第8話 「聖女の覚悟」
世界最大の強国。そんな風に謳われるヴァリス帝国の、首都。中でも二重になっている城壁のさらに内側に属する貴族街ともなれば、大通りでは綺麗に敷き詰められた石畳に、煌びやかな意匠を凝らした屋敷の数々。帝国貴族は弱肉強食を胸とし、ライン王国やミラ王国の貴族ほど見栄えや財に拘らないとはいえ、やはり平民の者たちからすれば憧れるほどの財を投じた街であることに変わりなかった。
そんな世界でも有数とすら思われる綺麗な街並みを、
「オラァ!!」
一ノ瀬拓真の拳が破壊していく。
ゴバァッッッ!! という凄まじい音が炸裂した。石畳ごと地面を抉り、陥没させる。持前の膂力が真価を見せ、周囲一帯に地震を引き起こしていく。
士道の『雷撃』に続いて現れた彼の攻撃に対し、しかしリーファたちは被害を受けることなく悠々とかわしていく。最初は不意を突いて奇襲を仕掛けられたが、やはり二撃目ではそう簡単には入らない。そして初撃のフルパワー『雷撃』も、リーファの様子を見る限り大したダメージは入ってなさそうだった。
「……まあ、あの時も無傷だったし多少成長したぐらいで傷を負うはずもないか」
士道は淡々と呟く。
そんな黒衣の奇術師の両隣に、さらに遠方より跳躍してきた二人の男が現れた。
「――不死魔王派、そして草薙。こうして会うのはローレン以来か」
凄絶に笑う禿頭の中年男性――榊原迅。
「――元英雄さんよ。王都動乱の時とは立場が逆になったみたいじゃねえか」
不敵に笑みを刻む黒髪オールバックの大男――山城京夜。
「これはまた……面倒な面子を集めたもんだね。ま、そこの勇者は『分身』だろうけど」
相対する霧崎翔が呆れたように呟く。
ここまで無言の草薙竜吾は、ただ表情に険しさをにじませた。
そして二人を従える不死魔王リーファ・ラルートは、
「……キリサキ。転移者というのは、どいつもこいつもこんなのばかりか?」
「みたいだね。僕を一緒にしないでほしいけど」
面倒臭そうに呟き、翔はやれやれといった調子でその言葉に応じる。
「どの面下げて言ってるんだ」
「僕は経歴が少し特殊なだけで、精神的には普通だよ。君たちみたいな頭のおかしい連中と一緒にしないでくれ」
「よく言う……」
士道と翔は呆れたように言い合い、しかしお互いの仕草や隙を絶え間なく見張っていた。
いつでも戦闘を始められるぞ、という合図。そして大きな隙を見せればその瞬間にとびかかるという意思の提示。が、そんな牽制混じりの雑談を断ち切ったのはリーファだった。
「……悪いが、これから大事な儀式がある。早々に消えてもらうぞ」
普段のような王の余裕を見せることもなく、リーファは真剣な様子で言う。
それだけ魔神ゲルマの再臨が彼女にとって大切な使命ということなのだろう。
山城がリーファにこう尋ねた。
「魔神を再臨させて、いったいお前に何の得がある? お前はいったい何を求めてる?」
「――私が生み出された目的こそが、ゲルマ様の再臨。つまりは復活。正しき魔王として、それ以上の望みなどありはしない」
「なるほど……つまり説得に意味はないと」
そして山城は目を細めると、
「――で、草薙。お前はそんなところで何してんだ?」
不機嫌そうな様子で壁に背を預ける草薙に声をかけた。
彼はぼさぼさの黒髪をガリガリとかくと、面倒臭そうに返答する。
「うるせぇな。俺がどうしようと俺の勝手だろうが」
「お前はそっち側にいるはずのヤツじゃないだろ」
「俺には俺の事情があんだよ。……まあ、このまま俺が単なる悪者で終わるのが一番良いんだが――多分そうはいかねえ。魔神の存在はおそらく必要になる」
「……何を言って……?」
