第19話 4-3
「し、心臓がああ!」
恐怖のあまり飛び起きた。心臓がうるさいほど鳴っている。私は胸に手を当てて心臓がそこに収まっている事を確認した。よかった、ちゃんとあるわね。
見渡せばそこは学園の寮の自室だった。
机の上には、メッセージカードが几帳面に日記の上に置かれていた。
『ついに4週目』
部屋に投げ込まれた新聞で前回、前々回と同じようにすかさず日付を確認する。卒業パーティーの3日前に戻っていた。
「またループしたのね……」
記憶を思い出すだけで頭が痛くなる。
まともな人がいない攻略対象の中で最も恐ろしく強大な存在の王太子は最初から最後まで恐ろしかった。私の前に執拗に現れてはしつこく威圧してきた。それも私がアザトースを召喚しようとしていると疑ってかかって。とんでもない誤解だわ。
王太子を避けて何とかネクロノミコンを手に入れて逃げられたと思ったら、ディーゴと一緒に捕まるなんて間抜けも良いところだ。結局全ては王太子の手の内だったのよね。
でもまさか、パーティーで断罪された後に、王太子が私の心臓を潰すなんて予想もつかなかった。
私の心臓から滴り落ちる真っ赤な鮮血を浴びながら、優雅に笑う王太子の顔が忘れられない。思い出すだけでも、恐ろしい。
王太子の笑顔を脳裏に浮かべるだけで心臓が縮む思いがした。私は頭を振って別のことを考えた。言いようの無い恐怖に襲われた時は楽しいことを考えればいい。そうだ、そういえば、リリアンはすごく可愛くて天使だったわー。
「少し整理してみましょうか」
私はこれまでのループで分かったことを書き出してみた。
王太子:ニャルラトホテプ
ゲノス先生:イースの偉大なる種族
ディーゴ:深き者ども
リュシアン:リリアン狂信者?
リリアン:天使
神:宇宙をループさせている
「こうしてみると、攻略キャラのうち少なくとも3人が神話生物だなんて、リリアンがかわいそうだわ。おまけにイベントという名の嫌がらせにも合っているし。リリアンはあんなに良い子なのに扱いが酷いわ」
前回のループでリリアンと初めて話をしたけど、とても優しかった。私の断罪が行われていた大広間で唯一声を挙げてくれたのはリリアンだった。ゲームのイベントが起こらないようにリリアンのことを避けていたけれど、リリアンは良い子だった。純粋にもっと話してみたいし、仲良くしたい。
「リリアンさんと話ができるかしら。イベントで会うからきっかけはあるわよね?」
今回のループではリリアンと仲良くする。それを目標にした。まあ、失敗してもループしてやり直せるから気楽にいきましょう。
だけど、私の計画はあっさりと壊された。
午前の授業が終わり、今日のイベントの発生する廊下に行く。
「わぁ~! 風で先生から教室に運ぶように言われたプリントが飛んでっちゃう~。
たいへん! 追いかけなきゃ! どいてどいて!」
リリアンの説明口調が聞こえてきた。私は声のする方へ向き直り、リリアンを受け止める態勢を取る。
「……ふぅっ!」
「きゃあっ」
勢いの止まらなかったリリアンが私の胸に飛び込んできた。リリアンの手元にあったプリントが風で舞い散った。
踏ん張ったお陰でリリアンは転ばずに済んだ。
「お怪我はない?」
「は、はい。ありがとう……ってく、クティアーナ様? どうして?」
「転びそうな人を助けるのに理由がいるかしら」
「ええっと、だって意外で……」
「私が王太子の婚約者だから?」
「う、う~ん……」
答えにくそうなリリアンを尻目に私はしゃがんで、床に散らばったプリントを拾い始めた。
「クティアーナ様! いいです、そんな!」
「いいのよ。これくらいさせて。こんなことで今までの行いが償えるとは思えないけど」
「え、え、えっ!? クティアーナ様、どうしちゃったんです? 私のことを嫌っていたじゃないですか?」
「違うわ、誤解なの。私はリリアンさんを一方的に避けてただけで、嫌ってなんかいない。王太子殿下の隣にいるリリアンさんを見るのが辛かったの。ごめんなさい」
「クティアーナ様……」
「でも、今は違うわ。私はもう、王太子殿下のことを何とも思っていない。ううん、むしろ、どうにかして婚約を破棄できればいいと思っているのよ。だから、誰か王太子殿下を支えてくれる人がいれば、応援してあげたいわ」
散らばっていたプリントを集めて揃える。きっちりと角が揃ったのを確認して、リリアンの手のひらに重ねた。
「ねぇ、私と仲良くしてくれる?」
「え、ええと……」
「やっぱりダメかしら」
「いや、いいです! あ、ちがうんです。ダメってことじゃなくて」
顔を俯かせてリリアンは息を吸って吐いた。それから、私の目を見て言った。
「ぜひ、お願いします。クティアーナ様」
「よかった! それじゃあ、さっそく一緒に先生の所に行きましょう」
「先生の所に? どうして?」
「だってこのプリントを運ぶのでしょう? 量が多いし手伝うわ」
「いいですよ、私一人でも運べますって!」
「良いじゃない。手伝わせて、ね?」
リリアンは『でも……』と迷っていた。
「随分と楽しそうだね」
聞き覚えのある声がした。前回のループで私の最期をもたらした人物の声だ。私の背中につうっと汗が垂れた。
「あ! ラルト様!」
「リリアン、どうしたの? またクティアーナに何か言われたのかな?」
「違いますよぅ! クティアーナ様がプリントを運ぶのを手伝ってくれるところだったんです」
「へぇ、クティアーナがね?」
王太子は私の顔を見た。王太子はニャルラトホテプである。私はヘビに睨まれた蛙のように体が硬直した。前回の最後に見た王太子の血に濡れた顔を思い出し、私の体は動かなくなった。心臓だけが逃げたそうに鼓動をビクビクと鳴らしている。今度は何をされるのだろうか。
しかし、王太子は私の顔を見て、驚いたように目を見開いた。それから、予想もしない行動に出た。まず、手を伸ばして私の腕を掴み引き寄せた。それから私の顎に手を添えると、息をつく暇もなく私の唇を奪った。それも、リリアンの目の前で。
コンマ1秒の出来事だった。
私は硬直して動けない。
とんでもない光景を見せられたリリアンは走り去ってしまった。




