↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
57/59

第57話 ふたりの根

 街じゅうの想いを核に、灯と星は、たがいへの愛を天網へ捧げる。星は原初の終縞から解き放たれ、ただの女の子に。だが同時に、二人の記憶は薄れていく。

 天網観測所に街じゅうの人々が、集まっていた。


 地下の者も、上の者も、榊たち、元評議会の者も、傷ついた終端の、あらゆる場所から。人々が、想いを抱いて、集まってきた。かつて、星をこわがっていた人々が、今この子を救うために世界を守るためにここにいる。


 観測所の中心。天網との、繋ぎ目の前に俺と、星は立った。


「準備は、いいか」と、俺は星に聞いた。


「うん」と、星はうなずいた。その顔は、青ざめていたが、目は、まっすぐだった。「……いこう、灯。ふたりで」


 俺は星の手を握った。やわらかな光が、指に灯る。この手を握るのも、この光を感じるのも、……これが、最後だ。だが俺は笑った。恐れは、なかった。星が、隣にいる。それで、十分だった。


 頭のなかで、俺はもう一度確かめた。ややこしい理屈は、いらない。要するにこういうことだ。


 ――捧げるのは、俺と星のたがいを想う気持ち。その、記憶ごと。それを核に街じゅうの想いをより合わせて、天網の、新しい根っこにする。そうすれば、天網は、二度と飢えない。星を読む必要も、消える。星は世界を終わらせる終縞じゃ、なくなる。ただの、女の子に戻れる。


 ――残るのは、二人の、命と。この、世界。失うのは、おたがいの、記憶だけ。俺が星を好きだったことも。星が俺を好きだったことも。ぜんぶ、忘れる。


 ……それだけの、ことだ。それだけの、ことなんだ。何度、言い聞かせても、胸は、軋んだ。だが迷いは、なかった。


 思えば、長い道のりだった。星読みとして、他人の死ばかり読んで、心を凍らせていた俺。そこへ、空から、この子が墜ちてきた。世界を終わらせる、化けもの、そう言われた、この子を俺は読まずに生かすと決めた。逃げて、逃げて、宵さんに助けられ、久遠と、対峙し。街じゅうの想いを集めて、……そのすべてが、この、一瞬のためにあった。この子を原初の終縞から、解き放つ。この、たった一つの願いのために。



◇



「みんな!」と、俺は集まった人々に叫んだ。「今から、この街を、永遠に、救う。原初の終縞を、読まずに。誰も、犠牲にせずに。……あんたたちの、遺したい想いを。俺たちに、貸してくれ!」


 人々が、いっせいにうなずいた。


 俺は目を閉じた。そして始めた。姉さんの、遺した、術を。


 自分のなかの、いちばん、熱いものを星への、想いを解き放つ。墜ちてきた夜。名前をあげた朝。白湯をあたたかいと、笑った顔。好きだと、言い合った夜。分け合った、光の、ぬくもり、……そのすべてを核として、天網へと、注ぎこむ。


 星も同じように俺への、想いを解き放った。


 二人の想いが、まざりあい。ひとつの、まばゆい光の、核になった。この世で、いちばん、強くて、純粋な、想いの、結晶に。


 その光は、やさしかった。俺と星の二か月あまりのすべてが、そこに詰まっていた。うれしかったことも、こわかったことも、悲しかったことも、……そのすべてが、より合わさって、ひとつの、まばゆい光になっていた。人が、誰かをこれほどまでに想える。その事実そのものが、世界を救う力になる。……姉さんが、信じたのは、この力だったのだ。



◇



 その核に呼応するように。


 街じゅうの人々の、胸から。光が、立ちのぼった。あの、闇の日の夜と、同じようにだが今度は、もっと、たくさん。もっと、あたたかく。数百、数千の、遺したい想いが、光の粒になって、俺と、星の核へと、より合わさっていく。


 死んだ女房への、詫び。生き別れた娘への、愛。焼けた故郷への、郷愁。……人々の、ひとつひとつの、想いが、俺と星の愛を核にして、ひとつの、巨大な、光の柱になっていく。


