第18話 3-0
制服を脱いで華やかに着飾った学生たちが学園の大広間に集まっている。その中にはリリアンもいた。リリアンはユリの花を象ったブローチを身につけて、白のシルクオーガンジーで仕立てられた彼女らしい軽やかなドレスを身につけている。良かった、ブローチは見つかったみたい。大階段で見かけたブローチは本物だったのね。
大広間で最も輝いていたのは王太子だった。王太子はゲームと寸分違わない白地に金糸銀糸が刺繍された礼装を着ていた。いくつもの勲章と胸を斜めに走る大綬で飾られていた。そのどれもが王太子の地位を名誉で飾り立てるものだった。王太子が背負っている権威を視覚的に示す効果がある。他の貴族との差は圧倒的だ。
私の服装は王太子と対照的だった。それもそうだ。昨日の逃亡するための服装そのままなのだから。庶民とまぎれても目立たないように用意したお忍び用のワンピースで、ゴワゴワした綿でできていた。汚れが目立たないように濃い灰色に染めてあるけれど、模様や刺繍は一切ない。実用一辺倒の華やかさのかけらもない服装だった。私は、装飾もせず、化粧もせずに素のままで大広間にいる唯一の人だった。
質素な身なりの私が兵士に連行されて大広間に現れたのを見て、大広間に集まった学生たち、貴族たちがざわめいた。しかしそれも、王太子が口を開いたことで静まり返った。
「本来であればこの場で私の結婚の日取りをお知らせする予定でしたが、残念なお知らせがあります。私の婚約者であるクティアーナ・エィ・ボン・サヴィアが次期王妃として相応しくない行いを繰り返しました。私は悩みました。名誉あるサヴィア公爵家の娘である彼女以外に次期王妃に相応しい家柄の令嬢はいません。それに、王家の婚約は私の考え一つで動かすことはできない問題です。ですが、彼女には看過できない問題行動を重ねています。
そこで、私は考えました。ここにいる皆さんに判断してもらおうと。この国を支えている皆さん達に彼女が次期王妃に相応しいか考えてもらうことにしたのです」
意外にも王太子の発言はゲームと同じだった。ここはゲームの世界ではないはずなのに。まるでゲームを再現するためにわざと同じ台詞を話しているように思える。ゲームでは、プレイヤーが順調にキャラクターを攻略できていれば悪役令嬢であるクティアーナが断罪され、王太子との婚約が破棄されてエンディングを迎える。だが、攻略が上手くいっていなければクティアーナの断罪に失敗し、ゲームオーバーになる。
つまり、ゲームをクリアした時、必ずクティアーナは断罪されている。でも、今回はどう考えても、私は婚約破棄されるだろう。何しろ、神殿の禁書を持ち出して逃げようとした所を王太子に見られたのだから。
王太子が淡々と私の行いを説明する。リリアンに対する嫌がらせ、横柄な態度……。ゲームのシナリオ通りに仕立て上げられたことばかりだった。王太子は事実を私に確認した。
「これらの行為を認めますか?」
「……認めます」
認めるしかない。証人が大勢いるし、自分の意志ではなくてもリリアンにぶつかったり、睨んだことは事実なのだから。だけど、その事実を否定する声があった。
「クティアーナ様はそんな事していません!」
リリアンだった。どうしてリリアンさんが私を庇うのだろう。王太子も同じく疑問に思ったようだった。
「リリアン、どうして嫌がらせの被害者である君がクティアーナを庇うのかな?」
「だって、クティアーナ様は私が噴水に落ちそうになった時も、階段から落ちそうになった時も助けてくれました。体中を怪我してまで私を助けてくれたんです。
クティアーナ様は私に謝ってくれました。私はクティアーナ様を許しました。それでこれまでのことは終わりです。私が許したんですから嫌がらせの事実はありません!」
「リリアンさん……」
リリアンの発言には無理がある。謝っても嫌がらせをした事実はなくならない。それにそもそも、あの謝罪は嫌がらせに対してしたものではなくて、前回のループでリリアンを殺したことへの謝罪だった。でも、リリアンを助けたことは事実だった。その想いは伝わっていた。
「そうか。リリアンは優しいね。でも、問題は嫌がらせだけではないんだよ」
王太子が兵士に目配せをすると、扉が開き、誰かが引きずられながら連れてこられた。王太子よりも更に高い背に、騎士らしく鍛えられた肉体。ディーゴだった。顔の右半分が仮面で隠されている。兵士に対して抵抗したのだろうか。鱗の無い白い頬に浮かぶ青い痣が痛々しい。腕は後ろ手で拘束されていた。
「一昨日、寝殿からある貴重な本が消えました。それは異界の神々について記述された禁書でした。禁書には強力な呪文が記載されており、悪用されれば世界が破滅する可能性すらあります。神殿から依頼されて私は秘密裏にその行方を探していました。そして、昨夜その禁書を見つけたのです。禁書はクティアーナが持っていました」
王太子の告発にそれまで静寂を守っていた群衆がざわめいた。
「どういうことですの?」
「禁書なんて……恐ろしい」
「サヴィア公爵令嬢は禁書を使って何をしようとしていたんだ? 危険すぎる」
リリアンまでもが顔を蒼白にして私を見ている。信じられない、と表情に書いてあった。失望した顔を見るのがつらい。
群衆の疑問に答えるように王太子の告発が続いた。
