第21話 「その瞳に映るのは」
兄は頭が良い悪魔だった。
本気で人間と悪魔がお互いに平和に暮らせる社会をつくるために、ルシアの部下として懸命に仕事に尽くしていた。
人間と共に暮らすために、人間を殺す。
綺麗事など言ってはいられない。たとえ矛盾していようと必要なことならば自らの手を染める。そういう役回りを進んでこなし、理想を思いながら可能な限り現実に目を向けていた。
ブレットはそんなドムに憧れていた。
自慢の兄だった。
難しいことは分からない。だがドムが望む世界があるのなら、それはきっとブレットが望む世界だろうと信じていた。何せ双子なのだ。見ていたものは同じ。地獄のような現実。夢に映る理想。だからドムがルシアに従うのなら、当然ブレットもルシアに従う。
魔王軍の主流から外れ周囲から奇異に思われようとも、二人の先の未来を共に見たいと思ったから。
♢
ブレットは虫の息だった。
ついに体が動かなくなり、自らが作り出した血の海に沈んでいく。そのさまを見て、虎と化していたレーナは『神獣化』を解いて少女の姿に戻る。
「……どうしますか?」
レーナは後方からリリスと共に近づいてくるミレーユにそんな問いかけをした。
やはり超級冒険者たるミレーユは、レーナやリリスとは確固たる経験の差がある。士道がいない場合は自然と彼女に頼る形になるのだ。
「拘束して、王国に引き渡してみましょう。……たぶん、あっちのほうに、今頃は騎士たちがいると思うのです」
ミレーユは感情の読めない口調で言った。
指差したのは先ほど勇者の慟哭が聞こえた方向。確かに理に適っている。
ミレーユは魔法袋から縄を取り出し、意識を失ったらしいブレットを縛りつけた。
「少し強度が心配ですが……まぁ、一人ぐらいは捕らえておいた方が、王国的にも敵の情報が欲しいところでしょうし」
ミレーユはそう言いながらも、殺した方が良いとは言わなかった。彼の戦いに、そこに込められた意志に、何かしら思うところがあったのかもしれない。
レーナも同じ気持ちだった。
猫の獣人であり耳の良いレーナは、少し離れたところで戦っているドムの叫びが聞こえていた。
「……」
リリスは暗い表情だった。
敵を倒したことによる達成感など、まるで感じていないかのような雰囲気だった。
「……魔物を倒すのとは違うのです。戦争は、そういうものなのですよ」
ミレーユは冷めた口調で言いながら、拘束したブレットの傷口だけ治癒魔法で癒やして血を止めると、ウルフェンの背中に乗せた。
そこで近づいてくる足音があった。
「……シドーさん」
「倒したか」
端正な顔立ち。鋭い瞳を雨に濡れた長めの黒髪が少し隠しているその男は、端的に呟いた。
その表情はひどく暗かった。
♢
士道は囚われたブレットを一瞥し、レーナたちに大きな怪我がないことを確認すると、
「草薙さんが凄い勢いで山の方に向かっていったのを見かけた。たぶんアイリスを遠方から撃ち殺した連中の方に行ったんだろう」
「クサナギ……? この状況で、ヤマシロ、ハヤマ、キリサキ、シンジョウとやらに、後、シドーさんの知り合いの金髪だけじゃなくて、異世界からの転移者が他にもいたんですか」
ピレーヌ山脈での騒動を知らないレーナが、不思議そうに小首を傾げる。
今この王都に草薙がいたこと自体は、士道も見かけるまで知らなかったのだが。
士道は頷きながら、言う。
「ブレットを引き渡して……倒すべきは山城だな」
遠方で大和と拓真が激突する轟音が聞こえた。
大和の事情はともかく、どうせ拓真は強そうな奴と戦いたいだけなので放っておく。
士道が山城と交戦を始めれば勝手に混ざり込んでくるだろう。
「……王城の方に向かっていたか?」
「ちょっと匂いが残ってるんで、辿ってみますね。正直そんなに精度は保証できませんが」
「いや、手段があるだけマシだ」
獣人であり鼻の良いレーナが言う。士道は肯定しながら、仲間を引き連れて走り出した。
♢
大和は苦戦を強いられていた。
「ハッハァ!!」
恐るべき勢いで放たれる右拳を躱し、その脇に潜り込んで剣を振り上げる。が、そのときには拓真は強引に宙に浮かせた体を回転させ、上から右足を振り下ろしていた。剣と衝突する。真正面からの力の押し合いでは、レベルが低い大和に敵う道理はない。
