第13話 3-2
2回目のループ2日目。私は惰性で最期の授業に出ていた。ディーゴの言葉が頭を巡っていて、アザトース召喚阻止のために動く気にならなかったからだ。
今朝も頭の上に降ってきたメッセージカードに書かれた『あと2日』という相変わらず歪でたどたどしい文字を指でなぞりながら考える。
もし、アザトース召喚を阻止出来て、ループの先に行くことができたら、私は何をすればいいのだろう?
元々は、婚約破棄後はお父様の領地の隅でスローライフを送るつもりだった。だけど、ディーゴの言う通り王太子と敵対する以上は領地で謹慎なんて比較的軽い処分になるとは思えない。良くて国外追放か、悪ければ死罪だ。そうなると、捕まる前にさっさと国外に逃亡する事が安全に思える。
一方で、ゲノス先生の推測も気にかかる。ゲノス先生曰く、隣の宇宙からやってきた私とゲノス先生の精神は異物だから排除されるかもしれない、らしい。
排除されるなら、この世界でのことなんて考える必要はなくなる。ただ、協力してくれたディーゴを残して私だけ安心安全な日本に戻っていいものだろうか? 仮に、もし、自分の意思で残るか帰るかを選べるとしたら、私はどちらを選ぶのだろうか。
出口の見えない思考の森に嵌っている私を呼び戻す声があった。
「クティアーナ様、ゲノス先生から質問ですわ」
隣の席に座る同級生がぼうっとしている私に親切にも教えてくれた。教壇に焦点を合わせると、ゲノス先生が腕を組んで無表情で立っていた。
「いくら最後の授業とはいえ、緊張感が無いのでは? 授業の後で残ってください」
それだけ言うと、ゲノス先生は私の答えも聞かずに別の学生に質問をしていた。質問は大したことのない内容で、ちゃんと聞いていれば難なく答えられるものだった。
授業が終わって、広い教室に私とゲノス先生だけが残った。
「ゲノス先生、申し訳ありませんでした。最後の授業なのに集中力を欠いてしまっていました」
「ああ、そのことですけど、気にしなくていいですよ。教師らしく見えるように注意しただけですし。授業なんて聞かなくてもちゃんと勉強してくれればいいんですよ。
それより、何かお困りのようですね」
ゲノス先生が相変わらず感情の無い薄い色をした瞳で私を見てくる。ガラス玉のように透き通った瞳は私の全てをそっくりそのまま映しだしていた。心に溜まっていた事を私は洗いざらい話した。
「なるほど、ループが終わった後のことですか」
「ゲノス先生、私たちは絶対に元の世界に戻れるのでしょうか?」
「絶対と聞かれると弱いですね。何事にも例外はあります。貴女は明日絶対に生きていると保証できますか?」
私は首を横に振った。
「そうでしょう。ですから、絶対に元の宇宙に戻れるとは断言できません。可能性が高いと、私は推察しているだけです。とはいえ、そもそもこの宇宙を救ってループを終わらせない限りそんな心配も不要ですよ。ほらほら、終わった後のことに悩むくらいなら、アザトースの召還を防ぐ方法を探しなさいな」
ゲノス先生は私の肩を不器用な手で叩いた。力加減ができていなくて痛い。でも、力いっぱい叩かれたおかげで肩の力が抜けた気がする。何の解決にもなっていないのに。
「ありがとうございます」
「いいんですよ。私も新しく判明したことがあればお知らせしますね」
そう言い残すとゲノス先生は教室を後にした。重い木の扉がゆっくりと空気を押し出す音を立てながら閉まった。
「おい、何をぼうっとしているんだ?」
荷物をまとめていると、背後からディーゴが声をかけてきた。
「ディーゴ、どうしたの? 王太子殿下は?」
「殿下はリリアンと一緒にいるから放っておいた。リリアンは光魔法が得意だから何かあっても大丈夫だろ」
「いや、光魔法って治療魔法のことでしょ。治療魔法を使う時すでに何かあった時じゃないの」
