第47話 根のことわり
天井を落として追手をまき、灯は宵から真実を聞く。星を救う、唯一の道を。
松明の明かりが、崩れた廊下を照らした。
榊が、数人の兵を連れて、姿を現した。汚れた、評議会の外套。血走った、目。俺を見つけて、口の端を吊り上げた。
「やはり、ここに、いたか」と、榊は言った。「あの少女は、地下に、隠したか。……だが、お前を、締め上げれば。居場所くらい、吐くだろう」
榊の目は、血走っているのに、どこか、うつろだった。何かを根こそぎ失った者の、目だ。鴉羽のように、星を金に換えたいわけじゃない。久遠のように、失った者を取り戻したいわけでもない。ただ、この街を、確実に生き延びさせる。その一点にだけ、すべてを賭けている。そう信じ込まなければ、崩れてしまう。そういう危うさが、この男には、あった。
俺は宵さんを背中に、かばった。逃げ場は、ない。奥は、行き止まりの、独房だ。俺はじりじりと、後ずさった。
だがここで、捕まるわけには、いかない。星を救う、その答えを。まだ聞いていない。俺は必死に頭をめぐらせた。
◇
ふと俺は天井の、亀裂に、気づいた。
崩落で、天井の梁が、大きく、ひび割れている。あの梁は、もう限界だ。わずかな、衝撃で、崩れ落ちる。……使える。
「宵さん」と、俺は小声で、囁いた。「合図したら、壁ぎわに、寄ってくれ。奥の、あの、へこみに」
宵さんはかすかに、うなずいた。
俺は床に、転がっていた、拳大の、瓦礫を拾った。そして榊たちをにらんだ。
「……来いよ」と、俺は言った。挑発するように。「星の居場所が、知りたきゃ。力ずくで、来な」
「小僧が」と、榊が、いきり立った。「兵! 捕らえろ!」
兵たちが、いっせいに踏みこんできた。松明を掲げて。その、真下の、ひび割れた梁を。俺は渾身の力で、瓦礫を投げつけた。
◇
瓦礫が、ひび割れた梁の、根もとに、命中した。
ぴしり、と。嫌な音が、して。次の瞬間。轟音とともに、天井が、崩れ落ちた。松明の兵たちの、頭上に。
「うわあっ!」
悲鳴。土煙。榊と、兵たちが、崩れ落ちる瓦礫に、行く手を阻まれる。俺はその隙に、動いた。
「宵さん、今だ!」
俺は壁ぎわに、寄っていた宵さんを抱え上げた。骨ばった、軽い体。そして崩れた天井の、瓦礫の、わずかな隙間を縫って。榊たちとは、逆の、細い横道へと、駆けこんだ。
「待て……待たんか、星読み!」
榊の、怒声が、背後で、響いた。だが崩れた瓦礫が、追手を阻んでいる。すぐには、追ってこられない。俺は宵さんを抱えて、必死に走った。暗い、地下の横道を。息が、切れる。焼けた手が、悲鳴をあげる。それでも止まらなかった。
腕のなかの、宵さんはあまりにも、軽かった。二年の牢暮らしで、削げ落ちた、その体。この人は、俺と星を逃がすために、二年間、こんな暗い地下で、耐えてきた。その恩を俺はまだ何一つ、返せていない。……せめて、この人だけは。無事に、地上へ、連れて帰る。星のもとへ。俺はそう、自分に、言い聞かせて、痛む足を動かし続けた。
◇
どれくらい、走っただろう。
崩れかけた、地下の一室に、たどり着いた。追手の声は、もう聞こえない。どうやら、まいたようだ。俺は宵さんをそっと床に、下ろして、その場に、へたりこんだ。全身が、汗まみれだ。焼けた手の傷が、じくじくと、痛む。心臓が、うるさいくらい、鳴っている。
「……無茶を、するねえ」と、宵さんが、荒い息の下で、言った。「天井を、落とすとは。……詩織より、無鉄砲だよ、あんたは」
「褒め言葉と、受け取っとく」と、俺は笑った。息を切らしながら。
だが笑っている、場合じゃ、なかった。俺は宵さんに、向き直った。
「宵さん。さっきの、続きを、聞かせてくれ」と、俺は言った。「星を、器から、解き放つ道。……その、重い代償ってのは、なんだ。教えてくれ」
宵さんはしばらく俺を見ていた。落ちくぼんだ目で。それから静かに話しはじめた。
◇
「原初の終縞。……星は、この世界の、いちばん古い記憶だ」と、宵さんは言った。「天網の、根っこ。すべての、始まりの、記憶。天網は、その根っこに、繋がっていることで、かろうじて、安定を、保ってる。……星が、この世に、在るかぎり。天網は、いつか、その根っこを、読もうとする。飢えれば、必ず」
「わかってる」と、俺はうなずいた。「だから、街の想いを、注いで、飢えを、しのいでる。……でも、それじゃ、星が、器のまま、壊れちまう」
「そうだ」と、宵さんは言った。「だから……星を、根っこの、役目から、解き放つしか、ない。天網に、別の、根っこを、与えて、な」
俺は眉をひそめた。
「別の、根っこ……?」
「そうだ」と、宵さんは静かに言った。「星の、代わりに。天網の、新しい、根っこに、なる者が、いれば。星は、ただの、人間に、戻れる。原初の終縞という、重荷を、下ろして。ふつうの、女の子として、生きられる」
