第54話 榊の焦り
地下の人々の加勢で、榊の兵を押し返す。灯は榊に、恐怖を分かち合う道を説く。星も、榊に手を差し伸べる。
榊の兵が、廃墟に、なだれこんできた。
俺は崩れた戸口の陰から、飛び出した。手近な瓦礫を投げつける。先頭の兵が、ひるむ。その隙に、狭い廊下へと、誘いこんだ。ここなら、大勢でも、一度に、かかってこられない。一人ずつ、相手にできる。
だが多勢に、無勢だ。じりじりと、押される。焼けた手は、力が、入らない。俺は必死に瓦礫の陰を渡り歩き、時間を稼いだ。地下の人々が、加勢に、来るまで。それだけを信じて。
「無駄な、あがきを!」と、榊が、叫んだ。廊下の、向こうから。「観念しろ、星読み! その少女を、渡せば。この争いは、終わるのだ!」
「終わらねえよ!」と、俺は叫び返した。「あんたが、この子を、道具にしようとするかぎり。……俺は、何度でも、立ちはだかる!」
◇
そのときだった。
廃墟の、外から。鬨の声が、上がった。
地下の人々だ。あの老人を先頭に。棒や、鍬を手に、榊の兵の、背後から、襲いかかった。挟み撃ちだ。兵たちが、浮き足立ち、隊列が、乱れた。
「灯さんっ! 遅くなって、すまねえ!」と、老人が、叫んだ。
「爺さん……!」
俺はその加勢に、力を得た。人々と、呼応して、兵を押し返す。街の底の、痩せた人々。武器も、ろくにない。だがその数と、必死さが。武装した兵を圧倒しはじめた。
榊の兵が、次々と、倒れ、あるいは、逃げていく。形勢が、逆転した。
「くそ……! くそっ!」と、榊が、歯を食いしばった。「なぜだ! なぜ、この、街の底の、屑どもが……! 私は、この街を、救おうとしているのだぞ!」
◇
「救う、だと?」と、俺は榊に、詰め寄った。「あんたが、やろうとしてるのは、救いじゃない。……この子を、檻に、閉じこめて。街を、無理やり、生き延びさせるだけだ。それは、久遠と、同じだ。絶望を、力で、ねじ伏せようとする。……そんなやり方は、もう、終わったんだよ」
「黙れ!」と、榊は叫んだ。「では、どうしろと、言うのだ! その少女が、いるかぎり。天網は、いつ、飢えるか、わからん! 原初の終縞が、読まれれば。世界は、終わる! ……その、爆弾を。野放しに、しておけと、言うのか!」
俺は榊の目を見た。
その奥に、あるのは。恐怖だった。深い、深い、恐怖。世界が、終わることへの。制御できないものへの。……この男も、久遠と、同じだ。絶望に、のみこまれた、哀れな、人間だ。ただ久遠が、破滅に、賭けたのに対して。榊は力で、すべてを押さえこもうと、している。方向が、逆なだけで。根は、同じ、恐怖だった。 世界を終わらせて、やり直そうとした久遠。世界を力で、凍りつかせて、守ろうとする榊。二人とも、絶望の、成れの果て。そして二人とも。俺が、星に、出会わなければ、なっていたかもしれない、姿だった。恐怖に、負けた、俺自身の、影。だからこそ俺はこの男をただ憎むことが、できなかった。
「榊さん」と、俺は静かに言った。「あんたの、恐怖は、わかる。……でも、道は、ある。この子を、封じなくても。世界を、救う道が。……姉が、遺してくれた、道が」
◇
「戯言を!」と、榊は吐き捨てた。「そんな、都合のいい道が、あるものか! ……あるなら、なぜ、今まで、誰も、たどり着かなかった!」
「たどり着いたさ」と、俺は言った。「俺の姉が。二年前に。……ただ、一人じゃ、成せなかった。だが、今なら、成せる。俺と、星。二人でなら。……街じゅうの、想いを、集めて。天網を、永遠に、鎮める。誰も、犠牲にせずに」
「想いだと? 集める、だと?」と、榊は嘲笑った。「そんな、曖昧なものに。世界の命運を、賭けるのか。……ばかばかしい。想いなど。目にも、見えん。数えることも、できん。そんなもので、天網が、鎮まるものか!」
「見えるさ」と、俺は言った。「あんたも、見ただろう。あの、闇の日の夜。塔を、貫いた、光の柱を。……あれが、街じゅうの、想いだ。目に、見える形で。天を、貫いたんだ。……あれを、見てなお。想いの力を、信じられないなら。あんたは、よっぽど、心が、凍りついてる」
榊の、顔が、こわばった。あの光を。この男も、見たのだ。だが認められない。自分の、信じてきたものが。恐怖で、すべてを押さえこむ、そのやり方が。間違いだったと。
◇
そのとき。
廃墟の、奥から。星が、姿を現した。
宵さんに、支えられて。ふらつく足で。だがその目は、まっすぐ榊を見ていた。
