第55話 まだ来ます
一体が低く、もう一体が半歩遅れて続く。
狙いは近い兵だ。迷いなく喉元の高さへ飛びかかる。
「来るぞ!」
槍が一斉に前へ出た。
庭に金属音が重なる。
先頭の兵が踏みとどまり、穂先で一体の肩口を払う。魔物はそこで弾かれ、石畳を爪で引っかいた。ただ、嫌な音だけが残る。
もう一体はそのまま走る。
低く身を沈め、槍の間を割るように横へ走った。
「横だ!」
兵が半歩ずれて進路へ入る。
だがその時、裂け目の前にいた魔族が動いた。
兵を相手にせず、進路を変える。
長い脚をひねるように使い、庭の中央を外して宝物庫へ続く暗い通路へ走ろうとする。
私はそこで、ようやく気が付いた。
「違います」
ゼクスの背中越しに声を落とす。
「庭へ出たいんじゃありません。向こうは、出たあとに動くつもりです」
王の声がすぐに飛ぶ。
「そちらへ抜かせるな。宝物庫へ寄せるな」
兵がすぐに回る。
正面から押し返すのではない。通路へ向かう道を先に埋める。二人が斜めに入り、もう一人が奥へ下がって口を狭めた。
魔族の目が初めて兵を捉える。
鬱陶しい障害を見る目だった。
ゼクスが一歩出る。
速い。
剣を抜く音は短く、次の瞬間にはもう相手の前へ入っていた。
斬るためではない。
相手が抜けようとした先へ、先に立った。
魔族の腕が横に払われる。
人の剣筋とは違う。長い腕を鞭みたいに振り、爪先だけで裂く動きだ。
ゼクスは受け流した。
半身で外し、剣の腹でその腕を押し返す。
鈍い音がして、魔族の体がわずかに流れた。
その一撃で分かる。
重さはある。だが、圧し潰されるほどではない。
力で押し切る相手じゃない。速さと爪で崩してくる。
「ひるむな!」
ゼクスの声が庭に落ちる。
「下級魔族だ!。止められる!」
短い。
だが、それだけで兵の迷いが消える。
そこで槍が追いついた。
横から二本。足と脇腹を狙って入る。
深くは届かない。だが十分だった。
そこで、抜ける道が潰れる。
魔族が低く喉を鳴らした。
怒りとも違う。予定を崩された獣の声だった。
「まだ終わっていません」
私は裂け目から目を離さずに言う。
戦っている方を見ている場合じゃない。
次に出るものを読み違えれば、遅れる。
青い縁の脈は、まだ消えていなかった。
老技官が息を呑む気配がした。
王もゼクスも振り向かない。
それでいい。いま必要なのは説明ではなく、備える時間だった。
裂け目の奥で、また影が揺れる。
先に出た二体の魔物は兵へ食いついている。
だが、下級魔族だけが違った。
足を止めず、横へ、横へと動く。
目指しているのは勝ちではない。抜ける道だ。
「正面を合わせるな!」
ゼクスの声が飛ぶ。
「止めるだけでいい!」
短い一言で、庭の動きが変わった。
前へ出かけた槍が止まり、兵たちは半歩引いて間を取り直す。
仕留めに行く構えじゃない。宝物庫へ向かう幅だけを潰す並びへ変わる。
騎士の一人がゼクスの左へ回り、剣を低く構えた。
もう一人は通路寄りへ動き、兵の槍の外に出ない位置で足を止める。
宝物庫へ続く暗い通路の前だけ、人の壁が一段厚くなる。
魔法士たちも動いる。
詠唱は長くない。
大きく撃てば前の兵ごと巻き込む。
だから一人が足元の石畳へ短い光を走らせ、もう一人が通路寄りの空気に薄い膜を張る。
光は強くない。
だが、魔族が踏み込む先だけを狂わせるには足りる。
老技官も膝をついたまま、震える手で石畳に触れた。
青い線の外側へ、鈍い金の紋が短く浮く。
「長くは持たん……!
