第5話 消えた光
星の体には、本人も知らない力が眠ってた。
それが、いちばん悪い形で、目を覚ます。
その日は、朝から風が強かった。
人工の空でも風は吹く。雲の上の街は、天気が変わりやすい。強い風の日は、星屑がよく揺れる。読みやすい日だ、と星読みたちは言う。揺れる星は光の尾を長く引くから、狙いをつけやすい。
俺は久しぶりに仕事に出ることにした。金が尽きかけていた。星を家に置いていくのは不安だったが、戸締りを厳重にして、絶対に外へ出るなと、何度も言い聞かせた。板を打ちつけた窓をもう一度確かめた。
「すぐ戻る。夕方には帰ってくる。それまで、誰が来ても、開けるなよ」
「わかった」と星はうなずいた。「灯、きをつけて」
その言葉に見送られて、俺は仕事場を出た。振り返ると、扉の隙間から、星がこちらを見ていた。手を振ってやると、うれしそうに振り返してきた。
――今思えば、あれが間違いだった。あの振り返した手を俺は一生、忘れない。
◇
仕事は、すぐに終わった。風のおかげで、狙った星屑が、いつもより早く読めた。回収した終縞を懐にしまって、俺は急いで家路についた。風が、外套をばたばたと鳴らす。
嫌な予感が、ずっとしていた。仕事のあいだも、胸の奥が、ざわついて仕方なかった。
その予感は、当たっていた。
仕事場の前まで来て、俺は凍りついた。
扉が、こじ開けられていた。蝶番が壊れて、扉が斜めに傾いている。中からは、物音がした。争うような音。何かが倒れる音。そして――星の悲鳴。
「星っ!」
俺は中に飛び込んだ。懐の終縞が落ちたのにも、気づかなかった。
仕事場は、めちゃくちゃに荒らされていた。棚は倒れ、作業台はひっくり返っている。皿も、工具も、床に散らばっている。その真ん中で、星が壁に追い詰められていた。
そしてその前には、あの男がいた。
鴉羽。それに手下らしき男が二人。
「よう、坊や」と鴉羽はにやりと笑った。「悪いな。留守を狙わせてもらったぜ。まさか、こんなに早く帰ってくるとはな」
「星から、離れろ」
俺は震える声で言った。だが鴉羽は動じない。手下の一人が、俺の前に立ちふさがった。がっしりとした体で、道をふさぐ。
「大人しくしてな、坊や。俺たちは、その星屑をいただきに来ただけだ。読めば、いくらになるか。あんたにゃ、わからねえ金額だぜ」
「あの子は、星屑じゃない」
「同じことだろ」
鴉羽は星のほうへ手を伸ばした。分厚い、節くれだった手だ。
「さあ、お嬢ちゃん。ちょっと、こっちへ来な。痛いことは、しねえよ。……最初だけ、ちょっと熱いかもしれねえがな」
星は壁に背をつけたまま震えていた。頭巾は脱げ、手袋も片方外れている。むき出しの指先から、光の粒が、ぼろぼろとこぼれ落ちていた。恐怖で、光が抑えられなくなっている。抑えようとするほど、あふれてくる。
「灯……灯……っ」
星は俺の名を呼んだ。助けを求めて。俺だけを見ていた。
だが俺は動けなかった。手下に、腕をねじり上げられていた。肩が、外れそうなほど痛い。それでも痛みなんて、どうでもよかった。
「星っ、目を閉じろ! 見るな!」
俺は叫んだ。声が、裏返った。
鴉羽の手が、星の腕をつかもうとした、その瞬間だった。
星が目をかっと見開いた。
夜色の瞳のなかで、無数の光が、激しくまたたいた。まるで夜空そのものが、その目のなかに閉じこめられているみたいに。
「――いや……っ!」
悲鳴とともに、星の体から、光があふれ出した。
それは、爆発みたいだった。まばゆい光が、部屋いっぱいに広がった。俺は思わず目をつぶった。手下の腕が、ゆるむ。まぶたの裏まで、白く染まる。
そして――
光が、収まったとき。
鴉羽と手下たちは、床にへたり込んでいた。呆然とした顔で、宙を見つめている。まるで魂が抜けたみたいに。口を半分開けたまま。
「……あ、れ」と鴉羽がかすれた声で言った。「俺は……何を、しに、来た……?」
俺はぞっとした。
鴉羽の目から、あの獲物を狙う光が、消えていた。代わりにあるのは、迷子になった子どものような、うつろな表情だった。さっきまでの、あの残忍さが、跡形もない。
「ここは……どこだ。俺は……俺は、誰だ……?」
鴉羽は自分の手を見つめて、震えていた。自分の名前すら、思い出せないらしい。
――記憶が、消えている。
星の力が、鴉羽たちの記憶を消しちまったんだ。まるで星屑を読んだときみたいに。いや、逆だ。読んで奪うんじゃない。触れずに、消したんだ。星読みとは、正反対の力。
手下の二人も、同じだった。自分が誰かも、なぜここにいるのかも、わからなくなっている。子どもみたいにきょとんと座り込んでいる。互いの顔を見合わせて、首をかしげている。
