第19話 「絶望の勇者」
「知らないよ、そんなの」
苦渋の表情で、白崎大和は切り捨てた。
新魔王ルシアが、偶然にも士道に対するドムと同じように、悪魔側が勇者を殺さなければならない理由を語ったところだった。
しかし、大和の苦味を増した表情の理由は、別に自らの存在が悪魔を苦しめているからとか、そんなものではない。
そもそも自分の命を狙いに来る者たちが、自分のせいで迫害されるなどと言われても、まったく信用できない。身に覚えもない。
大和は単に、翔に囚われているアイリスの身柄をどうにかしようと思っているだけだ。
しかし、下手に動けば確実にアイリスは殺される。翔は躊躇わないだろう。あの冷徹に射すくめるかのような瞳は、そんな優しいものではない。
「俺様たちの話に納得はしていないようだが、それでもあの女を助けるためにはお前が死ぬ必要があると、理解しているんだな?」
「……うん」
大和が首肯すると、翔にクナイを突きつけられているアイリスが、青い顔で声を出した。
「……大和くん。私の固有スキルは『未来視』。知ってるよね?」
「う、うん。……急に、どうしたの?」
「見えた未来は、覆らない。たとえそれまでに、どんな道筋を歩んでも。逆に言えば、『未来視』が見えていない未来はいくらでも変わる」
アイリスはゆっくりと息を吐き、意識的に呼吸を落ち着かせようとしている。
「……ヤマトくんやお父様たちに伝えたのは、王都が壊滅する未来だった。それでも、ここに住む民が死ぬかどうかは見えていない。だから、できる限り救い出そうとみんながんばってる。そういうふうに伝えた」
翔の視線が細まるが、アイリスの話を止める気はなさそうだった。自らのスキルの詳細を話してくれているのだ。わざわざ止めるようなことではないと考えたのだろう。
アイリスは金色の髪を指で巻きながら、言葉を区切るように、ゆっくりと話す。
「でもね、私、もう一つ見えた未来があるんだ」
「……何を……」
大和は嫌な予感を覚えていた。
――どうして、そんな目をしている。
哀しい、海の底に沈んだような。
暗い絶望を秘めた瞳。
やめろ。
その口を、開くな。
「私は死ぬ。今日、ここで」
言葉を認識できなかった。
どうして、そんなことを言える。
そんな苦笑いで、人の気も知らずに。
「だから、気にしなくていいんだよ。ヤマトくん。あなたが犠牲になる理由はどこにもない。仮に犠牲になっても、どのみち、私は、死ぬ」
大和は信じられないような瞳でアイリスを眺めた。乾いたような笑みが浮かぶ。
今まで何度も『未来視』の効果は見てきた。彼女が予告した未来は一度として覆ることはなかった。
だから。
だからこそ。
アイリスが発した言葉を、信じるわけには、いかない。
「嫌だよ……認めない」
そもそもアイリスが真実を話しているとは限らない。大和を生かすために、本当は見えていない未来を語っている可能性の方が高そうだ。そうでなくてはありえない。
彼女の見透かすような瞳さえなければ。
彼女は嘘をつかないという性格を知ってさえいなければ。
「……ごめん、ね」
「……え、いや。そんなの、だって、意味わかんないし。み、認められるわけない。ぼくが! いったい何のために戦って、何で! ぼくはきみを失いたくないだけだったのに!! ふざけるな! そんなはずはない……!」
好きだから、護りたい。失いたくない。そんな純粋な感情だけが大和の拠り所だった。だって、それ以外のものは、湧き上がる怖さを振り切ってまで戦う理由には決してならないから。
絶叫する大和に、アイリスは言う。
「お願い。立って、みんなのこと、護ってあげて。私が好きな街を、国を、世界を、護って。ヤマトくんに、私からの、最後のわがまま」
まるで、今ここで死ぬと知っているかのように。
アイリスは立て続けに告げる。
「もっと、一緒にいたかった。ヤマトくんのこと、もっと知りたかった。私のことだって、もっといろいろ、知って欲しかった。でも、もう、叶わないんだけど、ね? ……哀しい、ね」
端正な目元から、儚く小さな雫が零れ落ちた。
「ごめん、ね?」
「――ほう。流石だ」
金髪碧眼の美少女がポロポロと涙を落とすのに呼応するように、どこからか不意に声が聴こえた。