『聖剣』ごと地面に叩きつけられ、転がる。即座に飛びかかってくる拓真に対して、『光精霊の恩恵』を発動して閃光を炸裂させた。
一時的に目を潰された拓真が飛び退く。その隙に大和は再び剣を構えた。深呼吸して、ズキズキと痛む全身に顔をしかめながらも、戦闘に意識を傾ける。
――やりにくい、と大和は思っていた。
新魔王ルシアは大和にとって、ひどくやりやすかった。何故か。攻撃のパターンが見えるからだ。何千何万と積み重ねた研鑽、その果てに行き着いた無駄のない攻撃は、無意識のうちに解析することが容易かった。
だが、眼前の拓真に攻撃パターンなどというものはない。獣のように、ただその場その場の感情に任せて力技を叩き込むだけ。
大和の脅威的な反応速度のおかげで何とか対処できているが、何一つ予測が成り立たない状況では苦戦も仕方がなかった。
――ちなみに。
士道が拓真を相手に圧勝した理由は単純。初手を除き、すべて先手を取ったからだ。次から次へと固有スキルを連発。対処に負われる拓真に攻撃に移らせる隙を与えなかった。だが、それは士道だから可能なこと。
予測と反応。この二つを武器にする大和が、先手を取ることは心理的に厳しいものがあった。
それでも、新魔王と上位悪魔二人を同時に相手にした圧倒的な才覚は伊達ではない。
相性的に完全な不利に陥っても、傷を増やしているのは獣のように攻撃する拓真であり、大和は打撲程度でいまだに大した傷を負っていなかった。
「ハハッ! いいねェ! 俺以上の反応!! 危機に陥ったときの咄嗟の剣さばき! たまんねェなァ、オイ!! 来いよォ!!」
すべてが大振り故に大和のカウンターをまともに受け、その身に斬り傷を増やしている拓真だが、その顔には凄絶な笑みが浮かんでいる。ボタボタと川のような勢いで血が流れていく。
だが、ふらつくような気配すらない。何という耐久力。否。それどころか――。
(……動きが、良くなってる……っ!?)
大和は歯噛みする。
こんな奴に構っている暇はないのに。
大和の反応にニィ、と頬を吊り上げながら拳をパキポキと鳴らす拓真は、言う。
「オレの『闘気』は、傷を受ければ受けるほど強化の度合いが強くなる……悪ィな? テメェが頑張れば頑張るほど、オレは強くなるってことだ!!」
ドン!! という爆音を鳴らして大和に飛びかかっていく。その剣撃を体を振って回避しながら、大和はそれだけではないことに気づいていた。
(もう、戦い始めた頃につけた傷が治りかけてる……? まさか、自然治癒力も上がっていくのか――!?)
「オラ。反応遅ェぞ!!」
「くそっ!?」
ガッ!! と、剣の柄で拓真の拳を受けながら反らして力を流していく。同時にテコの原理のように拓真の首筋に向けて剣が振り下ろされた。
だが、反応すらしない。
剣が拓真の背中から首にかけて斬りつけるが、拓真は獰猛な猪のようにそのままの勢いで更に踏み込み、大和を殴りつけてきた。
ゴッ!! という凄まじい轟音と共に大和が吹き飛ばされていく。拓真はすかさず大地を蹴って追跡してくる。大和が自ら後ろに飛んで衝撃を逃したことに気づいているようだ。
「――ぐぅ!!」
苦し紛れに『聖剣』に魔力を込め、強化した斬撃を地面に炸裂させる。石畳が吹き飛び、砂煙が大和の姿を覆い隠した。拓真はおそらく正面から突き進んでくる。そんな予測を立てた大和は位置をズラし、バレにくいように砂煙の中で屈む。が、絶大な衝撃が鳴り響くと同時に、大和が屈んでいたその地面そのものが崩落し、思わず絶句した。予測のすべてを上回っていく。
「どォしたよ!!」
空中に放り出され、隙だらけの大和に対して拓真の回し蹴りが容赦なく叩きつけられる。恐ろしい勢いで地面に着弾。「ご……ふっ……!?」と、口元から血の雫が垂れていく。勝てない。このままでは。こんな、戦いしか脳がないようなくだらない男に。そんなことは、許されることではない。護りたいものを失い、それを奪った者がまだ生きているのだ。絶対に。許さない。
「……『聖剣』よ、光を宿せ」
