第18話 「血の海から、這い上がる者」
「ずっと一緒にいてあげられなくて、ごめんね」
死に際に母親が残した言葉だ。
今でも育ててくれた事実を。あの優しそうな瞳を。怒り、導いてくれたことを。それに対する感謝を。決して忘れてはいない。この先、何十年の時間を過ごしても、忘れることはないだろう。
かつての記憶。百年と少し前。勇者の召喚により魔王軍が徐々に追い詰められ始めた頃だった。
ドム・クライン。
ブレット・クライン。
二人は双子だった。
両親を失くして孤児になり、施設に保護された。そこが孤児であるなら無償で受け入れてくる優しい場所ではなく、単にドムとブレットが上位悪魔で優秀な魔力量を保持していたから、利用価値を認められただけなのだと知ったのは後のことだ。
別にそれはいい。感謝はしている。たとえ自分らの代わりに見捨てられた子供がいようとも、その選択があるからこそ二人は今ここにいるのだと。
二人はただ周囲の状況に流されるままに、体を鍛え、魔力の扱いを学び、魔法を習った。
魔法の才能は無かったが、やはり上位悪魔なだけはあるのか、近接戦闘に光るものがあった。
戦争は佳境を迎えていた。だから、ある程度の実力があると見なされた二人は簡単に戦場に放り出された。戦う理由など何もない。ただ、言われたことをこなし続ける。
人間の悲鳴が、嫌に耳に残った。大切な者への叫びが、どうしようもなく心に響いた。
結局、悪魔も人間も、根本では何も変わらない。そんなこと、戦っている者は誰だって気づいていた。
人間に対する恨みは、確かにある。
だが、同様に悪魔に対しての恨みもある。
母親が死んだ理由は戦争により父親が死に、収入がなくなり、生活が困窮して体を悪くしたから。
頭の良いドムはそんな程度の事案、この戦乱の中ではたくさんあると理解していて、それでも当人たちにとっては納得できないことだとも思っていた。
頭の悪いブレットは、ただ母親に戻ってきてほしいと、そのまま平和な暮らしがしたいと思っているようだった。
要するに、ドムとブレットが最も恨んでいたのは、人間などではなく。
戦争そのものだった。
♢
ドムの危機感が警鐘を鳴らしていた。
アイリスを霧崎翔が奪い去り、目的を達成したドムとブレットは撤退するか思案していたのだが、その理由はリリス・カートレットにある。新たな魔王の器である彼女は、いずれ回収しなければならない。気は進まないが、これは不死魔王派の意向だ。無下にはできない。とはいえやる気は起きない。
この場での目的を果たしたとはいえ一応、可能なら回収したいと考えていたわけだが――ミレーユ・マーシャルと神谷士道が駆けつけてから、そんな余裕のある思考は吹き飛んだ。
選べる選択肢は撤退のみ。
「ブレット」
「兄貴」
双子の弟のブレットは、おそらくドムほど理屈を考えていないだろうが、本能的に危険だと感じてはいるはずだ。
こんなところで死んでやるわけにはいかない。
何としても逃げ切ってみせる。
「逃がすと、思うか?」
黒衣の奇術師が淡々とした口調で言う。その冷たい氷のような威圧感に気圧され、冷や汗が流れた。
「……言っておくぞ。逃げるなら殺す。戦っても殺す。投降するなら、命は取らない」
「悪いが」
「投降する気、ない」
ドムに続いてブレットが端的に告げる。
相対する士道は僅かに息を吐くと、憂いが見え隠れする瞳を向けながら、
「……残念だ」
そんな呟きをした。
地獄からの呼び声のように聞こえた。
直後。
ドムの目の前。
眼を悪魔のように紅く煌めかせる士道が刀を上段に振りかぶっていた。
(一瞬で――!?)