否。声が、飛んできたと言うべきか。
「――自分の運命を、よく理解しているらしい」
それはまるで。
死の宣告のようで。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
大和は絶叫する。『光精霊の恩恵』を限界まで行使。夜闇に包まれた周囲を一瞬で昼間に変え、光に照らされた範囲内の動物をすべて感知できるように感覚を鋭敏に研ぎ澄ます。大和の圧倒的な才能は鼠一匹として入る隙を与えなかった。
しかし。
「消えっ……!?」
スキルが一瞬にして完全に消え去る。
刹那、大和は知る由もないが、危険を感じた翔が『霊体化』でアイリスごと姿を消そうとした。
が、それすらも打ち消される。
スキルを無効化するスキル。そんなものが大和の脳裏に過ぎった直後。翔がアイリスを庇うように身を投げる。しかし。その程度の誤差などものともしないとでも言うように。
アイリスの腹部に、大きな風穴が空いた。
大和が抜いた『聖剣』は、誰かを護る武器には成り得なかった。
♢
血の海に沈んでいる少女がいた。その海に飛び込む少年がいた。少年は必死に何かを泣き叫び、子供のように同じ言葉を繰り返していた。対する少女はまるで母親のように少年の頭に手をやり、穏やかな笑みを浮かべる。少年が「死なないで」と、言う。何度も何度も。それだけが、心からの望みだと告げるように。「そうだね」「死にたく、ないなぁ……」と、少女が笑う。
「聖女様なら、きっと……」
「間に合わないよ」
無慈悲な宣告。
首を振るアイリスに、ぎこちない動作で、再び目を向ける大和。「嫌だよ」と首を振った。
「やってみなくちゃ、分からないだろ」
「お願い。私は、少しでも、君と、一緒に……いたいから……」
アイリスの口の端から血が流れる。大和の手を弱々しい力で握った。彼女の穏やかな笑顔の上にぽたぽたと、雨が降る。それは哀しい雨だった。
理不尽への慟哭だった。やがてアイリスもどうしようもない現実に、くしゃりと顔を歪めた。
「私だって、嫌だよ。この……世界を、愛してる。もっと、ずっと、眺めて……たかった。でも、それ以上にね、きみのことが……大好きだったんだよ?」
「ぼくだって、きみが、好きで! 失いたくないから! 本当は戦いなんてしたくないのに!! 頑張って戦った!! なのに、どうして……?」
嘆く大和の唇に、アイリスはそっと口付けた。
えへへ、と彼女は恥ずかしそうにする。
それでも顔色は青いままで。
血の気が引いていく。
命の灯火が、強い風に吹かれる。
「血がついちゃったら、ごめん、ね」
もう目の焦点が合っていない。ぼんやりとしか見えていないのだろう。
彼女は確かめるように、大和の顔を触る。
「これで、私のこと、きっと忘れないでしょ? あなたに……だけは、忘れてほしくないから」
「忘れるもんか……ぼくが好きなのは、ずっと、ずっと、きみだけだから……」
泣きながら大和が言う。
その額を、アイリスがこつん、と突いた。
「だーめ。幸せに、なって、ね? だから、今から……言うこと、は、わがまま、だから、聞かなくても……いいから、ね……?」
もはや声にならない言葉。
大和は慟哭で答えた。
私が愛するこの世界を、あなたが救ってあげて。 ――約束、するよ。
……ありがとう。
……私が初めて好きになった、私だけの勇者さま。
……この世界で一番、大切な人。
♢
そして。
新魔王ルシアと霧崎翔が白崎大和のあからさまな隙に対して動かなかった理由は単純だ。
「せめて、放っておいて、やれよ……」
草薙竜吾。
百年前の英傑。その怪物が、怒涛のような殺気を振りまいてその場に君臨していた。
「何が狙いだ……ふざけやがって」
その眼光が睨む先は、先ほどアイリスを撃ち殺した遠方の敵だ。本当に見えているのかどうかは分からない。少なくともルシアには見えない。それだけの遠距離からの攻撃だ。
王都の外壁の遥か向こう。草原を越えた、山の中腹あたりだろうか。
だが、唐突な襲撃者は気になるが、それを気にしているような余裕はない。
ルシア達はアイリスが殺されようが、それによって動揺した大和なら崩せるだろうと判断していた。
