第56話 最後の約束
宵を丘に葬り、街は最後の儀式へ動きだす。榊も、償いのために力を貸す。儀式の前夜、灯と星は、忘れる前の、最後の約束を交わす。
宵さんを外縁の丘に、葬った。
崩れた廃墟の、いちばん高い場所。人工の空が、いちばん近く、見える丘に。俺と星と、地下の人々とで。小さな墓をつくった。花を手向けて。手を合わせた。
二年間、囚われて。それでも生き抜いて。最後に、星をかばって、逝った、宵さん。この人が、いなければ。俺は姉さんの、本当の道に、たどり着けなかった。星を救う方法も、知れなかった。……この人の、命が。俺たちをここまで、導いてくれた。
「宵さん」と、俺は墓に、語りかけた。「あんたの願いは、俺が、継ぐ。星を、生かす。姉さんの夢を、この街に、根づかせる。……見ててくれ」
星も墓の前で、涙をこぼした。
「よいさん……ありがとう。……わたし、いきるよ。よいさんが、まもってくれた、このいのちで。……ちゃんと、いきる」
風が、丘を吹き抜けた。まるで、宵さんが、うなずいたように。
俺は丘の上から、街を見下ろした。傷ついた、終端。崩れた塔。だがその街に、確かな、変化が、起きていた。人々が、瓦礫を片づけ、支え合い、明日をつくりはじめている。宵さんが、二年間、待ち続けた、その、与え合う世界の、芽吹きが。今この街に、あった。……間に合った。あんたに、見せたかったよ、宵さん。あんたと、姉さんが、夢見た、この景色を。
◇
街は、動きだしていた。
あの、闇の日の夜。街じゅうの人々が、想いを放って、世界を救った。あの記憶が。人々を変えていた。もう星をこわがる者は、いない。むしろ街じゅうの人間が、この子を守り、支えようと、していた。
宵さんを丘に葬った、その帰り道。俺は榊のところへ、足を向けた。あの夜、斬らなかった男。だが赦したわけじゃ、なかった男。
あれから、一晩、考えた。憎しみは、まだある。消えちゃいない。だが宵さんの墓の前で、俺は気づいた。この憎しみを抱えたまま、いつまでも、榊を突き放していても。宵さんは喜ばない。あの人は、いつも誰かを赦す側の人だった。……なら、俺も一歩だけ、踏み出してみる。赦しきれなくても。その、途中まででも。
「榊さん」と、俺は言った。「昨日は、赦せないと、言った。……その気持ちは、今も、ある。すぐには、消えない。だが」
俺は息を吸った。
「宵さんが遺した、この道を、成すのに。……あんたの力が、いる。評議会の内情を知る、あんたの手が。だから、来い。俺の隣で、償え。赦せるかどうかは、その先で、俺が、決める。……一緒に、世界を、守る側に、回れ。榊さん」
それは、赦しじゃ、なかった。赦しへの、入り口だった。憎しみと、必要と、かすかな希望を全部、抱えたままの、不格好な、手の差し伸べ方。だがそれが、精いっぱい、正直な、俺の一歩だった。
「灯さん……」と、榊は言った。深々と、頭を下げて。涙をこらえて。「私の、罪は。生涯、消えません。……せめて、償いに。この命、あなたたちの、道のために、使わせて、ください」
「償いは、死ぬことじゃ、ない」と、俺は言った。「生きて。この、与え合う世界を、守ることだ。……それが、宵さんへの、いちばんの、償いになる。俺が、あんたを赦せる日も。……たぶん、その先に、ある」
榊は声を詰まらせて、うなずいた。かつての敵が、こうして、同じ道を歩む側に、回るまで。宵さんの死という、重すぎる代償を払って。……それでも、これが、奪い合いの果てに、俺たちが、たどり着いた場所だった。
◇
準備は、着々と、進んだ。
姉さんの遺した、術。それを成すには。核となる、俺と星の想いに加えて。街じゅうの、無数の想いが、いる。それを天網に、注ぎこむ、仕組みが。
街の人々が、総出で、動いた。地下の者も。上の者も。榊たち、元評議会の者も。みんなで、天網観測所へと、想いを送る、道をつくった。かつて、星が、街じゅうの想いを受け止めた、あの光の柱を。今度は、意図して、起こすために。
俺はその光景を見て。胸が、熱くなった。かつて、ばらばらに、奪い合っていた、この街の人々が。今一つに、なって。世界を救おうと、している。星と、姉さんの、夢見た景色が。ついに現実に、なろうとしていた。
俺は榊と、地下の人々が、想いを送る道を整えていく様子を見ていた。誰も、命じられて、いない。みんな、自分から、動いている。この子を救うために。世界を守るために。かつて、その日を生きるので、精いっぱいだった人々が。今他人のために。見も知らぬ未来のために。汗を流している。……これが、想いの力だ。榊が、目に見えないと、嘲笑った、その力が。今街ぜんぶを動かしている。
だがその、輝かしい光景の、裏で。俺の胸には。重い、ものが、あった。
この儀式が、成れば。俺と星は。おたがいを忘れる。……この、二か月あまりの、すべてを。