ドムは動揺しながらも対応はスムーズ。腕を交差して、剣が直撃すると想定した箇所の魔力を高密度にして鋼のように硬くする。
反射的な行動の直後、考える暇もなく士道の剣が振り下ろされ――それは見事な空振りをした。
同時に。
ドムの腹部に、灼熱の痛みが走り抜けた。
(な、に……!?)
まさか眼前の士道は幻術か。思考が追いつかない。確実に直撃するコースだったのに空振った以上、目の前の個体は本体ではない。
そしてこの腹部の痛み。軌道を考えると士道の幻影を貫通してドムを襲った。
だから反応ができなかった。思わず腹に目をやると、光線に焼かれて貫通している。
士道の幻影が空気に溶けて消えていくと同時、その向こうに拳銃を向ける士道が視線を向けていた。
あれが本体か。
ドムがそう考えた直後の出来事だった。
圧倒的に嫌な予感を覚えて、咄嗟に体を右に投げると――背中に激痛が走り抜けた。
「……逃したか」
小さな一言。攻撃が直撃した以上、この個体が本体のはずだ。だが解せない。先ほどの光線だって同じように直撃した。軌道を考えると先ほど銃を構えていた幻影の位置にいなくてはおかしい。
どれだけ速くとも背後に回り込めるような時間はない上に、そんな激しい動きをしていれば確実にドムは気づくはずだ。
ならば答えは単純。
士道は幻影を見せるスキルだけではなく一瞬で移動できるスキルも併せ持っている。
ドムの思考がこんな単純なことに追いつかなかった理由は簡単だ。初手、士道は瞬間的に移動したように見せかけて幻影術を使った。
だから士道が持つスキルは瞬間移動ではない。そうドムは判断した。それこそが罠。士道は意図的にドムの認識を誤らせたのだ。
これが奇術師。戦術の妙。恐ろしい。
ドムの体が戦慄で怖気立つ。激痛に意識が引き裂かれそうになるのを何とか堪えつつ、素早く周囲に視線を走らせると、ブレットがミレーユ、レーナ、リリス、ウルフェンに包囲され、追い詰められているのが見えた。
それが意味するのは、ドムという歴戦の上位悪魔は、士道一人で十分だと判断されたということ。
「舐める、な……ッ!!」
咆哮。対する士道は自然体。風魔法を発動し、四方に"風槍"を散らす。その意味のない行動を測りかねてドムが眉をひそめると、その思考の隙に潜り込むように、静かに士道は拳銃の引き金を引いていた。あまりにも自然で、反応が遅れる。咄嗟に体を崩して躱すと、士道が視界から外れる。
慌てて目を走らせると、士道は横から回り込むように疾走してきていた。拳銃はホルスターに収め、剣を抜いている。
だが、ドムが気づいた瞬間に士道は足を止め、中段に構えた。距離は十メートル。
剣の間合いではない。
だからこそ理解が追いつかなかった。
中段に構えていた士道の剣が、そのまま真っ直ぐにドムのもとまで何メートルも伸びてきた。
ドスッ!! と、ドムの腹部が更に貫かれる。そのまま捻られた。地獄のような痛みが走り抜け、濁流のように血が流れ出る。
意味不明。理解不能。手札が多すぎる。常識の外からの攻撃が当たり前。対策を講じるなど不可能だ。それは星の数すべてに目を向けることに等しい。
ドムは地面に倒れた。意識が霞む。湖の奥深くに沈むように、ドムの思考が落ちていく。
ここで終わりなのか。
『俺様と共に来い』
――声が、聴こえた。
『戦争は嫌いだ。だから俺様が、俺様たちが終わらせる。必ずだ』
――途方に暮れ、流されるがままだったドムとブレットを導いた者の声が。
『平和な世界に、悪魔の居場所を作ると決めた……悪魔と人間が平等に、みんな、全員! 笑えるような未来を!! 絶対に、創るんだ。だから俺様は、魔王になる』
――当時はまだ小さな悪魔の。
『俺様は弱い。だから、力を貸してくれ!!』
――世界にも響く雄叫びが。
「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
立てよ。
まだ、戦える。
まだ終わりではない。あの男が創る未来の礎になることは覚悟している。だが、その先を見たいという衝動が消えるわけではない。
見たい未来がある。
叶えたい願いがある。
ならば大人しく死んでやる理由がどこにある?
