第21話 「どんな理由があろうとも」
――べつに、大層な願いを持っていたわけではなかった。
ただ、面白かった。学ぶことが好きだった。新しい知識が増えて、考えられることが増えていくのが嬉しかった。だから勉強し続けた。延々と、黙々と、自分の奥底から湧き出てくる欲求に従い、机に向かい続ける。最初はすごい、と、えらい、と褒めてくれた両親もやがて笑顔を見せなくなった。ただ、気味の悪そうな目で眺めてくるだけになった。友達や教師もまた、気持ち悪そうな顔をして離れていった。侮るような、蔑むような瞳だった。そういう目で見つめられ、罵倒や中傷をされる度に、この人たちは、なんてつまらない人間なのだろうと思った。自分とは価値観の違う人間を認められず、自分の認識こそが正しいと無意識下で思い込んでいる。そういう思考へと至った理由を探求しようともせず、自分とは異なる他者を否定する。なんて、心の弱い人間なのだろう。そして、そういった人間が、今の社会にはありふれている。恥じることもなく、自分は普通だから、と、そういった顔で。
――松山鬼一は、だから人間から興味を失くしていった。
さらに知識を増やし、そして中学校を卒業する頃には、おおむね学びたかった知識はすべて脳内に収容していた。気味悪がられつつも神童としてもてはやされ、怖れるような視線を向けられるようになった。また、新しい知識が得られるかもしれないとワクワクしながら、飛び級で大学に入った。けれど、そこで行われていた研究は松山にとって低レベル過ぎた。――そんな結果の分かり切った実験に意味はない、と、何度も思った。だから独自に研究を始め、たったひとりで没頭した。松山についてこれる者はいなかった。松山が何を目的として、何の理論を使い、何の実験を基に研究をしているのか、誰一人として理解してくれる者は現れなかった。だから淡々と、誰とも話すことなく、松山は世界全体が褒め称えるような功績を何度も上げ続けた。幼稚な精神を宿す者と話したくはない。既存の知識はすでに、ほとんどを収容している。だから、松山にあるのは研究して、新しい何かを発見したいという極めて純粋な欲望だけだった。それだけが、面白いと思ったことだった。
――だが、松山はやがて、その作業に飽きてきた。ここまで世界の法則を理解してしまうと、この先の研究で明らかになることまで、だいたい予想がついてしまっていた。パズルのピースを組み合わさったような感覚があった。松山が外の人間たちに発表した研究成果は、研究資金を潤沢に確保するためのごく一部だ。それ以上は、彼らに過ぎた力だと判断して秘めたままだった。人間は愚かで、ちっぽけで、松山が力を与えてしまえば、簡単に滅びる。その確信があった。だから、松山が世界に絶望し始めたことを知っているのは、とうの本人を除いて、誰もいなかった。
――そんなとき。
実験中に、僅かな、ほんの僅かな、違和感があった。「……?」と、松山は眉をひそめた。誤差で済ましても問題ないほど微かなズレ。松山はどうすべきか迷った。松山の計算では、こんな違和感が生じるように、世界は作られていないはずだった。
こんな感覚は久しく存在しなかった。だから、絶望の中に一筋の希望を以って、その違和感を研究しようとした。好奇心と、ただ、松山の予想を越えるものがあってほしいという願いだけを抱いて――手を伸ばす。その直前の出来事だった。
理論も理屈も何もかもわけが分からない、『白い空間』に飛ばされたのは。
◇
カツ、と、乾いた音がした。銃口が、杖のような扱いで地面に着いていた。
松山はクイ、と片眼鏡の位置を直す。爆発の規模は調節していて、それは、松山の白衣に汚れがついていない時点で分かり切っていた。瓦礫や岩盤の位置関係から、爆風が届かない位置は当然、計算してあり、そして――松山の頭脳はそれだけでは収まらない。
「……ふむ」
呟く。その視線の先にあるのは、光だ。朝を告げる陽光が、穏やかに差し込んでいる。崩れた岩盤の間を縫うように通り抜けると、地上に辿り着いた。
「さて、早いところ撤退しなければ……」
そこまで呟いたところで、松山は特に理由なく足を止めた。
そのまま振り返り、ほんの僅かな時間だけ、地下に繋がるその空洞を眺める。
感慨があった。松山はその感情を自覚して、自嘲気味の苦笑を浮かべた。あの奇術師は予定外のことばかりを起こしてくれる。それが苛立たしいと同時に、少しばかり楽しさを抱いていたのも事実だった。この世界に来てから、予想外のことが多くなった。それは、とても嬉しいことだと思う。――だからこそ。
こんなところで、この世界を失うわけにはいかなかった。
女神だの、魔神だの、そんな理解の外にいる存在を松山は信用していない。ただ、自分の理解が及ぶ範囲で、自分にもできる方法のなかで、この世界を延命させようとしているだけの話。それが精霊たちを苦しめることになったとしても、それでこの世界が存続する確証が得られるというのなら、それは正しい理屈だという確信があった。だから、松山は決して行動を止めはしない。
ともあれ、この場所もまだ危険だ。たまたま誰とも遭遇しなかったのは幸運だったとはいえ、各所から戦闘音が響いている。早いところ、この都市から脱出し、再び研究と実験の準備を整えなければならない。松山はそう思って、動き出そうとした。歩き出そうとした。