「星! 出てくるな!」と、俺は叫んだ。
だが星はゆっくりと、榊のほうへ、歩み寄った。むき出しの手を差し出しながら。
「……さかき、さん」と、星は言った。消え入りそうな、声で。だが確かに。「あなたも……こわいんだね。せかいが、おわるのが。……たいせつなものを、うしなうのが」
榊の、動きが、止まった。
「わたしにも……わかる」と、星は言った。「わたしも、ずっと、こわかった。じぶんが、せかいを、こわすんじゃないかって。……でも。灯が、おしえてくれた。こわいのは、ひとりだからだって。わけあえば。こわくなくなるって」
星は榊に、その手を差し伸べた。
「さかきさんの、こわいきもち。……わたしに、あずけて。ひとりで、かかえこまないで。……わたしたちと、いっしょに。せかいを、まもろう」
それは、この子の、本心だった。かつて、自分を狩り立てた者たちすら。星は恨まなかった。ただその恐怖を理解し、分かち合おうと、する。……この子の、優しさは。俺なんかより、ずっと深くて、大きい。榊のような、敵にすら。手を差し伸べられるのだから。
◇
榊はその手を見つめた。
差し伸べられた、星の手。むき出しの、光の粒が、こぼれる、その手を。一瞬、榊の目が、揺れた。この、化けものと、恐れていた少女が。自分に、手を差し伸べている。恐怖を分かち合おうと、している。
だが。
榊の顔が、憎悪に、歪んだ。
「……ふざけるなっ!」
榊はその手を払いのけた。そして腰の短剣を抜いた。
「化けものが、人の、ふりをするな! ……貴様さえ、いなければ! 貴様さえ、消えれば! 世界は、安泰なのだ!」
榊が、星に、斬りかかった。逆上した、その刃が。星の細い体へと。
「星ぃっ!」
俺は飛び出した。だが遠い。間に合わない。
その、刹那。
俺と、星のあいだに。誰かが、割って、入った。
宵さんだった。
痩せた、その体で。星をかばうように。榊の刃の、前に。
◇
鈍い、音が、した。
宵さんの、背中に。榊の短剣が。深々と。突き刺さっていた。
「宵さんっ!」
俺は絶叫した。星も悲鳴をあげた。世界が、凍りついたように、感じた。
宵さんは星をかばったまま。ゆっくりと、崩れ落ちた。俺は駆け寄って、その体を抱きとめた。血が。あたたかい血が。とめどなく、俺の手を濡らした。
「宵さん! しっかりしろ! 宵さんっ!」
「……灯」と、宵さんはかすれた声で、言った。「星は……無事、かい」
「無事だ! 無事だから……! しゃべるな、宵さん!」
宵さんは俺の腕のなかで。かすかに、笑った。
「よかった……」と、宵さんは言った。「これで……詩織との、約束を……守れた。あの子の、弟を……星を……生かせた……」
榊は短剣を抜いた姿勢のまま。呆然と、立ち尽くしていた。自分の、したことに。震えながら。剣を握る手が、小刻みに、揺れていた。
俺の腕のなかで。宵さんの、痩せた体から。力が、抜けていく。二年間、囚われて。それでも生き抜いて。最後に、また星をかばって。……この人は。また詩織姉さんの、遺したものを守るために。その身を投げ出した。
――宵さん。
俺の目から。涙が、あふれた。怒りと、悲しみで。全身が、わなないた。声にならない叫びが、喉の奥で、渦を巻いた。
榊。この男は。また一つ。奪った。俺の大切なものを。この、与え合う世界の、入り口で。奪う世界の、亡霊が。最後の牙を剥いた。
だが俺は宵さんの、最後の言葉を聞いていた。星は無事かい、と。……この人は、死の間際まで。自分のことより。星のことを。詩織姉さんとの、約束を。案じていた。その、まっすぐな、優しさが。俺の胸を貫いた。
宵さん。あんたの想いは、無駄にしない。俺は心のなかで、誓った。あんたが、命を賭けて、守った、この子を。必ず、生かす。そしてあんたと、姉さんが、夢見た、与え合う世界を。この街に、根づかせてみせる。……それが、あんたへの、たむけだ。
だがその誓いの、すぐ裏で。腹の底に、黒いものが、渦を巻いていた。宵さんを奪った、あの男。榊。その姿を視界の端に、とらえたとき。俺のなかの、何かが。音を立てて、軋んだ。この、やり場のない怒りを。どこへ、ぶつければ、いいのか。俺には、わからなかった。
だが榊は、その手を払い、星に斬りかかる。間に割って入ったのは、宵だった。星をかばい、深々と刃を受けて。詩織との約束を守るために、宵は、また身を投げ出した。




