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第16話 3-1


 一歩遅かった。王太子が救護室にやってきてしまった。リリアンの仕事が早すぎる。

 いまの救護室には私と王太子の二人きりだ。つけ入る隙を見せたら、あっという間に捕まえられる。


「殿下、ノックも無しに入られては困りますわ」


「うん、ごめん。でもティナが窓から落ちそうだったから心配して急いで入ってしまったよ」


「嫌ですわ、殿下。空気を入れ替えるために窓を開けようとしただけです。ご心配なさるようなことはございません」


 私の取り繕ったような言い訳に、王太子は『そうだね』とだけ返した。窓の側へ近寄り、窓の取っ手を掴んだままの私の手を王太子が握った。真横に来ても王太子の表情は読めない。顔に張り付けた笑顔が引きつりそうだった。


「もう怪我は大丈夫なのかな?」


「え、ええ。すっかり。リリアンさんの光魔法のおかげですわ」


「それは良かった。ティナが大階段から落ちたと聞いて心臓が潰れる思いがしたんだよ。リリアンは私のせいだと自分を責めるし、ティナは目が覚めないし、本当に心配したんだ」


「ご、ごめんなさい……?」


「謝ることはない。無事でよかったよ」


 私の手を王太子が両手で包む。まるで愛しい物のように私の手を扱っている。大切に壊さないようにそっと触れている。どうして急に優しくするの? 何か裏があるの?


 王太子の表情を探るけど、純粋な優しさだけしか読み取れなかった。意味深な金色の瞳の奥を伺っているうちに、私の手が、王太子の頬に触れそうになる。私はびくっとして手を引いた。


 王太子は振り払われた自分の手を寂しそうに見た。


「何に怯えているの?」


「な、何って?」


「隠しているよね? 困っていることがあれば、私に話して」


 あ、この流れ、凄くデジャブ。前回も同じように優しくされて、隠し事を問われた。絆された私は洗いざらい話してしまった。私の告白を嘲笑うように王太子が自分の正体を晒したのだった。

 これは罠よ。二度目は引っ掛からないわ!


「殿下に隠し事なんてございませんわ」


 予習をしていたおかげで微笑みながら白を切った。ネクロノミコン? 逃亡計画? 何のことでしょう。しかし、王太子は上手だった。


「隠し事はない、ねぇ?」


 王太子は金色の瞳を猫のように細めて笑った。


「ディーゴと何やら楽しそうな計画をしているじゃあないか」


「……何のことでしょう?」


「私が何も知らないと思っているのかな?私の目はね、この顔についている二つだけじゃないんだよ」


 ヒヤリと背筋を汗が流れた。

 やはり、王太子(ニャルラトホテプ)は化身を使って私を監視していた。もしかしたら、もう既に何もかも知られているのかも。隠したって無駄なのかもしれない。


「そうそう、素直になって大人しく全てを話して。ね?」


 王太子は前と同じように私の顔面に手をかざした。暗示をかけるつもりだ。だ、だめよ。暗示にかかってはいけない。ここで私が負けたら、今までの苦労が水の泡になる。せっかくあと少しでループから抜け出せそうなのに。


 この時、神様が情けをかけてくれたのか、助けが来た。


「王太子殿下、明日の卒業パーティーのことでゲノス先生がお呼びです」


 救護室の扉の外側から王太子を呼び出す声がした。誠実で慕われる王太子は呼び出しを無下にできなかったのか、舌打ちをして手を下ろした。


「今夜を無事に過ごせるといいね、クティアーナ」


 王太子は救護室から立ち去った。


「た、助かったわ……」


 気が抜けて床に座り込んでしまった。腰が立たない。


「おい、大丈夫か?」


 勢いよく扉を開けてやってきたのはディーゴだった。


「ディーゴ、遅いじゃない」


「クティアーナ嬢が目が覚めたと聞いて救護室に向かったら王太子殿下が入っていくのが見えたんだ。今日のこともあるし、なるべく会うのを避けたかったからゲノス先生に協力してもらった。何かあったのか?」