士道が眉をひそめると、草薙は視線を士道に向けて言う。
「お前だって、女神のヤツが味方だと思ったことはねえだろ。魔神は確かに悪魔以外のすべてのものに対して害悪かもしれんが、だからと言って女神や天使連中を信用していいことにはならない」
「……」
「伝承にはこうある。魔神は世界を滅ぼす存在だ、と。厳密には少し違う。神族は世界を改変する能力を持つ。今は女神のヤツに主導権があるから免れてるが……魔神は世界を滅ぼすわけじゃない。あれは悪魔にとっての理想郷を生み出す。そういう世界を創り出す。だから他の種族にとっては害悪な環境ができあがり、そして滅びる。そういった当時の予想がッ誇張されて現代まで伝わった話だ」
「なら、魔神を再臨させるべきじゃないことに変わりないんじゃ?」
「――このまま女神に世界を改変する権限を渡したままでもいけないんだよ。要はそういう話だ。どうせそのうち結果は分かる。そうだろう? そこの勇者」
「フン……まあワシも女神の思惑なんぞ深くは知らん」
草薙の言葉はあくまで抽象的だった。士道や山城が眉をひそめ、拓真が興味を示さない中、迅だけは口元に笑みを刻んでいる。
「ただ――ワシの仕事は、世界の敵を討ち滅ぼすことだ。女神だろうと魔神だろうと、ワシの仕事の邪魔をするなら潰す。それだけだ」
「なるほど……ただの狗じゃあないってわけだ」
「最初から分かっていたことだろう? 五勇者は、『真実の四使徒』とは違う。天使との繋がりこそあるが、女神に従う駒のような存在ではない。もちろん結果としてそうなることはあるだろうが……使徒連中のように指示を受けるわけではない。なら、ワシはワシの信念に従って動くだけだ。同じように、白崎大和も、丹波静香も思う通りに動いているだろう」
「おい……つまりアンタは何が言いたい? 魔神を復活させることが女神への対抗策になるとでも言う気か?」
「その解釈でも間違いじゃねえ」
迅と草薙の会話に士道が口を挟むと、草薙は端的に言って言葉を切った。
「話はここまでだ。後は自分で考えろ。そのうえで、かかってくるなら相手になる」
元英雄の圧倒的な覇気が、周囲一帯に広がっていく。
「イイじゃねェか……」
拓真は口笛を吹き、そんな風に煽った。
そうして彼は一歩前に出ると、士道の方を見やる。
もう少しいろいろ聞き出したかった士道としては残念だが、これ以上は拓真の忍耐が持たないだろうし、草薙も話す気はないらしい。
「……なら、ぶっ倒してから聞き出すまでだ」
士道が言った瞬間、周囲の男たちからさらに殺気が膨れ上がる。
そうして、三人の男を従える士道は、一歩前へと踏み出した。
「――行くぞ。叩き潰せ。ただしリリスに被害を及ばせるな」
「了解」
拓真の軽い調子の返答と共に、戦闘が始まった。
◇
「――いい場所だ。空がよく見える」
煌びやかな城だった。帝城。世界最大の城塞、その屋上から見渡す景色は絶景と言ってしまって問題はないだろう。ゆっくりとその眺めに浸りたいところだが、あいにくと城内ではドタバタと足音や喧騒が響き渡り、騒ぎが起こっていることが明らかだ。
天使長イリアス、葉山集、新城蓮、浅場優花の四人は衛兵の目を潜り抜け、地下三階の牢獄から屋上まで辿り着いていた。とはいえ道中、実力行使で突破した場面も多少はあったが。
ともかく、事実として集たちは屋上まで辿り着いている。
そして、空に近いこの場所は――すなわち天界に存在する女神と距離が近いということを意味する。これは概念的な話だ。先ほど集たちは地下三階にいた。地下、というのは儀式の場としては好ましくない。なぜか。それは、地下は魔神の領域であるからだ。空の女神と地の魔神。封印されている状態とはいえ、仮にも神の一角。その影響力は尋常ではなく、不具合を起こす可能性も高まる。
