第20話 4-3
リリアンを追いかけないと。
せっかく仲良くなったのに誤解をさせてしまった。
私は王太子のことなんて好きじゃない。だって、中身が邪神の人間と幸せな結婚生活なんて望めそうも無いでしょう? 気まぐれに何かの生贄にされる未来が目に浮かぶ。それに、私は元々は婚約破棄されたらスローライフを送るために準備をしてきたの。この学園を卒業したらサヴィア公爵領の端っこで、のんびり丁寧な暮らしを送るんだから。広い庭のある小さな邸宅で、花とハーブを育てるの。季節毎に綺麗に咲く花を家のあちこちに飾って、ハーブで美味しい料理を作るのよ。それに大型犬を飼って、一緒に散歩したりボール遊びをするの。仕事に追われて前世でできなかった理想のスローライフを過ごすのよ。
だけど、私は動けなかった。
王太子の長いまつ毛が悩ましげに伏せられていたからなのか、私を抱く腕が苦しいほど力強かったからか、それとも、私の口に重ねられる唇が熱かったからなのか。理由は分からない。頭の隅の冷静な領域では、これは何かの呪いに違いないから逃げろと警告していた。でも、できなかった。私はすっかり抵抗する気力を失ってしまって、王太子のなすがままにされていた。喉を鳴らすと唾液が食道を伝って胃の中へ落ちていった。異物の侵入に胃が震える。その震えは、不快でもなくどこか心地よさすらあった。振動が快楽となって全身を這い回り、私の力を奪い取っていく。魂を抜かれるとはこういうことなのか。
「クティアーナ、起きてくれ」
体を揺すられて目を覚ますと、目の前には王太子のそれはそれは美しい顔貌があった。
「お、王太子殿下……、どうして……」
「君は廊下で倒れたんだよ。それで救護室に運んだんだ。覚えていない?」
「覚えていません……それよりも、なぜ殿下はあんなことを、したのでしょうか?」
「あんなことって何だろうね。さっき君に口づけたこと?」
王太子は私の口に指を当てた。細長い指が触れた瞬間に私は反射的にびくりと身じろぎをした。私の反応が面白いらしく、目を細めながら王太子は指をすうっと下ろし、胸に至ると止めた。胸の中央からやや左寄りの、心臓のある場所に指を下ろした。
「それとも、君の心臓を握り潰したことかな?」
私の心臓がぎゅうっと激しく収縮し、反動で大きく膨らんだ。どうして王太子が前回のループのことを覚えているの? 前はループの記憶を一切持っていなかったのに。一体何をしたのだろうか。それとも、今まで記憶がないフリをして遊んでいたのか。
「違う。勝手に誤解して勝手に正気を失いそうだから説明するが、少しばかり細工をしたんだ。
前回の卒業パーティーの時に何者かによってアザトースが召喚される現象を目撃した時におおよその事を理解した。アザトースを召喚した者の正体、そしてアザトース召喚後の世界の行方などをね。
アザトースによって世界が壊れる前に、世界が3日前の時間軸へ退避していることを観測したのさ。で、どうやらその逃げ先は他なる宇宙の存在で客観的な観測者である君の3日前の記憶を起点としているらしい。ならば、君を利用すれば私の記憶を維持できると考えた。そこで君の魂に細工をして、私の記憶の一部を移した。その結果、無事に私は自分の記憶を回収できた。礼を言うよ」
待って。情報が多い。
どうやら、王太子はたった一度アザトースの召喚を見ただけで全てを理解したらしい。世界は壊れる前に3日前にループする。それは何となくこれまでの経験からわかっていた。でも、そのループの起点が私ですって? 世界を助けるだけでなく、そんな重要な役割までも勝手に押し付けられていたなんて知らない。でも、私がループの起点だったとするなら、他の人は全く記憶がないのも理解できる。……でも、おかしいわ。あの人はどうして記憶があったのかしら?
