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第10話 選ぶということ

 長い第一章の、最後の話だ。

 灯は、ずっと避けてきた「選択」を、ついに突きつけられる。

 光が、鐘楼を白く、染めた。


 だが今度の光は、あの日とは、違った。


 あの夜、鴉羽の記憶を消したときの光は、恐怖に、暴れる光だった。制御を失った、悲鳴みたいな光。あたりかまわず、あふれ出す光だった。


 今の光は、違う。静かで、まっすぐで、意志が、あった。星が自分で、選んで、放っている光だった。


 星は俺を見ていた。縛られたまま涙を流しながらそれでもまっすぐに。もう目をそらさなかった。


「……ごめんね」と星は言った。「もう、こわがらない。灯を、まもるために、つかう」


 星の指を縛っていた縄が、光に触れて、さらさらと、ほどけていく。物には、触れられる。縄も、例外じゃない。光の粒になって、縄が、はらはらと落ちる。


 自由になった手を星は鴉羽に向けた。まっすぐに、狙いを定めて。


「あなたの、いやなきおくだけ、けす。……わたしを、よもうとした、きおくだけ」


 光が、鴉羽を包んだ。今度は、爆発じゃない。細く、まっすぐな、光の筋だった。


 鴉羽は目を見開いた。手にした道具が、床に、落ちる。かしゃん、と、乾いた音がした。


「な……なんだ、これは。俺は……俺は、何を……」


 鴉羽の目から、またあの、ぎらついた光が、消えていった。だが今度は、全部じゃない。星は必要な分だけ、消していた。星屑を狙う、あの執着だけを。ほかの記憶は、残したまま。


 部下たちも、同じだった。星の光に、触れて、次々と、うつろな顔になっていく。俺を押さえていた腕が、ゆるむ。俺はその隙に、身を起こした。


 俺は立ち上がった。


 そして星のもとへ、駆け寄った。石畳を蹴って、一直線に。



◇



「星っ!」


「灯……!」


 星は俺に向かって、手を伸ばしかけて――寸前で、止めた。


 触れれば、俺の記憶も、消えるかもしれない。あるいは、俺が崩れちまうかもしれない。星はそれを恐れていた。伸ばした手が、宙で、止まっている。


 だが俺はその手を迷わず、握った。ためらいなく、しっかりと。


 星の指の光が、俺の手を包む。だが俺は消えなかった。記憶も、失わなかった。ただあたたかいだけだった。あの、白湯みたいな、あたたかさだった。


「灯……きえない、の……?」


「ああ」と俺は言った。「お前が、消したくないと、思ってる。だから、消えない。……そうだろ?」


 星の目から、光の涙があふれた。堰を切ったみたいに。


 そして俺の胸に、飛び込んできた。俺はその細い体をしっかりと、抱きしめた。壊れないように。だが二度と、離さないように。この腕のなかから、二度と、逃がさないように。


「こわかった……こわかったよぉ……っ」


「もう、大丈夫だ」と俺は言った。自分の声も、震えていた。「よく、頑張ったな。……もう、大丈夫だから」


 俺たちはしばらくそうしていた。廃墟の鐘楼で。うつろになった男たちに、囲まれて。それでも俺は確かに、この子を取り戻したんだ。この腕で、抱きとめたんだ。


 二年前、守れなかった。だが今度は、守った。手を離さなかった。


 その事実が、俺の二年間の後悔を少しだけ、救ってくれた気がした。ほんの少しだけ、あの夜の傷が、癒えた気がした。



◇



 だが物語は、そこで、終わらなかった。


「……見事だったよ、灯」


 静かな声が、鐘楼に、響いた。


 振り返ると、崩れた柱の陰から、久遠が姿を現した。灰色の外套。手には、黒い傘。相変わらず、底の見えない目で、俺たちを見ている。いつから、そこにいたのか。


「久遠、さん……」


「回収屋を、泳がせて、正解だった」と久遠は言った。「あの子の、力の全貌が、よくわかった。……人の記憶を、選んで、消す。あるいは、残す。恐ろしい力だ。だが、道理に、かなっている」


 久遠はゆっくりと近づいてきた。傘を閉じたまま杖のようにつきながら。


「その顔だ」と久遠は言った。俺の目を、のぞきこんで。「もう、気づいているんだろう、灯。あの子が、何者なのか。……いや。あの子自身の口から、聞いたかもしれんな」


 俺は、答えなかった。答えられなかった。あの、燃える夜の記憶。空の高みから、世界の死を見つめ続けた、たった一人。……原初の終縞。この子が、それだと。俺は、もう、知っている。知った上で、目を、そらし続けてきた。


「隠さなくて、いい」と久遠は言った。その声は、静かで、けれど鋼のように固かった。「君は、もう、わかっている。あの子が、世界を、終わらせる、最後のコードだと。……なら、話は、早い」


 久遠は、一歩、踏みこんだ。そして、初めて、俺の知らないことを、口にした。


「あの子が読まれれば、この世界は、リセットされる。焼ける前の、世界に。……詩織が、生きている、世界に、な」


 俺の、心臓が、跳ねた。それは、久遠が、今、初めて、突きつけてきた事実だった。星を読むことが、ただ世界を終わらせるだけじゃない。姉さんを、取り戻すことに、なるのだと。


