第51話 ふたりの種
榊の襲撃のなか、姉の声が、本当の第三の道を告げる。灯と星の、たがいを想う気持ちを核に、街じゅうの想いをより合わせれば、誰も消えずに天網を鎮められる、と。
榊が、兵を率いて、観測所に、踏みこんできた。
姉さんの声が、あと少しで、すべてを告げようとした、その、寸前だった。俺は星をかばって、身構えた。だが俺一人で、この兵の数を相手にできるはずが、ない。焼けた手は、うまく、動かない。星は消耗しきっている。……絶体絶命だった。もう打つ手が、ない。
「その少女を、確保しろ!」と、榊が、叫んだ。「動力源として、生きたまま、押さえるんだ! ……この期に及んで、逃がしてたまるか!」
兵たちが、俺たちへと、殺到した。
そのときだった。
観測所の、入り口から。鬨の声が、上がった。
◇
地下の人々が。なだれこんできたのだ。
あの、老人を先頭に。鍬や、棒を手に、手に、握って。地下で、榊の兵を食い止めていた、あの人たちが。ここまで、追ってきてくれた。星を守るために。
「灯さんっ! 加勢に来たよ!」と、老人が、叫んだ。
人々が、榊の兵に、組みついた。数では、こちらが、勝っていた。街の底の、痩せた人々。だがその一人ひとりが、必死だった。星を守るという、その一心で。武装した兵が、その勢いに、たじろぐ。
俺はその光景に、胸が、詰まった。かつて、誰のためにも、立ち上がらなかった、この人たちが。今命を賭けて、星のために、戦っている。……星が、変えたんだ。この人たちを。そして俺も。奪われるだけだった人生に、与えるという、生き方を教えてくれた。その恩を返すときが、来たのだと。誰もが、そう、思っているようだった。
俺はその隙に、星を抱え、観測所の、奥へと、退いた。天網との、繋ぎ目の、そばへ。宵さんも、よろめきながら、ついてくる。
「宵さん! こっちだ!」
混乱の、なかで。俺は姉さんの終縞を握りしめた。まだ光っている。姉さんの声の、続きを。聞かなきゃ、ならない。
◇
――灯。聞こえてる?
姉さんの声が、また響いた。硝子の筒の、光のなかから。
「姉さん!」と、俺は叫んだ。「続きを、教えてくれ! 二人とも、生きて、天網も、鎮める道って……なんだ!」
――よく、聞いて、灯。
姉さんの声は、優しかった。だが切迫していた。
――天網の、新しい根っこは。人間一人を丸ごと、捧げなくても、いいの。……本当に必要なのは。いちばん、強くて、いちばん、純粋な、たった一つの想い。それを核にして。街じゅうの想いをより合わせれば。誰も、消えずに。新しい根っこは、作れる。
俺の心臓が、跳ねた。
誰も、消えずに。星も俺も。生きたまま。天網を鎮められる。
「その、核になる想いって……!」
――この世で、いちばん、強い想い。……灯。あなたと、星の。おたがいを想う気持ちよ。
◇
俺は息をのんだ。
――その想いを核にすれば。街じゅうの想いが、より合わさって。星は、原初の終縞という重荷を、下ろせる。ただの、女の子に、戻れるの。
俺は震える声で、聞いた。
「……なんで、姉さんは。それを、一人で、やらなかったんだ」
――できなかったのよ、と、姉さんは、言った。悲しげに。
――核になるのは、たった一人の想いじゃ、足りないの。二人ぶんの、たがいを想い合う気持ち。それが、いるの。……私には、それを分かち合える相手が、いなかった。だから私は、途中までしか、たどり着けなかった。……でも、あなたには、星が、いる。二人でなら、できる。私が、できなかったことが。
俺は姉さんの終縞を握りしめた。目頭が、熱くなった。
姉さんは、これを俺に、託すために。この一行を遺したのだ。読まれるのを待っていたんじゃ、ない。俺が、星と出会い、たがいを想い合う、その日が、来るのを。待っていたのだ。
俺はその事実に、胸が、震えた。姉さんは、二年前に、逝った。だがその想いは、この一行のなかで、ずっと俺を待っていた。俺が、迷い、傷つき、それでも、前へ、進むのを。そして星と出会い、この子を心から、想うようになる、その日を。……姉さんは、俺を信じてくれていたのだ。弟なら、きっと自分の夢の続きを歩めると。その、深い信頼が。今俺の胸を熱く、満たした。
◇
「灯」と、隣で、星が、言った。話を聞いていたのだ。「わたしたちの……おたがいを、おもう、きもち。それが、せかいを、すくうの?」
「ああ」と、俺はうなずいた。「そうらしい。……お前と、俺の、この気持ちが。いちばん、強い。世界を、救えるくらいに、な」
