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ハズレ奇術師の英雄譚  作者: 雨宮和希
第五章 悲劇に咲く一輪の花よ

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第24話 「それでも、大好きだった」

 ――目を覚ますと、朝焼けの空が見えた。後頭部が妙に柔らかい感触に包まれている。頬にポタリと、水滴が落ちてきた。神谷士道の意識は徐々に覚醒していく。少し視線を上げると、綺麗な黒髪と可愛らしい顔立ちに涙を浮かべている少女がいた。


「……優花」


 思わず、呟く。彼女は哀しそうに泣いていた。そこで、士道は体が動くことに気づいた。痛みも感じない。あるのは腰も上げられないほどの疲労感だけだ。やはり、魔力は枯渇している。確か、松山を倒しきれずに意識を失っていたはずだ。あの傷のままだったら今頃はすでに死んでいたはず。優花が『治癒』で回復してくれたのだろう。


「……無茶ばっかり」


 優花の表情は歪んでいた。哀しみと、安堵が半々ぐらいといった感じだろうか。彼女は誰かが傷ついている場面を見ることが、何よりも嫌いだったはずだ。申し訳ないことをしたと士道は思う。


「お前、どうして……」

「わたしのセリフだよ……いつの間にか、傷だらけになってて」


 優花は集と協力し、アルスフォードの外縁で魔王軍を相手にしていたはずだ。

 女神に従う『真実の四使徒』としての役割を果たしていたはずだ。

 それがいったい、どうしてここにいるのか。


「……もう、外の魔王軍はほとんど撤退してる。だから、あなたを探していた」

「そう、か」

「こんなところで倒れているから、本当に心配したんだよ……」


フィアたちを助ける。その目的のために無茶をしすぎた。だが、このままではいられない。松山はまだ死んでいないのだ。このままでは再びフィアたちが危険な目に晒される。

 だから――士道は立ち上がろうとした。

 しかし。

 優花は士道を手で押しとどめ、ふるふると首を振った。


「まだ、やるべきことがあるんだ……」

「違うの」


 優花はその一言だけ告げると、士道の後ろを指さした。

 振り向くと、その場所に佇んでいたのは、白の魔導服を紅に染めた少年。

 ミラ王国の勇者――白崎大和。


「……やあ」


 彼は透徹な瞳で、士道の視線に気づくと、軽く手を上げる。

 柔和な笑みが浮かんでいるが、その表情からは感情が窺えないので、士道は空恐ろしいものを感じた。 ミラ王国王都の”病魔事変”で遭遇したときとは、完全に異なる雰囲気を纏っていた。あのときの頼りなさげな雰囲気は影も形もなかった。

 士道は、アイリスが『異界同盟』に殺されたことを知っている。

 ――つまり、そういうことだった。

 二人は何の説明もしなかったけれど、士道も、その意味は理解できた。


 ◇


 ――その、数十分前。木暮は固有スキル『重力操作』で大和の動きを鈍くさせ、『衝撃』で大和の心臓を破壊しようとした。生き残ることは薄い望みかもしれない。けれど、大和を倒すことに関しては決して無茶な賭けではない。そのはずだった。なぜなら大和はレベル自体は低いのだ。つまり身体能力そのものは木暮よりもはるかに低い。その圧倒的な戦闘能力を支えているのは、神に愛された超速の反応速度である。すなわち動き出しが誰よりも早く、的確なのだ。

 

「聖剣よ――」


 『重力操作』で普段の何倍もの重さを感じつつも固有スキルを起動して迎撃しようとする大和。だが、その光を木暮は最後の固有スキル『無効化』でかき消した。最初は不意を打たれて使用する隙を与えてくれなかったが、ちゃんと構えていれば対抗できる。

 ――届く。木暮の『衝撃』は確かに大和に直撃し、彼を数十メートルも吹き飛ばした。


「……駄目、で、あるか……!」


 しかし、呻いたのは木暮だった。感覚的に、分かっていた。今、確かに大和の肉体をスキルが捉えていたとはいえ、彼は極限状態の中で異様なまでに正確な判断を下し、微妙に体を捻じ曲げる。そうして、木暮の攻撃を斜めに受け流した。