だが、草薙が出現するのは予想外だった。
いきなりの危機。
それでもこのまま撤退するのは惜しい。
何とか突破口を探そうとするが、
「止めとけよ」
冷たい声音。
「新魔王だったか。確かに強ぇな。俺だけなら何とかなるだろうよ。けど、今はこいつもいるからな」
草薙が視線を向けた先に、目を向ける。
瞬間。
ルシアの全身が恐怖に怖気立つ。
「……これが、魔王か?」
草薙の隣に降り立ったのは、ボロ布を身に纏う隻眼に隻腕の男だった。ただし、その身から放たれる威圧は草薙のそれではない。圧倒的な憎悪。無尽蔵の殺意。どす黒い感情に染まりきったそれは、あまりにも簡単にルシアに絶望を抱かせた。
「……へぇ」
「何だ……貴様……!?」
「……魔神の奴が言うより、大したことないな」
「どういう――!?」
「退け」
疑問を口にしようとするルシアに、端的に草薙が告げた。
「さっさと帰るなら手は出さない。お前らに構ってる余裕もねえからな」
ルシアは一瞬で思考を巡らせると、勇者の殺害を諦めて撤退を選択した。流石にこの状況をどうにかするほどの能力はルシアにはない。
霧崎翔はいつの間にか姿を消している。
グライブは『心象結界』がなくなっている以上、すでに逃げているだろう。
ドムとブレットは分からないが――何とか生き残ってくれることを祈る。
(く、そ…………!!)
苦虫を噛み潰したような表情で。
ルシアは翼を大きく羽ばたかせると、王都の外へと飛び去った。
♢
遠くに消えていくルシアを眺めながら、草薙は適当な調子で言う。
「……消えたか。まあ、そのうち周囲の街からの援軍も来る。留まってられるほどの余裕は流石にねえはずだ。必ずここに来た時と同じ、何らかの転移手段で撤退する」
「……根拠は?」
「勘だ」
新城がため息をついた。
草薙は冷めきった様子で、疲れたように頭をかく。ハインケルの娘が死んだ。王都を守ると請け負っておきながら、あまりにもあっさりと。守るべき者を殺してしまった。
「……アイリスを殺した襲撃者を、情報を吐かせたうえで殺す。止めるなよ」
「……止める理由はない」
殺意を持って草薙が告げた。
新城は瓦礫に腰を落ち着けると、目も合わせずに返答した。
♢
王都フローゼが豆粒のように見える。
それほどまでに遠方の山脈の中腹で、白髪を生やした中年の男が愉快そうに呟いた。
「殺気がこんなところにまで来ている。相当の実力者であろうな」
『ほーう? 勇者ではないのデスね?』
返答する声は、男が左手に持っている精密機械からのものだ。携帯電話。現代の地球でしか扱えないはずのそれは、何故か、当然のように本来の役割を果たしていた。
「うむ。勇者からの威圧とはまた別のものだ。こちらはあれほど洗練されていない。ただ哀しさと憎悪を撒き散らしているだけなのである」
『まーあ、愛する少女を殺されたのデスからね』
「逆に、あれほどまでに脆い少年が私を遥かに上回る力を持っているという事実が、何よりも怖い」
男は一度言葉を切ると、無言のまま隣に佇む女性に向けて声をかけた。
「お前は、そうは思わないのであるか?」
「……」
黒髪のショートカット。凛々しい顔立ちをしていて、真紅のローブを羽織るその女性は、その色合いとは裏腹に、顔を真っ青にしていた。
蒼井舞花。
魔王軍の不死魔王派に属する彼女は、信じられないとでも言いたげに自らの手を見つめ、その行いに恐怖している。
「ふむ。まあ気にすることはない。何せお前の意思でやったことではないのである」
『いーや、いや。木暮クン、そんな説明で納得できるような人間はなーかなかいないと思うのデス』
木暮と呼ばれた中年の男は腕を組み、「そうなのか……?」と不思議そうに首を傾げた。
舞花の持つ固有スキルは『千里眼』。
その力は名前通りに恐ろしい代物だ。
それが、『射撃補正』の魔導刻印を持つ魔弓グラムドルードと組み合わさると、どうなるのか。
千里を見通す、恐怖の狙撃手の完成だ。
そんな彼女の右手には、緑色に淡く光る刻印が刻まれている。一般的な奴隷の証にも似ていて、だが、確実に異なるものだ。
なぜなら固有スキルによるものなのだから。