 俺には、その一つずつが、見えた気が、した。地下で、最初に匿ってくれた、あの老人の、死んだ女房に詫びる光。夫を亡くした、若い母親の、この子に父の顔を遺したいという光。母に礼を言えなかった、あの少年の光。奪ってばかりの人生を悔いた、老いた星読みの光。……そして、いちばん、うしろで、榊が、目を閉じていた。妻と、娘への、想いを震えながら、差し出していた。かつて、この光を目に見えないと、嘲笑った、その男が、今誰よりも、深く。想いを放っていた。


 観測所が、まばゆい光に包まれた。


 その光の柱が、天網との、繋ぎ目へと、流れこんでいく。原初の終縞の、代わりの、新しい根っこ。街ぜんぶの、想いで、編まれた、やわらかな根っこが、今天網に繋ぎ変わろうと、していた。


 それはただの、比喩じゃなかった。俺には、はっきりと、見えた。集まった想いが、無数の細い糸になって、絡み合い、より合わさっていく。一本では、切れてしまう、頼りない糸。だが街じゅうの、何千という想いが、束になると。原初の終縞に負けないほどの、太い縄になった。天網の、飢えという、底なしの穴。そこへ、その縄が、少しずつ、根を下ろしていく。飢えが、満ちていく。渇いた地面が、水を吸うように。想いの一つ一つは、小さい。だが集まれば、世界を繋ぎ止める。それを俺はこの目で、見た。



◇



 天網が、応えた。


 これまで、飢えて、原初の終縞を求め続けていた、天網が、街じゅうの、想いを受け取って、ゆっくりと、満たされていく。もう原初の終縞を星を読む必要が、なくなっていく。


 俺は感じた。星の体から。原初の終縞という、重荷が、少しずつ。剥がれ落ちていくのを。


「星……!」と、俺は目を開けた。


 星の体から、こぼれていた、光の粒が、少しずつ、消えていく。だがそれは星が、消えるんじゃ、なかった。逆だ。星が、原初の終縞から。ただの、人間へと、変わっていくのだ。世界を終わらせる、化けものから。ただの、女の子へと。


 俺はその光景に涙が、あふれた。ずっとずっと願ってきたことだった。この子を原初の終縞という、重荷から、解き放つ。ただの、人間にしてやる。誰にも、狙われず。誰にも、こわがられず。ただ普通の女の子として、生きられるように、……その願いが、今目の前で、叶おうとしている。うれしかった。心の底から。だがその喜びの、すぐ裏で、俺は知っていた。この、喜びの記憶さえ。もうすぐ、失うことを。


「灯……わたし……」と、星が、つぶやいた。「からだが……かるく、なってく。……あたたかいものが。ぬけていく。……でも、こわく、ない」


「ああ」と、俺は涙をこらえて、言った。「お前は、自由に、なるんだ。原初の終縞から。……ただの、女の子に、なるんだ」



◇



 だが


 それは始まりでも、あった。


 俺たちの想いが、核として、天網に捧げられていく。それはつまり、俺と星のたがいを想う気持ちが、記憶ごと、天網の、根っこの、一部になっていく、ということだった。


 俺の頭のなかから。少しずつ。記憶が、薄れはじめた。


 星の顔が、ぼやけていく。名前が、思い出せなく、なっていく。この子と、過ごした、日々が、まるで、砂が、指のあいだから、こぼれるように、……消えて、いく。


「星……」と、俺は必死にその手を握った。「お前の、名前は……なんだっけ……」


「灯……!」と、星が、叫んだ。涙を流しながら。「わすれ、ないで……! でも……わたしも……灯の、こと……」


 そのときだった。


 薄れゆく意識の、いちばん底から。星の声が、もう一度澄んだ。あの夜、地下水路で聞いた、あの声。何万年もの齢を纏った、静かで、底の知れない声。原初の終縞そのものの、声だった。


