第23話 「歪んだ願い」
木暮和寿はアルスフォード内、瓦礫で視界が遮られる中を歩いていた。
「地下研究所が完全に崩落したとなると……南端の簡易研究所であろうな」
『異界同盟』の一員である木暮は、松山の居場所を推定する。そちらに足を向けた。
すでに住民は都市外に避難済みで、ほとんど人気はない。外縁を囲っていた魔王軍の戦線も崩れているので、もっと遠くまで逃げているだろう。
となれば当然聞こえてくるのは、都市内各所からの戦闘音のみだ。
他者の戦闘に巻き込まれないように回り込みつつ、南へと進んでいく。
だが――その途中で。
「……何、だ?」
ところどころが崩れている裏通り。そこに足を踏み入れた瞬間、木暮は足を止めた。
そこには、大量の赤があった。
「何、だ……?」
繰り返す。猛烈に嫌な予感がしていた。危機感が警鐘を鳴らし続けていた。それでも、確認せずに引き返すわけにはいかない。木暮は目を背けなかった。
その。
四肢を削がれ、達磨のように転がされているかつてヒトだった何かに、目を向けないわけにはいかなかったのだ。
「博、士……」
呆然と、ただ呟く。その自失にも似た状態は、明らかに木暮の隙となっていた。
――気づけば。
「……なるほど、な」
木暮はその瞬間、生きることを諦めた。なぜなら、その腹部から突き出している一本の剣があったからだ。銀の装飾がなされた美しい剣が、あまりにも滑らかに、意識の隙間に入り込んできたかのように、木暮の腹部を貫いていた。
「『異界同盟』の一員で、合ってるかな?」
「そういうお前は、ミラ王国の勇者、で、あるか……」
背後にいる存在は何も答えなかった。ただ、そのままの態勢で、呟く。ポツリと。
「……聖剣よ、光を宿せ」
体の中で灼熱の光が暴れ狂った。痛覚が暴走する。視界は暗闇に染まり、何一つとして理解できないまま、いつの間にか倒れ伏していた。そこは物言わぬ達磨と化した松山の隣だった。だが、よく見ると、松山はまだ生きている。意識はなく、苦しみに顔を歪ませ、少しだけ目を開いたまま、ひゅーひゅーと浅い呼吸を繰り返しているのだ。
「きみは、ちゃんと殺してあげるよ」
淡々とした一言だった。うつ伏せに倒れていたところ、何とか振り返ってその姿を見ようとする。だが、朝焼けが眩しかった。逆光で少年の影しか映らない。瞳だけが、その何の感情も映さない透徹な瞳だけが、明確に木暮を捉えていた。ぞっとしない思いだった。
ちゃんと殺すとは、どういう意味だろうか――痛覚が麻痺しているなか、木暮がそんなことを考えていると、そこで松山が唇だけを僅かに動かしているのが分かった。木暮は思わずそれを注視する。あの天才科学者、松山鬼一だ。もし意識が回復したというのなら、この状態からでも起死回生の一手を導き出せるかもしれない。それはあまりにも現実味がなく、絶望的な考えだったけれど、木暮はもはやそれに託すしか手はなかった。松山の頭脳に頼り切ってこの異世界を過ごしてきた。木暮はその命令に従っていただけだった。それだけですべてが上手くいっていた。だから、今回も何とかしてほしいという、それはただの願望だった。
しかし、松山の唇の動きは、ひどく端的に、こう言っていた。
――殺してくれ、と。
殺してすらもらえない。その絶望に、木暮は身の毛がよだつ思いだった。
「そうだ。ひとつだけ聞いてもいいかい?」
ゆっくりとした普段通りの口調で、大和は問いかけてくる。それが逆におそろしかった。どうしてこの男は、ここまでの惨状を作り出しておいて、そんな顔をしていられるのだ。
「生きている『異界同盟』は、きみと松山だけでいいんだよね?」
「そう、だな……」
木暮は答えた。どうして構成員を知っているのか。それなりに秘匿していたつもりではあったが――そう思ったが、木暮は直後に気づいた。山城京夜だ。松山鬼一の『最高傑作』。あの男が生きているのか死んでいるのかまでは知らなかったが、生きていたとすれば、ミラ王国に捕まっているはず。――なら、ミラ王国の勇者である大和に『異界同盟』の情報を吐いていたとしても、何らおかしくはない。
大和と共にいた少女アイリスを殺した理由も、おそらくは知られているのだろう。
「鷹山とかいう人を探しにいったら、地下で何者かに殺されていたし……まあ、壊滅したならべつに構わないんだ。こんなことをしたところで、きっとアイリスが喜ぶわけじゃない。だからこれはただの報いであり、そしてけじめだ」
