第17話 「ぼくは、勇者じゃない」
草薙竜吾と新城蓮の二人組は、数々の意匠を凝らされた物品が端に置かれている広間の奥――古臭い紋章が描かれた、重厚感のある扉の前に立っていた。
「……ここか」
低い声で、新城は呟く。
身に纏う服は相変わらず擦り切れていて、今にも破れ落ちそうだ。新城としてはひどく興味がないのだが、草薙は何か言いたげに眉をひそめている。
「……何だ?」
「んーまぁ押し掛けたとはいえ今から一国の王様に会うんだから、もうちょっとまともな服ねえのかなぁと思ってな……」
「……オレはただの付き添いだ。嫌なら、ここで待っているが?」
「じゃ、それで頼んだ。まあ俺の個人的な用事に突き合わせてるだけだからな。済まねぇ」
「……兵が来たら?」
「できるだけ殺してくれるなよ。まあ別に無理にやれとは言わねぇが」
旅人風の服装を纏う草薙は気楽そうに言うと、よたよたとした足取りで扉を開き、その奥へと入っていく。その情けない後ろ姿は、とても実戦慣れした剣士だとは思えない。
「……はぁ」
新城は嘆息した。
もしかすると仲間にする男を間違えたかもしれない。戦闘時はともかく、それ以外の場面ではいろいろと間抜けすぎる。
「……何なんだあの男は」
呟くと、ドタドタとした足音が響いてきた。確認するまでもなく兵士たちだろう。魔王軍の相手で忙しいだろうに、よく手が回るものである。
草薙が入っていったのが、ミラ王国の本拠たる王城――その玉座の間ともなれば当然ではあるが。
「……ゴブリンの大群でも置いておくか。死ぬことはないだろう」
新城は適当に呟き、召喚師特有の術式である"使役召喚"を発動。ゴブリンを大量に生み出し、兵士たちの方に向かって走らせた。
草薙が王と何らかの話をつけるまで新城は兵を足止めする。それがこの状況の理由だった。
草薙の捜しているもの。
その点に深く関わると言っていたが――。
「……気にすることでも、ないな」
新城は適当に呟き、白い柱に背中を預けた。
♢
「よぉ。久しぶりだな」
草薙は面倒臭そうな調子で軽く手を上げた。
扉から続く真紅の絨毯は、いくつかの階段を経て、金と赤に彩られた玉座へと繋がっている。
その肘掛けに頬杖をついて座り込んでいる老人は、「どいつもこいつも……」と言いながら眉間を指で抑えた。
「マリアンにしろアイリスにしろお前にしろ、もう少し王に対する態度というものをだな……」
「威厳が足りねえんじゃねえか?」
「うるさい! 言われんでもわかっとるわい!」
「分かってるのか……」と気の毒そうな瞳をしながら草薙が苦笑いを浮かべると、国王――ハインケル・ミラーリンは魂が抜けたように嘆息した。
彼は気を取り直したように草薙に目を向けると、
「……英雄クサナギ、か」
改めて呟いた。
百年経っても姿形が変わっていない旧知の人物が現れたというのに、意外と驚かないものである。
流石は国王というべきか。
「ああ。百年ぶりだな」
「……人間がいまだに生きてるとはな……どういうからくりだ?」
「アンタも勇者から聞いてるだろ。女神による異世界転移に巻き込まれたのさ。その際にどうやって百年の時を越えたのかは知らんが」
「……なるほど。ミラ様の仕業か」
とは言うものの流石に女神が時間操作まで可能だとは草薙も考えていない。
あの女はそこまで万能ではないはずだ。
草薙はおそらく、地球とこの世界では時間の流れが異なるのだと推測している。
その関係を上手く利用したのではないか。
「まあ今はどうでもいいか。それにしてもアンタ全然変わらねえな」
「フン、貴様に比べれば少しは変わっとるわい」
「長命な龍族の血が半分入ってるって聞いてたし、多分死んじゃいねえだろうなとは思ってたが……生きてて何よりだ」
眼前の老人は薄い白髪やくたびれた顔立ちに似合わぬ強烈な眼光を放っている。
とはいえ人間と異なる点もあまり見当たらない。
龍族は人間と異なるのは、第一に鱗だ。異様に硬く、普段は人間の肌に擬態させることができる。
第二に、神聖なる龍種に変身できる。魔力や攻撃力が遥かに増加するが、本能に任せた行動が多くなるという欠点がある。
第三に、人族より長命である。人族が八十歳がせいぜいだとすれば、龍族は二百歳ぐらいは余裕で生きることができる。
今代の王は人族と龍族のハーフなので、前述の相違点が半分ほど残っているぐらいだろう。
「それで……何の用だ? わしが忙しいことぐらいはわかっているだろうに」
「いや、ちょっと聞きたいことがあってな。その答えさえ教えてもらえば、俺も魔王軍退治に協力してやるよ」
