第61話 王宮の内側にいた者
記録官のペンが止まらない。
机の上には、国境から上がった報告、宝物庫前の記録、封印具まわりの見取り図、石の反応を書き留めた紙が並んでいた。
昨夜まで別々に扱われていたものが、今は同じ机の上にある。
私は石の反応を書いた紙へ視線を戻した。
変色は進んでいる。
けれど、完全に青へ変わり切ってはいない。
まだ、追える。
王が問う。
「石から、どこまで分かる」
私は石の反応を書いた紙を、封印具まわりの見取り図の横へ並べた。
老技官が広げた図には、宝物庫前の石畳、封印具の位置、地下へ伸びる古い結界の境目が記されている。
「場所だけではありません」
部屋の視線がこちらへ集まる。
私は石の反応が強く残っている箇所と、見取り図の右奥の継ぎ目を照らし合わせた。
「昨夜、裂け目は封印具そのものではなく、この右奥の継ぎ目へ寄っていました。ここへ力を集めれば、封印具を押さえている流れが乱れます」
老技官の表情が変わった。
「……ここは、古い補修跡です」
「大戦後に一度組み直している。封印具本体ほど強くはない」
王は老技官を見る。
「偶然そこへ寄ったのではないな」
「偶然ではありません」
老技官は即座に答えた。
「封印具の位置を知っているだけでは、ここは選べません。宝物庫前の石畳の下を知り、どこへ力を集めれば封印具へ響くかまで分かっている者です」
ゼクスが机の上の紙へ視線を落とす。
「宝物庫前に入れる立場で、補修跡まで知る者ですね」
「はい」
私は答えた。
「昨夜、裂け目の上端だけが押し広げられました。力は右奥の継ぎ目に集まっていた。あそこを断てなければ、裂け目は封印具の近くで広がっていたはずです」
王は見取り図から目を離さない。
「庭の捜索は」
扉のそばに控えていた近侍が頭を下げる。
「進めています。宝物庫前から回廊側まで確認中です」
「急がせろ」
「はっ」
近侍が部屋を出ようとした、その時だった。
扉が叩かれた。
「庭の確認班です」
「入れ」
入ってきたのは、若い技官だった。
手袋には土と石の汚れが残り、片手には紙で包まれた小さな金具を持っている。
「宝物庫前、右奥の継ぎ目から出ました。昨夜、青い光が強く寄っていた場所です」
老技官が紙を開かせる。
中にあったのは、指先ほどの金具だった。
釘ではない。
飾りでもない。
薄い金属片に、細い刻みが入っている。
その刻みは、石に残っていた反応とよく似ていた。
「見せてください」
私は直接触れず、紙越しに金具の向きを変えた。
端だけが、かすかに青く変色している。
その偏りも、昨夜、裂け目へ力が集まった向きと同じだった。
王が問う。
「仕掛けか」
「はい」
私は答えた。
「国境の石だけでは、裂け目を呼ぶ場所までは決まりません。この金具が、王宮側の目印です」
老技官の顔が強張る。
「……共鳴具か」
「ただの補修具ではありません。石畳の隙間を押さえる金具に見せていますが、刻みが石の反応を拾う形になっています」
私は見取り図の右奥を示した。
「石が青へ変われば、反応はこの刻みに寄ります。昨夜、裂け目が右奥へ寄った理由はこれです」
老技官が金具を見取り図の右奥へ重ねた。
そこは、昨夜私が示した継ぎ目と同じ場所だった。
「ここへ裂け目を寄せるために、先に埋めてあったわけか」
国境で反応した石。
昨夜、右奥へ寄った裂け目。
石畳の隙間から出た金具。
別々だったものが、そこで一つに繋がった。
ゼクスが問う。
「いつ仕込まれたものですか」
若い技官は手元の記録を開いた。
「昨夜の戦闘中に落ちたものではありません。石畳の隙間に入っていました。表面の汚れから見ても、数日は経っています」
王の目が細くなる。
「数日」
「はい。最近の補修記録を照合していますが、この場所に金具を入れた記録はありません」
老技官が見取り図から目を離さずに言う。
「記録なしに宝物庫前の石畳へ触れた者がいる。しかも、封印具へ響く継ぎ目を選んでいる」
王は机の上の金具を見た。
「王宮の中で仕込まれたな」
誰も否定しなかった。
その時、廊下から足音が近づいた。
控えていた兵が扉の前へ寄る。
扉が叩かれる。
「ソレイユより早馬です」
部屋の空気が、別の形で張った。
「入れ」
近侍が封書を持って入ってきた。
封蝋にはソレイユ王家の印がある。
ただし、正式な国書にしては薄い。
謝罪にしては軽い。
正式な抗議にしては、必要な文言が足りない。
王は封を見ただけで言った。
「読め」
近侍が封を開き、文面を読み上げる。