ゆえに、集たちは屋上までやってきたのだ。
ここでなら『神降ろしの儀』を実行できると、そう確信して。
「……オレがいると警戒するだろう。しばらく離れていることにしよう」
新城蓮は淡々とした声音で呟き、背を向ける。光と共に生み出されたワイバーンに飛び乗り、空中に飛び出していく。軽々と竜種を呼び出すその実力に、集は改めて戦慄した。
新城が飛び去っていくのを確認したイリアスは、
「――では、始めることにするか」
浅場優花の方を振り向き、鋼のような表情を保ったまま宣告した。
唯一、この場で話の流れを理解できていないのが優花だ。
彼女は視線がこちらに向いたことに対して動揺し、足を一歩後ずさる。
――確かに、説明らしきものは先ほど受けた。
自分は女神ミラが現世に降臨する際に使う霊媒として、この世界に召喚されたのだ、と。
だから魔王軍に人間が追い込まれ、危機が迫っている今、優花がその身を明け渡して女神に体を捧げる必要があるのだ、と。
「女神様は、その名の通り神族。世界改変の力を持ち、紛れもなく最強の名を冠する種族だ。ゆえに、魔王軍が魔神の再臨に成功するまでにこちらが女神様の降臨に成功させてしまえば、それだけで状況は一変する。悪魔など敵ではない」
「……なら、どうして今まではそうしなかったの?」
「神族は、そう簡単に現世に介入することはできない。力の総量が大きすぎて、関係ないところにまで影響を及ばせてしまうからだ。下手をすれば女神様の力に耐え切れずに世界が滅ぶ。――だから実働は天使や『真実の四使徒』にやらせていたが、事態はもう、そんな甘いことは言っていられないのだ。魔神が再臨し、世界が滅ぶか否か、今はそういう状況に我々は立っている」
「……」
「これは栄誉なことだ。貴様の体を借り受ければ、女神様はこの世界を救えるとおっしゃられているのだから」
説得するでもなく、淡々と事実と所感を述べていくイリアス。
そこに説得しようとする意志は見えない。
どのみち説得しようがしなかろうが同じことなのだ。ただ、イリアスの生真面目な性格が説明させているというだけで。
「もしそうすると、私はどうなるの?」
「死ぬ」
薄々予感していたその言葉に、優花の心臓がどくんと跳ねた。
「――か、どうかは分からないが、危険なのは間違いない。そもそも人間の体に女神様の力の一部を入れようという時点で無理やりな計画だ。普通なら耐えられるはずがない」
だが、とイリアスは続ける。
「お前は異世界から選び出された、最も女神との適合性が高い――つまり相性が良い個体だ。もしかすると――『神降ろし』の時間が短ければ持つかもしれない」
「……嫌だと言ったら?」
「やるべきことは何も変わらない。天命は絶対だ」
「……だよ、ね」
優花は深呼吸をした。
近づきつつある命の危機に、心臓がどくどくと跳ねる。
怖い。
恐ろしい。
そもそも優花は普通の女子高生だった。
戦いなんて、本当は見るのも嫌なのだ。
こんな世界の危機がどうとか、そんな場違いな話をされたくない。
けれど、傷ついていく人たちを見捨てられなかったから。だから『治癒』を行使するようになった。たとえどんなに場違いでも、そこから逃げ出せないのなら、自分の信念に従って行動するしかないと、優花はそう学んだのだ。
「……」
――非力な自分にも、まだやれることがあるはずだ。
「覚悟は決まったか」
「うん」
優花は軽くうなずくと、イリアスに向けて笑った。
それは普段の優花の優し気な笑みとは無縁な、不敵な表情だった。
「いいよ。その『神降ろし』とかいうの、やってみなさい」