それは彼女がアイリスを撃った。否。撃つことを強いられた理由である。
「ああ。何で喋らないのかと思っていたが、そういえば鷹山に禁じられていたのであるか。済まぬな」
木暮がふと思い出したように言うと、ギロリ、と今にも人を殺せそうなほどに鋭利な眼光が、舞花から放たれる。
『ところで本来の目的の方は達成したのデスか?』
「ふむ。鷹山が手勢を手分けして探しているはずであるが、確かに些か以上に遅いのである」
そんな言葉を放った直後の出来事だった。
近くで轟音が鳴り響き、少し離れた空には光魔法が展開されていた。
「噂をすれば何とやら、か」
『ほーう、はやく向かった方がいいのではないデスか? 鷹山は大して強くないデスし』
「少しぐらい放っておいても構わん。どうせお得意の話術でなんとかするであろう」
適当な調子で電話越しの声に応える。
木暮は舞花の殺気など、意にも介さなかった。
♢
建物がいくつも崩壊し、激戦の跡が窺える街中でなお、戦闘は収まる気配を見せなかった。
ブレットは気炎万条、咆哮を上げる。お互いに交差するように爪で攻撃をする『神獣化』したレーナとウルフェンの攻撃を辛うじて捌きながら、ミレーユとリリスへの警戒も忘れない。
魔法の前兆を感じ取り、いち早く安全な場所へと避難する。その感覚は本能的なものだ。夜も深まり、灯りはすべて消滅している。そんな中で遠距離の敵を把握するのは困難だ。一歩間違えれば死ぬ。そんな状況でなお、ブレットの意気は衰えてなどいなかった。
兄のドムが抗戦を決めた。その理由は、頭の悪いブレットには実際のところ、よく分からない。
だが、ドムの行動は常にブレットの目的のためにあるものだとブレットは知っている。
だから何も尋ねない。細かい理屈なんてどうだって構わない。理由なんて、ドムが立ち上がった。
ただ、それだけで十分だ。
夜闇を刹那的に照らす閃光が、ブレットの傷だらけの体を晒す。
どれだけの精神力があったとしても、確かに限界というものは存在する。
端的に言えば。
もはや倒れるのは時間の問題だった。
♢
ぽつぽつ、と。
冷たい、雨が降り始めた。
倒壊した建物がひしめきあい、瓦礫に埋め尽くされ、ひどく荒れた王都の一角。
運が良かったのか五体満足でいる家屋の屋上には、涙を枯らした少年が立ち尽くしていた。
彼の目の前には、華が咲いていた。
絶望の華だった。
真っ赤に広がる花弁には水滴が滲み、ゆっくりと、洗い落とされていく。まるで生きていた証を消し去るかのように。
"光の勇者"。そう持て囃され、しかし名前も知らない民衆を護るために戦う覚悟などなかった。
だから、大切にしたいと想った一人の少女だけは、必ず護り抜くと誓っていた。そのためならどんな敵も斬り伏せよう、と。
たとえ、この命と引き換えにしても。
「……」
その誓いは、何の意味もなかったけれど。
護りたいと想った少女すら護りきれない。そんな腐りきった人間は勇者どころか男ですらない。
ただ。
そんな己が腐り切った欠陥品だと自覚したのだとしても。
許せないことは、確かに存在していた。
「――殺してやる」
哀しみを怒りで誤魔化すかのように。
白崎大和はぎこちない動作で立ち上がる。
口元は半笑いを浮かべていた。
大和の近くには、灰色の髪をした隻腕の男が瓦礫の上に腰掛けていたが、自らを観察するようなその視線にも興味はなかった。
千里を越えて、大和の本能が敵を捉える。
姿など見えてはいない。魔力を感じたわけでもない。ただ、「いるな」と、理解する。まるで獣のような嗅覚が、いつの間にか芽生えたかのように。
「――光よ」
『光精霊の恩恵』が大和の道筋を照らす。夜闇を切り裂き、進むべき道を提示した。
絶望の勇者は駆ける。
この身が燃やすどす黒い憎悪に身を任せ、すべてを奪い去った敵を殺すために。
♢
雨が降り始め、木の隙間から水滴が零れ落ちてくる暗い森林にて、一人の悪魔が包囲されていた。
その囲いを作っている集団のリーダーと思われる人物が、軽薄そうな調子で声を上げる。
「ちーっス。無事に見つかって何よりッス」
茶髪に赤のメッシュ。あからさまに染めたと分かる色に、髪の片側をツーブロック。耳には趣味の悪いピアスがつけられていて、意外と整った顔立ちには、伊達メガネがかけられていた。
