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第17話 3-1


 恐る恐る目を開けると、絨毯が空中で止まっていた。よかった、空中浮遊の呪文が間に合ったのかしら。


「助かったのかしら?」


「みたいだな」


 ディーゴが先に絨毯から降りた。それから、私に手を貸して下ろしてくれた。意外だ。


「腰が抜けているんだろ?」


「違うわよ!」


 失礼しちゃうわ。私をそんな腰抜けみたいに思っていたのね。まぁ、血圧が下がって力が入らないのは本当だけど。腰抜けじゃないわ。


 絨毯から降りて辺りを見回した。西棟の庭園にある温室のドームが生垣(いけがき)越しに見える。


「まだ学園の敷地内みたいね。ここから崖を降りる方法を考えなくちゃ」


「残念ながら、その必要はなさそうだ」


「え?」


 ディーゴが静かに指さした方を見た。ディーゴの指の先には、一番出会いたくなかった相手が立っていた。


「奇遇だね。夜のお散歩かな?」


 王太子だった。少し回復していた血圧が急降下した。


「で、殿下……ごきげんよう」


「ごきげんよう」


 作り物めいた礼儀正しい薄笑いをしてみせる王太子に、私のひ弱な心臓は早鐘を打った。ディーゴが私と王太子の間に立ちふさがった。


「王太子殿下、夜分遅くにどうされたのですか? 明日は卒業パーティーでお忙しいのですから、早くお休みになられたかと思っていました」


 凄いわ! ディーゴ。ここに来て堂々と言い返せるなんて並みの神経ではない。私は情けないことにディーゴに頼るしかなかった。


「そう、その卒業パーティーの準備をしたくてね、ここまで来たんだよ。私の結界に鼠がかかったから始末をしようとね。せっかくのパーティーに鼠が出たら嫌だろう?

 それで、君たちは何をしにここに来たのかな?」


「殿下が仰ったではないですか。夜の散歩ですよ」


「その割には随分と重装備だね。まるで旅行みたいだ」


 王太子の視線が私たちを頭からつま先まで捉えた。見透かされている、と思った。私たちが逃げようとした事は王太子にバレている。それだけじゃない。先ほど王太子は『私が張った結界』と言った。言葉通り受け取れば、絨毯が墜落したのも王太子が張った結界のためだろう。


 王太子が呆れたようにため息をついた。そのため息は明らかに嘲笑(ちょうしょう)を含んでいた。間抜けな逃亡を測った愚か者と嘲笑されていた。


「全く、残念だよクティアーナ。逃げ出すほど私との結婚が嫌だったのかな? 事前に相談してくれれば、上手く計らうこともできたんだよ?」


「お言葉ですが……」


 白々しく寛大な言葉を紡ぐ王太子に私は腹が立ち、言い返そうとしたけれどディーゴに遮られた。


「違います。俺が嫌がるクティアーナ嬢を無理矢理連れ出したんです」


「そう、それで?」


「ですから、咎めるなら俺だけを。クティアーナ嬢は巻き込まれただけなんだ」


「ディーゴ、何を言っているのよ! 2人で逃げようって決めたじゃないの!」


 私はディーゴを必死に止めた。揺さぶって、考えを変えてもらおうとした。だけど、ディーゴは止まらなかった。いいんだ、と言ってディーゴは王太子の前に跪いた。


「覚悟はできています。どうぞご随意に」


「健気だね」


 王太子は夜空に輝く月のように美しく微笑むと、手を伸ばしてディーゴの頭を無造作に掴んだ。


 掴まれた頭からは白い煙が上がった。シュウシュウと何かが蒸発していく音が聞こえる。ぽろぽろと白くて薄い粉のような()()が顔から剥がれて落ちていく。


「……っうああ!」


 ディーゴが叫び声を上げて地面に転がった。顔を押さえて痛がるディーゴに近寄ると、恐れていたことが起きていた。


「ディーゴの顔にまで鱗が……」


 王太子が触れた顔の右半分の皮膚が剥がれ落ちて真新しい鱗が現れていた。生まれたての鱗は柔らかくてすぐに乾燥して剥がれてしまいそうだった。私はマントの裾を破ってディーゴの顔を包もうとした。


「クティアーナ、そんなことをする必要はないよ。そいつは化け物だ」


 ディーゴの鱗を手当てしようとする私の手を握り、優しく囁きかける王太子を私は睨んだ。


「違うわ。化け物は貴方よ!」


 私に睨まれた王太子は面白そうに笑った。


「どうやら、クティアーナは化け物にたぶらかされてしまったみたいだ。化け物からお姫様を救うのは王子の役割だけど、お姫様の正体が悪い魔女ならその限りではないよね」


「何をするつもり?」


 王太子は私の問いに答えず、オレンジ色の光を空に向かって手のひらから真っ直ぐ放った。その光を私は知っている。軍事演習や狩で使われる合図だった。オレンジ色は、獲物を見つけたという意味だ。


 生垣の向こうから兵士達がやって来た。その数10数名、多勢に無勢なのは明らかだった。装備している軍隊の中で、制服姿のリュシアンが悪目立ちしていた。リュシアンはいかにも重要そうな立ち位置にいて、数合わせで呼ばれた訳ではなさそうだった。


「そこの化け物と、クティアーナを拘束しろ。それから、リュシアン。このマントを調べてみてくれないか」


 私のマントを王太子から渡されたリュシアンは、すぐさま何かに気がついたようだった。マントをひっくり返して裏地を探り出す。裏地に縫い付けていたポケットから、あの本が取り出されてしまった。


「これは、王都の神殿で一昨日突如として消えた禁書です! どうしてここに……?」


「さあ、どうしてだろうね。クティアーナがよく知っていると思うよ」


「クティアーナ様が……?」


 リュシアンは驚愕して私を見つめた。ここ数日は一方的だけど親しみを抱いていたみたいだから、神殿から禁書を盗んだという私の行いが信じられないのだろう。もちろん、私はあの本が神殿にあったなんて知らないのだけど、それでも盗んでしまった事に違いはない。純粋なその緑の目から顔を背けた。


「その本は手元に保管しておいてくれ、リュシアン。

 さて、もう夜も遅いことだし、詳しいことは明日聞かせてもらうよ。

 明日のパーティーが、楽しみだね?」


 王太子の指示により、私とディーゴは兵士たちに学園の一室に連行された。ディーゴと別々に入れられた部屋の前には見張りが立てられて、逃げる隙もなかった。緊張で眠れない中、メッセージカードがどこからともなく降ってきて、日付が変わったことがわかった。


『最終日』


 利き手と反対の手で書かれたような歪なその字は滲んでいた。私の心と同じように絶望しているようにも見える。カードの送り主も王太子(ニャルラトホテプ)に苦しめられているのかもしれないと思った。カードの主は神様だろうから。私は神様に責められているような気がした。私だって、この世界を救いたいのに。邪神の前では私は無力だった。


 何もできないまま、最後の日が訪れた。


 そして、卒業パーティーの時がやってきた。


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