第24話 4-2
「助けてください、殿下、それにクティアーナ様」
リュシアンはふらふらと覚束ない足取りで近づいた。王太子は予想通り手を貸そうとしなかったので、代わりに私が倒れそうなリュシアンに肩を貸した。
「どうなさったの?」
「クティアーナ様もいらしたんですね。こんな醜態を晒してしまい、恥ずかしい。ああ、でも、僕はどうしたらいいのかすっかり分からなくなって、こうして恥を承知で何もかも打ち明けてしまいたいのです」
「とりあえず、落ち着いて。座りましょう。疲れているみたいよ」
「はい。すみません……僕は、僕は……」
リュシアンは今にも融けて無くなりそうなほど、弱りきった様子だった。元から細い線が更に細くなって、陽炎のようだった。リュシアンを噴水の縁に座らせると、いくらか落ち着いたらしい。深くため息をつくと口を開いた。
「僕は、生きている価値のない人間なんです」
想像より重い言葉が飛び出してきたわ。リュシアンの表情は真剣だ。下手につつくと泣いて爆発してしまいそうな危うさがある。慎重に行かないと。
「どうしてそう思ったのかしら?」
「それは……僕が……」
息が詰まりそうになるリュシアンの背中をさする。
「僕が、リリアンを怒らせたからです」
「……ええ?」
リリアンを怒らせるとどうして生きる価値がなくなるのかしら。だけど、前回のループでのリリアンに対する狂信的な言動を思い出した。リリアン狂信者であるリュシアンにそんな当たり前のことを指摘すれば怒らせてしまうのは目に見えていたので、黙った。
「そう。そうなんです。世界の救世主で、神のみ使いであるリリアンを怒らせてしまったんです。僕はもう、存在してはいけないんです」
「どうして怒らせてしまったの? 喧嘩したのかしら」
「リリアンが僕に頼ってくれたのに、僕がリリアンの頼みごとを断ったからです。リリアンは僕を頼ってくれました。でも、それがあの憎きディーゴを治すためだと聞けば、我慢ならなかったのです。リリアンに協力できないと、言ってしまいました。それで、リリアンは僕を呆れ果てて、怒りました。当然のことです。光魔法の担い手であるリリアンからすると、困っている人を助けないことは考えられないからです。僕は軽蔑されました。生きている価値がありません」
「リリアンさんに謝ってみたら? 許してくれるかもしれないわ」
「簡単に言いますね。リリアンに僕の謝罪を受け入れろと強要するのですか?おっしゃる通り優しいリリアンなら、僕の罪すらも赦してくれると思います。ですが、リリアンに悲しい思いをさせた僕は許されてはいけないんです。嫌っている相手を許すなんて、残酷ですよ」
ややこしい。面倒なほどに追い詰められている。聞いている限りでは、ただの可愛い喧嘩の範疇に入るのにどうしてここまで拗れてしまっているのかしら。
「リリアンに嫌われたら生きていけない。それならもういっそ、この世界ごと消えてしまいたい。そうだ、この世を消してしまえばいいんだ。そうだ、そうだ……」
物騒なことまで言い出した。世界を滅亡させる狂信者の思考をリュシアンは繰り返す。疑いようもなく、リュシアンが犯人だった。
そもそも、リュシアンを犯人だと考えたのは、状況的にアザトースを召喚できる可能性が最も高い人物がリュシアンだったからだ。リュシアンは前回のループの時にネクロノミコンを所持していた。前々回だって、王太子がネクロノミコンを見つけた後、同じ様にリュシアンに預けた可能性がある。なぜならネクロノミコンは大神殿で保管されているはずだからだ。神殿で保管されているはずの禁書を見つけたら、王太子の立場ならリュシアンにひとまず預けるだろう。リュシアンは卒業式のあとで大神殿に帰るのだから、ついでに元に戻しておけと命令すると思う。つまり、リュシアンは禁書を所持していても怪しまれないし、入手しやすい立場だった。凶器が入手できる人物と言うのは、それだけでも犯人の可能性が高まる。更には、卒業式の主役ではないリュシアンは比較的自由な時間を有している。卒業パーティーに備えて召喚の呪文を唱える時間的余裕があり、実行可能性も充分にある。
分からなかったのはリュシアンがアザトースを召喚する動機だ。だけど、リュシアンの発言を聞く限り、もしかしてリリアンに嫌われたからなのかしら? というかこの調子だとリュシアンがブローチ持っているわよね? リリアン狂信者のリュシアンが見逃すはずがないもの。リリアンのブローチを拾ったせいで精神がおかしくなって、世界の滅亡を望むようになったのかしら。