星の夜色の瞳に。涙が、にじんだ。だがそれは、うれし涙だった。長いあいだ、この子を縛ってきた恐怖が。ようやく、解けようとしていた。俺は思わず、その手を強く握った。細い指が、握り返してくる。空から墜ちてきたあの夜、氷みたいに冷たかったこの手に。今は確かな熱が、通っていた。生きて、この手を握っていられる。ただそれだけのことが、涙が出るほど、うれしかった。
「よかった……」と、星はつぶやいた。「灯が、きえなくて、すむ。わたしも、きえなくて、すむ。……ふたりで、いきられる。ずっと」
俺も笑った。ようやく、道が、見えた。誰も、犠牲に、しなくていい、道が。星も俺も生きて。世界も、救う。姉さんが、たどり着けなかった、その先へ。俺たちなら、行ける。二人でなら。
だが。
姉さんの声が。ふいに遠のいた。同時に、硝子の筒の光が、弱まりはじめた。
「姉さん……!?」
――灯。……もう時間が、ないみたい。私の終縞は、あなたに、この道を告げるために、無理をして、光った。……だから、そろそろ、消える。
「そんな……! 待ってくれ、姉さん! まだ、聞きたいことが……!」
◇
――いいのよ、灯。
姉さんの声は、穏やかだった。
――私は、もう十分。あなたが、前を向いて、生きて。愛する人を見つけて。そして私の夢の、その先へ、進もうとしている。……それを見届けられた。もうなんの、心残りも、ない。
「姉さん……」
俺の頬を涙が、伝った。二年間、探し続けた、姉さん。読まないと、決めた、その一行。それが、最後の、最後に。俺に、道を示して。消えようとしている。
――灯。最後に、一つだけ。
姉さんの声が、優しく、響いた。
――前を向いて、生きて。星と、二人で。……幸せに、なりなさい。それが、姉ちゃんの、たった一つの、願いよ。
「……ああ」と、俺は涙をこらえて、言った。「約束する。……姉さん。ありがとう。……今まで、俺を、守ってくれて。最後まで、俺を、導いてくれて。……ありがとう」
硝子の筒の光が。ふわりと、あたたかく、輝いて。そして静かに消えた。
姉さんの終縞が。役目を終えて。夜空へと、還っていった。もう二度と、聞けない声を残して。だがその声は。俺の胸に、確かに道を灯していった。
二年間の、探し物が。こんな、形で、終わるとは。思っても、みなかった。読んで、姉さんの最期を知るんじゃ、ない。読まずに、姉さんの想いに、導かれる。……これが、姉さんの、遺した、本当の贈り物だったのだ。奪うんじゃなく、受け取る。それが、姉さんの、生き方だった。最後まで、俺に、それを教えてくれた。
◇
俺は姉さんの終縞の、消えた、空を見上げた。
――行ってくるよ、姉さん。あんたの夢の、その先へ。
そして星の手を握った。あたたかい光が、指に、灯る。この手を離さない。二人で、生きる。姉さんが、遺してくれた、この道を歩いて。
だがその、感傷に、浸る間も、なかった。
観測所の、入り口の、混乱が。こちらへ、近づいてくる。榊が、兵を押しのけ、血相を変えて。俺たちのほうへ、突き進んでくるのが、見えた。
「……その少女を、渡せと、言っている!」と、榊が、叫んだ。「与える? 分かち合う? ……くだらん! この街を、確実に、生き延びさせるには。その少女を、動力源として、押さえるしか、ないのだ!」
その声には、確信しか、なかった。だが、その確信の底に。俺は、かすかな震えを、聞いた気がした。まるで、そう信じ込まなければ、立っていられない、とでも、いうように。……この男も、何かを、失ったのか。ふと、そんな考えが、胸をよぎった。だがすぐに、打ち消した。今は、星を守るのが、先だ。
俺は星をかばって、立ちはだかった。
姉さんが、遺してくれた、道は、見えた。だがそれを成すには。まだ越えなきゃ、ならない、壁が、あった。この、榊という、絶望の、成れの果てが。俺たちの、前に、立ちはだかっている。久遠と、同じ顔をした、もう一人の男が。
――最後の、戦いだ。
俺は星の手を握りしめた。姉さんの、願いを。この胸に、抱いて。 榊を越える。星を原初の終縞から解き放つ。世界を救う。そして二人で生きる。……やることは、山ほど、ある。だが恐れは、なかった。姉さんが、道を示してくれた。星が、隣にいてくれる。地下の人々が、背中を押してくれる。俺はもう一人じゃない。かつて、誰にも心を開かなかった、臆病者の星読みは。もうどこにも、いなかった。ここにいるのは、大切なものを守り抜くと、決めた男だ。俺は前を見据えた。この一歩の先に星との明日がある。
姉は、それを分かち合える相手がいなかった。だから途中までしか行けなかった。灯には、星がいる。姉の終縞は役目を終え、夜空へ還った。読まないと決めた一行が、最後に道を示して。