その。
直前の出来事だった。
「……待て、よ…………」
声が、聞こえた。聞き覚えのある声だった。掠れていて、途切れがちで、今にも喉が潰れるかのようで、だけど、明確な意志と、怒りを感じている声音だった。
――ありえない、と松山は思った。そう思ってしまった。不可能など科学者が真っ先に否定するべき項目であるというのに。それでも、人間が生きていられるような状況では、決してなかったはずだ。あの規模の爆発に真っ向から巻き込んだ。それに加えて、あの空洞を作っていた大きな岩盤を巧く崩し、隙間なく士道を下敷きにするように調整していた。
派手な動きなど一切ない。ただ淡々と相手を殺すための方程式。それが正解を導き出していたはずだった。だから、死ぬはずだった。そういう計算をしていた。いくら松山の予想を覆してきた男とはいえ、そんな可能性は流石に考慮していなかった。
だというのに。
「まだ、終わりじゃねえぞ……!!」
神谷士道は立っている。明確に、地面に足を着けている。
その肉体は火傷に染まり、魔導服はボロボロに擦り切れ、立っているだけで足が震えるほど限界が近づいていたとしても。
瞳に宿る炎は、煌々と灯り続けている。
「……、どうして」
松山は思わず、疑問を放った。そんな行いをするのは、久しぶりだと思いながら。
――それが命取りだった。
突如として、背中に灼熱の痛みが迸った。
◇
士道は咆哮した。爆発に呑みこまれ、全身に激痛が降りかかるなかで、それでも意識だけは飛ばないようにと保ち続ける。灼熱に包まれ痛みが際限なく襲うなか、背中に衝撃。そっれまでとは質が異なる重い鈍痛に、冗談抜きに呼吸が一瞬止まる。岩盤だ。それが士道を襲うように崩れてきたのだ。やがて爆発を余すところなくその身に受けた士道は地面に崩れ落ち、その背中をみしみしと莫大な質量の岩盤が押しつぶしていく。
――視界のすべてが岩盤の下で、『瞬間移動』も危ぶまれる。それどころか、今にも意識が途切れそうだった。脳内で、甘い囁きが聞こえる。諦めろ、と。どのみち死ぬ、と。どうせ死んでしまうのなら、大人しく眠ってしまえ、と。
――そうだ。べつに、大層な理由があるわけではない。
士道の行いなんて、いつもそうだった。ひどく場当たり的で、どれだけ頑張っても、根本的な解決にはなっていないような事態ばかり。だけど、後悔だけはしていなかった。そのとき、その場で、最もやりたいと思ったことを選び続けてきた。たとえどれほど困難な道だろうと、それが理由で挑むのを止めたことなんて一度だってなかった。今回も士道は、フィアに、精霊たちを助けてほしいと懇願されて、そして実際に地下研究所で精霊たちが苦しんでいる様子を見て――
――助けたいと思ったから、助ける。
だから、それ以外の理由なんていらなかった。それだけが本心。決して、頼まれたからではない。仕方なく協力したわけではない。自分が、そうしたかったのだ。苦しんでいる精霊たちを助けて、彼らが笑っている未来を見たいと思ったのだ。
松山は世界を延命させるためと言っていた。なるほど、それは綺麗な理由だろう。確かに正義がある理由だろう。松山ほどの天才が言っているのだ。今まさにこの世界が滅びの最中にあるという話は、本当なのだろう。士道だって、この世界が滅びてしまうのは困る。まだ死にたくはないし、士道の大切な人たちを失うわけにはいかない。だから、その件は何とかしなければならないと思う。必ず、解決しなければならない命題だ。
だが。
どんな理由があろうとも。
それはフィアたちを苦しめていい理由にはならないだろう。
「お、おお……うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
神谷士道は咆哮する。
そうして意識を保ち、強引に、肉体の限界を凌駕していく。
――これで殺したつもりか、松山鬼一。
人間の、心を、魂の強さを舐めるなと、甘く見るなと、そう思い、士道は岩盤に手のひらをつける。そして全霊を込めて力をこめていく。押し返すように。
途轍もない質量だったが、士道の筋力を以てすれば、僅かに持ち上がった。少しだけ脱出できる隙間が空き、ほんの少しだけ光が差し込んでいた。それを見逃さず、士道は『瞬間移動』で脱出していく。一瞬で視界が切り替わり、ただでさえ朦朧としている意識が混乱する。目眩がして膝をついた。
残存魔力は一割を切った。もう『瞬間移動』は使えない。
士道はただ意志だけを宿して、松山の影を追って地上へと向かった。
◇
――そして、現状へと繋がる。
士道は最後の魔力で『魔眼』で幻影を出し、ただでさえ殺したと思った男が現れて、動揺している松山を騙し抜くと、その背後にあたる場所から地下を脱出し、剣で背中を切り裂いた。もはや魔力による身体強化もできていなかった。松山の見立ては正しく、肉体の限界を超えて動き続けていたのだ。それも当然のことだろう。
「が、あああ……っ!?」
背中から血しぶきを上げ、苦悶の声を上げる松山。確かに、重傷を負わせた。
「ちく、しょう……」
――まだ、倒せていない。フィアたちを諦めさせることが、できていない。
その想いだけが体を支えていた。
だが、もはや肉体の限界を越えた士道に意識はなく。
士道は松山が倒れたことを確認することなく、その場に倒れ伏した。