「……ほう。それは、扉の向こうにいるあの化け物も共にか?」
ハインケルが目を細めると、草薙は驚いたように息を吐いた。
「気づいてたのか。そうだな、ならアイツにも協力させよう。これでいいのか?」
「うむ。正直なところ各地から援軍が届くまでかなりの時間がかかるし、下手すれば持たないと思っていたのだが……これで安心だな」
「それで――」
「――ラスティ、だろう」
話を進めようとする草薙の機先を制するようにハインケルは言った。
草薙の呼吸が止まる。かつての記憶が焦燥を呼び起こす。
百年越しの再会を求めて。
だが、それが叶わぬものであったとしたら、おそらく草薙のせいだ。
思わず歯噛みする。なぜか少し心細かった。
こんなときララがいてくれたら――と、ここ数ヶ月で、草薙の中で存在が大きくなっていた少女のことがふと脳裏を掠めた。
「安心しろ。生きているよ」
草薙はその言葉に安堵する。
「何しろ。最後の吸血鬼だ。純血――真祖はそう簡単には死なん。それはお前も知っているだろう」
「な、なら、あいつは、今どこに?」
慌てすぎてつっかえるような調子だった。
その情けない草薙の様子に、ハインケルは思わず吹き出す。
「帝国だよ。『序列持ち』だから、帝都に住んでいるはずだ」
「ラスティが、帝国の『序列持ち』……!?」
「ああ。お前からすれば彼女は今でも、か弱い護るべき者という印象なんだろうが――わしらにとっては、もはや逆だわい」
「それは……想像できねえな」
「彼女は、二十年ほど前にこの地を去った」
「……アンタが、許したのか?」
「わしは、世界を救うために奔走した英雄の『義理の娘』を、この国に縛るようなことはしたくなかったのでな。自由にさせたよ」
思わぬ持ち上げに、草薙は口を噤む。
それこそが、百年越しの草薙の捜し物。
義理とはいえ、出会い、育てた、娘と呼べる存在に会いたい。それだけの願い。
草薙は先ほどまでの慌てぶりを誤魔化すように首を掻きながら、
「アイツは……大きくなってたか?」
そんなことを尋ねた。
その言葉にハインケルは目を見開くと、大きく笑いながら告げる。
「そいつは自分の目で確かめると良い。ヴァリス帝国序列第三位『銀嶺』。それがあの娘の異名じゃ」
♢
レーナ・ランズウィックの戦意は高揚していた。
相対するはドムとブレット。
二人の上位悪魔。
レーナは確かに実力的に急成長を遂げたが、切り札の『神獣化』を行使しない限りはあまり役に立つことはできないだろう。
アイリスを抱えている以上、下手に獣の姿になるわけにもいかない。
それでも、ウルフェンとリリスの合流により戦いが成立していることが、レーナの心に力強い影響を与えていた。
「いける……!」
ドムとブレット。共にサングラスをかけた奇抜なファッションの双子。彼らの強さの根本がコンビネーションであると見抜いたレーナはリリスの『魔光線』を利用して強引に二人を分断した。
ドムの方にリリス。
ブレットの方にアイリスを抱えたレーナとウルフェン。
二人は分断されてから積極的な攻勢は見せなかった。ただウルフェンの攻撃を弾き、リリスの光線を回避することのみに終止している。
「……兄貴」
「ああ」
ドムとブレットが静かに言葉を交わし合う。
流石に、常にあのラッパーのようなテンションでいるわけではないらしい。だが、何を考えているのか。実戦経験は向こうのほうが上。
油断するわけにはいかない。
ウルフェンが咆哮をあげて突撃していく。
レーナはいつでも介入できるようにそれを眺めていた。
「お前」
「まだ気づかないのか?」
悪魔二人が口々に言う。
その視線の先はレーナだ。
眉をひそめていると、ウルフェンの攻撃を弾いたブレットがゆっくりとレーナの体を指差した。
「お前はいったい」
「誰を守っていたつもりなんだ?」
「え……?」
空気が。
凍りついた。
『何もない』感覚に今更のように気づきながらも、おそるおそるレーナが自分の手元に目を向けると――そこに、すでにアイリスはいなかった。
「どこへ――!?」
そこまでの隙を見せたはずはない。
近づかれたら必ず気づくはずだ。悪魔二人はただ戦っていただけのようにしか見えない。
いったい、誰がどうやって――。
「……悪いけど」
真後ろから、声。
「この子、もらっていくから」
考える余裕もなく振り向き、声の主の首をかき切るように鉤爪を振るう。
だが、その瞬間にアイリスを抱えた男は空気中に溶けていくように姿を消した。
逃げられた。
レーナは呆然と膝を落とす。
完全に見失い、匂いも感じ取れない。
だが一瞬だけ顔は見た。
霧崎翔。