「クティアーナが禁書を使って何をしようとしていたのか。それはここにいるマティウス家のディーゴが教えてくれます」
兵士は王太子の言葉に頷き、ディーゴの仮面を剥いだ。仮面の下のディーゴの素顔を目撃した人々は悲鳴を上げた。
「な、なんだあれは!?」
「おぞましい、鱗が生えているなんて人間ではないわ」
「化け物だ!」
顔の右半分が鱗に覆われたディーゴに対する罵詈雑言が続いた。聞くに堪えなかった。ただちょっと見た目が違うだけで、中身は同じなのに。ディーゴのことを殆ど知らない貴族たちはともかく、どうして昨日まで机を並べていた同級生までもが一緒になって罵っているの? 少しだけ、肌が硬いだけなのに。それだけで、私たちと変わらないのに。
化け物と罵られてもディーゴは前を向いていた。
「ディーゴがこんな人間離れした姿になったのは、禁書のせいなのです。クティアーナが禁書を使ってディーゴを化け物に変えてしまいました。そして、化け物になったディーゴを従えて学園から逃げようとしました。ですが、学園の敷地から出るギリギリで捕まえました」
騒然とする群衆を背景に、王太子は再度私に確認した。
「クティアーナ、反論はあるかな?」
「ございます。私は禁書を使っておりません! ディーゴに鱗が生えたのは他の原因ですわ」
「では、どんな原因があるのかな?」
私は答えに詰まった。ここでマティウス家の体質について明らかにすることは淑女のマナーに違反する。ディーゴの顔をちらりと見た。ディーゴは何もかも受け止めるように頷いたけれど、私はやっぱり言えなかった。
「答えられないんだね。
まぁいいよ。それなら改めて尋ねようか。君は禁書を使って何をしようとしていたんだ? まさか、異界の神を召喚しようとしていたのかな?」
やはり、王太子は私がアザトースを召喚すると疑っていた。ゲノス先生に会った後の独り言を聞かれていたのだ。私は自棄になって否定した。どうせもうすぐニャルラトホテプによってアザトースが召喚されて世界が終わるのだから、またやり直す羽目になるのだから、どうなったっていい。
「違うわ! 邪神を召喚しようとしていたのは王太子殿下でしょう!
むしろ、私は殿下が召喚するのを阻止しようとネクロノミコンを手に入れたのよ」
「何をおかしなことを。私にネクロノミコンが必要だと思うか?」
せせら笑う王太子に、私は頭を殴られたような衝撃を受けた。確かにそうだ。ニャルラトホテプはネクロノミコンに記述される側の存在で、力のある邪神だ。アザトースを召喚するにしても、呪文なんて不要のはず。
「だとしたら、一体誰がアザトースを召喚しようとしているの?」
「君じゃないのか?」
「だから違うわ! 私はアザトースの召喚を止めるために動いていたのよ。前回の、ううん、前々回の卒業パーティーでアザトースによって世界が滅亡してからずっと、召喚を止める方法を探していた。アザトースの召喚を止めるにはネクロノミコンが必要だって信じてこの4日間をやり直していたのに……またループして振り出しに戻るのね……」
訳が分からない。それならどうして、この宇宙の神はネクロノミコンを私に与えてくれたの? 一体誰がアザトースを召喚するの?
「言っていることが分からない。そもそも、アザトースを人間如きが召喚することが烏滸がましい。だから私自ら動いて罰を下そうとしていたのに、既に狂っているとはな」
「ああ! ほら! 時空の歪みが現れる! 天上からアザトースが降りてくる!
聞こえるでしょう? 皆さま。アザトースを慰める蕃神達の合奏の音が!」
狂気に堕ちた私は天井を指さした。私につられて天井を見上げた人々は、最初は怪訝な顔をしていたけれど徐々に驚愕の表情に変わった。そう、時空の歪みが現れ始めたのだった。そうして、あの心臓を狂わせるフルートと太鼓の音が辺りに響いた。異常事態を目の当りにして人々は狂乱した。誰が最初に逃げようとしたのか。1人が扉に向かって走り始めると、残りの人々も扉に殺到した。
「そういうことか」
冷静な王太子の声が聞こえた。いつの間にか王太子が私の側に立っていた。
「どうかされまして? 殿下。貴方が仕える方がいらっしゃってよ。ご挨拶なさらなくてよろしいの?」
「確かに、アザトースは私の主人だ。しかし、主人をこんな別の宇宙にまで呼び出すことも、ましてや宇宙を破壊するなんて退屈なことはしない。私が求めるのは破壊ではなく混沌なのだから」
「退屈なこと?」
私は王太子の言っていることが分からず、首を傾けた。王太子はぼんやりしている私を引き寄せた。ああ、美しい。美しい王太子の顔面が近づいてくる。王太子の金色の瞳が閉じられた。
金色の瞳に見られながら死にたかった私は、少し残念に思った。
「殿下、目を……」
目を開けてくださいと言おうとしたけれど、言葉にならなかった。代わりに口から出てきたのは真っ赤な血だった。
「で、殿下……?」
王太子が私の心臓を握っていた。たった今、私の胸から取り出された心臓は宿主の体を離れても拍動し、辛うじてつながっている血管を通して血液を送り続けていた。
「クティアーナ、また会おう」
そう告げると美しい顔で私の心臓に口づけ、熟した果実を潰すが如く容易く私の心臓を握りつぶした。私の血液が滴って、王太子の顔を赤く染める。
血液が送られなくなった私の体は急速に機能を停止した。
かすれた視界に最期まで王太子の微笑が映っていた。