俺は何も言えなかった。
これが、星の力。
この子は人の記憶を消せる。
◇
鴉羽たちは、しばらくして、ふらふらと出ていった。
自分が何者かもわからないまま、逃げるように。壁に手をつき、よろめきながら。憐れなものだった。あんな悪党でもあの姿を見ると、胸が痛んだ。ついさっきまで、星を奪おうとしていた男なのに。
俺は崩れ落ちるように床に座り込んだ。膝が、笑っていた。
助かった。確かに、助かった。だが――。
「灯」
小さな声がした。
振り返ると、星が部屋の隅で、震えていた。自分の両手をじっと見つめている。その顔は、真っ青だった。血の気が、まるでない。
「わたし……いま、なにを、した……?」
その声が、あんまりにも怯えていたから、俺はなんと答えていいか、わからなかった。
「あのひとたち……め、が、へんに、なった。わたしが……わたしが、やった……?」
「星……」
「わたし、こわい。灯、わたし、こわい……っ」
星は両手で顔を覆って、その場にうずくまった。細い肩が、震えている。指のあいだから光の粒が、ぽろぽろとこぼれ落ちる。
俺はそばに駆け寄った。だが抱きしめてやることも、できない。触れれば、この子は崩れちまう。俺はただそのそばに膝をついて、うずくまる星の背中に、手をかざすことしか、できなかった。届きそうで、届かない。それが、たまらなかった。
「大丈夫だ」と俺は言った。声が、少し震えていた。「お前は、悪くない。ただ、身を守っただけだ。あいつらが、お前を、傷つけようとしたから」
「でも、わたし……ひとの、あたまの、なかを……」
星は顔を上げた。その頬を光の粒が、涙みたいに流れていた。
泣いている。この子は泣いている。自分の力に、怯えて。助かったことを喜ぶどころか、震えている。
「わたし……やっぱり、わるいもの、なの……?」
その問いに、俺は答えられなかった。すぐには。
この子は人の記憶を消せる。無意識に。恐怖にかられれば、また同じことが起きるかもしれない。今度は、誰を消すか、わからない。
それは、とても危険な力だ。
でも――。
俺は震える星の顔を見た。自分の力に怯えて、泣いている、この子を。誰かを傷つけたことをこんなにも、悲しんでいる、この子を。
こんなに優しい子が、悪いものであるはずがない。俺はそう思いたかった。思わずには、いられなかった。
「お前は、悪いものなんかじゃない」
俺ははっきりと言った。星の目をまっすぐ見て。一言ずつ、心をこめて。
「いいか、星。世の中には、力が悪いんじゃなくて、使うやつが悪い、ってことが、山ほどある。……お前の力は、お前が泣くために、あるんじゃない。お前が、大事なものを守るために、あるんだ。それを決めるのは、世界でも、あいつらでもない。お前だ」
星が涙で濡れた目で、俺を見上げた。
「怖かったよな。ごめんな、一人にして。もう、二度と、一人にはしない。……だから、泣くな。お前が泣くなら、その理由のほうを、俺が、全部、ぶっ潰してやる」
星はしばらく俺を見ていた。それからこくりとうなずいた。まだ光の涙を流しながら。うなずいてくれた、それだけで、少し救われた気がした。
その夜、星はなかなか眠れないようだった。何度も寝返りを打っては、小さく、うなされていた。俺は床から、その様子をずっと見ていた。手を握ってやれたら、どんなにいいか。だがそれができない。触れれば、この子は崩れる。俺の指が、この子を傷つけちまう。
守ると誓ったのに、俺には、頭をなでてやることも、手を握ってやることもできない。ただそばにいることしか。それが、たまらなく、もどかしかった。
やがて星が小さな声で、寝言をこぼした。ごめんなさい、と。何度も何度も。誰に、謝っているのか。記憶を消しちまった、あの男たちにか。それとも、こんな力を持って生まれた、自分自身にか。俺はその寝言を聞きながらこぶしを握りしめた。
その夜、俺は決めた。
この子を守る。何があっても。この力ごと、全部、受け止める。
たとえ、この子が何者だったとしても。
窓の外では、風が、まだ吹いていた。板の隙間から、あの濃い夜の穴が、細く見えた。あの穴の向こうに、この子の秘密が、隠されている。そんな気がした。だがそれが何であれ、俺の決意は、変わらない。
――その決意が、どれほど重いものになるか、このときの俺はまだ知らなかった。
星の力が、初めて暴走した。人の記憶を消す力だ。守るための力が、彼女自身をいちばん傷つけてる。
次は、怯える星に灯が寄り添う。そして灯が、二年間ずっと言えなかった本心を、少しだけ吐き出す。




