第16話 「起死回生の一手」
山城京夜は、発展途上国の紛争地帯で生まれた。
父親は戦場カメラマンだったらしいが、物心ついた頃には孤児になっていた。
保護された施設では、食べるものはなかった。衛生状態も悪く、水を飲むことにも苦労するような環境。当然、遊び道具などあるはずもない。
施設の近くでは常に物騒な物音が鳴り、大人の怒号が嫌に耳に響く。
控えめに言って、地獄だった。
多くの子供が音を上げるような環境で、山城はやけに大人びた性格をしていた。
どれだけの危機に晒されようとも、その冷めた瞳の色を変えることは特になかった。
ただ銃声が鳴る窓の外を眺め、十歳を越える頃には勝手に施設を抜け出し、戦争を最も近いところで観察しようとする悪癖があった。
何度も何度も。
「危険だから絶対にやめなさい」と言われようとも、山城に何の改善もなかった。
何故なのか。
そう問われると、山城にも明確な答えはない。
ただ、戦場カメラマンだったという父親が、どういう光景を、何の為に、写真という形に切り取っていたのか――それを知りたかったのかもしれない。
長い間。
山城は人が人を殺す瞬間を眺めてきた。
人と人が争う――血に塗れた惨状から、目を逸らそうとはしなかった。
大きな戦争が終わっても、街の裏道にある危険な場所に赴いては小さな闘争を眺める山城に、施設の人間は不気味がって近づこうとはしなかった。
山城は人の感情を把握することが生まれつき上手く、だから観察している危険に、自分自身が巻き込まれてしまうようなことは一切なかった。
なぜ、彼らは争うのか。
「まあ、そりゃ、戦わなきゃどのみち死ぬからだろうな。食い物がなきゃ人は死ぬ。金がなきゃ食い物は買えねえ。で、今は金を稼ぐ方法が、戦う以外には見当たらねえってことよ」
「戦争は経済を回転させるって言うだろ。ま、詳しい理屈はよくわかんねえけど、とりあえず争いってのはな、それで得をする奴がいなきゃ起こらねえもんなんだよ」
「毎日毎日、ただひたすらに作物育てるより、テキトーに銃ぶっ放してる方が金になるんだぜ? 真面目にやってるのがバカらしくなるわ」
そんな答えを返す者たちがいた。
確かに正論である。社会がそういう構造をしていることは、勉強をしていないとはいえ頭の良い山城には理解できていた。
だが。
そんな現実を理解していても。
嫌だなぁ、と思った。
見たくないなぁ、と思った。
山城は争いを好まなかった。否。誰だって好き好んで戦っているわけではないだろう。だが、山城の争い嫌いの傾向は特に顕著だった。
スポーツで勝ち負けをつけることすら、あまり好きだとは言えないのだから。
争いを否定したい。戦争を終わらせたい。それは山城の内側から発露した、純粋な感情だった。
だが具体的な手段は何も思い浮かばず、喧嘩の仲裁に入り、自分自身が傷めつけられるようなことを何度か繰り返した。山城は頭が良いから、そうなることは分かっていたし、それが何の解決にもならないことを知っていた。
だが、分かっていても、人と人が傷つけ合うところを見たくなかった。
だが、見て見ぬふりもしたくなかった。
人間の表情が怒りと憎しみのどす黒い感情に彩られる瞬間が、どうしようもなく嫌いだった。
もっと、綺麗な世界を創りたい。
そんな願いを抱えながら、ボロボロの状態で街を歩いていた頃のことである。
「京夜……?」
生まれて初めて、母親の顔を見た。
父親が死んでから何年も経過していた。
