第50話 姉の一行
灯は光の壁を越え、星に告げる。一人で背負うな、と。二人で天網の根っこになろう、と。分け合うのが、俺たちの生き方だと。
俺は光の壁に、身を投げこんだ。
焼けるような、熱さが、全身を包んだ。星が、あふれさせた、無数の想いの光。それが、俺を拒む。押し返す。だが俺は退かなかった。歯を食いしばって。一歩、また一歩と。光のなかを進んだ。星のいる、中心へ。
視界が、白く、灼けた。息が、できない。想いの光は、まるで、生きているように、俺を押し戻そうとする。星が、無意識に、俺を遠ざけようとしているのか。それとも、この子の、消えたいという想いが、光に、なって、俺を拒むのか。……どっちでも、いい。俺は進む。この子が、俺を拒もうと。俺はこの子を迎えに行く。それが、俺の決めたことだ。
「灯……! だめ、こないで……!」
光のなかで、星が、叫んだ。だが俺は止まらなかった。
「うるせえ!」と、俺は叫び返した。「勝手に、消えようとしてんじゃねえ! ……お前一人で、決めるな。俺たちのことは、いつも、二人で、決めるって、言っただろうが!」
俺は光をかき分けて。ついに星のもとに、たどり着いた。そしてその、細い手を掴んだ。
◇
「星!」と、俺はその肩を掴んだ。「聞け! お前一人を、根っこになんて、させねえ!」
「でも……!」と、星が、泣きながら、言った。「このままじゃ、灯が、わたしの、かわりに……! そんなの、たえられない!」
「俺だって、同じだ!」と、俺は叫んだ。「お前が、消えるなんて、耐えられねえ! ……なあ、星。俺たちは、ずっと、そうしてきただろう。一人ぶんの光を、二人で、分け合って。減ったら、足して。……なら、これも、同じだ」
星が、はっと、俺を見た。
「二人で、背負うんだ」と、俺は言った。「お前一人が、根っこになるんじゃない。俺一人が、身代わりになるんでもない。……二人で、天網の、新しい根っこに、なる。二人ぶんの想いを、分け合って、天網に、捧げる。……そうすりゃ、一人あたりの、代償は、半分だ。もしかしたら。二人とも、消えずに、すむかもしれない」
根拠なんて、なかった。だが俺はそう、信じたかった。分け合えば、乗り越えられる。俺たちは、いつもそうしてきたんだから。一人では、無理でも。二人でなら。……その、たった一つの、希望に。俺は賭けた。
それは、とっさに浮かんだ、思いつきだった。理屈が、通るかは、わからない。だが俺たちの、生き方は、ずっとそうだった。分け合うこと。それが、俺と、星の答えだった。
この二か月あまり、俺たちは、そうやって、生きてきた。星が、力を使い、消耗すれば。俺が、光を分けた。俺が、削れれば。星が、あげると、言ってくれた。一人ぶんの命を二人で、支え合う。それが、俺たちの、生き方だった。……なら、この、途方もない重荷だって。二人でなら、背負えるはずだ。一人で、抱えこんで、一人で、消えるなんて。そんな、寂しい終わり方は。俺たちには、似合わない。
◇
「二人で……?」と、星が、つぶやいた。
「ああ」と、俺はうなずいた。「一人で、抱えこむな。それは、俺たちの、やり方じゃない。……お前が、俺に、教えてくれたんだろう。わけあおうって。減ったら、あげるって。……なら、この重荷も、二人で、分けようぜ。星」
星の目から、涙が、あふれた。だがその涙は、さっきまでの、絶望の涙とは、違った。
「……うん」と、星はうなずいた。「うん……! ふたりで。ふたりで、せおう」
俺は星の手を握りしめた。そして二人で、観測所の、天網との繋ぎ目へと、向き合った。俺の姉さんのノートに、記された、儀式の術。それを二人で、行う。二人の想いをより合わせて。天網の、新しい根っこに、捧げる。
俺は目を閉じた。自分のなかの、すべてを。星への想い。姉さんへの想い。この街で、生きてきた、すべての記憶を。天網へと、差し出そうと、した。星も俺の隣で、同じように。二人の光が、まざりあい、天網の繋ぎ目へと、伸びていく。
――さよならは、言わねえ。二人でなら、きっと生き延びられる。
俺はそう、信じて。すべてを解き放とうと、した。
この、雲の上の都市。人工の夜に、覆われた、終端。ここで、生きてきた、十七年。姉さんと、暮らした、日々。星読みとして、他人の死を拾い続けた、灰色の毎日。そして星と、出会ってからの、まばゆい日々。……そのすべてを俺は天網に、差し出そうとした。惜しくは、なかった。この子と、一緒になら。星屑に、なっても、いい。二人で、夜空の光に、なって。この街を支え続ける。それも、悪くない。……そう、思えるほど。俺はこの子を愛していた。
