第26話 4-2、4-1
「どうにかしないと」
寮まで送り届けられて、王太子と別れた後、私はいてもたってもいられず、うろうろと部屋を歩き回っていた。
邪魔だと言われたディーゴが心配で仕方がない。王太子が本気を出せば指一つで消されてしまうだろう。何かされる前に、ディーゴを逃がさないと。
「どうすればディーゴに伝えられるかしら?」
ゲノス先生に頼んで、呼び出してもらうのは?いや、駄目だわ。この時間ならディーゴだけでなく王太子も寮にいるだろうから、先生からの呼び出しなんて目立ってしまって、肝心の王太子に気づかれるだろう。なら、親しい学生に頼めばいいのだけど、あいにく私には男子学生の知り合いはいない。トラブルを回避するために、ぼっち生活を続けていたから。うーん、改めて思い返すとちょっと悲しいわね。私の学園生活……。
ともかく、呼び出せないならこちらからディーゴの部屋に行くしかない。でも、私はディーゴの部屋の位置を知らないから、寮に侵入するにしてもモタモタしていれば人に見つかる危険があるわ。
男子寮の廊下を歩いているところを見かけられたら『うわ、サヴィア公爵令嬢だ。どうしてこんなところに……? あっ王太子殿下のところか(察し)』みたいに勝手に想像されて、王太子に密告される。王太子は人を小馬鹿にした笑みを浮かべながら『そんなに私に会いたかったの?』と言ってくるに違いない。
「夜這いなんてだめよ! これ以上、私の名誉を傷つける訳にいかないわ」
私は運に賭けることにした。
そうして、真夜中に寮の部屋を抜け出して向かった先は図書館だった。
前回のループの時にディーゴは私が何も言わなくても図書館に来た。記憶を受け継いでいるディーゴが、3度目のループでも夜の図書館に来てくれる可能性に賭けた。
奥へ奥へと進むけれど誰もいない。遂に最奥まで歩いたけれど、誰ともすれ違わなかった。不気味なくらいに静まり返っていた。当然ながらディーゴはいない。だけど、ディーゴよりも驚く事態が待っていた。
「扉がないわ」
神の領域へとつながる扉が無かった。宇宙の特異点とつながる扉が消えている。あの扉があることでこの宇宙を創造した神様が味方についているのだと無意識のうちに心の拠り所にしていたことに今更ながら気がついた。
「何を探しているの?」
背後から人影が近寄ってきた。私は迷わず、明かりを人影に向けた。
「王太子殿下、どうしてこちらに?」
「クティアーナが来ると思って待ってた。ディーゴに会いたかったんだろう?」
王太子に言われて私は思い出した。そうだわ、私はディーゴに会うため図書館に来たのだった。扉のことで頭が一杯で忘れていた。
「そうでした……」
「そうでしたって何?」
王太子は楽しそうに笑った。
「ディーゴは来ないよ。ああ、そんな哀れな顔をしなくていい。ディーゴは今頃、ゲノス先生から出された課題を必死でこなしているはずだ。明日いっぱいまでは大人しくしているだろう。何しろ、明日までに追加課題を提出できないと卒業できないからね。必死だろう」
「左様でしたか」
よかった。ディーゴは無事らしい。あんなに脅した割には軽い内容で拍子抜けした。
「それで、婚約者を放って置いてどうして他の男に会おうとしたの?」
「そ、それは、」
王太子はディーゴに害をなそうとしていないのだから、素直に答えれば良かった。ディーゴを始末するという言葉を真に受けて、ディーゴに忠告をしにきたと。なのに、動揺してしまったのは王太子の金色の目に嫉妬の炎が揺らめいていたからだ。
「婚約者の私に言えないようなこと?」
私は必死で首を横に振り否定する。
「じゃあ、なに?」
「ただ、ディーゴが心配で……」
「婚約者以外の男に注意を向ける余裕があるんだ?」
「違います。そもそも、殿下は私との婚約を破棄するおつもりでしょう?」
王太子は目をそらした。
「私は違うよ」
「そんなこと、信じられませんわ。今までに2回も婚約を破棄されました。婚約破棄しなかった1回は、私に呪いをかけて……!」
大階段でのリリアンの死に顔が脳裏に浮かび、胃液が口元まで上がってきた。口を押えた。涙が零れる。
「違う、違うんだ。ティナとの婚約を私が破棄するはずがない」
「なら、どうして? リリアンさんと仲良くしたりしたの? 学園に入ってからずっと、リリアンさんと仲良くして、私は一人だったわ」
「それは……」
王太子は辛そうに口を結び、言い淀んだ。でもいい。答えは求めていなかったから。王太子の行動理由なんて、私に対する嫌がらせくらいの意味しかないだろう。
「お願いだ、理由は言えないけれど私を信じてほしい」
「殿下を?」
「そう。私を」
邪神を信じることなんて愚かだ。それでも目の前の邪神に翻弄される人が後を絶たないのは、邪神が言葉巧みに騙すからだ。なのに、この時の王太子は甘言を尽くすこともなく、ただ愚直に私の目を見てきた。嘘をついていない人特有の強いまなざしをしていた。
でも、いままでに何度も騙されてきた。私は信じられない。
邪神は曇りのない瞳で嘘を吐くなんてお手の物だろう。
「もちろん、殿下の事は信じております。必ずや王太子殿下が人間を遥かに超えた知性でアザトースの召喚と世界の崩壊を防いでくれると信じております」
「ティナ、そうじゃない、『私』を信じてほしい」
「ですから、信じていますわ! これ以上、何を申せばいいのです?
信じていないのは殿下の方だわ!」
「ティナ……」
王太子はその美しい顔を痛々しいほどに歪めて絶望に染めた。金色の瞳から光が失われて、濁っていく。顔を俯いて表情を隠し、それから、肩を震わせた。
もしかして、泣いているの? あの王太子<ニャルラトホテプ>が?
戸惑いながらも王太子に近づくと、私はどうしてそうなったかわからないけれど、王太子の腕に触れた瞬間に意識を失った。
目が覚めたら朝で、なぜだか寮の自室にいた。きっとまた王太子が私に勝手に寮に戻る呪いか何かをかけたのだろう。頭が鈍器で殴られたように痛い。気分は最悪だった。
「どうして王太子殿下が泣くのよ……」
およそ傲慢な邪神らしくない悲壮な顔をして、肩を震わせて泣いていた。王太子の涙を見たのは、それこそ幼い頃の花園での出来事以来だった。あの時は感情をぶつけあって二人で大泣きした。先に泣いたのは王太子だったはずだ。あの時と同じように、私が泣かせたみたいだった。どうすればよかったのか。私だって苦しいのに。
重い頭を押さえながら制服に着替えると、胸元にきらりと光る物体が目に入った。
貝殻を彫り出して作られた、真珠が淡く輝くそれは、リリアンのブローチだった。
昨夜最後に会ったのは王太子だった。状況的に王太子<ニャルラトホテプ>が勝手に私の制服に留めたのだろう。
「このブローチ、全然外れないわ」
ブローチの留め具は奇跡的なまでに複雑に繊維に絡み合って制服に縫い付けられていた。
こんなややこしいことをするのは、ますます王太子くらいしかいない。
「王太子殿下ったら、ややこしいことをして!
こんな物持っていたら誰にどんな因縁を付けられるかわからないわ。
リリアンに返さないと!」




