第23話 「そんな始まりがあった」
異世界転移から二週間が経過した頃のことだ。
山城京夜はレーノ共和国の辺境を旅していた。これから暮らすことになる新しい世界を見て回っていたのだ。元の世界を眺めることが苦痛になっていた山城には、新鮮な驚きに満ちていた旅路ではあった。
しかし結局のところ人間が存在する以上、けして争いが消えてなくなるはずもなく。銃の代わりに剣と魔法が人を傷つける道具として、戦場で活躍していた。
「……」
世界を平和にしたい、争いを失くしたいとは思うのだが、なぜ自分はそのように思うのだろう、と。山城は旅路の中でいろいろなものを眺めながら、ひたすらに思索に耽っていた。
争いが嫌いだからか? ――確かにそうだ。やりたくはないし見たくもない。気分が悪くなる。だが、争いを失くすための争いなら肯定できる。
山城の目が届かないところの争いなら許せるのかと言われると、たぶん否だ。目の届くところだけ平和なら良いというのなら、日本で暮らしていたときに山城はすでに満足しているはずなのだ。
結局、強引にでも世界全体から争いを取り上げなければ、山城は満足しないのだろう。自分の中で渦を巻く強い想いを御しきれていない山城だが、"人殺し"につながらない争いなら、おそらく許容範囲になるだろうと考えていた。それさえも認められないのなら、この世界からすべての生物を滅ぼさなければならない。――そんなことがしたいわけでは決してなかった。
山城が重要視するのは人殺しという項目だ。
それはアフリカの危険地帯にいたことが原因なのだろうか。そこで人と人が殺し合う、血みどろの醜い場面を見たからなのだろうか。――それも原因のひとつではあるだろうが、それだけではない気がした。
日本にいて、その平和ボケした面に飽き飽していたからだろうか。――確かに世界の反対側で争いが起こっている中で、その平和を甘受していることへの違和感は恐ろしくあった。
「……答えは出ない。オレの心の問題だってのに」
「いいんじゃないの、それで。その時そうしたいっていう気持ちに、理由なんてないとボクは思うし」
澄んだ声音。純粋な瞳。それが山城には眩しい。
みどりの黒髪を纏めてポニーテールにしていて、小柄な体格に反する異様な長刀を手にする少女。
たったの二ヶ月ほどレーノ共和国を旅していた。その際に見計らったかのように、旅の節々で山城のもとを訪れるのがこの少女だった。
レーノ共和国に降臨した"赤の勇者"。
丹波静香。
同郷の出身だからと初対面の山城の旅路に強引についてきては、共和国のお偉いさん方に見つかってズルズルと引き戻されていく好奇心旺盛な少女。静香という名前の印象とは正反対の活発さを持っていた。
だから、つい流され、山城も、何となく会話をするようになり、無意識に弱音を吐き、相談してしまうぐらいには、気を許してしまっていた。
「……この世界でお兄さんの理想を実現するには、悪魔との確執、『紛争地帯』、『四強』は比較的仲が良いみたいだけど、北の獣人族と龍族の住処はよく分からないし、問題は山積みだね」
「まぁ、地球よりは単純だろ」
「……単純かもしれないけど、それは難易度が低いっていう意味じゃないと思うよ」
「そうだな」
山城に焦りはなかった。そもそも無理がある思想なのだ。焦ったところで意味はない。ただ、この胸中で暴れ回る複雑な想いを解消したいだけなのだから。
そうやって、旅を続けていくうちに。
――いつしか。静香は姿を見せなくなっていた。悪魔との戦争が本格化し、国防において重要な役割を果たし、兵の士気にも関わる勇者が、自由に飛び回るわけにもいかない状況になってきたのだ。
寂しいような気持ちを抱いた。また、あの笑顔が見たいような気がしていた。大人である山城が、静香にそんなわがままを言うわけにもいかなかった。
勇者の責務。彼女がそこにいるだけで兵士の士気が変わり、それだけ死人が減る。頭の良い静香はそのことを良く理解していて、小競り合いのような戦いが始まっても、その場を離れることをしなかった。
