第36話 聖女の荷に仕込め
「いつ手に入れ、誰から受け取ったのですか」
クレールの目が激しく揺れた。寝台の布を握る指が一度緩み、逃げ場を求めるように再び強くしがみつく。
喉を鳴らし、乱れた呼吸を整えようとするが、肺が震えて息が止まる。
「……ベンデル卿の……使い、が……」
名だけが地面に落ちるようにこぼれた。言い切る勇気はないらしい。
私は即座にその名を拾い上げ、具体的かつ逃げようのない形に組み直して突き戻す。
「その使いは何と言いましたか。『聖女の荷に仕込め』と。そう命じたのではありませんか」
クレールの唇が、戦慄いた。浅い息を継ぎ、漏れ出したのは告白というよりは断末魔に近い。
「……仕込め……と」
「……そうすれば、荷から出た時点で聖女の『持ち出し』という罪にできると考えた……」
吐き出した瞬間、クレールが自分自身に絶望したような顔で目を泳がせた。
己の口で「捏造」の事実を認めた重みが、ようやくその身を押し潰し始めたのだ。
私は近づかない。距離を保ったまま、冷徹にその矛盾を突く。
「では、なぜその石を自分の腰袋に入れていたのですか。私を陥れるための道具を、あなたが持ち歩いていた理由を言ってください」
「……」
クレールは答えを探して口を喘がせ、喉を鳴らす。
言い訳を紡ごうとするたびに、さきほどまでの「従わされただけだ」という主張が瓦解していく。
「……渡す……つもりだった……」
ようやく絞り出したのは、情けないほどに乾いた声だ。
「ベッセンに……石を確かめておけと言われていた。……もし紛失すれば……俺が……俺の首が飛ぶと……」
言葉が途切れ、視線が寝台の端へ逃げた。
その無様な沈黙を縫うように、周囲にいたソレイユ兵たちの間に、毒のように小声が浸透し始める。
看護兵が敷いた「立ち入り禁止の線」を、疑惑という名の視線が越えていく。
「……低魔力だと聞いてたはずだ。なぜ、あんな結界を張れたんだ」
「……俺たちが信じ込まされてた話は、何だったのか」
「……俺たちは、何を運ばされていた……」
誰も声を荒げない。通路に立つバルハイム兵の規律が、彼らに大声での糾弾を許さないからだ。
しかし、その抑制された静かな言葉こそが、逃げ場のない真実として空間に定着していく。
揃わない呟きが、もはや取り返しのつかない不信感となって、横たわるクレールを包囲していた。
記録官のペン先が、一文字ごとにソレイユの欺瞞を削り出す音だけが、治療室に鳴り響いていた。
寝台の周りの澱んだ小声の中に、うっかり一語が落ちた。
「……王都は、俺たちに何を隠してた……」
言った兵が、遅れて自分の口を押さえる。
周囲の視線が鋭くその兵へ寄った。責める目ではない。自分たちも喉元まで出かかっていた疑念が、先に形になった。その一言は、二度と戻せない。
アルネは声を荒げない。広げさせない。
ただ、冷徹に指先で記録官の机を示した。
「今の発言者。前へ」
「名を名乗って、記録官の前で言え。誰から何を聞き、何を隠されていると感じたのか。すべてだ」
バルハイム兵が機械的な動きで割って入る。二人が左右に立ち、兵士を挟み込むようにして机までの通路だけを残す。
さっきまで寝台の横で無責任に交わされていた噂が、行き場所を失って止まった。代わりに、一人の兵士の重い足音だけが記録官のもとへ流れていく。
声の居場所が変わる。次に出る言葉は、個人の呟きではなく、国家間の証拠として紙に残る。
クレールは寝台の上で必死に息を吸い、隊長として制止の声を上げようとした。
だが、喉が裏返る。ひきつった音が漏れるだけで言葉が続かない。短い咳が一度漏れるたびに、胸の痛みが彼の権威を削り取っていく。
目だけが激しく動き、周りの兵たちの顔を探した。
「言うな」「聞くな」と目で命じようとする。だが、誰も寄ってこない。看護兵が敷いた「一人」の境界線が、物理的な断絶となってクレールを孤立させているからだ。
助けられた直後、もっとも守られるべきはずの場所で、クレールは動けないまま、連れて行かれる兵の背中を見送るしかなかった。
視線の先では、記録官の筆が静かに持ち上げられ、新たな「名前」を書き記す準備を終えている。
今ここで積み上がっていくのは、負傷兵への同情でも、軍人としての名誉でもない。
自分たちの命を救ったはずのバルハイムの筆によって、自分たちの「居場所」が、一文字ごとに塗り潰されていく恐怖だった。
廊下を担架がまた一組通り過ぎる。
その音さえも、もはや彼らには、ソレイユという国家が崩れ落ちていく音に聞こえていた。
静寂が支配する詰所に、署名を終えたばかりの書面を携えた記録官が入室する。
それを受け取ったゼクスが、インクの匂いも生々しい紙面を指先でなぞり、内容を要約し始めた。その目は、獲物の急所を定めるように冷徹だ。
「報告をまとめる。兵たちからの証言により、以下が確認された」
ゼクスの声が、淡々と室内の空気を引き締めていく。
「王都は組織的に情報を捏造していた」
「現場の兵は隊長ベッセンから『聖女は魔力を失い、国宝を盗んでバルハイムに売ろうとしている大罪人だ』と吹き込まれ、その虚構を根拠に追跡と実力行使に出た」
アルネが椅子の背に手を置き、低い声で応じた。
「……教え込まれた『無能』が魔物を撃退し、現場で死者を繋ぎ止める魔法まで見せた」
「自分の『正義』が嘘だったと突きつけられた兵の心中、察するに余りあるな」
「証拠の捏造も同じだ。クレールの腰袋から出た『赤い石』は、ベンデル卿の使いが手渡した」
「命令は『聖女の荷に仕込め』のみ」
「それを『王宮から盗み出した証拠』に仕立てたのは、手柄に焦ったクレールの判断だ」
「ベンデル卿は火種を投げ、こちらの自滅を待っただけだ」
詰所の空気は凍りつく。救助された兵たちは、自分たちが「聖女を陥れる共犯」に仕立てられていた事実に、顔を上げられない。
「最後は責任者の放棄。隊長ベッセンは魔物の襲撃時、部下の馬を奪って独断で逃走した」
「背後には『ベンデル卿に急場を報告する。それまで持ちこたえろ』と言い残し、逃走を任務にすり替えた」
ゼクスが鋭い視線を私に向けた。
「以上が確定した事実だ。これは単なる越境ではない」
「我が国の招聘官を抹殺するために仕組まれた、国家規模の外交犯罪――そう記録しろ」
記録官が「受理」の判を落とす。乾いた音が、ソレイユの嘘を砕くように響いた。
アルネが剣帯を鳴らし、入り口を向く。
「面白い。捏造、教唆、敵前逃亡……」
「これを突きつけられた時、あとの連中がどう言い逃れるか見ものだな」
その言葉の余韻を断ち切るように、部屋の扉が開いた。
夜の冷気と共に検分班が戻ってきた――現場には、押収した石と同質の魔力の痕跡が残っていた。
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