 ――だから、致命傷にはなっていない。衝撃波による土煙が晴れると、大和は白の魔導服を吐血で赤く染め、苦悶の表情を浮かべつつも、確かにまだ立っていた。


「――見つけた」


 そこで。


「……な」


 背後から斬撃を受けた。視界がぐるぐると回っていく。その中で、首から上を失くして噴水のように血を噴出している肉体をまるで他人事のように発見した。

 ――ああ、死んだのか、と。

 まだ生きていたかったけれど。松山のゆく道を、まだ見ていたかったけれど。自分がその私利私欲のためにどれだけの恨みを背負ってきたのか、木暮はよく理解していた。

 死ぬ間際で目にしたのは、黒髪をポニーテールにした少女だった。

 だから――少しの後悔を瞳に浮かべ、そのまま目を閉じる。

 レーノ共和国の勇者――丹波静香。

 木暮たちが実験に利用した山城と、親しくしていた存在だった。そんな少女に殺されるのなら、仕方のないことだろう、と、木暮は何となしに思い――少しの後悔を瞳に浮かべ、そのまま目を閉じる。そして木暮は絶命した。


 ◇


「……どうして、ここに?」


 ――その問いかけに対して、丹波静香は答えを持ち合わせていなかった。眼前に佇んでいるのは、ミラ王国の勇者、白崎大和。先ほど勇者会議でも対面していた人物。彼は極めて真っ当な問いを、静香に投げかけている。


「きみは、都市を襲撃している魔王軍の相手をしているんじゃなかったのかな?」

「ボクは、ボクだって――」


 ――そのつもりだった。今まさに滅びかかっているとはいえ、共和国の勇者として、しっかりと戦い抜かなければならないと、そう考えていた。新魔王ルシアと黒ずくめの何者かに塔を崩されて、皆がバラバラになって、自分の意志での選択を迫られたとき、静香の脳裏に悪魔が囁いたのだ。

 ――なぜ、戦う必要がある? と。何度も何度も脳裏に回帰した。人々の期待と希望に応えるために。共和国を護るために。勇者としての責務を果たすために。理由なら、いろいろあった。だけど、そのどれもがひどく薄っぺらいように感じた。

 なぜなら。

 だって。

 どうして、丹波静香は勇者として戦えていたのか。そんな理由は決まっていた。

 ――黒い髪をオールバックにした、鋭い目つきの大男がいた。それでいて、笑うときの目は狐のようでほんの少しだけ可愛い、そんな男がいた。不器用で、真っ直ぐに言葉を伝えることしかできなくて、けれど、だからこそ優しさが心に伝わってくる、そんな男がいた。世界を平和にしたい、争いをこの世から失くしたいなどと、馬鹿げた理想論を唱える男がいた。その理想を遂げるために悪事に手を染め、そして敗れ去った男がいた。

 男の名は、山城京夜と言った。


「……ボクは、ただ、お兄さんと一緒にいたいだけだった」


 ――ただ、それだけだったのに。

 失望、した。あんなことをする人だとは思っていなかった。悪事に手を染めるような、軟弱な人間だとは思わなかった。だからもう、興味なんてない。昔の話なんだ。そう思っていた。そのはずだった。そう考えようとしていた。――けれど大切な存在だった。諦められなかった。大好きだった。愛していた。一緒にいて欲しかった。傍にいて、抱き締めて欲しかった。不器用な手つきで、けれど懸命に、静香の背中に手を回して欲しかった。

 静香が戦っていた理由? 好きな人に、恰好悪いところなんて見せられなかった。それだけで、それ以上の理由なんて必要なくて、だから――と、思考がぐるぐると回る。

 山城があんな風になってしまったのは『異界同盟』というふざけた組織のせいなのだ。松山鬼一という圧倒的な天才が、山城を変えてしまったのだ。それが、どうしても許せなかった。逆恨みだと分かっていても。きっと山城は冷静に、リスクも理解して、それでもやるべき道に進んでいったのだろうと心の奥底では理解していても。――それでも、『異界同盟』が、彼らが支配する魔導都市アルスフォードが、どうしても気にいらなかった。隠していた感情が爆発した。こんな都市を護るために戦いたくなんてなかった。彼が去ってから、静香が口にしていたただの建前で、義務感で、その程度のものでしかなかった。