言葉とは反対に。
大和はこれまでより更に瞳に暗い色を浮かべた。
♢
「ちぃ……!」
草薙竜吾は吐き捨てていた。『異界同盟』を名乗る木暮と鷹山ら――アイリスを殺した連中を、ものの見事に取り逃がしたからである。
(それに……)
松山鬼一。
現代が誇る天才研究者。超難関大学教授。異世界にいる期間が長く、あまり地球の情報を知り得ていない草薙でもその凄まじさは聞き及んでいる。
日本を発展させた張本人。進んだ社会が生み出した突然変異の怪物。詳しくないが、確か専門は細胞生物学だったはずだが、まるで関連のない分野――例えば土木関連でさえ結果を出しているはずだ。
そんな麒麟児であるなら、異世界の不思議な事象を科学的な見地から検証して正解を導き出したとしても、何らおかしくはない。
頭の悪い草薙にはアイリスが宿していた『未来視』のスキルをどう活用するのか、まで想像はつかないが。
(――厄介、だな)
アイリスを手にかけた以上さっさと潰しておきたいし、それが義理だとも思っている。とはいえ今の移動術で、奴らがどこに逃げたのかも分からない。
草薙の古代魔法を使えば似たようなことをやることもできるが、せいぜい距離は王都周辺が精一杯だ。魔力の消費も激しいから虱潰しに探すこともできない。
(一旦王都に戻るか。……気は重いが、ハインケルに報告もしなけりゃならねぇ)
♢
――誰も傷つかない世界が欲しい、と。
"聖女"浅場優花は思っていた。
たとえ大抵の傷なら癒やすことのできるスキルを持っていても、傷を負ったという事実は消えない。
そのときの苦しみも、悲しみも、死ぬまで残る。
だから誰も傷ついてほしくなかった。
己が役立たずになり、治癒術師という職種がなくなるような、そんな世界が見たかった。
「世界を平和にしたい」
初めて会ったとき、山城は優花にそう言った。
「だからお前を攫う。お前のスキルが要る。本当は殺して奪っても問題はなかったが……鬼一が言うには女神側のジョーカーらしいからな?」
「なに……を……?」
「下手にあの連中を刺激するのも面倒だ。このまま利用させてもらうとしよう。――人死が少ないに、越したことはない」
何故だろうと不思議に思っていた。山城の願いは純粋だ。本当に誰も争うことのない世界を願い、そのためだけに戦っている。
だというのに何故ここまで捻れた方法を選んでしまうのか。優しい世界を望む人間が、どうしてここまで優しさを捨てられるのか。
そういうやり方しか見たことがない。そして綺麗事で世界を平和にできることは絶対にない。そもそも根本的に、人間の構造から考えて無理がある思想だ。なら誰も傷つけないように、優しくなんて、そんなやり方で、世界が変わるはずがないだろう。
いつか、彼はそう答えた。
『病魔』で人々を侵し、それを治癒するという自作自演で自らの派閥を増やし、同時に数々の人が倒れたことにより、確かに『紛争地帯』から大きな争いは消えていた。着々と世界平和に足を進めていた。
考えられる限り、最悪の形で。
そして自らが人々の上に立つことを考え王都に革命を起こす。元々の理念とは正反対のような行動。数々の強者の乱入による誤算で、それ自体はほぼ失敗に傾いているようだが――山城の計画はそれで終わりではない。
まだ最後の手段が残っている。あのどれだけ外道な手口でも活用してきた山城が「一番可能性は高いが、できればやりたくはない」と言ってのけた策が。
阻止したい。
たとえ進みたい道の先が同じだとしても、彼の血塗られた道を現実にしたくはないから。
そして今。
葉山集を護衛にしながら王城へ足を進めた優花の前には、信じられない光景が展開されていた。
「嘘……」
完全に瓦礫と化している崩壊した王城と、意識がないまま、お互いに重なり合うように密集した形で倒れ伏している、何万人もの民衆である。
人が蟻のようにただ這いつくばり、その体からは淡い光のような魔力が立ち昇り、一箇所に集中していく。
その場所にひとり立ち尽くしていたのは――。
「……お前、か」
一目見て分かるほどに甚大な魔力を体から迸らせている長身の男、山城京夜である。