母親は保護施設に山城がいることを知り、日本から遥々やってきたらしい。
どうして、今更。
そんな問いは我慢した。
何故なら車椅子に座る彼女は痩せ細り――どう見ても、健康ではない状態だったのだから。
「ごめんね……」
「……」
「今まで、何もしてやれなくて、ごめんね……!」
――事故に遭ったらしい。
そのせいで脳に傷を負った母親が植物状態になり、寝込んでいる間、父親は大金が必要になり、危険を覚悟で紛争地域にまで乗り込んだ。
その際、山城は苦渋の決断で連れてきたというのである。親類は絶縁状態で、頼れる者が全くいなかったことも大きいだろう。
その結果として父親は死に、山城はひとりで紛争国に取り残された。
別に恨んでいるわけではない。
だから山城は素直に謝罪を受け入れた。
母親と共に日本へと帰った。
生まれ故郷のはずだが、やはり実感はない。
日本は、平和だった。
誰も彼もが笑顔だった。
気楽そうに、この世界の裏側では血に汚れた惨劇が繰り広げられているとは思いもしないような表情で、安穏とした日々を過ごしていた。
学校に入り、生まれつき頭の良い山城はすぐに勉強の進行過程に追いついた。
お母さんは優しいし、友達はたくさんできた。こんな綺麗で優しい世界があっていいのかと、疑問すら浮かんだ。
でも。
だからこそ山城は。
どうしても許せなかった。
こんな平和を享受する日本の人々が、常に理不尽な扱いを受け、生きる希望すら見失っている人々の多いあの国の存在すらあまり知らないという事実が何となく気に入らない。
自分の幸せを、国境を越えて他の誰かに分け与えてやれないという事実が、無理だと分かっていても嫌だと思った。
世界を平和にしたい。
個人ではない。国でもない。世界から、争いを消し去りたい。勉強をしていくうちに、それが不可能な理想論であることを理解していっても。それは努力をやめることには決して繋がらないから。
政治家になろう。
この国を変え、いずれは世界を変えていこう。
社会を豊かにしよう。
余裕があれば人々は優しくなる。
困っている人々に手を差し伸べるようになる。
そんな優しい世界のために。
そういう未来を創ると決めた。
大学四年生になり、ギラギラした眼光を輝かせながら、目立つオールバックの不良然とした風貌で必死に勉強に励む。
山城が異世界に転移したのは、丁度そんな時期だった。
♢
(来る………!)
神谷士道は『天魔刀』を構えた。直後に山城が動く。『土精霊の恩恵』の効果か、まるで氷の上にいるかのように地面を滑って高速移動。狙いはミレーユ・マーシャルだ。
士道が「拓真!」と鋭く呼びかけると、金髪の大男は一直線に山城に突撃していく。
それを見た山城は地面に潜った。拓真は舌打ちしながらも山城が消えた位置を殴りつける。
大地に亀裂が走った。
だが山城の姿は見えない。
「シドーちゃん」と、ミレーユの声。
「私の"支配領域"は、地面の中ですら領域内です!!」その言葉と同時、山城は慌てたように地面から飛び出してくる。
おそらくは地中で魔法攻撃を繰り出したのだろう。その魔法制御には戦慄すら覚える。
刹那、狙い澄ましたように拓真が突撃する。そして山城の姿を視認した瞬間に士道は拳銃を引き抜き、『魔銃』を連射していた。
青白い光線が山城の肉体を貫く。拓真の拳が山城の上半身を吹き飛ばした。が、地面には血の代わりに泥や土が撒き散らされた。
山城の断面からは泥が覗いている。
(これは……葉山の『火精霊の恩恵』と似た効果か――!?)