幾度も戦場で顔を合わせた、士道の敵。
まんまとしてやられたわけだ。
ドムとブレットが、途中から防御に徹していた意味をようやく理解する。
悔しさで歯を噛み締めた。
「悲しんでる暇は」
「あたえないぜ」
「レーナ!! 気を付けて!!」
リリスの叫びに呼応して、レーナは反射的に飛び退る。先ほどまで立っていた家屋をブレットの拳が容易く粉砕した。
そうだ。落ち込んでいる余裕はない。
反省は後回しで、今はできることをしなければ。
この二人を倒す。
一刻も早く。
「……『神獣化』」
レーナは、アイリスを抱えていたときは使えなかった全力を発揮することにした。
♢
夜闇に月が煌々と輝く。
月光に照らされ、陰影が象られる。幾度も影と影が交差し、金属音が鳴り響く。
新魔王ルシアは冷静だった。
"光の勇者"白崎大和の実力は予想を遥かに上回るものであり、もし『再生』の固有スキルを抱えていなければ、時間稼ぎすらできないはずだ。
それだけの実力者。
世界でも五指に入ると確信できるほどの腕。
レベルは大して高くない。動きそのものには大したパワーもスピードも感じられないからだ。
ただ、異常なまでに反応が早い。
そして本能に身を任せた行動が、全く予測できないタイミングからルシアを攻撃してくる。
こちらが動揺すれば、必ずその隙を突くように懐に潜り込んでくる。
そして時間をかければ、ルシアの攻撃パターンに対する完璧な対処法を導き出してくる。
戦闘の才能。
その、究極の形。
「……ああああああああああああああああああ!!」
大和は焦っている。少しでも早くアイリスのもとに向かいたいから。雄叫びを上げ、怒りに身を任せながら次々と『聖剣』を振り回す。
その鋒が、怒りを顕にして尚、少し震えていることにルシアは気づいていた。
「……哀れだな」
だから。
その攻撃に体を削られ、魔力を消費して再生しながらも、ルシアは同情の瞳で大和を見つめた。
「戦うことが勇者の宿命。貴様はそれに選ばれた」
「……なにが、言いたい?」
「本当は、戦いたくなんてないのに」
「……ッ!!」
「戦うことを強制される。それが悪意によるものなら反発もできた。だが、勇者の道は善意によって塗り固められたものだ。誰もが貴様を信じてる。貴様が救ってくれると思っている。そんな状況で、優しい貴様は『戦いたくない』などと弱音を吐くことはできない」
大和の攻撃の手が止まった。
彼の手の震えが大きくなる。荒い息が調節できなくなる。
戦闘の才能があるからといって、精神が強いとは限らない。
「失望されるぐらいなら我慢できる。だが、肩にかけられたのは国の命運だ。彼らと関わる中で、貴様は知ってしまった。彼らの人となりを。性格を。実力を。何を護りたいのかも」
「……」
「死なせたくない、と思ったか?」
ルシアが尋ねる。これも時間稼ぎだが、戦闘経験に欠ける大和は気づいていない。
威圧を以って尋ねれば、なぜか答えなければいけないような義務感に囚われる。
これが魔王。誰かの上に立つ者の威。
「……当たり前だよ。そんなの、誰にだって死んでほしくないに決まってる」
「だから戦うのか? 過度な期待をかけてくる者たちの為に? 自分の意志を蔑ろにして?」
「違う! これだって、ぼくの意志だ」
「『勇者』だから、こう在るべき。そういう考えに囚われてはいないか?」
ルシアが立て続けに言葉を重ねると、大和は一度黙った。深呼吸して、冷静さを取り戻す。
ルシアはそこで質問を誤ったことを悟った。
「……いいや。ぼくは、勇者失格なんだ。ぼくには誰かを殺すことなんてできない。だから、いずれはそうなるに決まってた。だけど、そう呼ばれるのはこれまでは少し怖かった。でも、今は違う。失望されたっていい。見捨てられても構わない。……ぼくは今日、国を護る為に戦っているわけじゃない。――大切な人を護りたいから、戦っている」
「……」
「ぼくが誰かを殺すとしたら、その理由だけだ。それ以外の理由で、ぼくが戦うことはない。もう決めたんだ。ぼくは、勇者じゃない、と」
それこそ、体の震えを圧し殺して。
大和は『聖剣』を構え、立ち向かう覚悟を決めている。
その言葉には力があった。
想いが、込められていた。
「……良い、意志だ。俺様は貴様を尊敬する」
「何を……? ふざけるな!!」
「だからこそ、貴様を殺さなければならないことを、心から残念に思う」
「……優勢なのはぼくだ」
「後ろを見ろ」
「……え?」
大和が薄ら寒い感覚に囚われながら、ぎこちない動作で後ろを振り向くと、そこには一人の少女を抱えた眼鏡の少年が立っていた。
「アイ、リス」
