第3話 鴉の目
平穏は、長くは続かない。
星屑を金に変えて生きてる連中が、灯たちに目をつける。
星がうちに来て、三日が過ぎた。
この子は驚くほど早く言葉を覚えた。朝には片言だったのが、夜には短い文を話せるようになる。俺が名前を教えると、次の日にはもう使いこなしている。まるで忘れていたものを思い出すみたいに。皿、匙、窓、火。一度教えれば、二度と間違えない。俺よりよほど、頭がいいのかもしれない。
ただ覚えないこともあった。自分がどこから来たのか。なぜ体から光がこぼれるのか。そういうことは、いくら聞いても「わからない」で終わる。嘘をついている様子はない。本当に、何も知らないんだ。聞かれると、決まって困った顔をして、うつむいちまう。だからだんだん、聞かなくなった。
「灯、これは」
星が窓の外を指さした。夜空だ。
「星だよ。お前と同じ名前の」
「あれは、なに。ひかってる」
「あれはな……死んだ人の、心だ」
俺がそう言うと、星はきょとんとした。俺はしばらく迷ってから、続けた。この子には、いつか話さなきゃいけないと思っていた。どうせ、この街で暮らすなら、避けては通れない話だ。
「人が死ぬとな、その心が一行の言葉になって、空へ昇る。それが、あの星屑だ。俺の仕事は、あれを読むこと。読めば、死んだ人が知ってたことがわかる。……でも、読んだ星は消える。だから」
俺はそこで言葉を切った。うまい言い方を探したが、見つからなかった。だからそのまま言った。
「読むのは、殺すのと、同じなんだ」
星はじっと空を見上げた。それから、小さな声で言った。
「かなしい、しごと」
その一言が、胸に刺さった。
三年、この仕事をしてきて、誰にもそう言われたことがなかった。星読みは尊い仕事だと、街のやつらは言う。命をつなぐ仕事だと。感謝もされる。頭も下げられる。誰も、悲しいとは言わない。悲しいなんて言えば、この街では生きていけないからだ。
俺はなんとも言えなくなって、窓を閉めた。星の顔をまともに見られなかった。
悲しい仕事。そう言われて、初めて気づいた。俺はずっとこの仕事を悲しいと思っていたんだ。ただそう思ってはいけないと、自分に禁じていただけだった。悲しんでいたら、指が止まる。指が止まれば、飯が食えない。だから感じないふりをしてきた。他人の死に、慣れたふりをしてきた。
でもこの子はあっさりと、その嘘を見抜いた。悲しい仕事、と。たった六文字で。
なんだか、胸のつかえが、少しだけ、軽くなった気がした。誰かに、悲しいと言ってもらえただけで。おかしなもんだ。慰められたわけでもないのに。
◇
異変が起きたのは、その翌日だった。
俺が終縞を評議会に納めに出かけて、昼過ぎに戻ってくると、仕事場の前に、見慣れない男が立っていた。
黒い外套。深く帽子をかぶって、目元は見えない。だが口元だけがやけに白く笑っている。その足元には、影みたいに黒い鳥が一羽、とまっていた。鳥は身じろぎもせず、こちらを見ている。まるで男のもう一つの目みたいに。
いやな感じがした。星読みの勘が、危険だと告げていた。腹の底が、ひやりと冷える。こういう感覚には、逆らわないほうがいい。
「よう、星読みの坊や」
男は、俺を見つけると、猫なで声で言った。
「いい仕事場じゃねえか。街のはずれで、ひっそりとよ。誰にも見られず、いろんなものを隠せる」
「……誰だ、あんた」
「鴉羽ってんだ。以後、お見知りおきを」
男は帽子をつまんで、軽く会釈した。その仕草は丁寧なのに、寒気がするほど気味が悪い。礼儀正しさが、かえって刃物みたいに見える。
「あんたに用はない。帰ってくれ」
俺は男の横をすり抜けて、扉に手をかけた。だが鴉羽の次の一言で、手が止まった。
「三日前の夜さ。この街のはずれに、でかい星が墜ちたって噂があってな」
心臓が跳ねた。表に出すな、と自分に言い聞かせる。だが遅かった。
「知らねえか? 空に穴があいたまま、塞がらねえ。あんなでかい星屑、この街の歴史でも数えるほどしかねえ。読めば、いったいいくらの値がつくか……想像もつかねえ」
鴉羽はゆっくりとこっちに近づいてきた。帽子の影から、ぎらついた目がのぞいた。獲物を値踏みする、商人の目だ。
「俺たちみたいな商売はな、そういう『でかい星』の匂いには、鼻が利くんだよ」
俺は扉の前に立ちふさがった。体が勝手に動いていた。中に星がいる。それだけで、足が根を張ったみたいに動かなくなる。
「……なんの話か、わからねえな」