命が、助かるのだから。世界が、救われるのだから。……それで、十分じゃ、ないか。そう、自分に、言い聞かせても。胸の、痛みは、消えなかった。この子と過ごした日々は。俺にとって。命そのものと、同じくらい、大切なものだった。それを手放す。まるで、心の半分をもぎ取られるような。そんな、痛みだった。だがその痛みごと。俺は受け入れると、決めたのだ。
◇
儀式の、前夜。
俺と星はまたあの、廃墟の屋根の上に、並んで、座った。人工の夜空を見上げながら。明日、俺たちは、おたがいを忘れる。そのことを二人とも、わかっていた。
「灯」と、星が、言った。「あした、で。……おわり、だね。わたしたちの、おもいでは」
「ああ」と、俺はうなずいた。「……でも、終わりじゃ、ない。お前は、生きる。俺も、生きる。この、与え合う世界で。……ただ、おたがいを、覚えてないだけだ」
星はしばらく黙っていた。それから俺の手を握って、言った。
「ねえ、灯。……やくそく、してほしいことが、ある」
「なんだ」
「もし」と、星は言った。「もし、わたしたちが。わすれたあとで。……どこかで、また、であったら。……そのときは。もういちど。……すきに、なってくれる?」
俺の胸が、締めつけられた。
◇
「ばか」と、俺は笑った。涙をこらえて。「約束するも、何も、ない。……何度、忘れたって。何度、出会ったって。俺は、お前を、好きになる。……そういうふうに、できてるんだ。俺は」
星の目から、涙が、あふれた。
「わたしも」と、星は言った。「わたしも、なんど、わすれても。……また、灯を、すきになる。ぜったい。……だって、灯は。わたしの、はじめての、ひかりだから」
俺はその体を抱き寄せた。強く。忘れる前の、この、最後の夜に。この、あたたかさを。忘れる、そのときまで。焼きつけておくように。
俺は星の耳もとで、囁いた。
「星。よく、聞け。……明日、俺は、お前を、忘れる。名前も、顔も。過ごした日々も。ぜんぶ。……でも、これだけは、言っておく」
俺は星の夜色の瞳を見つめた。腹の底から、声を絞り出した。
「愛してる。……この世界の、誰よりも。何よりも。お前を、愛してる。……忘れても、この気持ちは、嘘じゃ、ない。確かに、あったんだ。俺と、お前の、あいだに。……それだけは、絶対に、忘れないでくれ。たとえ、記憶が、消えても。魂の、いちばん奥で。覚えていてくれ」
柄にもない、言葉だった。だが今言わなければ。二度と、言えなくなる。忘れてしまえば。この気持ちすら、なかったことに、なる。だから俺は。ありったけの想いをこめて。この子に、伝えた。俺のいちばん、大切な、たった一つの、真実を。
◇
星は涙を流しながら。何度も、うなずいた。
「うん……うん……! わすれない。ぜったい、わすれない。……こころの、いちばん、おくで。ずっと、おぼえてる。灯のこと。灯の、この、きもちを」
どちらからともなく、二人で、抱き合った。人工の夜空の、下で。まざりあう、光の、あたたかさのなかで。明日、失う、この、かけがえのない時間を。一秒でも、長く。噛みしめるように。
夜が、更けていった。
俺は星を腕のなかに、抱いたまま。夜空を見上げた。姉さんの、終縞が、還っていった、あの空を。
――姉さん。見ててくれ。
俺は心のなかで、語りかけた。明日、俺は。あんたの、成せなかった道を。成し遂げる。星を生かして。世界を救う。その代わりに。俺はこの子との、いちばん大切な記憶を失う。……つらいさ。正直。だが後悔は、ない。愛する人を生かすためなら。この記憶くらい、くれてやる。それが、俺の選んだ、愛し方だ。奪うんじゃなく、与える。姉さんが、教えてくれた、その生き方で。俺はこの子を愛し抜く。たとえ、その愛の、記憶さえ、手放すことに、なっても。
東の空が。かすかに、白みはじめた。
――夜明けだ。
俺は静かに立ち上がった。腕のなかの星も目を覚ました。二人で、顔を見合わせて。うなずき合った。
最後の儀式の、朝が。来た。俺たちが、おたがいを忘れる、その代わりに。世界を救い。この子を生かす。……その、いちばん、切なくて、いちばん、美しい戦いの、幕が。今上がろうとしていた。
俺は星の手を握った。あたたかい光が、指に、灯る。この手の、ぬくもりも。今日で、忘れる。だが恐れは、なかった。星と、交わした、約束が。俺の胸に、あった。何度、忘れても。また好きになる。何度、出会っても。また選び合う。……その約束が、あるかぎり。俺たちは、負けやしない。忘却にすら。
二人で、丘を降りた。夜明けの光の、なかへ。街じゅうの想いが、待つ、天網観測所へと。姉さんの夢の、その先へ。俺と、星の二人で。
もし忘れたあとで、また出会えたら、もう一度、好きになってくれる?――何度忘れても、また好きになる。灯は、愛してると告げた。記憶が消えても、この気持ちだけは忘れないでくれ、と。