私が突っ込むと、ディーゴは困ったように頬を掻いた。
「そうなんだが……殿下の側にいると皮膚が痒くて仕方がないんだ」
「ええっ、それってまずいじゃない! ディーゴ、絶対に掻いてはだめよ」
皮膚が痒いのは深化が進んでいる証拠で、危険信号だ。掻いたところから皮が剥けて鱗が顕れた時のことを思い出した。私は咄嗟に頬を掻いているディーゴの手を引っ張って上着を剥がしシャツの袖をまくり上げた。
まくり上げて露わになった腕を見て、私は息をのんだ。
「昨日より包帯の範囲が広がっているわ」
「ああ」
ディーゴはなんてことないように、ぶっきらぼうに返事をしたけれど痛々しい見た目だった。肩まで包帯が覆っている。硬い鱗がところどころで包帯を突き破って出ていた。片手でやるから上手く巻けられないのだと思う。
私はディーゴの包帯を外して巻き直してあげた。前回のループの時と比べると鱗の範囲が広い。深化の速度が速まっている。
「やっぱり、ディーゴは協力してくれなくていいわ」
「なんでだよ?」
「だって、王太子殿下の近くにいたらこの症状が進んでしまうから。危険すぎるもの」
王太子の正体はニャルラトホテプで、神話生物だ。ディーゴを含む深き者どもは神話生物に近づくと深化が早まると聞く。だから、王太子の近くにいればディーゴはあっという間に人間の姿を失い、異形の化け物になってしまうだろう。深きものどもという鱗に覆われた鰓で呼吸する海の生物に。
「気にするなよ。俺の体より王太子殿下をなんとかする方が重要だろ」
「気にするわ! だって、深化が進むと人間に戻れなくなるのよ!」
「遅かれ早かれ俺の一族はこうなる運命だと、祖父は言っていた。だから気にする必要はない。少し早く海の都に引退するだけだ。
それにさ、鱗になった腕は以前よりも強くなるみたいだ。見た目にさえ慣れればこの腕も結構役に立つと思う」
「そういう問題じゃないわ。私が気にするんだから」
「いいんだって。そうだ、実際にこの腕の力を見せてやるよ。今までの比じゃないくらい強いぞ」
ディーゴは包帯を巻き終えた腕とは反対の腕で私の腕をつかみ、引っ張った。鱗の付いていない腕でも充分力が強くて、痛い。私は抵抗できずに歩き出してしまう。
「ちょっと待って。ねえ、離してくださらない? ディーゴ、聞いているの?!」
何度も問いかけると校舎から裏庭に出たところで、ようやくディーゴは足を止めて振り返ってくれた。
「なんだ?」
「恥ずかしいから手を離して。私は淑女であって、子供でもモノでもないのよ」
「ああ」
ディーゴは目線を自分の手に落として、それから自らの行いを恥じるように顔を赤くした。
「すまん」
「別にいいのよ」
私はディーゴに掴まれた手首を見た。赤い手形がついている。まったく、力加減をしてほしい。ディーゴは本当に脳筋なんだから。私がディーゴに目線を向けると、ディーゴは気まずそうに目を逸らした。
「なにかしら?」
「いや、別に」
目を合わせず落ち着かない様子のディーゴを見て、私は原因に思い当たった。
「私は怒っていないわよ? 目つきが悪いのは生まれつきで、睨んだつもりはないから。
誤解されちゃって困るのよね、このきつい顔。もっとかわいく生まれたかったわ」
「それはもったいない、今のままで十分……」
「え? 何か言った?」
ディーゴが何か言ったけれど、最後の言葉が聞取れなかったので聞き返した。
「もういいよ、行こう」
「そう? いいけど、どこに行くのよ」
「庭園の奥の雑木林。あそこなら手ごろな木があるから力を試すのにちょうどいい」
木を使って何をどう試すのか。まさか、木を根っこごと引き抜いたりするの?それとも木を拳で粉々に破壊するのだろうか。頭の中に浮かんだ珍妙なイメージを押しやり、ディーゴと会話を続けた。