◇
だがそのときだった。
俺の懐が。熱く、なった。
姉さんの、終縞だ。硝子の筒のなかで。姉さんの、最後の一行が。まばゆく、輝きはじめていた。俺が、読まないと、決めた、あの一行が。ひとりでに。
「……なんだ?」
俺は懐から、その筒を取り出した。姉さんの終縞が、これまでにない、強い光を放っている。まるで、俺たちの、儀式に、呼応するように。何かを告げようとするように。
そして。
その光のなかから。聞こえてきた。
――灯。
姉さんの、声だった。二年ぶりに、聞く、姉さんの、声。
俺は息をのんだ。読んでいないのに。姉さんの、終縞から。声が、聞こえる。
ありえないことだった。星屑は、読んで、初めて、その記憶に、触れられる。読まずに、声が、聞こえるなんて。そんなことは、星読みの、常識には、ない。……だが、聞こえた。確かに。姉さんの、声が。あの、優しくて、少し、いたずらっぽい、声が。二年間、忘れたことのない、その声が。俺の名を呼んだ。
俺はその場に、立ちすくんだ。星も隣で、息をのんでいた。あふれていた、想いの光が。姉さんの終縞の光に、包まれて。少しずつ、静まっていく。まるで、この一行に、場を譲るように。……姉さんが。二年前に、逝った、姉さんが。今この、いちばん切羽詰まった瞬間に。俺と星を助けようとしている。読まないと、決めた、その一行から。俺の胸に、熱いものが、こみ上げた。読まなくて、よかった。ずっとそばに、置いておいて、よかった。
◇
――灯。だめよ。その道は、だめ。
姉さんの声が、光のなかから、はっきりと、響いた。俺の動きが、止まる。星も驚いて、その光を見つめている。
――二人で根っこになれば、代償は半分。あなたは、そう考えたのね。優しい子。でも違うの。二人でも、代償は、消えない。……二人とも、少しずつ、削れて、いずれ、消えてしまう。ゆっくりと。それは、もっと、残酷な、道よ。
俺は愕然と、した。二人でも、だめなのか。俺のとっさの、思いつきは。姉さんに、見透かされ、否定された。
――でも、灯。もう一つ、道が、あるの。
姉さんの声が、続いた。優しく。だが力強く。
――私が、ずっと探していた、本当の答え。第三の道の、その先。……二人とも、消えずに。星もあなたも、生きて。そして天網も、鎮める道。それが、あるの。私の、終縞のなかに。……それをあなたに、託すために。私は、この一行を遺したの。読まれるのを待っていたんじゃ、ない。あなたが、ここに、たどり着くのを待っていたのよ。
俺は姉さんの終縞を握りしめた。手が、震えていた。
「姉さん……その道って……」
――聞きなさい、灯。よく、聞いて。天網の、新しい根っこは。人間の終縞じゃ、なくても、いい。……本当に必要なのは。
だが。
姉さんの声が、そこで。ふいに遠のいた。
「な……姉さん!?」
姉さんの終縞の光が、ゆらいだ。同時に、観測所が、大きく、揺れた。
「そこまでだ、星読み!」
榊の、怒声。振り返ると、榊が、兵を率いて。観測所の、なかへ、踏みこんできていた。俺たちの、儀式を止めようと。あるいは、この、天網との繋ぎ目そのものを奪おうと。
姉さんの声が。あと、少しで。すべてを告げようとした、その、寸前で。
最後の戦いの、幕が。切って、落とされた。俺の手のなかで、姉さんの終縞が、二人を生かす道を告げようと、明滅していた。……その答えを聞き遂げられるか、どうか。すべては、この、最後の攻防に、かかっていた。
俺は姉さんの終縞を懐に、しまい直した。そして星の手を握りしめて。榊をにらんだ。ここまで、来たんだ。あと、少しなんだ。姉さんが、遺してくれた、二人を生かす道。その答えを必ず、聞き遂げる。そのためなら。この榊も、迫りくる兵も。ぜんぶ、押しのけてやる。
――待ってろ、姉さん。すぐに、続きを聞くから。
俺は星の手を強く握った。あたたかい光が、指に灯る。冷たかった指先が、ほんの少し、あたたかさを取り戻す。もう、迷いはなかった。榊も、迫る兵も、ぜんぶ越えて――この子と二人で、必ず、生きて帰る。
だが、読まないと決めた姉の終縞が、ひとりでに光り、姉の声が響く。二人でも消えてしまう、でも、二人とも生きる道がある、と。その答えを告げる寸前、榊が踏みこんできた。最後の攻防が、幕を開ける。