無様に負けてやる理由がどこにある?
「死な、ねえぞ……!!」
ゆらり、と。
血の海から、一人の男が這い上がる。
♢
――その男は弱かった。
まるで戦闘の才能がない下位悪魔で、それでも魔王になるのだと、皆の上に立ち、平和な暮らしを作るのだと叫び続けていた。
自分を強く見せるために『俺様』という一人称を使い、悪魔社会で昇っていくために、罪のない人を犠牲するとき、これは必要なことだと割り切ることもできずに。
当時はもう青年だったドムとブレットが、最初は馬鹿にしていた少年だった。
現実が見えていない。それでも愚直に剣を振り努力を積み重ねる姿を何度も見てしまっては、嫌いになることもできない。
それからまた十年が経過して――ルシアは、ドムを倒した。『再生』の固有スキルをフルに活用して、荒い息を吐きながら。
『再生』のスキルがあれだけ早くルシアを修復するようになるまで、いったい何度ルシアは傷を負ったのだろうか。
想像もできない。
そんな地獄を当たり前のようにこなしていたらしいルシアは、倒したドムに向かって、端的にこう言ったのだ。
『俺様が、世界を変えてやる。――何度だって、叫び続ける』
それが王の器。
ドムとブレットは即座に、臣下の礼を取った。
これが、始まりだった。
♢
神谷士道は顔を歪めていた。
「知ってるか、ハズレ術師」
なぜ、立てる?
明らかに意識を保っていられるような血の量ではないはずだ。
サングラスをかけた、ガタイの良い上位悪魔。けして背は高くない。浅黒い肌に簡素な服を身に纏い、それを血に染めて、男は立ち上がる。
ドムは筋肉で血を押さえつけると、話を始めた。
「……勇者ってのは、悪魔に対するカウンターだ」
「それが、どうした?」
「それが悪魔が悪魔たる由来。悪魔は『悪』と定義される」
「……?」
「勇者が神力を宿している。それは女神から分け与えられたもの。なら、それが及ぼしている効果は何か? ……答えは単純だ」
「……」
「悪魔を討ち滅ぼすという意志。その精神感応。この意味が、理解できるか?」
何が言いたいのか。
何となく、士道にも理解が及んできた。
「勇者が存在する限り、人間は悪魔への迫害をけしてやめることはないってことだ」
「そんな……何を根拠に」
「初代勇者の頃からその疑いはあった。だから以前に調べたことがある。ライン王国の勇者ジンを捉えてな。『分身』だったようだが」
あの迅を『分身』とはいえ捉えたのか。
いや、それより。
「だからオレたちは戦っている。戦争なんて何よりも嫌だ。けど!! 勇者五人を確実に殺さない限り、人間と悪魔が平和に暮らせるような未来なんて、決して見ることはできないから!!」
言葉には覚悟があった。
本当は、戦いたくなんてない。それでも悪魔が迫害されるだけの未来なんて許容できないから。
平和で、楽しく、いろんな種族が、平等に暮らせる世界を創りたいから。
「……新魔王。ルシア様は、オレたちを導いてくれる。そういう未来を創ると約束をした」
「……ッ!! それを、俺に言ってどうするつもりだ!?」
「これはオレなりの覚悟の証だ。撤退の考えはもう捨てた。ルシア様のために、お前を討つ。ブレットだって同じ考えだろう。何せ、お前らは危険だ」
どこまでも愚直に。
その真っ直ぐな眼光を、サングラスの下に隠しながら。
「ここで仕留める。この命を引き換えにしても」
圧倒しているはずの士道は、揺らいでいた。
ジャンル編成の変更の影響で、一瞬だけ日間ランキングに乗りました(笑)
久々で嬉しかったですね!