大和は淡々と言い、空を見上げた。それが最後の隙だろうと思った。
だから木暮はその一瞬にすべてを懸けた。今もなお灼熱の痛みが走り続ける中、強引に大地を踏みしめ、固有スキル『重力操作』を起動。超速で反応を示した大和だったが、それでもがくっと膝が曲がり、目を瞠った。その瞳に、ありったけの魔力を込めて手のひらを向ける。固有スキル『衝撃』。松山が『改造』を使って効率化し、最も万能だと評し、他のスキルからいくつか混ぜ合わせて木暮にも同様の効果のスキルを保有させた。たったひとりで地球を変革しかねないほどの天才。そんな人間が、ただ敵を壊すために最適化された衝撃波である。つまりは暴力的なまでの威力を持って聖剣の勇者に牙を向いた。
そのとき。
走馬灯のように、数々の記憶が木暮の脳裏に蘇った。
◇
――これが時代の転換点なのだろう、と木暮和寿は思っていた。
たったひとりの天才の出現。それは世界を、歴史を、時代を変革するには十分な出来事だった。時代というものはいつだって、天才が作り変えてきた。
松山鬼一。
その男が自分の研究室に引きこもったときから、木暮は違和感を抱き始めていた。定期的に世間に発表される、素晴らしい功績の数々。それを見て、違うだろう――と、松山が神童と呼ばれる前から彼に目をつけていた、木暮は思っていた。松山の研究とは、こんなものではなかったはずだ。こんな、世間をあっと驚かせる程度で収まるような才能ではなかったはずだ。もっと悍ましいものであったはずだ。世間がまったく理解できず、後世になってからようやく評価されるような、そういう存在であったはずだ。
直接見たことは二度しかない。木暮は三流の研究者だった。だから学会で何度か目にしたことはある。 そのとき、その瞳を見て、その才能を確信していたのだ。木暮は昔から、人を見る目にだけは自信があった。所詮は大して資金をもらえない三流の研究者。だから頭脳には大した自信がなかったけれど、人を見る目だけはいつだって外れなかった。
松山は、もっとおそろしい怪物だという、推測。
――『白い空間』に呼び出されたとき、歓喜に打ち震える松山を見て、木暮はまずそれが当たっていたことに満足した。同時に、木暮程度の頭脳でも理解が及んでいた。松山がどうしてここまで喜んでいるのか、この理不尽な状況で笑っていられるのか、ということを。
――なるほど、もう、あの世界に絶望していたのか、と。松山は誰にも分っていないとでも思っているだろうが、木暮だけはその事実に気づいていた。そして、その推測が、僅かに外れていたということには、両者ともに気づいていなかった。
ともあれ異世界に降り立った木暮は、まず松山を探すことにした。広大な地を、黙々と歩き続ける。ただ悲観はしていなかった。あれだけの怪物なら、必ずそのうち噂が流れてくるに決まっているからだ。そして予想は的中した。魔導都市アルスフォードに頭のおかしい科学者を名乗る人物が現れたと聞いて、木暮は彼のもとに向かった。
――この男が、この怪物が、この世界で何をしでかすのか、木暮は興味があった。
だから彼についていったのだ。そうして降り立った世界がすでの滅びゆく危機にあると知り、何とかするために『異界同盟』を作り上げた。松山には研究だけをしていてほしかったので、実働はほぼすべて木暮たちがやっていた。アイリスのときのような汚れ仕事であろうと、木暮は実行を厭わなかった。松山がそれをどう活用するのか――それが最も面白いことだったから。そうして片手間のように怪物兵器を造り出しながら、松山はついに世界延命の方策を見つけた。この男ならできるだろうと思っていた。だから木暮は喜ぶ鷹山や外を眺める山城を横目に、また次、これが終わったら松山は何を生み出すのだろうと思考を巡らせていた。――だから、だからこそ。
こんなところで。
たかが一個人の恨み程度で、世界を変革する才能を失わせてはならないと思った。
この千年に一度の宝石のような天才を、無駄にしてはならない。
まだ彼には頭脳がある。確かに生きている。たとえ四肢が削がれて、まったく動けない体になっていようとも、その頭脳さえ残っているなら、木暮にとって何の問題もなかった。
まだ、松山の道の続きを見ていたい。ただ、それだけの歪んだ願いのために。
木暮和寿は、致命傷を負った体を強引に動かして――立ち上がった。




