第28話 「少年の末路」
「やあ、士道。どうやら君の後をつけていて正解だったらしい」
突然の、声。
士道が咄嗟に振り向くと、その数メートル先には眼鏡の少年が佇んでいた。黒い髪に、優しそうな顔立ち、中肉中背の体格には、灰色の外套を纏っている。
士道は、その正体を知っている。
「霧、崎……!!」
――だが、これまでの彼とは明らかに異なる点が二つあった。
ひとつは、眼鏡の奥で妖しく輝く、紅の瞳。
もうひとつは、その背中から生えている巨大な黒い翼だった。
「お前……!?」
士道は二の句が告げない。その外見的特徴が意味しているところはひとつ。
――悪魔。つまりは、そういうことだった。しかし霧崎翔は、間違いなく異世界転移者。普通の日本人であったはずだ。何度も遭遇したことがあり、あの黒い翼を隠していたとも考えにくい。ならば人間から悪魔になったということか。後天的な種族の転換。そんなことが可能なのか――と、士道はぐるぐると思考を回す。
「不思議かい? 僕のこの姿が」
翔はそう言って苦笑する。士道はそこでひとつ気づいたことがあった。確か、彼の固有スキルは『呪印』。アクラ―リアの事件の際に、ゴルホに対して使っていたはずだ。その効果は人間の支配。暴走、そして――人間を、悪魔に変えること。だとすれば、
「まさか、自分に固有スキルを使ったのか……?」
士道が尋ねると、翔は驚いたように目を見開いた。「よく分かったね」と肩をすくめる。
そして一歩ずつ、こちらに向かって歩き出してきた。
「ただでさえ僕は弱いからね。人間のままじゃ、まともに倒せる相手がいない。だから、仕方がないことなんだよ」
不気味な雰囲気。その威圧感にレーナ、リリスは態勢を低く構え、優花も士道を支える力を強める。いつでも逃げ出せるように。
士道は不穏さを感じ取りながらも、彼に質問を投げかける。
「……理屈は分かった。――それで、何の用だ。俺の後をつけていたと言ったな?」
まったく気づかなかった。しかし、今こうして彼が後方から姿を見せた以上、それは真実なのだろう。士道はそれなりに感覚は鋭いと自負しているが、翔の天職は忍術師。隠れることに関して右に出る者はいない。ならば、こういった事態もありえる。
だが、問題はどうして翔が士道の後をつけていたのかということと――なぜ、このタイミングで姿を見せたのかということ。
そう、レーナやリリスと合流したこのタイミングで――
「――君自身に用があるわけじゃない」
翔は淡々とした口調で言う。士道の不穏な想像が真実になっていく。
彼はゆったりとした仕草で腕を上げると、その指の矛先をレーナに向けた。
「『獣神創造計画』の娘。固有スキル『神獣化』を持つ、神に最も近い存在――レーナ・ランズウィック」
「……いったい、何を?」
怪訝そうに眉をひそめたレーナの疑問には答えず、翔は次に、リリスに指を向ける。
「『三大魔王』の一角、龍魔王ウォルフ・バーゼルトの力を受け継いだ少女。呪われし運命に置かれたハーフエルフだというのに龍と悪魔の力を引き継ぎ、今まさに魔王として選ばれている特異な存在――リリス・カートレット」
「……?」
首を傾げるリリス。
それを無視して、翔は最後に優花へとその指を向けた。
「『真実の四使徒』。最も女神に愛され、恩寵を授かりし存在にして、たったひとつの『神降ろし』の器――浅羽優花」
「神、降ろし……?」
優花は眉をひそめ、翔は肩をすくめて士道に言う。
「――よくもまあ、これだけの人材を引き連れているものだ。それだけで世界の運命が変わっていると言っても過言じゃない。君がその少女たちと一緒にいるということは、今まさに滅びゆく世界の命運を握っているということに、君は気づいていないだろう」
翔は感情の見えない口調で語りながら、士道たちに近づいてくる。
対する士道たちは一歩ずつ、後ずさっていく。
「……っ!!」
士道は歯ぎしりしていた。翔が今、語っていること。それはまさに薄々感づいてはいたものの、あえて触れていなかったことだった。そのツケが、今になって回ってきたのか。
「もう分かるだろう? 士道――僕の目的は、彼女たちの身柄だ。君を尾行していれば、いずれ集まるだろうと思っていたら……やっぱり、正解だったらしい」
翔は薄く、不気味な笑みを浮かべる。そうして、両手を大きく広げた。
「よく言う……。今までも、何度か遭遇したことはあるだろうに。そのときに手を出してこなかった理由は、何だ?」
「これまでは必要がなかったからね。だが――ここからは最終局面だ。世界の命運が決まる最後の戦いに移行していく。だから、賭ける。狙われる危険が高くなったとしても、僕の目的を果たすための手札を多く確保しておく必要がある」
この状態では対抗できない。猛烈な危機感に襲われている士道は優花の肩をどかすと、よろめきながらも何とか自力で立ち上がった。
レーナとリリスは戦闘態勢だが、その背中からは不安が透けて見える。自分ですらよく分かっていない自分の背景、その重要性を知らされて、不安になっているのだろう。絶対に守り抜かなければならない。一度助け出した者の責務。いや、そんな義務感ではない。ただ士道は、彼女らに近くにいてほしいのだ。彼女らに、笑っていてほしいのだ。だから、翔に奪われるわけにはいかない。絶対に。