葉山集も体を炎に変え、士道の攻撃を食らいながらも無傷で済ませたことがある。
その意味を込めて視線を向けると、「確信はない」と言いながらも集は頷く。
ミレーユが魔法を連射して、残った山城の下半身すらも吹き飛ばし、すべてを泥に還した。
だが誰一人、これで倒したと思ってはいない。
動きはない。
そのまま地面に潜ったのだろうか。
集が淡々と告げる。
「もし本当に僕の固有スキルに似たものだとするなら、この効果を発揮するとひどく魔力を消耗するはずだ。そう連発できるような技じゃない」
「……奴は転移者を何人も殺してんだぜェ。レベルオーバーにしてもかなり上の方だろ」
「だとすると、魔力は葉山よりも余裕があるとして……」
「フン……僕がせいぜい三回だ。あの男がどれだけレベルが高かろうと五、六回使えれば良いところじゃないのか? それも万全の状態での話だ」
「なるほど……ミレーユ」
士道が言うまでもなく"支配領域"で山城の存在を知覚していたのだろう。
ミレーユが風魔法で飛び退った瞬間、その地面からナイフが飛び出してきた。
山城はそのまま姿を見せる。
ミレーユは士道の後ろに降り立つと、
「シドーちゃん。レーナちゃんは……」
「ウルフェンが起きて、もう戦いに加わってる。おそらくはリリスもだ」
ミレーユが心配そうに言ったのは、上位悪魔二人に追われたアイリスとレーナのことだろう。
だが、士道はそれほど不安を感じていない。
士道は隷属しているウルフェンの状態を、離れていてもある程度知覚できる。
だから、レーナと共に戦っていることが分かるし、いまだに傷を負っていないことも分かる。
レーナのもとに駆けつけるとすれば、ウルフェンが怪我をしたときである。
今のところは優勢なのだから、手を貸す必要はない。何より眼前の男は厄介だ。
ミレーユにそんな説明をしている間にも、拓真が山城に突撃していく。
山城はやはり先ほどの無敵効果はそう何度も発揮できないのか、ギリギリで攻撃を躱していく。
やはり接近戦だと拓真の方が優勢だ。
山城は距離を取ろうとするが、
「"炎陣"」
集の火魔法で囲まれて動きを止めた。
もしこれが並の火魔法であるなら、一気に突っ込めば大したダメージもなく脱出できるだろうが、これは火属性特化型魔術師、葉山集の真価だ。
軽い気持ちで炎に近づけば、簡単に灰になってしまうことだろう。
「逃げ場はねェってなァ!」
当然、その中には拓真もいる。
拓真と接近戦をせざるをえない状況。これは致命的だと判断したのか、山城は再び固有スキルで地面に潜る。この効果かはおそらく魔力消費が少ないから乱発しているのだろうが、だとしてもかなりの魔力を使っているはずだ。
集が"炎陣"を解く。
スキルを長く使っていたくはないのか、それとも地中からミレーユの魔法攻撃を受けるからか、すぐに山城が顔を出した。
士道は肉薄して刀を振るう。
屈んで回避されるが、そこまで動きに差はない。
当然だ。山城は呪術師に過ぎないのだから。接近戦が得意な天職ではないだろう。ならば古賀流の剣術を学んだ士道の方が有利。
踏み込んで剣を振る。上段から振り下ろす。呻き声と共に躱されるが、集の炎の直撃を受けた。
「がぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
絶叫。山城は顔を庇った両腕に火傷を負い、砲弾のような勢いで肉薄した拓真の飛び蹴りを受けた。
「まだだぜ?」と、悪魔のような声。
拓真は自分で蹴り飛ばした山城を追尾すると、ぐるりと回転して踵落としを叩きつけた。石畳を破壊し、爆音と共に山城が地面に埋め込まれる。
「精霊化は使わなかったか……」
集が疑問を覚えたように呟く。精霊化とは、おそらくあの無敵状態のことだろう。もう魔力切れを起こしたのか。その可能性は確かにあるが――。
「くくっ……」と。
ボロボロの状態で地面に埋め込まれ、無様な醜態を晒す山城は、それでも堪えきれないといったように笑い声を漏らした。
「なんだ……?」
「……何とか、切り抜けたか」
安堵したような山城の声に応じるように、突然、地面に大穴が開く。
「なっ――」と、絶句している間にも、開かれた地面の大穴から大量の人間が飛び出してきた。
全員が武装している。
咄嗟に『鑑定』を使えば、だいたいの人間がレベル50前後だ。
おそらくは傭兵。反乱のために己のスキルで裏道を掘り進め、そこに傭兵たちを潜ませていたのだろうと士道は推測する。
ゾンビのようにわらわらと這い出てくる傭兵たちは高い戦意を保っていた。
拓真が慌てたように、
