第4話 星読みの街
いつまでも、家に閉じこもっちゃいられない。
灯は星を連れて、街の中心へ出る。この世界がどう回ってるのか、少しだけ見せる。
鴉羽が来てから、俺は星を家から出さないようにしていた。
だがそれにも限界があった。食い物が尽きた。終縞を納めた金も、そろそろ底をつく。買い出しに出るしかない。腹が減っては、守るも何もない。
問題は、星をどうするかだった。
一人にしておくのは危ない。鴉羽がいつ戻ってくるかわからない。かといって、あの光る指のまま街を歩かせるわけにもいかない。あの光を見れば、鴉羽でなくても、誰かが目をとめる。
俺は姉さんの残していった外套を引っぱり出した。深い頭巾のついた、古いやつだ。長らく箱の底にしまいこんでいた。開けるとかすかに姉さんの匂いがした気がした。気のせいだと思うことにした。それを星に着せて、手には古びた手袋をはめさせた。これで、光がこぼれるのも隠せる。
「……どう」
星は袖のなかで手をぱたぱたと振った。外套は大きすぎて、まるで子どもが大人の服を着ているみたいだった。裾を引きずって、頭巾は目の上まで落ちてくる。
「まあ、悪くない」と俺は言った。「ちょっと大きいけどな。それより、街では俺のそばを離れるなよ。手袋も、絶対に外すな」
「わかった」
星はこくりとうなずいた。頭巾の奥で、夜色の瞳が、少しわくわくしているみたいに光っていた。外に出られるのが、うれしいらしい。三日ぶりの外だ。無理もない。
俺はその顔を見て、少しだけ胸が痛んだ。
この子はこんな窮屈な逃げ隠れの暮らしを当然みたいに受け入れている。文句一つ言わない。閉じこめられても、隠されても、ただ俺のそばにいられるのを喜んでいる。それが、かえってつらかった。
◇
街の中心は、いつものように人でにぎわっていた。
終端は、雲の上に浮かぶ、すり鉢みたいな形をした街だ。中心にいくほど低くなっていて、いちばん底に、評議会の白い塔がそびえている。星読みたちは、その塔の周りに住んでいる。市場は、塔を囲むようにして広がっていた。人の声、物売りの声、荷車の軋み。街の音が、すり鉢の底にたまって、渦を巻いている。
星は頭巾の奥から、きょろきょろとあたりを見回していた。
「灯、あれは」
「食い物を売ってる店だ」
「あれは」
「服屋。……いちいち聞くな、目立つだろ」
言いながらも、俺は少しおかしくなっていた。星にとっては、何もかもが初めてなんだ。パンの匂い。人の声。店先に並んだ色とりどりのもの。俺には見飽きた景色が、この子の目には、宝物みたいに映っているらしい。頭巾の奥で、瞳が忙しく動いている。
俺は必要なものを手早く買い集めた。パン。干した肉。油。星がいると、つい長居しちまいそうになる。あれは何だ、これは何だと、聞きたそうにするから。早く帰らなければ。人の多い場所は、それだけで危ない。
果物屋の前を通ると、星がふと足を止めた。赤い実が、山のように積まれている。星はそれをじっと見つめていた。頭巾の奥の目が、まんまるに開いている。
「灯、あれ、きれい」
「食いもんだ。きれいなだけじゃない、甘いんだぞ」
「あまい……?」
星は甘い、という言葉も、知らないらしい。俺は少し迷って、いちばん小さい実を一つだけ買った。ろくに金もないのに。だがこの子のあの目を見ていると、断れなかった。星はそれを手のひらにのせて、宝物みたいに見つめていた。食べ方も知らずに、ただうれしそうに。こんな小さなことで、こんなに喜ぶ。それがなぜか俺の胸を締めつけた。
だが市場の一角を通りかかったとき、俺の足は、勝手に止まった。
そこには、星読みたちが集まる酒場があった。俺が普段は近づかない場所だ。だがその日は、店先に人だかりができていた。何やら、ざわついている。
「――聞いたか。また一つ、でかいのが読まれたらしいぜ」
「例の、忘却病の薬か?」
「ああ。おかげで、また街の命が延びたってよ」
星読みたちの噂話だった。俺はなんとなく足を止めて、それを聞いていた。仕事仲間の噂は、たまに、金になる話につながる。
そのなかに、聞き覚えのある名前が混じっていた。
「そういや、あの女星読みの噂、知ってるか」
「女星読み?」
「二年前の灼き落としの夜さ。街が焼けてるってのに、燃える建物に飛び込んでった星読みがいたって話だ。誰かを助けようとしてな。……そのまま帰ってこなかった」
俺の心臓が、ぎゅっと縮んだ。息が、一瞬止まった。
二年前。灼き落とし。飛び込んでいった女の星読み。
