第24話 「世界の敵」
――同時刻。草薙竜吾と柊悠斗、二人の苦戦は続いていた。
なぜなら現在、草薙の眼前に佇んでいるのは、かつてこの世界を救った初代勇者なのだ。むしろ、ここまで戦闘を続けられること自体が草薙たちの化け物染みた実力を証明していると言っても過言ではない。だが、このままだといずれ死ぬ。だから、どうにかしなければならない。打倒するか、撤退するか。それを可能にするための方策は何かないのか。
草薙は必死に思考を回していた。
「……、」
初代勇者は何一つとして語らない。いや、おそらく自我を持っていないのだ。全身から黒い瘴気を吹き散らし、纏っているので、本人の姿は薄っすらとしか分からない。だから直接会ったことのある草薙以外の人間は、彼を初代勇者だと気づけないだろう。草薙ですら剣を交えるまでは気づかなかった。この理を極めたかのような完璧な剣筋は、初代勇者にしか不可能な所業。それが、草薙が黒ずくめの怪物を初代勇者だと断じた理由だ。
「……おおっ!!」
咆哮。悠斗が幻術で作り出した僅かな隙に切り込んでいく。だが、幻惑されたことに対してまったく動揺もなく、淡々と効率的に草薙の剣を弾き、距離を取った。そうして草薙が眉をひそめた直後、その油断を突くように大地を蹴り飛ばし、踏み込んでくる。神速の突きが放たれ、猛烈な危機感を覚えた草薙は勘だけで何とか逸らした。髪の一房を剣が散らし、背筋を冷や汗が流れていく。足を振り回して後ろに下がらせ、草薙は再び踏み込む、と見せかけて距離を取った。いったん仕切り直すことにすら命懸けである。
荒く、息を吐く。全力での戦闘を強いられているせいで疲労が早い。
――どうして、こんなことになっていると、やりきれない感情が渦を巻いている。女神の導きで異世界に召喚され、不死魔王を封印し、霊魔王を殺し、百年前の戦争を終わらせたその英雄が、どうしてそんな姿になって、草薙たちを襲っているのだ。
草薙は知っている。彼は女神と契約し、魔王を打倒したら地球に戻ることになっていたということを。そして、彼は地球に温かい家族を持っていたことを。彼女たちのもとに帰る。それだけのために剣を振り、人々を救い上げてきたということを。
そして無事に戦争は終結し、初代勇者は日本に帰っていったはずなのだ。”世界渡り”は女神の専売特許だ。だから彼女と接触する手段を持たない草薙は元の世界に帰ることはできず、また――今更、戻るつもりもなかった。こちらの世界で戦っているうちに、草薙の手の中には大切なものが増えすぎたのだ。それは初代勇者も同じだろう。だが彼はそれでも帰るという決断を下した。それはひとえに、大切な人のためだろう。草薙にとって、日本にはそこまで思えるほどの相手がいなかった。これはそれだけの話だった。
しかし、そうやって日本に帰ったはずの初代勇者が、どうして今、ここにいる。この状況で草薙たちに襲い掛かっているということは、少なくとも女神の差し金ではない。新魔王ルシアによるものだろう。だが――具体的にどうやって、初代勇者を洗脳している。そもそもどうやって彼に接触したのだ。分からない。何一つとして草薙には理解ができない。そもそもこの黒ずくめは初代勇者ではないと結論づけることが手っ取り早く、また戦闘に集中できることは間違いない。だが草薙にそれはできなかった。彼の完璧な剣筋と圧倒的な強さが、その証明になっていたからだ。だから、ひたすら劣勢に立たされる。根本的な動きそのもののレベルが違った。どれだけ戦術を切り替えても、即座に対応され、ギリギリまで追い詰められ、悠斗の手助けによって何とか危機から脱出していく。それの繰り返し。
だが、まだチャンスはある。草薙ひとりでは初代勇者に勝つことはできないけれど、悠斗さえいてくれるのなら打つ手は残っている。そのはずだった。そう思っていた。
直後。
「ホッホ、素晴らしい集中力ですのう」
――終わりと絶望を告げる、悪魔の声が聞こえてきた。
◇
「もし貴様ら勇者が全滅すれば世界が平和になるとすれば――貴様はどうする?」
「何だと?」
ルシアは瓦礫の上に佇みながら、眼前で大剣を構える迅に問いを突きつけた。
「『勇者』という存在そのものが、人間と悪魔を対立させている。貴様らは人間に希望という名の武器を持たせて、悪魔に絶望を強いている。人々は善意で勇者を応援している。彼らが悪魔を退治してくれると思っている。貴様らという『悪魔を退け、人々に平和をもたらす』存在がいるから、それがただの差別だと、偏見だと気づかない。なぜなら、それが善意だから。悪意ではないから、疑問すら持たない。本当に悪魔を退治していいのか、と。俺様たちだって貴様らと同じように心を持ち、同じように感情がある。戦争なんてやりたくてやっているわけではない。傷つけられれば悲しい。楽しさを共有できれば嬉しい。そういう普通の生き物だと、大多数の人間はもはや覚えてすらいない」
「……だとしても、それは貴様らの行いの結果ではないのか。百年前、魔神とやらを復活させるために人間を蹂躙していた。それが人間たちを怯えさせている」
「それが悪魔の総意だと誰が言った?」
ルシアは淡々と言う。その言葉の裏に、声にならないほどの激情を込めて。
