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第9話 攫われた星

 守ると誓った矢先に、いちばん恐れてたことが起きる。

 灯にとっちゃ、二年前の悪夢の焼き直しだ。

 その報せは、うますぎた。


 ある朝、仕事場に、一枚の紙切れが、差し込まれていた。星読み仲間からの、仕事の紹介だった。街の東はずれで、めずらしい星屑が観測された。読み手を探している。報酬は、破格。金額を見て、俺は目を疑った。ふた月は、遊んで暮らせる額だった。


 俺は迷った。


 金は、喉から手が出るほど、欲しかった。星が来てから、二人分の暮らしで、蓄えは、とっくに底をついている。パンを買う金にも、困っていた。だが星を一人にするのは、怖かった。あの、鴉羽の一件が、頭をよぎる。


「灯、いってきて」と星は言った。「わたし、へいき。ちゃんと、とじこもってる。もう、あのときみたいに、こわがらないから」


 星は少しだけ、笑った。あの事件から、この子は強くなろうとしていた。俺を困らせまいと、している。自分のせいで、俺が金に困っているのを気にしているんだ。


 その気持ちが、俺を油断させた。


「……すぐ、戻る」と俺は言った。「日が暮れる前には、帰る。絶対に、開けるなよ」


「うん。いってらっしゃい」


 その、いってらっしゃいが、俺はうれしかった。誰かに、そう言われるのは、姉さんが死んで以来、初めてだった。胸の奥が、あたたかくなった。だから警戒が、ゆるんだ。


 だから俺は気づかなかった。


 ――それが、罠だと。



◇



 街の東はずれに、星屑なんて、なかった。


 俺が着いたのは、打ち捨てられた、古い倉庫街だった。人の気配もない。あるはずの、依頼人もいない。ただ風が、割れた窓を鳴らしているだけだった。


 俺はそこで、ようやく気づいた。血の気が、引いた。全身が、冷たくなる。


 ――おびき出された。


「星っ……!」


 俺は来た道を全力で、駆け戻った。心臓が、破裂しそうだった。頼む。無事でいてくれ。頼む。頼む。息が切れても、足を止めなかった。転びそうになりながら走った。


 仕事場に、たどり着いたとき。


 扉は、またこじ開けられていた。


 中は、争った跡があった。椅子が倒れ、床に、光の粒が、点々と、こぼれ落ちていた。星の光だ。抵抗した跡だ。必死に抵抗したんだ。


 だが星はいなかった。


 代わりに、壁に、一枚の紙が、貼りつけてあった。


 俺は震える手で、それをはがした。


 乱暴な字で、こう、書いてあった。


『でかい星屑は、いただいた。返してほしけりゃ、日暮れまでに、旧市街の鐘楼まで来い。一人でな』


 俺はその紙を握りつぶした。手が、震えて、止まらなかった。


 攫われた。星が攫われた。俺が目を離した、その隙に。


 ――また、だ。


 また、俺は大事な人を守れなかった。二年前と、同じだ。目の前で、手が届かない。


 床の光の粒に、俺は膝をついて、手を伸ばした。指先で触れると、まだかすかにあたたかかった。星のぬくもりの名残だ。ついさっきまで、この子はここにいた。俺を待っていた。絶対に開けるな、と言われたのを守って。それなのに、こじ開けられて、連れ去られた。


 俺が油断したせいだ。あの、いってらっしゃい、の一言に、浮かれたせいだ。守ると誓っておきながら俺はいちばん肝心なときに、そばにいなかった。二年前も、そうだった。俺はいつも大事なときに、そこにいない。


 こぶしで、床を叩いた。痛みも、感じなかった。悔やんでいる暇はない。今すぐ、取り戻しに行く。それしか、ない。



◇



 俺は走った。


 旧市街は、街の底の、いちばん古い区画だ。灼き落としで焼けて、今は、誰も住んでいない。廃墟の街。焦げた柱と、崩れた壁だけが残っている。その真ん中に、崩れかけた、古い鐘楼が、立っている。


 走りながら俺の頭のなかは、真っ白だった。


 二年前の、あの夜が、重なる。姉さんの手を離した、あの感触。火のなかへ、消えていく、姉さんの背中。俺は追いかけなかった。逃げた。一人で。あの後悔が、今も、胸を焼いている。


 ――今度は、逃げない。


 俺は歯を食いしばった。走りながら何度も自分に言い聞かせた。


 今度こそ、追いかける。火のなかでもどこへでも。星を取り戻す。二度と、あんな後悔は、しない。同じ間違いは、繰り返さない。


 姉さん。俺は走りながら心のなかで、呼びかけた。あのとき、俺はあんたの手を離した。追いかけなかった。だからあんたは、帰ってこなかった。でも今度は、違う。今度こそ、俺は走る。手を離さない。あんたが、俺に見せてくれた生き方を今度こそ、なぞってみせる。


 崩れた壁を飛び越える。焦げた柱をかわす。息が、喉を焼く。それでも足を止めなかった。星の顔が、頭に浮かぶ。あの、いってらっしゃい、と笑った顔が。あの笑顔をもう一度見るまでは、倒れるわけにはいかない。