俺の心臓が、跳ねた。道が、ある。星を救う、道が。
「その、新しい根っこには」と、俺は身を乗り出した。「何が、なれるんだ。どうすれば、いい」
宵さんは俺をまっすぐ見た。そして言った。
「……人間の、終縞だよ」
◇
「一人の、人間が」と、宵さんは続けた。「自分の、すべての記憶を。生きてきた、その、想いのすべてを。終縞に、変えて、天網に、捧げる。……そうすれば。その人間の終縞が、原初の終縞の、代わりの根っこに、なる。天網は、新しい根っこに、繋ぎ変わり、安定する。星は、解き放たれる」
俺はその言葉を噛みしめた。星の代わりの根っこ。星を原初の終縞という、重荷から、下ろしてやる、方法。二年間、姉さんも、たどり着けなかった、その先の答えが。今宵さんの口から、語られている。
だが宵さんの顔は、晴れなかった。むしろ深い、悲しみに、沈んでいた。良い知らせを告げる顔じゃ、なかった。それが、俺の胸に、冷たい影を落とした。……代償。重い代償。宵さんはそう、言っていた。星を救う、その道の、裏に。いったい、何が、待っているのか。
俺は息をのんだ。
「その、人間は」と、俺はかすれた声で、聞いた。「どうなる」
宵さんは目を伏せた。
「……終縞に、なるということは。星屑に、なるということだ」と、宵さんは言った。「その人間は、この世から、消える。記憶も、体も、すべて、天網の、根っこに、なって。……夜空の、いちばん深いところで。永遠に、都市を、支え続ける。二度と、戻れない。……それが、星を、救う、唯一の道。そして、その、代償だ」
俺は言葉を失った。
星を救うには。誰かが、自分のすべてを捧げて。星の代わりに、天網の根っこに、なるしか、ない。……つまり。誰かが、星の代わりに、消えるしか、ないんだ。
読むのは、奪うことだ。星読みは、そうやって生きてきた。器にするのは、少しずつ、奪い続けること。だが宵さんの言う道は、そのどちらとも、逆だった。奪うんじゃない。丸ごと、与える。自分の何もかもを、天網に、明け渡す。……皮肉なものだ。星を読まずに生かす道の、いちばん果てに、待っていたのが。いちばん大きな『与える』だったなんて。
俺は自分の、手を見た。焼けて、赤くなった、この手を。
――俺が、やる。
答えは、聞いた瞬間に、出ていた。迷いなんて、なかった。星を生かせるなら。この子をただの女の子として、笑わせてやれるなら。俺が、消える。俺のすべてを捧げて。天網の、根っこに、なる。それで、いい。 二年前、俺は姉さんを守れなかった。ただ家で、待っていることしか、できなかった。あの、どうしようもない、無力さ。あれを俺は二度と、味わいたくない。今度こそ、この手で、いちばん大切なものを守り抜く。そのためなら、俺の命くらい、安いものだ。俺はそう、思った。心の底から。
星が、ふつうの女の子として、笑って、暮らせる。誰かの器でもなく、動力源でもなく。ただの、一人の人間として。街を歩いて。飯を食って。誰かと、恋をして。……そんな、あたりまえの日々をこの子に、あげられるなら。俺は喜んで、星屑に、なる。夜空の、いちばん深いところで。この子と、この街を支える光に。
「……そうか」と、俺はつぶやいた。不思議と、声は、震えていなかった。「わかった。……方法が、あるなら、十分だ」 俺の声は、我ながら、驚くほど、静かだった。取り乱すことも、なかった。ただひとつの、答えが、胸に、すとんと、落ちた。それだけだった。まるで、ずっと前から、こうなることが、決まっていたみたいに。
「灯」と、宵さんが、俺の顔を見て、言った。悲しげに。「あんた……まさか」
「ああ」と、俺は笑った。「俺が、なるよ。天網の、新しい根っこに。……星の、代わりに」
宵さんの、落ちくぼんだ目が。大きく、見開かれた。
――だが、この俺の覚悟が。星をどれほど、深く傷つけることに、なるか。このときの俺はまだわかっていなかった。
星を生かすために、俺が、消える。それは、俺にとっては、迷いのない、答えだった。だが星にとっては、どうか。……この子はかつて、自分を差し出そうとした。俺のために。世界のために。俺はそれを必死に止めた。読ませない、と。一緒に生きる、と。……なのに今度は、俺が。星のために、自分を差し出そうとしている。あのとき、この子を止めた、その口で。それが、どれだけ、身勝手で、どれだけ、この子を傷つけることか。俺はまだ気づいていなかった。ただ星を生かせればそれでいい。そう信じて疑わなかった。
天網の新しい根っこになる――それは、一人の人間が、自分のすべてを終縞に変えて捧げ、星屑になること。灯は迷わず、自分がなると決めた。だが、それが星をどれほど傷つけるか、まだ気づいていなかった。