「げ、あの野郎!! オレに隠れてなんかコソコソやってんなと思えば……!? オレの傭兵団じゃねェかよ!!」
「あ、団長」
「団長ちーっす」
「なにやってんすか? まさか裏切ったんすか? 別に意外でもないですけど」
「テメェら揃ってケンカ売ってんのか!? 『紛争地帯』で会ったとき、全員ぶっ倒してオレがリーダーになったの忘れてんじゃねェだろォな!?」
「いや覚えますよ? でもほら、俺らが山城さんに頼まれたのは時間稼ぎですし」
「それぐらいなら何とか、ねぇ?」
「ていうか今回の場合は、聖女さん裏切った団長が悪いんじゃ……」
拓真と傭兵団が口論しながらも戦っている。
士道や集も応戦せざるを得なかった。
「――殺すぞ」と低く呟くが、動揺する者は一人としていない。流石は傭兵。実戦慣れはしているらしい。恨みはないが、手加減をしている場合でもない。『天魔刀』で容赦なく切り裂いていく。
その間にも、山城がミレーユの構築した結界を地中から壊しにかかっているらしい。
当然ミレーユも魔法で山城を攻撃しているが、致命傷以外は見向きもせずに、障壁にダメージを加えていると彼女は説明している。
「ダメです……! 突破されるのです……!!」
ミレーユの苦渋の声と共に、ガラスが割れるような音が炸裂した。
山城が包囲網を突破していく。
「チッ……」
士道は舌打ちする。
足止めに用意された傭兵たちは練度が高く、連携してくると突破することが難しい。固有スキルを乱発すれば勝てるだろうが、そんな無駄な魔力消費をしている場合でもないはずだ。
士道は一瞬、押し黙るとミレーユに目配せを送り、直後に『瞬間移動』で姿を消した。
♢
「わ、わたしならここにいるよ!? だから、戦うのはやめて!!」
"聖女"浅場優花は大きな声を上げた。
拓真を団長とするマリアード傭兵団。
そして山城を会長とするクレール商会。
その二つは聖女一派と呼ばれる、『紛争地帯』において最大の影響力を誇る派閥の双角である。
最近は山城が全体の指揮を取ることが多かったとはいえ、基本的に派閥の者は聖女による治癒を受け、その恩を返したいから――などという理由で協力しているのだ。
その裏では、そもそも聖女にしか治せない『病魔』を広げたのは山城だという背景があるのだが。
ともあれ、名目上とはいえ全体のトップで、皆が集まっている理由でもある聖女の言葉は無視できないはず――そう考え、優花は大声を出したのだが。
「聖女様だー!」
「待っててください! 聖女様! 今、俺たちがアナタを玉座まで連れて行ってあげますから!」
「聖女様は、もっと安全なところに避難してください! 俺たちに任せて!」
山城の言に誘導されているのか、傭兵たちは好意的ながらも、戦いをやめようとはしない。
「戦いをやめて!! あなたたち、みんな、山城に騙されているんだよ! そもそもあなたたちを『病魔』にかけたのだって――」
「――ああ」
傭兵の一人が、ひどく哀しそうな声音で呟いた。
「そうか、確か聖女様は『洗脳』されてしまっているという話だったか……仕方ないよな」
「俺たちの手で、きっとあなたを元に戻してあげますから!」
「なっ……」と、優花は絶句した。
聖女一派というものが本当に形骸的なものであったことを実感した。山城の根回しが、どこまでも色濃い。が、それにしても――。
(いくらなんでも、おかしい……?)
聖女が『洗脳』されているなんて話、そう簡単に信用できるはずもない。普通に考えて聖女の方を信用するのが筋だろう。
「『操作人形』だな」
拓真が低い声音で呟いた。彼は同僚の一人であったが、異様に戦いを好む性質だったのであまり関わり合いになりたいとは思わなかった。
「多分、『病魔』がトリガーだ。できるだけ無理のない範囲に話を捻じ曲げ、そういうもんだと思い込ませてんだろ」
「精神干渉系のスキルか……?」
尋ねたのは集だ。
士道はいつの間にか姿を消していた。優花はなぜか少し落胆を覚える。
「あァ。発動条件は知らねェがな。こんだけの人数に効力及ばせてんだ。相当面倒くせぇ条件がありそうだが……まぁ考えてる場合じゃねェな」
「フン……一応、リーダーだったようだから聞いておくが、消し炭にしていいのか?」
「構わねェよ」
拓真は冷淡に告げた。
「弱ェ奴に興味はねェからな」
『紛争地帯』において最大規模、最高の練度を誇ると云われているマリアード傭兵団。
その精鋭を、二人の転移者が理不尽なまでの実力を発揮して、淡々と蹂躙していく。
その間にミレーユが姿を消した。
優花は、見ていることしかできなかった。