 鐘楼が、見えてきた。夕暮れの空に、黒く、そびえている。


 その根元に、明かりが、ともっていた。人影が、いくつか。そしてその真ん中に――光る、小さな体が、あった。


 星だ。


 両手を縄で、縛られている。手袋は、外されている。むき出しの指から、光が、こぼれ、床を照らしている。その顔は、青ざめていた。俺を待ってずっと怯えていたんだろう。


「星っ!」


 俺が叫ぶと、星が顔を上げた。俺の姿を見て、その目が、大きく見開かれた。


「灯……! だめ、にげて……っ! これ、わな……っ」


 その言葉の途中で、口をふさがれた。手下の一人が、後ろから、星の口をふさいだんだ。


 人影のなかから、一人の男が、進み出た。


 鴉羽だった。


 だが様子が、違う。あの、記憶を失って、うつろになっていた男とは、別人みたいだった。目に、光が、戻っている。あの、獲物を狙う、ぎらついた光が。


「よう、坊や」と鴉羽はにやりと笑った。「久しぶり、って言うべきかね。なにせ、あんたにやられて、記憶がすっ飛んでたもんでな」


「あんた……記憶が」


「戻ったのさ。少しずつ、な」と鴉羽は肩をすくめた。「完全にゃ、戻っちゃいねえ。だが、一つだけ、忘れられねえことがあった。……この街のはずれに、とんでもねえ値打ちの星屑がいる。それだけは、体が、覚えてやがった」


 執念、というやつだ。記憶を消されても、その執着だけは、消えなかった。


 鴉羽は星の顎を指で、くいと持ち上げた。星がいやがって、顔をそむける。


「触るな」と俺はうなった。腹の底から、声が出た。


「おお、こわいこわい」と鴉羽は笑った。「安心しな。まだ、読んじゃいねえ。読むには、専門の道具がいる。それに……あんたに、見せてやりたかったのさ」


 鴉羽の目が、残忍に、光った。


「大事なものを、目の前で、奪われる気分ってのを、な。俺の、記憶を消してくれた、お礼だ」


 俺は手を強く握った。怒りで、目の前が、赤く、染まった。この男を許さない。



◇



「星を、放せ」と俺は言った。「金なら、払う。何でも、する。だから、その子だけは」


「金?」と鴉羽は鼻で笑った。「坊や、わかってねえな。この星屑は、金なんかじゃ、買えねえ。これ一つで、街が、ひっくり返る。評議会だって、喉から手が出るほど、欲しがってる代物だ」


 鴉羽は部下に、合図した。あごをしゃくって。


「さあ、道具の用意ができた。読むぞ。この、世界一、値打ちのある星屑を、な」


「やめろっ!」


 俺は飛び出した。だが部下たちに、取り押さえられた。腕をねじり上げられ、床に、組み伏せられる。頬が、冷たい石畳に押しつけられる。


「灯……っ!」


 星が叫んだ。縛られたまま身をよじって。俺のほうへ、手を伸ばそうとして。


 鴉羽が星のほうへ、歩いていく。その手には、黒い、鏡のような、道具が、握られていた。あれで、星を読むつもりだ。


 星が読まれる。消える。目の前で。また、俺は見ていることしか、できないのか。


 ――だめだ。


 俺の頭のなかで、何かが、はじけた。二年前の、あの後悔が、今、目の前にある。だが今度は、違う。


「星っ! 目を、閉じるな! 俺を、見ろっ!」


 俺は叫んだ。組み伏せられたままありったけの声で。喉が、裂けそうになるほど。


「思い出せ! お前の、力を! あの夜、鴉羽の記憶を消した、あの力を! 今度は、自分の意志で、使うんだ!」


 星の目が、大きく、見開かれた。俺の言葉が、届いた。怯えていた瞳の奥に、小さな光が、ともるのが見えた。


「星っ、よく聞け! お前の力は、呪いじゃねえ! ――お前が、生きるための、翼だ! 広げろ、星! 恐れるな、俺が、ここにいる!」


 石畳に、頬を押しつけられたまま。腕をねじり上げられたまま。それでも俺はありったけの声で、叫んだ。この声が、届けと。二年前、火のなかへ、届かなかったこの声が。今度こそ、この子に届けと。


 そうだ。お前は、無力なんかじゃない。あの日、俺を救ってくれた、その力がある。今度は、お前が、お前自身を救うんだ。


 鴉羽の手が、星の額に、道具を当てようとした、その、寸前。


 星の指先が、ちり、と光った。


 あの夜と、同じ光だ。だが今度は、あふれ出さない。こぼれかけて、震えて、寸前でこらえている。まるで自分の意志で、せき止めているみたいに。


 星は、俺を見た。涙をこらえた顔で、それでもまっすぐに、俺だけを。


 ――何かを、決めた目だった。


 その瞳の奥で、眠っていた無数の光が、ひとつ、またひとつと、静かに目を覚ましていく。

 星が攫われた。灯にとって、二年前の悪夢の繰り返しだ。だが、今度の彼は逃げなかった。

 石畳に組み伏せられてなお、灯は声を振りしぼる。その声が、星のなかで眠っていた何かに、触れた。

 ――目を覚ましかけたその光が、次に何を選ぶのか。長い第一章の決着は、次の話で。

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