「ソレイユ王国第一王子アルベルト殿下より、国境付近における混乱について、遺憾の意を表す。追跡行為は現場判断の過失であり、王宮の正式な命令ではない。また、宝物庫周辺の騒ぎについては、必要であれば後日、正式な説明の者を派遣する用意がある」
そこで、部屋の空気が止まった。
私は顔を上げる。
「宝物庫周辺の騒ぎ……」
その言葉は、国境の報告だけでは出てこない。
昨夜の裂け目が、宝物庫前に出たと知っている者の書き方だった。
王が近侍を見る。
「この書状は、いつ出た」
「夜明け前です。早馬で届いております」
王は封書を見た。
「国境の報告だけで、宝物庫の名は出ない」
ゼクスが机の上の紙へ視線を落とす。
「はい。昨夜の裂け目が宝物庫前へ出たことを、王宮の外へ知らせた者がいます」
老技官が金具を見る。
若い技官も、見取り図の右奥から目を動かせない。
赤い石は国境から来た。
金具は王宮の中に埋められていた。
ソレイユの書状には、王宮内部でしか知り得ない言葉が入っている。
王は封書を机へ戻した。
「写しを三つ作れ」
記録官がすぐに紙を用意する。
「一つは外交記録。一つは宝物庫前の記録。一つは封印具の調査に付けろ」
「はっ」
記録官のペンが走る。
ゼクスが続けた。
「書状は保存します。王宮内部の出来事を、外側がどの時点で知っていたか。その証拠になります」
王は頷いた。
「ソレイユへの返答は」
近侍が問う。
「まだ返すな。昼までに、こちらの記録を揃える」
その一言で、部屋の全員が意味を理解した。
戦争に踏み込むにはまだ早い。
だが、何もなかったことにはしない。
外へ向ける言葉は遅らせる。
その間に、中を調べる。
私はもう一度、金具を見た。
青い変色は、端に偏っている。
昨夜、裂け目へ力が集まった向きと同じだった。
「この金具を入れた者は、封印具の場所だけを知っていたのではありません。どの継ぎ目へ反応を集めれば、裂け目が広がるかを知っていた。そして、その情報は外へ出ています」
老技官が顔を上げる。
「補修記録にないなら、正規の作業ではありません。ですが、石畳へ触るには道具も時間も必要です」
王が言う。
「宝物庫前で、それができる者は」
老技官はすぐには答えなかった。
逃げているのではない。
記録へ残す前に、名を間違えないよう確かめている沈黙だった。
その沈黙の横で、若い技官の顔色が変わった。
金具を運んできた手が、そこで止まる。
視線が、見取り図の右奥から離れない。
王の視線がそちらへ動く。
「心当たりがあるのか」
若い技官はすぐには答えない。
目が、机の上の金具と見取り図の右奥を行き来した。
老技官が重く口を開く。
「王宮補修班に、臨時で入っていた技師がいます」
王は老技官を見る。
「名は」
「カイリアです」
その名が出た瞬間、部屋の中の空気が変わった。
ゼクスが問う。
「何を担当していましたか」
「宝物庫前の石畳と、夜間連絡路の補修です。二度、作業に入っています」
老技官の声は硬かった。
「腕は確かでした。ですが、所属の確認が遅れていました」
王は若い技官へ視線を向ける。
「知っているのか」
若い技官は唇を引き結び、すぐに頭を下げた。
「三日前、右奥の継ぎ目を見ていました。補修跡の確認だと言っていました。古い継ぎ目は、あとで崩れると」
老技官の顔が険しくなる。
「なぜ報告しなかった」
「補修班の者だと聞いていました。通行札もありました。不審には見えませんでした」
王は怒鳴らない。
ただ、記録官へ命じた。
「カイリア。王宮補修班、臨時技師。宝物庫前、右奥の継ぎ目を確認。夜間連絡路の補修にも入っている。通行札の発行元を調べろ」
記録官のペンが走る。
カイリア。
その名が紙へ残った瞬間、部屋の中の疑いが形を持った。
王は続ける。
「捕らえろ」
近侍が頭を下げる。
「王宮の門をすべて閉じろ。通用門、搬入口、厩舎側の出入りも止める。まだ王宮内にいるなら、出られん。すでに出ているなら、誰が出したかが残る」
「はっ」
「書状を運んだ早馬の経路も押さえろ。受け取った者、開いた者、運んだ者の名を残せ」
近侍が駆け出す。
扉が閉まる音がしても、誰も動かなかった。
机の上には、金具と書状と見取り図が残っている。
私は石の記録を閉じた。
国境の石は、入口だった。
宝物庫前の金具は、呼び先だった。
ソレイユの書状は、王宮の内側から情報が漏れている証拠だった。
敵は、外から裂け目を押し広げただけではない。
王宮の中に、裂け目を呼び込んだ者がいる。
その名は、もう記録の上に残っている。
カイリア。
王宮補修班の臨時技師。
宝物庫前の右奥に、金具を仕込んだ疑いのある者。
王宮の門が閉じるより先に消えていれば、次に追うべきものは一つだった。
誰が、その通行札を認めたのか。