黒のジャケットに白のチノパン。
顔のイメージに反してファッションは意外とシンプルな構成で、小洒落たというよりは単純に格好良い印象を引き立てていた。
彼が一歩近づくと、辺りを囲む人々もつられたように包囲を狭める。
上位悪魔の青年に庇われる吉野楓は、そのさまを見て、ただ不安そうに縮こまっていた。
「んー? そのちっちゃい子が転移スキル持ちでいいんスかね?」
「おそらく、そうだと思われます。というか確かめればいいのでは」
「やー。このスキル、転移者相手でも情報を盗めるのはいいんスけど、意外と魔力減るんスよねー」
軽薄そうな青年は適当にベラベラと話しながら楓の方を注視する。どこか不快な感覚があった。
楓は上位悪魔の後ろに隠れ、粘ついた視線から逃れようとする。
「……げ、博士め。想定されてたのとちょっと違うんスけど。この内容だと、楓ちゃんが共和国に行った経験がない限り、帰還は不可能ってとこっスかね」
なぜ名前を知っているのか。楓はさらに恐怖を覚えた。軽薄そうな青年は肩をすくめる。
「どうするんですか? ご主人様」
包囲している一人が、青年に尋ねる。呼び方からすると、彼の奴隷だろうか。
「どうするも何も――木暮さん来なきゃどうしようもなくないっスか?」
「呼ぶにしても、合図ぐらいないと来れるわけないでしょう?」
「なるほど頭良いッスね。流石はオレっちの奴隷」
「いえ、そんな。ご主人様が馬鹿なだけですよ」
「ええ、ひどくない!? オレっち一応は主人だよね!?」
「はやくしろよ」
己が所有している奴隷に舌打ちされ、軽薄そうな青年は不平を垂れながらも他の奴隷と思われる少女に指示をした。すると、その少女が上空に魔法を打ち上げる。
光魔法。おそらくは木暮という仲間に居場所を知らせるためのもの。
それはつまり、上位悪魔である楓の護衛を、倒す自信がないということだろうか。
同じ思考に至ったのか、楓を護る名前も知らない上位悪魔の青年は、静かに殺気を漲らせる。
「やめといた方がいいっスよ、ランドルフさん」
「なぜ俺の名前を……!?」
「『鑑定』。転移者が仲間にいるなら、話ぐらいは知ってるんじゃないッスか? ま、オレっちが持ってるのは強化版ッスけどね」
楓は首を傾げる。そういえばそんなスキルも持っていたような気はするが、使い方が分からない。
無理やりに使わされる『次元移動』の感覚しか楓は理解していなかった。そして、それだけが自分の存在価値だと、哀しいことに楓は理解してしまっていた。
ランドルフと呼ばれた上位悪魔は、楓の方を見もせずに「逃げるぞ」と告げた。
対する青年は話を戻すように、
「確かにアンタならオレっちの奴隷の包囲ぐらいなら突破できるかもしれないッスけどね。結局、受ける被害が増すだけッスよ――てか、もう来ちゃったみたい」
「何だ、鷹山。まだ殺されてなかったのか」
「そんな一瞬で死ぬほど弱くないっスよ!?」
驚いたように声を上げる軽薄そうな青年の名は鷹山というらしい。
そして暗闇の奥から現れたのは白髪の中年男性。あれが木暮と呼ばれている男だろうか。
「ふむ。アレであるか?」
「そうッス。ただちょっと、オレっち達が考えてたのとはちょっと違うッスけど……」
「ほう。どういうことだ?」
「要約すると、あの子が行ったことのある場所じゃないと転移できないスキルッスね」
「ふむ。そのぐらいの差異なら問題ないであろう」
木暮は鷹山に対して結論づけると、楓の方を指差して淡々と告げる。
「端的に言おう。その少女を差し出せ。別に命は取らない。利用させてもらうだけだ」
「……」
♢
上位悪魔のランドルフは対応を決めかねていた。楓から恐怖から縋るように見上げるが、冷たい視線で返す。
そもそもランドルフは楓に対して良い感情を抱いていない。ただ、その有用性は理解している。そして楓が新魔王たちが帰還する手段にそのまま繋がっていると分かっている。
だが、目の前の連中に対して不気味さを感じているのも確かだった。
転移者は油断ならない。そしてこんな場面で出てくるあたり、魔王軍の情報はある程度漏れている。
(キリサキが情報を横流しにでもしたか……?)