翔を倒すために思考を回すが――手札が、ない。
残存する魔力は多少回復したとはいえ、一割にも満たない。ゆえに、『瞬間移動』すら使えない。せいぜい『幻影』を数体出すのが手一杯か。そもそも、まともに動けないので足手まといにしかならない。だが、レーナとリリスだけで翔に対抗できるのだろうか――。
「ああ、対抗しようなんて考えないほうがいい。悪いけど――」
だが、そんな士道の不安を、眼前に佇む少年は容易に超えていく。
最悪の形で。
「――もしそうなっても、君と戦うのは僕じゃないから」
ザッ、と。
士道の両側から、足音が聞こえてきた。
二人の、人間。翔とは違って隠れ潜んでいるわけではない。堂々と歩き、足音を立て、その存在感を見せつけている。だから士道も少し前から存在には気づいていた。しかし、まさか真っ直ぐにここまで近づいてくるとは思っていなかった。いや、そんな想像はしたくなかったと言ったほうが正しい。無意識のうちに、最悪の想像から逃げていたのだ。
「……何をうだうだとやっている」
どすの利いた低い声が聞こえてきた。
灰色の髪に、異様に鋭い目つき。片目には大きな傷跡があり、開く様子はない。やせ細った体には、ぼろきれのような外套を纏い、よく見ると片腕まで失っていた。
ミラ王国王都フローゼにおいて百体を越える竜種を操り、仮にも王が住む街を最大の混乱に陥れた張本人。その暴虐を、今でも士道は胸に刻んでいる。
世界最悪の迷宮『奈落』に落とされ、自力で這い上がってきた執念の召喚師。
灰の勇者――新城蓮。
「そん、な……」
士道がその威圧感に身をすくませながらも、剣を構えようとする。
だが、新城の反対側から姿を現した男は、さらに士道に絶望を強いた。
その男の強さを、信念を、その身に積んだ鍛錬を、崇高な誇りを、士道は知っている。
なぜなら背中を任せたことすらある相手なのだから。
「……胸糞悪い仕事だな」
寝ぐせのついた黒い髪。普段は眠たげな瞳からは、底冷えするような冷徹な眼光が放たれている。腰には無駄な装飾がまったくない、実用性のみを意識した無骨な剣。初代勇者と共に魔王軍との戦争を終わらせ、百年前の世界を救った歴戦の魔法剣士。
元英雄――草薙竜吾。
「草、薙……アンタまで、どうして……!?」
「悪いな」
草薙は感情が見えない口調で言う。その体からは、ただ殺気だけが広がっていた。以前のような雰囲気は微塵も窺えない。
圧倒的な威圧感を放つ両者に挟まれ、士道たちは動くことができない。動けば、その瞬間に戦闘が始まる。そのことを理解していた。そして、この怪物二人と戦うということは、そのまま死を意味している。 せめて魔力さえ万全なら、と士道は歯噛みする。
だが、仮に万全な状態で戦えたとしても――
「――俺たちには勝てねえよ、士道」
士道の思考を読んだかのように、草薙は剣を抜きながら言う。
「霧崎も言っただろうが……用があるのはお前じゃない。今、お前と一緒にいる連中だ。お前と戦いたくはねえ。だから、大人しく引き渡してくれねえか」
――悪いようにはしない、と、草薙は言う。
「傷はつけさせない。俺がこいつらを見張る。できる限り無事な状態で、お前のもとに返す」
「……っ!!」
「だから士道――頼む。俺は、この世界を救わなきゃならねえんだ」
真摯な口調で、草薙は語る。かつて背中を預けた戦友。何度か同じ戦場で、同じ目的のために駆け抜けた相手。かつて世界を救った頼りになる元英雄。彼が言うのなら、いいのではないだろうか。すべてが終わった後、彼女らは五体満足で帰ってくるのではないか。
そこまで考えて、士道は絞り出すような口調で答えた。
「……信用、できない…………っ!!」
その一点に尽きる。草薙は確かに、その人柄は好ましい。その身を支える信念も、ある程度は把握しているつもりでいる。だが、彼が一緒にいるこの二人についてはそうではない。しかも、この三人が抱いている最終的な目的はおそらく、それぞれまったく別のものだ。今この場で手を組んでいる理由はたまたま利害が一致したからだろう。
だからレーナ達を、草薙たちが守り抜いてくれる保証は何もない。現に、新城と翔は草薙の言葉に対して何も言っていない。その理由など決まっている。レーナ達の身の安全を約束することはできないからだ。そんな不安定な集団に、彼女らを託すわけにはいかない。
――そして。
「……シドーさん」
「シ、シドー…………」
「士道、くん」
この、不安そうな表情をしている三人の少女を。
この弱くて、ちっぽけな士道を信頼をしてくれている少女たちを。
支えてくれた、一緒にいてくれた、心配してくれた、大切な存在を。
――失うわけにはいかないだろう、絶対に。
「……お前は、そういうやつだと思っていたよ」
本当に、ひどくつまらなそうな口調で、草薙が呟いた。
大切な人たちを護るための戦いが始まり、そして、一瞬で終結する。
そこには何の物語もなく、ただ、少年の弱さと、無慈悲な事実を突きつけた。
――勝敗など、わざわざ語るまでもなかった。
次回、五章エピローグ。




