夜間連絡路側。
記録官は印の位置だけを控えた。
余計な読み上げはない。
カイリアは椅子に座らされていた。
両手は前で押さえられている。
机の上を見ようとしない。
王は、細い金具を見た。
「誰に知らせた」
カイリアは答えない。
兵の一人が前へ出かけたが、ゼクスが手で止めた。
私は机上の細い金具を示した。
「黙っても消えません。あなたはこれで、王宮内へ音を送った」
カイリアの視線が動く。
「受けた者は、まだ逃げ切っていません」
カイリアは唇を噛んだ。
やがて、声を出した。
「……私は、封印具を守るためだと聞きました」
老技官の手が止まる。
王は机上の金具を見た。
「守るために、補修口へ偽の跡を残したのか」
カイリアは黙る。
私は続けた。
「守るための連絡なら、追手を迷わせる必要はありません」
沈黙が落ちる。
王が問う。
「誰がそう言った」
カイリアは机の端を見たまま、声を絞った。
「……封印具は、王家だけのものではありません」
室内の空気が変わった。
「古い誓約では、封印具は王家だけのものではなかったと聞きました。聖会も守る側だったのだと」
一度、息を吸う。
「王家が独占したから、歪んだのだと」
王が続ける。
「その話をした者の名は」
カイリアは、ようやく答えた。
「……オルディア聖会の使いです」
記録官の筆が動く。
王がその名を繰り返す。
「オルディア聖会」
カイリアは続けた。
「王家だけが触れる形を、元に戻すのだと聞かされていました」
私は細い金具から視線を上げた。
「戻すためなら、痕跡を偽る必要はありません」
カイリアは答えなかった。
若い技官が、机上の控えを見比べる。
「同じ管理印です。カイリア一人では揃いません」
兵たちの視線が、カイリアから机へ移った。
王は、同じ印が押された控えを見た。
「その使いを、誰が王宮へ入れた」
カイリアは答えない。
私は机上の細い金具を見た。
「カイリアの狙いはわかりました。逃げることではなく、王宮内の誰かへ知らせを送ることです」
私は扉へ向かった。
「答えを待つ必要はありません。今から追います」
ゼクスが顔を上げる。
「受けた者まで追えるのですか」
「今なら。王宮の内側へ返った反応を追います」
カイリアは椅子の背に押さえられたまま、扉の方を見た。
王が兵へ命じる。
「道を開けろ。セラフィナを先に行かせろ」
兵が動く。
私は振り返らない。
カイリアは捕らえた。
だが、知らせを受けた者はまだ王宮の中にいる。
次は、その者を逃がさない。
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