 ――だから静香は戦場から逃げていた。ふらふらと。やるべきことのすべてを見失ったままに。そして、たまたま『異界同盟』のメンバーが隙だらけの場面に遭遇したので、気づいたら斬り殺していた。この場にいる理由は、ただ、それだけだった。

 山城に対して失望したと言い放ったくせに。これでは山城よりもひどい行いだ。彼なりの信念があった分、山城のほうがはるかに崇高だった。静香はただ、嫌だから逃げているだけ。山城を責める資格なんて、あるはずがなかった。

 でも、だって、仕方がないだろう。静香はただの女子高生だ。山城や、他の転移者たちのように、特別な過去なんて何もない。ただ家族や友達と笑い合い、ありふれた日々を過ごしていた。それが突然こんなわけのわからない世界に放り出されて、勇者だなんて呼ばれて怖かった。不安だった。よく分からない期待に押しつぶされそうだった。勇者様、勇者様、と静香の苦しみを何一つ理解してくれない人たちに囲まれて、今にも逃げ出したかった。

 ――彼だけが救いだった。彼の横でだけは静香はただの弱者でいられた。普通の女子高生として見てくれた。守ってほしい。助けてほしい。救ってほしい。彼なら何だって叶えてくれると思った。けれど、彼の前で恰好悪い姿ばかりを見せられなかった。だから、静香は立ち上がったのだ。自信がなくとも、怖くとも、ちっぽけでも、大好きになってしまった人が努力をしている姿を見てきたから、自分だって、と、そう思ったのだ。


「……ねえ」


 静香は言う。ぐちゃぐちゃの思考をまとめようともせず、俯いたままに。


「お兄さん……山城京夜は、まだ、生きているの?」


 それを尋ねたところでどうしたいのか、もはや静香にも分からなかった。「……そういうことか」と、苦々しげな大和の呟きが聞こえた。大和の事情は、静香も噂に聞いている。

 ――愛する王女を失った悲劇の勇者。

 いったい何が起きて、どういう風に失ったのかまでは知らないけれど、山城が引き起こした”病魔事変”の最中で亡くなったことは知っている。そんな相手に、元凶かもしれない山城のことを聞いて、静香はいったい、どうしたいのか――


「……うん。彼はまだ生きているよ」


 ――その言葉を聞いて、静香の瞳から涙が零れ落ちた。安堵が、あった。どうしようもなく嬉しかった。まだ、この世界のどこかに山城がいてくれるということに、これ以上ないほどの安心感を覚えていた。やりたいことが分かった。とにかく、彼に会いたかった。会って話をしたかった。


「ミラ王国王都フローゼ。その地下牢獄の最奥。――会いたいのなら、会ってくるといいんじゃないかな。少なくとも、ぼくは止めない。そのための権限も、与えよう」

「あ、ありがとう……!」


 淡々と語る大和に、静香は弾む声音で返事をした。

 とても興奮していた。

 だから、背中を向けて去っていく大和の呟きは、捉えることができなかった。


 ◇


 本当は殺そうとしていた。

 たとえ、どんな人間であろうとも、彼が『異界同盟』の一員であることには変わらない。

 だが草薙が許してくれなかった。

 世間には死んだと思われていたけれど、実際にはミラ王国を救った二人の英雄の裁量に任され、山城は生きたまま地下牢獄に閉じ込められていた。あのとき、何もできなかった大和に、口を出せるはずがなかった。それにこれはあくまで、ただのけじめだ。山城のような直接関わっていない人間なら、確かに殺す理由は薄かった。大和がなすべきことはただひとつ。それはこの先未来永劫絶対に変わることはない。


 ――彼女が愛したこの世界を、救う。


 それが、それだけが、アイリスを愛した大和にできる、たったひとつのことなのだから。

 

 


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