だが、わずかなら止められる!」
老技官の紋が光り、魔族の踏み込みが一瞬だけ鈍る。
その隙に、兵が先に回った。
通路へ続く石畳の端へ槍が伸び、宝物庫側へ抜ける道を塞ぐ。
魔族はそこで進路を変え、石畳の端を蹴ってなおも回り込もうとする。
だが、その先にもう人影があった。
王の命で回された兵だ。
通路の入口を塞ぐように立ち、槍を低く構えている。
「ここで止めろ!」
魔族が舌打ちのような音を漏らす。
直後、体を沈めて兵の足元へ飛び込んだ。
槍が下がる。
間に合わない。
だが、その前へゼクスの剣先が滑り込んだ。
刃が魔族の胸元を浅く裂く。
血は多く出ない。黒い筋が服のような皮膚の上に走るだけだ。
それでも足は止まった。
ほんの一歩。
その一歩で進路が狂う。
騎士が横から剣のぶつけ、兵が続けて槍の柄を叩き込む。
そこへ通路寄りに張られていた薄い膜が触れ、魔族の体がわずかに持ち上がった。
踏ん張る位置がずれた、その瞬間だった。
老技官の紋が沈むように光り、魔族の踏み込みが鈍る。
兵が横からぶつけるように槍の柄を入れる。
魔族の体勢が崩れ、石畳へ片膝をついた。
その背後で、裂け目が脈を打つ。
青い縁が強くなった。
細い光が上下へ走り、開いた口がわずかに広がる。
「まだ来ます!」
私の声に、庭の空気がさらに張る。
魔法士たちが一斉に裂け目へ視線を寄せる。
だが、すぐには撃たない。
前で押さえている兵と騎士が近すぎる。
下手に放てば、先にこちらが崩れる位置だ。
私は裂け目から目を離さない。
青い縁の脈は消えていない。
向こう側との繋がりも、まだ残っている。
いま出ているものだけで終わる気配じゃない。
裂け目の奥で、また別の影が身を起こす。
四足ではない。
細長い輪郭が一瞬だけ見えて、すぐ奥へ引いた。
下級魔族がそれを感じ取ったように顔を上げる。
地に手をついたまま、初めてはっきりと宝物庫側を見た。
「……近い」
低いその声が、今度は庭の全員に届いた。
王が即座に命じる。
「宝物庫側をさらに下げろ。通路を二重に塞げ」
兵が走る。
ひとつ外の列を作り、通路の入口を狭める。
宝物庫へ向かう道だけ、空気の流れまで変わったように詰まる。
魔族はそこでようやく理解したらしい。
この庭を抜ける前提が、もう崩れていると。
それでも退かない。
立ち上がりざま、今度はゼクスへ正面から踏み込んだ。
剣と爪がぶつかる。
高い音ではない。湿った重い音だった。
ゼクスは退かない。
無理に前へも出ない。
宝物庫へ向かう道だけを背にしたまま、相手を横へ流し続ける。
この場で必要なのは勝負じゃない。
通さないことだ。
私はその背中を見ず、裂け目の縁だけを見た。
青い光が、まだ細く脈を打っている。
向こうは止まっていない。
先に出てきた魔物を足止めにして、まだ奥から押し出そうとしている。
「……まだ来ます」
自分でも驚くほど低い声が出た。
「いま出ているもので終わりじゃありません」
その言葉の直後、裂け目の奥で何かが強くぶつかった。
青い縁がひときわ明るくなる。
空間そのものが軋み、庭の冷気が一段深くなった。
兵の誰かが息を呑む。
ゼクスは魔族を押さえたまま、声だけを投げた。
「セラフィナ様!」
「はい」
「次は、何が来ますか」
私は裂け目を見たまま答える。
「……大きいものです」
言い切った瞬間、向こう側の暗がりで、今までより高い位置に二つの光が浮いた。
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