「ほーう、世界を平和にする方法、デスか」
そんなとき。
山城京夜は一人の怪物に声をかけられた。
「取引をしましょう。ワタシがその方法を提示する。その代わり――キミは、ワタシの実験体になってほしいのデス」
松山鬼一。
天才という単語でしか形容できない何か。現代より遥か先を生きているとさえ云われた化物。
山城には松山が語る言葉の半分も理解はできなかったが、今まさに世界が終わろうとしていること。松山がそれを何とかしようとしていること。その為に手を貸してくれるのなら、世界平和を求める山城の望みにも、手段を与えてくれるのだという。
常軌を逸した天才が手を貸してくれるのだ。願ってもない話だろう。そう思った。だが、松山の手を取ろうとする山城の脳裏にふと浮かんだのは静香の顔だった。泣きそうな、今にも壊れそうな儚い微笑み。
――それを振り切って、山城は暗闇に道を求めた。
また数ヶ月の時が流れた。
松山が提示した手段は、山城が考えていた方法とは種類からして全く異なるものだった。
『病魔』の固有スキルを持つ山城に、複数の転移者の情報を与え、彼はこう言った。
――この連中を殺してこい、と。
彼らが宿す『魔力源』と『操作人形』、『土精霊の恩恵』が計画に必要であると山城は理解していた。だから手を染めた。罪のない人間を殺した。己の理想などというくだらないもののために命を奪った。ただ後悔だけはしていなかった。それでも。
――静香には、もう会わないことを堅く誓った。
山城が手に入れたスキルを、松山が宿している固有スキル『改造』を使って発動条件を変更。体中が焼けるような激痛と引き換えに、山城はその力を手にした。
第一段階。『病魔』を流行させ、その範囲を広める。
第二段階。病に伏した者に『魔力源』を発動。魔力が絞り取られることにより、更に抵抗力が弱まり『病魔』に蝕まれ続ける。
第三段階。集めた莫大な魔力を利用して『土精霊の恩恵』を起動。土に足をつけて立っている人間のすべてを把握して『鑑定』を行使。
第四段階。『鑑定』により、『対象に関するある程度の情報』という発動条件を満たした『操作人形』を行使。『移動せよ』という最小限の命令だけ与えて魔力の消費を抑え、多人数の移動を開始させる。
――ここまで来れば、理論上はもはやお終いだ。
『病魔』を宿した人間が『操作人形』によって大陸の端々まで移動していき、更に『病魔』の感染範囲を広げていく。その為の魔力は『魔力源』である人形たちが生成する分だけ吸収している。永久機関の完成だ。
後は『病魔』が世界を侵食するのを待つだけ。たとえ転移者のような強大な存在であっても長く感染者の傍にいれば、感染するのは確認済だ。
そして世界中を『病魔』が支配して山城の人形と化したのなら、『殺し合いをするな』という命令を下し、それ以外は普通に生活させるだけで山城の理想――世界平和は完成する。
薄汚れた外道の方法だ。山城は躊躇った。だが、天才が導き出した方法だ。松山はそれしかないと言った。人間の在り方を変えるには、相応の人間から外れたやり方を取る必要があるのだと。それでも何かを諦めきれなかった山城は拳を握り締めていたが、結局のところ何も変えられることはなく、山城はレーノ共和国を旅立つため、旅を始めた。まずは『紛争地帯』から計画を始めることにしたからだ。
だが、その旅は出鼻をくじかれることになる。
「……ボク、ね」
それは涙だった。共和国の勇者が、人の上に立つ偉大なる者が、誰にも見せることのないはずの、暗い絶望の海に降り落ちる雨だった。
震える唇から、冷たい言葉が放たれる。
「信じてたよ。貴方は聡明な人であると」
山城の追い求める平和には、勇者の責務から解放された彼女の、暖かな笑顔も含まれていたことに、そこで初めて気づくことになった。
――転移者殺し。
山城との戦闘の末に敗れた静香の手により、山城は討伐対象に認定された。
山城は即座にレーノ共和国を去り、遠く離れた『紛争地帯』に足を運んだ。現地で"聖女"というカードを手に入れ、静香の暗い顔を思い出した山城は、自らの思う少しでもまともな方法を実行しようとした。