「それは上の悪魔が決めたことだ。不死魔王、龍魔王、霊魔王。確かに、奴らは本気で魔神ゲルマを復活させようとしていたのだろう。だが、奴ら以外の悪魔はそうではない。そもそも大半の悪魔は魔神という存在について、よく分かってもいない。あの魔王を名乗る三人の絶対強者が、圧倒的な力による恐怖を以って、俺様たちを縛り付けていただけだ。従わざるを得なくて、戦争をしていただけだ。恐怖なんて俺様たちだって同じように感じていたよ」
「……、」
「戦争がようやく終わって、戦いから解放されても、恐怖からは解放されなかった。人間たちは俺様たちを奴隷のようにこき使い、蹂躙したよ。食事はさらに貧しくなった。生活していくことが厳しくなって死んでいく者が増えた。それでも、魔大陸に来た人間たちは何もしてくれなかった。むしろ死んでいく仲間たちを見て、見世物のように笑っていた……。人間たちが、魔大陸は不毛な土地だと諦めて、撤退していったのが唯一の救いだった。それでも人間たちは時折、魔大陸にやってきて、俺様たちを殺しにきた。おそらく冒険者とかいう連中だろうな。それを迎撃してどうにか倒すと、奴らは決まって似たような言葉を吐いた」
正義感に燃えるような瞳で。自分が正しいと疑わない態度で。
「――悪魔め。さっさと勇者様に退治されてしまえ」
呪いのように胸に残る言葉だった。ルシアからすれば、普通に生活していたところを急に襲われただけだというのに。死にたくないから抵抗しただけだというのに。それすらも、悪と断じられるのか。人間の物語では、悪魔は退治される存在になっているという。悪魔を退治し、人々みんなで笑い合う。それこそがハッピーエンド。ゆるぎない正義。ならば悪魔はこの世界に居場所はないというのか。悪魔には生きていくことすら許されないのか。
――とある悪魔の夫婦がいた。ルシアの知り合いだった。戦争を経験し、最も苦しい時代を乗り越えてきた、心優しい老夫婦だった。彼はどんなにひどい扱いを受けても、よくこんなことを言っていた。「人間だって悪魔と同じだ。良い人間もいれば、悪い人間もいる。だから、常に歩み寄る姿勢を忘れちゃ駄目だよ」と。そして、彼らは人間たちに殺された。何の理由もなく。強いて言うなら、ただ、そこに悪魔がいたから。退治する必要がある。
――その行いを、その非道を、認めてもいいのか。
その男たちが信じているそれが、本当に正義なのか。だとしたらルシアたちは、泣き寝入りするしかないのか。大切な者が殺されても、それは仕方がないことなのか。
「そんなことはないに決まっている。絶対に」
「……そう、だな」
「俺様たちは、普通に暮らしたいだけだ。平和に、生きていきたい。人間からの差別を受けない、もし叶うなら対等の立場で、協力していきたい。そんな社会を作りたいだけだ。だから魔王になった。既存の魔王とは違う、悪魔の平和を構築する存在になるために。そして、実際に、段々と融和は進んでいったよ。少しずつでも、すぐに偏見はなくならなくとも。だが、そのとき貴様ら五人の勇者が現れた。その瞬間、彼らはこう言ったよ。『勇者様がいるということは、また悪魔が悪さをするに違いない』と」
「……ワシらという存在が、人々の意識に作用し、戦争を後押ししているというのか」
「貴様らを勇者たらしめている神力。女神から授けられたものに、そういう性質が宿っている。単なる固定概念というだけではない。勇者は悪魔を倒す存在。勇者は正義、悪魔は悪。人々の意識に作用するようにできている。――これは初代勇者を研究することで分かったことだ。裏付けも取れている。つまり、単純に言おうか」
ルシアは煌々とした眼光を、迅に叩きつけ、告げる。
「貴様ら勇者が存在している限り、人間の悪魔に対する差別は絶対になくならない」
「……、」
「だから俺様は貴様を殺す。望む社会を作るために」
「すまんな」
ルシアの宣告に対して、迅は頭を下げてきた。
「そういう事情があったとは分からなかった。女神のヤツも、相変わらず性格が悪い。なるほどな、そりゃワシらを殺さないとならないわけだ」
「――それで、どうする気だ?」
「悪いが、死んではやれない。たとえ悪魔を見捨てることになるとしても」
迅は淡々と言った。ルシアも期待していたわけではなかった。
鼻を鳴らして、剣を構える。再び殺気を強めていく。目的を果たすために。
対して。
迅は構えを解き、無防備な態勢になると、その大剣を背に収めた。
「なっ。貴様、何を考えて――」
「――ワシの仕事は、世界の敵を討ち滅ぼすことだ」
かぶせるように、強い語調でその男は言った。
「貴様は『世界の敵』ではない。ならば、戦う理由はない」
そう言って、迅は背中を向けた。逃げられるのは最もマズい。ルシアは危機感を覚えた。
まさか勇者が魔王を前にして撤退するなど、誰が想像するだろうか。
迅の固有スキルを逃げに使わせると、追うことができない。
「待て!」
ルシアは飛び掛かろうとしたが、瞬間。
迅は五人に『分身』すると、それぞれ別の方向に逃げていった。
「く、そ……!?」
一度は本体を捉えたものの。
ルシアは二度目は、特定することができなかった。