「でも、ディーゴはループのことを知っていたみたいですけど」
「それはこの世界に移住したクトゥルフが君の魂に干渉して記憶を維持していたからだな」
「うそっ、私ったら邪神に魂を弄られていたの?」
クトゥルフのタコのようなと形容される触腕を思い浮かべた。あの触手が体中を這い回る光景を想像して身の毛がよだった。
「まあ随分と迂遠なやり方ではあるが。私のようにスマートにやる方法を知らないのだよ」
王太子が自慢げに言った。いや、スマートな魂の弄り方なんて知らないし。というか、勝手に人の心臓を取り出して握り潰す行為のどこがスマートなのよ。被害者に気づかれずに魂を弄るクトゥルフのやり方の方が紳士的じゃない?
「何だその反抗的な目は」
「……何もございませんけど?」
「構わず言いたまえ。私は寛大な神だからね」
嘘だ。寛大というより気まぐれで、気分によっては見逃してくれるというだけだ。でも、下手に逆らって正体不明の呪いをかけられても困るので大人しく答える。
「魂をいじるにしても、心臓を握りつぶす必要はありましたか?だって、クトゥルフに心臓をつぶされたことはありませんもの」
王太子は盛大に笑った。
「馬鹿だね。そんなことも知らないのか。肉体のうち魂と直結しているのは心臓だけだよ。
下等種族である地球人でも、昔の人間はもう少し賢かったのだが。
例えば、君達の祖先にあたる古代エジプト人はそれをよく理解していた。魂と直結している心臓を失えば二度と転生ができないと知っていた。エジプトだけではない。中央アメリカに存在した古代メソアメリカ文明では、生贄から心臓を取り出して神に捧げていた。心臓こそが魂の肉体における代弁者であり、魔力の提供元として適切だと理解していたからだ。しかしながら、それから数千年後の君たちは魂など存在せず、心臓は体を構成する臓器の一つとしか捉えていない。全く嘆かわしいことだな。後から生まれた自分たちが、先人たちよりも賢いと驕るなんて傲慢だと思わないか?
さて、過去の事例に違わず、魂を操作するならばその代弁者である心臓を弄ることが王道であり正当になる。ただ、このやり方は君の文明における心臓の外科手術と同じで精密さが求められる。失敗すれば対象者の魂が壊れて使い物にならなくなるが。ああ、心配しなくていい。私なら問題ない。
心臓の内部にある針の穴よりも小さい魂との接合点を辿って君の魂に私の記憶の一部を植え付けた。記憶を植え付けるのに充分な容量がなかったから、君と世界との接点を上書きしてしまったがね。もう二度とループが起きないだろうが、些細なことだ。
一方のクトゥルフはただ記憶を維持するためにディーゴという眷属を通して縁を繋げただけだ。やっている事が全く違うんだよ。わかるかな?」
金色の瞳に凄まれた私は必死に頷いた。
一方で聞き捨てならなかったことがあった。
「聞き間違いかもしれませんけど、もう二度とループが起きないと仰いました? それは、つまり、私の勘違いならいいのですけど、もしかして、世界が崩壊してももう二度と時間が巻き戻らないのでしょうか?」
「そうだよ」
間髪入れずに王太子があっさりと答えた。
「とんでもないことを! もし、アザトースの召還を阻止できなかったらどうなさるの?」
「それはその時だ。ここにいる私は化身の一つだから関係ないしな」
「あんまりです!」
せっかくこの宇宙の神様が作ったループを破壊してしまうなんて。もし失敗したら世界が滅亡してしまうのに。
騒ぎ立てる私に対して、王太子はやれやれと肩をすくめた。
「全く、落ち着きがないな。私はもうこの騒動の犯人を知っている。解決方法も分かっている。だから失敗することはない。君がちゃんと協力してくれれば上手くいく」
一応考えがあったらしい。流石は邪神とは言え神様だ。TRPGで賢さを示すINTも群を抜いて高かった。
「どのようになさるおつもりですか?」
「それはね……」
王太子は何かに気がついたように片眉を上げて、遠くの方を見た。そうして、フッと面白そうに笑んだ。
「案ずるより産むが易しと君の国では言うらしいね」
見計ったように救護室の扉が開かれた。
扉を元気に開けて入ってきた人物の顔を見て私は咄嗟にシーツを被った。顔を合わせたくなかったからだ。
「失礼します! 先生はいらっしゃいますか?」
明るくて可愛らしい声は、リリアンだった。