『恐怖』と『信仰』により世界を平和にしようという考え方だ。少なくともスキルに全てを頼るよりはまともな考え方だと思われた。
――結局、それも失敗に終わったが。
「どうせキミは、最後にはワタシに頼らざるを得ない」
何もかも見抜かれ、すべて松山鬼一の掌の上。
山城は崩壊した王城の中央で激しい雨に打たれながら、ただ広がっていく事象を眺めていた。
松山が考えた方法は実に効率的だと、人形の群れに抑え込まれる転移者たちを見て、そんなことを思った。
♢
草薙竜吾が苦戦していた理由は単純だ。壊れた人形のような動きで向かってくる民衆たちを、"殺せない"という一点に尽きる。当然だ。彼らに罪があるわけではない。あくまで山城に操られているだけなのだから。殺すわけにはいかないに決まっている。
草薙はギリ、と歯軋りをしながら素手で民衆を次々と捩じ伏せていく。新城は魔物に身体を守らせ、容赦なく民衆を吹き飛ばすが、別に殺しているわけではない。意外なことに集も同様だった。炎を牽制に見せつつ、抑えきれずにどんどん後退していく。
騎士団は当然、剣を使わずに民衆を抑え込んでいく。
だからと言って強引に山城のもとに突っ込んでいくのも自殺行為だろう。何せあれだけの魔力を溜め込んでいるのだ。いくら草薙とはいえ、民衆への被害を気にしながらでは敗北は必至。――どうする。このままでは、世界に『病魔』の侵食が及んでいくだけ。長くこの場にいれば草薙たちでさえ同様だ。病に倒れ、戦うこともままならなくなる。結局のところ始まりから詰んでいるのだ。人形に対抗できるような戦力まで『病魔』に倒れると、『魔力源』により山城が利用できる魔力は、更に増していく。
これが松山鬼一という天才が打った完全封じの手。それを実行した松山の『最高傑作』――山城京夜。
「……神谷、お前ならどうする」
草薙は冷や汗を流しながら、ただ世界に広がろうとする『病魔』を抑えるために人形を倒し続ける。
♢
一方、"聖女"浅場優花は戦場を離れ、倒れ伏す神谷士道のもとに辿り着いていた。
匂いを辿ったというレーナが接触してきて、再び『病魔』に罹った士道を治してほしいと言われたのだ。あの場では暴徒と化した民衆に対して何もできることはなかった優花は、冷静に戦力となる士道を治療した方が良いという判断を下した。
「……一応、治療はしましたが……あれだけの高熱の疲労によって失った体力までは回復しません。本当なら絶対に動かない方が良い状態です」
治療後、上半身を起こした士道がゆっくりと自分の手を開いたり閉じたりしている。その瞳は揺れている。意識が朦朧としているのだろう。『操作人形』の人形たちは無理やり動かされているが、本来なら立ち上がれることすらない状態のはずなのだ。
「……ありがとな」
震える手で膝を抑えて強引に立ち上がりながら、山城がいる方角を睨む士道は、端的に言った。
「これで、まだ、戦える」
「……あなたに、戦う理由がどこにあるの?」
「さぁ、な。まあ、あえて言うなら――」
士道は呆然としている優花に目を合わせると、
「お前を助けてやりたいと思ったからだよ。それ以外にもいろいろあるけど、たぶん、始まりはそれだ」
「…………え?」
理解が追いつかなかった。
いつの間に、助けられるような関係になったのだ。そんなに関わったはずはない。一度、山城の『病魔』を治療してあげただけだ。
――まさか、ただそれだけのために。
「二度目だな」
士道は言う。
ふらつく体を一歩、前に進めながら。
「お前に二回救われた。だから、それだけの働きはしてみせる」
「……いつ、私が助けてなんて――」
「――別に、俺が勝手に決めたことだ。何となく、お前の心からの笑顔が見てみたいと思った」
その後ろ姿はやけに大きい気がしていた。
士道の仲間達は、何も言わずにその後に続く。
「ここで待ってろ。山城の奴は、俺が必ず止めてやる」
――いつの時代も。
丁寧に作り上げられた舞台に乱入するのは、すべてをかき乱す奇術師と相場は決まっていた。