リュシアンの考えを変える言葉を探していたら、それまで静観していた王太子が動いた。
「本気でこの世界を消したいと思っている?」
「王太子殿下、何の確認ですか? もちろんですよ。僕は本気です。もし、世界を壊す手段さえ手に入れば今すぐに実現してやります。リリアンに微笑みかけられない世界なんて、存在する意味がない」
「なるほどね。そんな君に相応しい呪文を私は知っているよ」
王太子は何を言い出しているの? まさか、ここにきて裏切るつもり? 協力していたとも言い難いけれど……。
「そんな呪文があるのですか?」
「あるよ。だから、それは最後の手段にしてまずはリリアンに好きになってもらう努力をしてみてはどうかな?」
「リリアンに好きになってもらうなんて、奇跡のようなことできませんよ」
「確かに、難しいかもしれない。リリアンはリュシアンを嫌っているからね」
「そうなんです。前からリリアンは僕を避けているんです。僕は何もしていないのに」
「偏執的な付き纏い人は皆そういうけどね。
とにかく、ストーカーでも問題ない。奇跡は起こせる。私の言う通りにすれば」
俯ていたリュシアンの顔が上がった。
「まず、リリアンは追いかけられるより、追いかける方が好きだってことを知っているかな?」
「そうなんですか?!」
「そう。リリアンは好きな人を追いかけたいタイプだ。私の後を健気に追っていたようにね。だからまずは、リリアンの付き纏いをやめたまえ」
「でも、そうしたらリリアンと会えなくなります。卒業したらリリアンと離れ離れになるんですよ?あと僅かしかチャンスがないのに、話すきっかけもなくなるじゃないですか」
「そういう執念深さが嫌われるんだよ。自覚しなさい」
王太子が窘めると、リュシアンは渋々ながら頷いた。
「よし。付き纏いを止めるだけでもリリアンからの印象はよくなるだろう。あとは、もうひと推しだが、ここでクティアーナに協力してもらう」
「ええ? 私ですか?」
「そうだよ。リリアンは弱者に弱い。弱っている人、傷ついている人の味方になりたいという破滅的な衝動がある。だから、それを利用する」
「それでそうしてクティアーナ様が関係するんですか?」
リュシアンの言う通りだ。どうして私が関係するのかしら。リリアンが弱者に優しい性格を利用するってことは、リュシアンが誰かに虐げられる状況を作ることよね?そのシチュエーションで悪役顔の私が協力できることといったら、もしかして――
「クティアーナにリュシアンを虐めてもらう」
「い、虐めるですって!? そんな事できませんわ!」
無理だ。私は顔が怖いだけで、誰かをいじめる度胸なんてないのに。嫌われまいと必死に生きてきた小心者の私が出来ると思えない。今までだって、王太子が陰ながら策略を巡らしていたからようやく悪役らしく見えただけなのに。
しかし、戸惑う私を他所にリュシアンは納得したように深く頷いた。
「流石は殿下です。確かにクティアーナ様なら適任ですね。迫力がありますから」
「それって顔が怖いと仰りたいの?」
睨むと、リュシアンは青い顔をしながら抗議してきた。
「だって、リリアンの事を虐めていたじゃないですか! 慣れていらっしゃるでしょう!」
「あれは虐めてたというより、偶然ぶつかっていただけですけど……」
「とにかく、王太子殿下のご提案の通りに僕を虐め抜いてください。ほら、いますぐ」
「いじめるって、どうやって……」
リュシアンは噴水の縁に昇り、私の目の前に立ちはだかった。そんな標的のように立たれても困る。私は何をしたらいいのか思いつかず、途方に暮れた。突然言われても思いつかないわ。そんな私の宙ぶらりんな手を王太子が握った。
「手がかかるなぁ、君は。ほら、こうするんだよ」
王太子が金色の瞳を伏せた。私の手が勝手に動き、リュシアンの肩をグッと押し出した。リュシアンの華奢な肩はバランスを崩して、噴水の方へ傾いた。
「うわぁ!」
派手な水飛沫が立って、リュシアンは噴水の中へ倒れた。リュシアンは頭から水浸しになった。
「リュシアン様、大丈夫? ほら早く立ち上がって。
もう、王太子殿下ったら! 何なさるの! 私の体を操作したでしょう!」
文句を言おうと隣を振り向いたけれど、そこに王太子はいなかった。いつの間にか、風を一つ立てずに消えてしまったようだった。更に、間が悪いことに、王太子の代わりに現れた人物が厄介だった。
「クティアーナ様……何しているんです?」
リリアンが来た。