「そうかい」
鴉羽はにやりと笑った。信じちゃいない。目を見ればわかる。この男は、俺の嘘なんて、とっくに見抜いている。
そのとき、最悪のことが起きた。
扉が、内側から開いた。
「灯……? かえって、きた……?」
星だった。俺の帰りに気づいて、顔を出したんだ。何も知らずに。俺が帰るのをずっと待っていたんだろう。
鴉羽の視線が、ぴたりと星に張りついた。その口元の笑みが、すうっと消えた。代わりに浮かんだのは、猟師が獲物を見つけたときの、あの顔だった。
「――ほう」
鴉羽は低くうなった。喉の奥から絞り出すような声だった。
「こいつは、こいつは。噂どおり、いや、噂以上だ」
星の指先から、いつものように光がこぼれていた。それを見て、鴉羽の目が、さらに鋭くなる。舌なめずりでもしそうな顔だった。
「星屑が、人の形をとってやがる。……こんなもの、見たことねえ」
俺はとっさに星を背中にかばった。星の細い肩を後ろ手に押しやる。
「下がってろ、星」
「灯……?」
「いいから」
俺は鴉羽をにらんだ。心臓が、どくどくと嫌な音を立てている。汗が、背中を伝う。
「この子は、俺の連れだ。星屑なんかじゃない。用がすんだなら、帰れ」
鴉羽はしばらく俺を見ていた。それから、ふっと肩の力を抜いて、また帽子をかぶり直した。急ぐ様子は、まるでない。
「……まあ、いい。今日のところは、な」
男は、くるりと背を向けた。足元の黒い鳥が、ばさりと羽ばたいて、その肩にとまる。
「だが坊や、覚えとけ。こういう商売はな、気の長いのが取り柄なんだ。獲物ってのは、逃がさなけりゃ、いつか必ず手に入る」
鴉羽は去り際に、ひらりと手を振った。
「また来るぜ。せいぜい、大事にしまっておきな。俺たちに読まれちまう前に」
そう言い残して、男は夜のはずれへ消えていった。足音もなく、影に溶けるみたいに。肩の黒い鳥だけが、去り際に、一度だけ、こちらを振り返った。まるでこの場所をしっかり覚えておくとでも言うように。その目が、闇のなかで、ぬらりと光った。
俺はしばらく動けなかった。背中では、星が俺の服の裾をきゅっと握っていた。その手が、震えている。
「……灯。あのひと、こわい」
震える声だった。
「大丈夫だ」と俺は言った。自分に言い聞かせるみたいに。「あいつには、指一本触れさせない」
言ってから、その言葉の重さに、自分でぞっとした。
守る、と言っちまった。
二年前、姉さん一人守れなかった俺が。あのとき、俺は何もできなかった。ただ逃げただけだった。
◇
その夜、俺は仕事場の戸締りをいつもの三倍念入りにした。窓に板を打ちつけ、裏口にも心張り棒をかった。それでも足りない気がした。
星は寝台の隅で膝を抱えていた。すっかり怯えている。俺はその隣に座って、しばらく黙っていた。何か言おうとして、言葉が見つからなかった。
やがて星がぽつりと言った。
「わたし……よまれると、きえるの」
どきりとした。
「あのひと、いった。よまれるまえに、って。わたしも、あの星たちと、おなじ……?」
俺は答えられなかった。
嘘をつくのは簡単だった。違う、お前は普通の人間だ、と。でもこの子の目を見ていると、嘘はつけなかった。まっすぐすぎて、はぐらかすことができない。
「……わからない」と俺は正直に言った。「お前が何者なのか、俺にもわからない。でも、一つだけ言えることがある」
俺は星の目をまっすぐ見た。今度は、そらさなかった。
「お前が何であっても、俺はお前を読まない。誰にも読ませない。それだけは、約束する」
星はしばらく俺を見ていた。それから、こくりとうなずいて、少しだけ笑った。まだ怯えの残る、頼りない笑顔だった。それでも笑ってくれた。
その夜、俺はまた眠れなかった。
窓の外の穴を見上げながらずっと考えていた。板の隙間から、あの濃い夜が、細く見えた。
あの鴉羽はまた来る。次は、もっと厄介な形で。あの目は、そう言っていた。
俺はこの子を守れるのか。
守れるだけの力が、俺にあるのか。
答えは出なかった。ただ決意だけが、胸の奥で静かに固まっていった。石みたいに重く、固く。守れる保証など、どこにもない。それでも守ると決めた。それだけが、確かだった。
回収屋の鴉羽が出てきた。しつこい男だ。これからも、何度か顔を出す。
灯は「守る」と口にしちまった。二年前に守れなかった彼には、この言葉はやたら重い。
次は、二人で街の中心――星読みたちの世界を、ちょっと覗きに行く。