そしてランドルフはグライブやドム、ブレットの双子ほどルシアに対して忠誠心があるわけでもなかった。ただ自分を重用してくれるから、従っているだけ。その理想にはある程度共感するところがあるものの、実現するとは考えていなかった。
要するに。
ここで死ぬぐらいなら、新魔王たちが帰還する手段を失おうが、ランドルフは逃げを選ぶ。
どちらが得か。リスクを計算しろ。ランドルフはひどく冷徹に思考を回し、楓の喉に手をかけた。
「ひっ……!?」
そんな恐怖の声もランドルフは意に介さない。子供とはいえ相手は人間だ。
容赦するつもりもなかった。
「コレが欲しいのなら――」
「ふむ」
言葉を最後まで言い切ることもできずに。
ランドルフは木暮がゆっくりと手を上げたことに気づき――その意味を理解することもなく、一瞬のうちに絶命した。
「愚かな。どのみち博士の実験体――山城の計画にとって不確定要素であるお前たち魔王軍は、この場から排除するつもりだったというのに」
そんな言葉を、死体にかけられた。
♢
疾走する影があった。
王都から、吉野楓たちを潜伏させた遠くの山脈まで。夜の草原を足音すら立てずに駆けていく。
霧崎翔。
アイリスを撃ち殺した射手があの場所にいる理由は不明だが、楓の身に危険が生じているかもしれない以上、放っておくわけにはいかない。
よって翔はルシア達を放置して楓のもとへ向かっている。魔王城に帰還するためには、どのみち楓の能力が必要だ。だからこそ、この行動は背信などとは判断されないだろう。
「嫌な、予感がする……」
ぽつり、と。
呟かれた声は、激しい雨音にかき消されていく。
♢
絶望の慟哭。
それは確かに、近隣で戦闘を繰り広げていた神谷士道の耳にも届いていた。
アイリス・ミラーリンが死んだ。
だから、白崎大和が雲に覆われた空に向けて、嘆きの声を上げているのだ。
アイリスと士道との関わりなんてないに等しい。
だが。
『……見つけた!』
『お願いがあるんだ』
確かに、会話を交わしていた。
顔を知っている少女だった。
そんな人間に死んでほしくはない。
護りたいと、思っていた。
「ちく、しょう……!!」
士道に嘆く暇は与えられない。傷だらけのドムが死力を尽くして殴りかかってくる。
「お前らが、捕まえたりなんかしなければ……!!」
士道の心に黒い感情がちらついた。
そして士道のその言葉に対して、荒い息を吐きながら、ドムは言う。
「ああ」
謝罪をする気はないと、告げるように。
「その通りだ」
「……ッ!! お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
士道は刹那、怒りで我を忘れた。
己の中で、揺らぐ意思を誤魔化すように。見失いそうな信念を無視するように。
『魔眼』。次々と展開される幻影。夜闇の中で本体との違いを把握することは極めて困難。怪しく光る赤い目の数々にドムがつられる。
その。
真上。
人体の死角と呼ばれた頭上。
『風の靴』で飛翔していた士道は、静かに引き金を引き、『魔銃』による青白い光線が硬い悪魔の皮膚をものともせずにドムの脳天を貫いた。
「ルシア、様」
歴戦の上位悪魔が、地面に倒れる。
士道の前で覚悟を見せつけた男が、絶命する。
「……貴方の、理、想……が叶う、俺は、その未……来を、一緒、に……見た、かった」
命の灯火が消え去る。
いくら元々死に体だったとはいえ。
あっさりと。
こんなにも、あっさりと。
「……」
士道の怒りは刹那的なものだった。
ただ目を見開き、その終わりを見届ける。
「ちく、しょう……」
地面に降り立った士道は、ただ拳を握り締める。
ざあざあと降りしきる雨は激しさを増していた。
その冷たさは、士道の心を切り裂いていくように感じていた。