「噴水のある庭園の奥の雑木林ね。確かにあそこは人がいないわ」
「行ったことがあるのか?」
「あるわよ。あそこには猫がいるのよね」
「詳しいな。公爵令嬢なのにあんな薄暗い場所に行っていいのか?」
「一人じゃ寂しいから猫に会いに行っていたのよ、悪い?」
「悪いっていうか、意外だと思って。クティアーナ嬢は華やかなイメージがあるから」
華やかなイメージ? それって見た目だけじゃないかしら。実際にはイベントを避けるために、学園の隅でこそこそ生息しているボッチだけど。
ディーゴは歩く速度を速めた。雑木林に入ると、ディーゴが嫌そうな声を挙げた。
「うわっ、先客がいる。リュシアンか」
「相変わらず騒がしいですね、ディーゴ先輩。それにクティアーナ様も一緒でしたか」
リュシアンが繊細そうな眉をしかめてディーゴと私を見た。腕には猫を抱えている。
「どうしてこんな所にいる? 俺たち最高学年以外はまだ授業のはずだろ」
「先輩に答える必要がありますか?」
「別にいいけど、俺たちはこれからここを使うから他所に行ってくれないか?」
「なんで僕が先にいたのに、どかないといけないんですか。ディーゴ先輩こそどうして王太子殿下の元にいらっしゃらないんです? リリアンだって待っていると思いますよ」
「どうしてそこでリリアンがでてくるんだ?」
「どうしてって、本気で言ってます? この世界はリリアンを中心に廻っているんですよ」
リュシアンは澄んだ緑の瞳で言い切った。1足す1は2といった至極当然の自然の摂理を説明するように自信満々なリュシアンの言葉で、私は天地が反転してしまったかのように動揺したけれど、ディーゴは強かった。訳の分からないリュシアンに一言、
「はあ?」
とだけ言い放った。しかし、リュシアンも負けていない。意に介さない様子で、ディーゴをおちょくった。
「ああ、失礼しました。ディーゴ先輩には難しいお話だったかもしれませんね」
リュシアンは楽しそうにくすくすと笑う。リュシアンはちょっと、いや大分おかしい人かもしれない。具体的に言えばSAN値がゼロだわ。会話が成り立たないもの。
いつの間にか喧嘩腰になっている2人から少しずつ距離を取った。リュシアンの腕の中にいた猫も私と同じ気持ちだったらしく、リュシアンの腕から飛び出した。リュシアンは猫が飛び出したことに気が付かずディーゴと口論を続けている。私は猫を追いかけた。
猫はまっすぐ噴水に向かった。猫はぴょんと跳ねて古代の神様を象った噴水の彫刻の上に登って行ってしまった。彫刻達は神様らしく月桂樹の冠を頭に載せており、猫が歩くにしても不安定そうだ。私は猫を助けようと棒を探したが、先に聞き覚えのある声がした。
「猫ちゃん、そんなとこにいると危ないよ? ほら、怖くないからこっちにおいで」
リリアンだった。心優しいリリアンは猫を心配して噴水に近づいて声をかけている。
猫はリリアンを無視してオブジェを歩く。リリアンは噴水の台に登り、手を伸ばして猫を下ろそうとした。でも、小柄なリリアンの手は猫に届かなかった。踵を上げて背を伸ばす。水で濡れて滑りやすい噴水台は、足元が悪そうだった。
嫌な予感がする。
乙女ゲームのシナリオにはヒロインが噴水に落ちるイベントがあったはずだ。
ハラハラしながら見守っていると、強い風が吹きリリアンはバランスを崩した。
「危ないわ!」
私は駆け寄ってリリアンの前に体をねじ込んだ。リリアンはしりもちをついて噴水から離れ、勢いの止まらない私は水に向かってダイブした。
派手な水音がして、私は頭から噴水に浸かった。水浸しだ。
見計らったようなタイミングでループしてから逃げ続けていた人物が登場した。
「大丈夫か、リリアン?」
王太子の悪魔のように甘い声がした。
どうしよう、逃げ場がない。