 久遠は俺の目をまっすぐ見た。逃げ場をふさぐみたいに。


「選ぶんだ、灯。あの子を、守り続けて、いつか、誰かに読まれるのを、待つのか。それとも――今、私と、共に、あの子を読み、詩織のいる世界を、取り戻すのか」


 鐘楼が、しんと、静まりかえった。


 俺の心臓の音だけが、やけに、大きく、聞こえた。


 姉さんが生きている世界。


 あの人が、まだ笑っている世界。俺の手を離さなかった世界。二人で、無事に、逃げ延びた世界。姉さんが飯を作って、俺の名を呼ぶ、あの日々が、戻ってくる世界。


 それは、俺が二年間、毎晩、夢に見た世界だ。喉から手が出るほど、欲しかった世界だ。目が覚めるたびに、失って、絶望した世界だ。


 その世界が、今、手を伸ばせば、届くところに、ある。この子を読みさえすれば。


 背中で、星が俺の服をきゅっと、握った。震えていた。


「灯……」と星は消え入りそうな声で、言った。「わたし……よまれても、いいよ」


 俺は思わず息をのんだ。


「灯の、おねえさんが、いきかえるなら。灯が、しあわせに、なれるなら。わたし……よまれても、いい。だって、わたし、もともと、そのために、いるんだもん」


 その言葉を聞いて、俺の胸が、張り裂けそうになった。


 この子は本気だ。本気で、俺のために、消えようと、している。自分が、消えることを当然みたいに受け入れて。俺の幸せのために、自分の命を差し出そうとしている。


 ――ふざけるな。


 俺のなかで、何かが、爆発した。


「――読ませるかよ」


 俺は久遠をにらみつけた。星の手を後ろ手に、握りしめて。


「久遠さん。あんたの言うことは、正しい。この子を読めば、姉さんが、帰ってくるかもしれない。焼ける前の世界に、戻れるかもしれない。……でも、それは、この子を、殺すってことだ」


 俺は背中の星を片手で、抱き寄せた。


「姉さんは、命がけで、知らない子どもを、助けた。生きてるやつを、救った。それが、姉さんの、生き方だった。……その姉さんを取り戻すために、目の前の、生きてる子を、殺す。そんなこと、姉さんが、望むわけ、ないだろっ!」


 言いながら俺は二年間の、答えを見つけていた。ずっと探していた答えを。


 俺はずっと姉さんに許されたかった。逃げた自分を許してほしかった。姉さんの星を読んで、恨まれていないと、確かめたかった。


 でも違う。そうじゃ、なかったんだ。


 許されるために、生きるんじゃ、ない。姉さんみたいに生きるんだ。目の前の、救える命を救う。手の届く相手を離さない。それが、姉さんの生き方を継ぐってことだ。それが、あの人への、本当の答えだ。


「俺は、この子を、選ぶ」と俺ははっきりと、言った。一言ずつ、刻むように。「姉さんの、終縞よりも。姉さんの、いる世界よりも。……この、星を、選ぶ」


 俺は星の手を握り直した。そして久遠をまっすぐ見据えた。


「久遠さん。星読みってのは、星を読む仕事だ。奪って、消して、明日の飯に換える。……俺は、二年、それを、やってきた。だが、もう、やめだ」


 夜空の星屑が、俺の背中で、またたいている。無数の、死んだ誰か。奪われるのを待つだけの、光。


「俺は今日から、星を読む男じゃない。――星を、護る男だ。この、たった一つの光だけは。世界がなんと言おうと、絶対に、読ませねえ」


 我ながら柄にもない、大見得だった。だが口にした瞬間、胸のなかの、二年ぶんの霧が、すっと、晴れた気がした。


 久遠はしばらく俺を見ていた。何かを見極めるみたいに。


 その目に、初めて、何か――悲しみとも、あきらめとも、つかない、色が、浮かんだ。


「……そうか」と久遠は静かに言った。「わかった。今日のところは、引こう」


 久遠は傘を開いた。ぱさりと、乾いた音がした。


「だが、灯。これで、終わりじゃない。世界は、少しずつ、限界に、近づいている。星は、減り続けている。いつか、君も、選ばざるを、得なくなる。……その子を、守るために、世界を、犠牲にするのか。世界を、救うために、その子を、犠牲にするのか」


 久遠は背を向けた。


「その日まで、精々、あがくといい。……達者でな、灯」


 その言葉を残して、久遠は廃墟の闇へ、消えていった。傘の影が、崩れた壁の向こうに、溶けていく。



◇



 俺たちは、鐘楼を後にした。


 夜空の下を二人で、歩いた。星の手を握って。もう離さないように。二度と、あの夜のように手を離さないように。


「灯」と星がぽつりと、言った。「わたしを、えらんで、くれて、ありがとう」


「礼を言うな」と俺は少しぶっきらぼうに、言った。照れくさかった。「当たり前のことを、しただけだ」


 星はくすりと、笑った。それから、俺の手を少しだけ、強く、握った。あたたかい手だった。


 空を見上げる。


 姉さんの星はまだ見つからない。今夜も、見つからない。あの、無数の星のなかから、たった一つを探し出すのは、途方もない。


 でも俺はもう焦っていなかった。


 姉さんの終縞は、いつか、見つかるかもしれない。見つからないかもしれない。どちらでもいい。俺は姉さんの生き方をこの胸に、抱いて、生きていく。目の前の、この子を守りながら。それが、俺の答えだ。


 俺の名前は、冬瀬灯。星読みだ。


 そしてこの、星でできた、少女を守ると、決めた男だ。


 ――たとえ、世界を敵に回しても。


 二人の、長い夜は、まだ始まったばかりだった。

 第一章「墜ちてきた星」、これで完結だ。ここまで読んでくれて、本当にありがとうな。

 灯は、二年間避けてきた「選択」と向き合った。姉の世界より、目の前の命を選ぶ。逃げてばかりだった彼の、でかい一歩だ。

 だが、久遠の言うとおり、これで終わりじゃない。いつか灯は、もっと残酷な選択を迫られる。

 第二章「逃げる星」で、また会おう。

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