「ありがとう。危なかったのよ。王太子殿下に自白させられそうになったの」


「何も言わなかったか?」


「当たり前じゃない。だけど、気を付けなきゃ。王太子殿下は今夜の計画を察しているみたい。策はあるんでしょうね?」


「まぁ、任せておけ。ちゃんと策はある」


 ディーゴが自信満々に胸を叩いた。大丈夫かしら? と思ったけれど、王太子がどこで目を光らせているか分からないので、詳しくは聞かないことにした。どうせ、数時間後には分かることだもの。


「そういえば、怪我はないか? 階段から派手に落ちたんだろ」


「ええ。打ち身が酷かったみたいだけど、リリアンさんに治してもらったのよ」


「光魔法でか?」


 ディーゴは顔をしかめた。


「あれって、凄く痛いよな」


「やっぱり?」


 武闘派のディーゴでも痛いのね。思い出すだけでも、脂汗が出てくる。


「一説によると傷が深いほど治す時の熱と痛みが激しくなるらしい。俺の時は皮膚から骨が突き出る程度の骨折だったけど、瀕死の重体や不治の病だとどうなるんだろうな?」


 想像するだけでも心臓が止まりそう。私は死ぬ想いをするくらいなら、死んだ方がマシだわ。もし、瀕死になったとしても光魔法には頼らないようにしよう。


「死にゆく運命を変えるにはそれなりの代償が必要ってことかしら」


「そうなのかもな。とにかく、怪我が治ったみたいで良かった。計画を変更しなくて済みそうだ。今夜迎えに行くから準備しててくれ」


「わかったわ」


 それじゃあ、とディーゴが立ち去ろうとしたので私は声をかけた。床に座り込んでいる淑女を置いてディーゴは離れるつもりみたいだった。


「ちょっと待ちなさいよ! 手を貸してくださらない? 腰が抜けて歩けないの」


「すまん、その……床が好きなのかと思っていた」


 何を言っているのかしら。英雄の家は紳士教育をしていないの? ループから抜け出して、地球に戻れなかった時に、二人でやって行けるか不安だわ。



「着替えもちゃんと入れた。非常食もある。ネクロノミコンはマントに縫い付けた。準備は大丈夫ね」


 夕食を終えて、荷物をまとめた。小さな旅行鞄に一つだけ。長い旅になりそうだから身軽にしようと思った。足りない物資はお金を稼ぎながら必要な物を買えばいい。


 ベッドの上でじっと待っていると、窓をコツコツと叩く音が聞こえた。窓を見ると、目を疑う光景が広がっていた。


「ひゃっ! ま、窓に! 窓に!」


 ディーゴが窓に張り付いていた。


 ちょっと……いや、かなり怖いのだけど……。壁に張り付く虫のようにディーゴが窓に張り付いている。尋常な筋力じゃないわ。

 窓を開けると虫……じゃなくてディーゴが部屋に入ってきた。


「どうやって来たの?」


「上で準備をしてそのまま降りたんだ。ほら、準備はできているか?荷物を持って俺に掴まれ」


「掴まるって言われても、どこに?」


「適当に腕を回せばいい。なんだ? 怖いのか? なら、ちょっと我慢しろよ」


「な、なに?」


 ディーゴは私を軽々と抱き上げると、そのまま肩に担いだ。


「ほら、じっとしていろよ」


 そのまま問答無用で窓の外に出て、上から垂らされていたロープを掴むとスルスルと登り始めた。片手だけで登っている。


「は、はぁー、高い……」


 私の寮の部屋は4階だ。屋根裏部屋を含めれば5階建ての建物の中では、最も見晴らしの良い部屋だった。王太子の婚約者ということで、入学時に学園が配慮してくれたのだった。だけど私は、高所恐怖症。3年間過ごしたけれど怖い。