――姉さんだ。
「馬鹿な女だよなあ。星読みが、自分の命を投げ捨てるなんて。俺たちの仕事は、死んだやつの心を拾うことだろ。生きてるやつを助けるのは、俺たちの役目じゃねえ」
その言葉に、頭にかっと血が上った。目の前が、赤く霞んだ。
気づいたら、俺は人だかりをかき分けて、その男の胸ぐらをつかんでいた。
「――もう一度言ってみろ」
「な、なんだお前」
「姉さんのこと、馬鹿とか言うな。二度と言うな」
男は、俺の顔を見て、ぎょっとした。周りの星読みたちも、ざわめいた。誰かが、冬瀬、と俺の名を呼ぶのが聞こえた。
「お前……冬瀬んとこの、弟か」
「離せよ、灯」
突然、後ろから腕をつかまれた。星だった。頭巾の奥から、心配そうに俺を見上げている。小さな手が、俺の腕を必死につかんでいる。
「……だめ。けんか、だめ」
その声で、俺は我に返った。
周りが、みんな俺を見ている。目立っている。まずい。星を連れているのに、俺は何をしているんだ。
俺は男の胸ぐらから手を離した。荒い息をなんとか整える。
「……悪かった」
絞り出すように言って、俺は星の手を引いて、その場を離れた。背中に、いくつもの視線が刺さるのを感じた。
◇
市場のはずれまで来て、俺はようやく足を止めた。
壁にもたれて、大きく息を吐く。まだ手が震えていた。怒りなのか、後悔なのか、自分でもわからなかった。
「……ごめんな。びっくりさせた」
「灯」と星が言った。「いまの、おねえさん?」
どきりとした。星は俺の話をちゃんと聞いていたんだ。あの騒ぎのなかで、いちばん大事なところだけをしっかりつかんでいた。
「……ああ」と俺はうなずいた。「俺の、姉さんだ。二年前に死んだ。この街が焼けた夜に、燃える建物に飛び込んで、そのまま帰ってこなかった。……誰かを、助けようとして」
星はじっと俺を見ていた。何も言わない。ただ俺の手をそっと握った。手袋越しでもその手のぬくもりが伝わってきた。小さくて、頼りない手なのに、不思議と、心が落ち着いた。
「俺はさ」と俺は誰にも言ったことのないことを口にしていた。「姉さんの星を、探してるんだ。あの空のどこかに、姉さんの終縞があるはずなんだ。それを読めば、姉さんの最期に、会える。何を思って死んだのか、わかる。……でも、見つからない。二年、探して、見つからない」
言いながら情けなくなった。
結局、俺は姉さんを守れなかった。せめて、その最期くらい、知りたい。それだけのことすら、できずにいる。二年も、同じ場所で足踏みしている。
「灯は」と星がぽつりと言った。「おねえさんに、あいたいんだね」
その一言に、俺はうつむいた。
会いたい。二年間、ずっと押し殺してきた、その気持ちをこの子はたった一言で言い当てた。会いたい。そうだ。ただ会いたいだけなんだ。
「……ああ」と俺はかすれた声で答えた。「会いたいよ。すごく」
星はしばらく俺の手を握っていた。それから、頭巾の奥で、ふわりと笑った。
「わたし、てつだう。おねえさんの星、いっしょに、さがす」
俺はその顔を見て、なんだか泣きそうになった。
こんな不安定な、いつ消えるかもわからない子が、俺の姉さんを一緒に探してくれると言う。自分のことだけでも精いっぱいだろうに。
俺はその頭をくしゃりとなでた。頭巾の上から。
「……ありがとうな」
その日、俺は初めて、誰かに姉さんの話をした。二年間、胸の奥にしまいこんでいたものを少しだけ、外に出した。誰にも言えなかったことをこの子にはなぜか話せた。まっすぐな目で聞かれると、隠しごとが、できなくなる。不思議な子だ。
そして初めて、少しだけ、気持ちが軽くなった気がした。ずっと一人で抱えていた石を半分だけ、誰かに持ってもらえたみたいに。帰り道、星は俺の手をずっと握っていた。小さな手だった。それでもその手のぬくもりが、俺の隣に、確かに、誰かがいるのだと、教えてくれた。二年ぶりに、俺は一人じゃなかった。
だが俺は知らなかった。
この幸せな時間が、そう長くは続かないことを。そしてこの子を守ると誓ったことがやがて俺自身をいちばん苦しい選択へと、追いつめていくことを。あのときは、まだ何も、知らなかった。あのときの俺は、この静かな時間が、ずっと続くものだと、勝手に信じこんでいた。
灯が、初めて他人に姉のことを話した。ずっと一人で抱えてたものを、星に少しだけ預けた。
……だが、平穏はここまで。次で、事件が起きる。星の力が、思いがけない形で暴れ出す。