「――灯」と、星は言った。もうたどたどしくは、なかった。「わたしは、この世界が始まったときから、ずっと、ひとりだった。数えきれない別れを、見送ってきた。……でも、最後に。手放したくないと思えるものに、出会えた。あなたに。それは、何万年ぶんの孤独に、値する、奇跡だった」


 澄んだ声が、ふっと、揺れた。あの夜と、同じように。


「だから、ありがとう。灯。……わたしを、ひとりに、しないでくれて」


 言い終えると、その声は、また幼い、たどたどしい星に戻っていた。世界と同じ齢の孤独も、その記憶ごと、今天網へと、還っていく。最後にいちばん幼くて、いちばん人間らしい、涙声だけを残して。


「……いきたいよぉ。灯と、いっしょに……」


 俺の胸が、張り裂けた。この子は最後の最後まで、ただの、恋する女の子として、逝こうとしている。何万年の化けものではなく。俺の隣にいたがった、たった一人の、星として。


 二人の記憶が、同時に薄れていく。まざりあった想いが、天網へと、吸い込まれていく。


 不思議な、感覚だった。痛みは、なかった。ただ大切なものが、ひとつ、またひとつと、手のなかから、こぼれ落ちていく。この子と、初めて会った夜のこと、名前をあげたときの、この子の笑顔。二人で、逃げた日々。観測所で、光を分け合った、あの夜。……ひとつずつ。優しく。奪われていく。まるで、誰かが、そっと抜き取っていくように抗えなかった。抗う気も、起きなかった。これが、この子を生かす道なのだから。



◇



 俺は最後の力で、星を抱きしめた。


 もう名前も、思い出せない。この子が、誰なのかも、わからなく、なりかけている。だが腕のなかの、この、ぬくもりだけは、まだ覚えていた。この子を想う、この気持ちだけは、まだ消えて、いなかった。


「……好きだ」と、俺は消えゆく意識のなかで、囁いた。「お前が……誰だか、もう、思い出せないけど……。……好きだ。それだけは……本当だ……」


「……わたしも」と、星が、答えた。涙で、濡れた顔で、微笑んで、「なまえも……かおも……わすれちゃうけど。……すきって、きもちだけは……ほんとう。……ぜったい……」


 二人で、最後に額を合わせた。


 まざりあう光の、いちばん、まぶしい、その瞬間に俺たちは、おたがいの、すべてを世界のために捧げた。愛する、その気持ちごと、……この街の、人々を生かすためにそして、おたがいを生かすために。



◇



 光が、天を貫いた。


 これまでで、いちばん、大きく。いちばん、あたたかい、光の柱が、傷ついた終端の、空をまっすぐに貫いた。人工の夜を切り裂いて。


 天網が、完全に鎮まった。


 原初の終縞の代わりに、街ぜんぶの想いと、俺と星の愛を核にした新しい根っこが、天網に繋ぎ変わった。もう天網が飢えることはない。星を読む必要は、この世から消えたのだ。


 誰も、消えずに星も俺も生きて。


 ……ただおたがいのことは、何も、覚えていない、まま。


 光が、静かに収まっていく。あたたかい雨のように街ぜんぶに降りそそいで。


 俺はその場に崩れ落ちた。意識が、遠のいていく。腕のなかに誰か、いた気がした。あたたかい、誰か。だがそれが、誰なのか。もう。思い出せなかった。


 ――大切な、人だった、気がする。名前も、顔も、もう浮かばない。だがこの、胸の奥の、ぬくもり。この、切ないほどの、いとおしさ。それだけは、消えずに残っていた。記憶は、消えても、想いの、いちばん深い、根っこだけは、……きっと消えないのだと、俺は薄れゆく意識のなかで、そう、信じた。星と、交わした、約束を思い出しながら。何度、忘れても、また好きになる。何度、出会っても、また選び合う。……その約束だけを胸の、奥の奥に抱いて。


 それだけを最後に思いながら。俺の意識は、光のなかへ、溶けていった。

 名前も、顔も、過ごした日々も。すべてが天網へ吸い込まれていく。それでも二人は、最後に額を合わせた。すきって気持ちだけは本当――。光が天を貫き、世界は永遠に救われた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。