「怖いなら目を瞑っていたらいい。すぐに着くから」


 ディーゴに言われたけれど、この国も見納めになると思うともったいなくて目を閉じないでいた。学園は静まり返っているけれど、王都の方は明かり灯っていた。


「着いたぞ」


「着いたって、ここは屋根じゃない。ここからどうやって逃げるのよ。崖に囲まれているのよ」


 私の疑問に対して、ディーゴは簡潔に答えた。


「飛ぶんだ。これで」


 そう言うと、丸めていた布を足元に広げた。結構分厚い布みたい。魔法の明かりを小さく灯してみた。


絨毯(じゅうたん)よね。飛べるの?」


「飛べる。空を飛ぶための呪文がかかっているからな」


「空飛ぶ絨毯ってことかしら? それならどうして高い場所にいるの? 空飛ぶ箒みたいにふわーっと浮かび上がれるのではないの?」


「古い絨毯だから飛ぶのにコツがいるんだ。とにかくクティアーナ嬢は先に乗ってくれ。俺が後ろから押すから」


「よく分からないけれど、分かったわ」


 ディーゴの言う通り絨毯の上に座る。目の前には学園と学生街が広がっていた。う~ん、やっぱり高くて怖い。


「ディーゴも早く乗ったら?」


「わかってる。ちゃんと飛び乗るから」


 そう言うと、ディーゴは絨毯を滑らすように押し出した。勢いよく滑り出した絨毯は、あっという間に屋根の端まで辿り着いた。それでも飛ぶ気配も浮かぶ気配も全くない。このまま落ちてしまうのかしら、と私は咄嗟(とっさ)に空中浮遊の呪文を思い出そうとしていた。


「よし、いける」


 ディーゴの声を合図に、絨毯は急に上に向かって浮かんだ。屋根から無様に落ちることは回避できた。一度飛ぶと、意外にも快適に進む。


「上手くいったな」


「びっくりしたわよ」


「すまん。古いから弾みをつけないと動いてくれないんだ」


 絨毯の性能に古い、新しいが関係するのね。編み込まれた呪文が解けたりするのかしら。


「そうなのね。これ、ディーゴの持ち物?」


「まあな。夜食を買いたくて、寮を抜け出して夜に街に行く時に使ってたんだ」


「あら、抜け出した前科があるのね」


「明日で卒業なんだから時効だろ」


「卒業どころか、国から出るんだから咎める人はいないわ」


「それもそうだな」


 話しているうちに、学園の敷地の外に出ようとしていた。

 敷地の境界に絨毯の先が触れたとき、絨毯の魔力が下がった。魔力の弱まった絨毯はコントロールを失って、ふらふらと高度を下げていく。


「お、落ちてるわよ」


「落ち着け、クティアーナ嬢。今はちょうど学園の敷地ギリギリにいる。バランスを崩すと崖に落ちてしまうぞ」


「落ち着けって言われたって」


 落ち着いていられない!

 吸い込まれるように地面が近づいていく。前世ではジェットコースターに乗るのは好きだったけれど、それでもこんなに不安定で心臓に悪い乗り物では無かった。あれはコントロールされた恐怖だったのだと痛感する。血圧が下がって、頭から血がサアッと失われていく音がした。さっき思い出した空中浮遊の呪文を今更ながら唱え始める。


「ぶつかるぞ!」


 ああ、もうダメだわ、と覚悟して目を瞑った。現世のお父様、お母様、親不孝者な娘でごめんなさい。前世のお父さん、お母さん、2度目の人生もあっけなく死にそうです。現世と前世の記憶が混線しながら頭の中に流れ込んできた。これが走馬灯ってやつなのね。私、後悔ばかりよ。もっと長く生きたかった。神様、どうか助けてください。


 最期の希望として確実にいるであろうこの宇宙の神様に縋った。


 地面に激突する決定的な瞬間はいつまでたっても訪れなかった。


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