「動けば、彼女を殺す」
翔はアイリスの喉元にクナイを突きつけている。
アイリスはすでに意識は戻っているようで、青ざめた顔でその鋭い刃を眺めていた。
「貴方は……どうして、転移者が魔王の味方をするんだ!?」
「…………さあ、ね」
翔が僅かに動揺したことを、ルシアは感じ取っていた。別にルシアは翔のことをそこまで信頼しているわけではない。好きにやらせているのは見極めの意味も込めている。
だが、アイリスをここまで連れてきた時点で上出来だ。戦況をよく見てる。
「終わりだな」
「あ……」
ルシアが言う。
大和は何も返答することができない。
「俺様の目的は勇者の抹殺だ。端的に言う。貴様が大人しく殺されるのなら、あの少女は助けてやる」
♢
山城京夜は、最終手段を行使することにした。
己が持つ固有スキル。
『病魔』。
『土精霊の恩恵』。
『操作人形』。
『魔力源』。
その四つすべてを最大限に活用しても、転移者が大量に居座るこの状況では、まともに計画を動かすことができない。
だからこその最終手段。
策略を用いて、言葉や恐怖を使って人々を従わせる作戦はもうやめだ。
実際のところ、当初から最終手段になる可能性は高いと判断していた――だから準備は万全なのだが、それでも結果は悔やまれるものだ。
人死にが少ないに越したことはない。
そんなのは当たり前のことだ。
山城は、平和な世界が見たいだけなのだから。
――最終手段とは、要するに実力行使。
居場所と、ある程度の情報を特定している人間の思考に介入し、操り人形にすることができる、それが『操作人形』。
山城は『土精霊の恩恵』により、広がる大地に対する理解が異様なまでに深く、地面に立っている人間を感知することすらできる。
それらを『鑑定』し、『ある程度の情報』という『操作人形』の発動条件を満たすために、を王都全域を精査していく。
王城に避難せずに家に隠れていた人間も、実は少なくはない。彼らは山城の思考介入によって虚ろな瞳のまま外に出てきた。
当然、多人数に対してそんなことをすれば魔力の消費が尋常ではなくなる。
その為の『魔力源』。
このスキルはお互いにそれを認めた、特定の個体の魔力を自在に借り受けることができる。
ただしその間、魔力源とされた人間は動くことができない。
今回の場合、山城はクレール商会の部下を対象にしている。彼らはレベルが低いから、すべて合わせても山城の五倍というところだ。
それでも充分に多いが。
とはいえ、転移者相手の激戦でかなり魔力を消費してしまった。無駄遣いは許されない。
「……ここか」
「誰だ貴――!?」
王城。『儀式の間』に繋がる地下の廊下。扉の前に佇む兵士二人は、声を最後まで上げることすら許されず、山城が操った土により拘束されていた。
当然、山城は地面の中を潜って侵入したのだ。
兵士が真下からの攻撃に対応できるはずもない。
彼らの口には土を纏わせ、声は出せないようにしている。
そんな兵士を横目に、山城は儀式の間に展開されている結界の内部に侵入。
王都に住むほぼすべての民衆が山城を見る。
同時に、その身に宿す莫大な魔力を犠牲に『操作人形』を行使した。
♢
「…………ん?」
グライブ・セラキオスは眉をひそめていた。
『心象結界』を維持するだけの魔力はなくなり、時間稼ぎを十分に果たしたグライブはさっさと逃亡しようとしていた。流石に騎士をこんな大量に相手にして勝てると思っているわけではない。
だが、その騎士たちの動きが、止まった。
何かの策略かと思えば、サイラスも戸惑っている。いや、サイラスだけではなく、各部隊のリーダー格やそれに似た存在も、狼狽えているようだった。
(一定以下の実力を持つ者が、操られた? ……この場合は精神力の問題かの。ホホッ)
「貴様、おれの部下に何をした!?」
「さて、な?」
鋭い洞察力で状況を観察しながらも、周囲への警戒を忘れない。飛び込んできたサイラスの剣を、飛び退って躱す。そのまま精神をやられなかった者たちによる攻撃をいなしながら後退していく。
(新魔王様のやり方ではない。おそらくヤマシロか)
どうやらサイラスはグライブの仕業だと勘違いしているようだが、別に訂正してやる義理はない。
(はてさて、無事に勇者を潰せたのか)
♢
事態はめまぐるしく動く。
その中で、神谷士道は――。
「……ドムとブレット。二人の上位悪魔か」
静かに、言葉を吐き出した。
「レーナ、リリス、ミレーユ。ウルフェン。いいか、一分で潰すぞ」
ネット小説大賞、残念ながら落選してしまいました……。
応援ありがとうございました。




