第46話 囚われの塔
崩れた塔の地下へ。灯は、二年前に囚われた宵を、探しに降りる。
崩れた白い塔の、地下へ。俺は一人で、降りていった。
崩落で、塔は、半ばまで、崩れていた。だが地下の一部は、瓦礫の下に、埋もれずに、残っていた。かつて、評議会が、囚人を閉じこめていた区画。宵さんが、いるとすれば、そこだ。
俺は崩れた階段を慎重に、降りた。埃と、瓦礫の、匂い。かび臭い、闇。灯りは、わずかに、天井の亀裂から、差しこむ光だけ。俺は壁を手さぐりで、進んだ。
二年前、宵さんは俺と星を逃がすために、追手の前に、立ちはだかった。そして捕らわれた。それきり、消息は、途絶えた。……生きているのか。正直望みは、薄かった。二年だ。囚われて、二年。生きている保証なんて、どこにも、ない。
だが確かめずには、いられなかった。宵さんは星読みの力に、誰よりも、詳しい。星を器の運命から、救う、手がかりを。あの人なら、知っているかもしれない。それが、今の俺の唯一の、望みの綱だった。
地下へ、降りるほどに、崩落の傷は、深くなった。ひび割れた壁。垂れ下がった、配線。ところどころ、天井が、落ちて、道を塞いでいる。俺は瓦礫を乗り越え、狭い隙間をくぐり抜けて、進んだ。焼けた手が、瓦礫に、触れるたびに、ずきりと、痛んだ。だが止まらなかった。この先に、星を救う、手がかりが、あるかもしれない。その一心で。
途中、何度か、上の物音に、身をひそめた。残党の兵が、まだ塔の周りをうろついている。見つかれば、面倒だ。俺は息を殺し、闇に、紛れて、慎重に、奥へと、進んでいった。
◇
地下の、奥へ。
崩れた廊下の、両側に。鉄格子の、独房が、並んでいた。ほとんどが、崩落で、ひしゃげている。俺は一つずつ、なかをのぞきこんだ。空だ。ここも、空。……崩落のとき、囚人は、逃げたか。あるいは。
いやな、想像が、頭をよぎった。俺はそれを振り払って、奥へ、進んだ。
いちばん、奥の、独房。
そこに、人影が、あった。
俺は息をのんだ。格子の、向こう。冷たい床に。痩せこけた、老婆が。膝を抱えて、座っていた。ぼろぼろの、着物。乱れた、白髪。だがその顔は。
「……宵、さん」と、俺はつぶやいた。
老婆が、ゆっくりと、顔を上げた。落ちくぼんだ、目が。俺をとらえた。
◇
「……その声は」と、宵さんが、かすれた声で、言った。「灯、かい……冬瀬、詩織の、弟の……」
「宵さん!」
俺は格子に、駆け寄った。錆びついた鍵は、崩落で、ゆがんでいた。俺は渾身の力で、格子をこじ開けた。軋みながら、扉が、開く。俺はなかへ、飛びこんで、宵さんの、そばに、膝をついた。
「生きてた……生きてたんだ、宵さん……!」
宵さんは痩せて、小さくなっていた。二年の、牢暮らし。ろくに、食べさせてもらえなかったのだろう。骨と、皮ばかりだ。だがその目には、確かな、光が、宿っていた。
俺は懐から、干し肉と、水の入った革袋を取り出した。ここへ来る道々、宵さんが、もし生きていたら、と、持ってきたものだ。それを差し出した。
「食ってくれ。……ろくなもんじゃ、ないが」
宵さんは震える手で、それを受け取った。そして少しずつ、口に、運んだ。二年ぶりの、まともな食い物だったのだろう。噛みしめるように、味わって。その目尻から、涙が、こぼれた。
「……ありがとう、灯」と、宵さんは言った。「あんたが、来てくれると。信じてた、わけじゃ、ないが。……こうして、詩織の、面影を、また、見られるとは、ね」
「灯……大きく、なったねえ」と、宵さんは俺の顔を見て、目を細めた。「あの逃避行のときは、まだ、子どもの、顔をしてた。今は……いい、男の、顔だ。詩織に、似てきた」
俺の目頭が、熱くなった。
「探しに来るのが……遅くなって、すまなかった」と、俺は言った。「あんたを、あのとき、置いていっちまって……ずっと、心に、引っかかってた」
「いいんだよ」と、宵さんは静かに笑った。「あたしは、あんたたちを、逃がせた。それで、十分さ。……で。星は。あの子は、無事、なのかい」
◇
俺はうつむいた。
「……無事じゃ、ない」と、俺は言った。そしてこれまでの、すべてを宵さんに、話した。
姉さんの、ノートを見つけたこと。第三の道――星を読まず、街じゅうの想いを集めて、天網を鎮める道を成し遂げたこと。久遠が、改心して、逝ったこと。そして今。星が、街の人々の想いをあずかる、器になり。溜まりすぎた、他人の記憶に、のみこまれて。自分を見失いかけていること。
宵さんは静かに聞いていた。時折、うなずきながら。
「……そうかい」と、宵さんは話を聞き終えて、つぶやいた。「詩織の夢を。あんたが、継いだんだね。……あの子が、たどり着いた、第三の道を。ほんとうに、形に、したんだ」
宵さんの目に、涙が、にじんだ。
「詩織は、正しかった。奪う世界は、変えられる。……あの子は、それを、信じて、逝った。あんたが、それを、証明したんだね」
俺はその言葉に、胸が、詰まった。姉さんの夢を証明した。だがその代償が、星なんだ。この人に、そう告げるのが、つらかった。夢が、叶った、その裏で。いちばん、優しい子が、壊れかけている。そんな、皮肉が、あるか。
宵さんは俺のその表情を読んだのだろう。静かにうなずいて、言った。
「顔に、書いてあるよ。……星を、なんとかしたい、その一心で、ここまで、来たんだね。詩織の弟は、優しい子だ。……あの子と、そっくりだよ」
「でも」と、俺は言った。「そのせいで。星が、壊れかけてる。……宵さん。教えてくれ。星から、溜まりすぎた想いを、抜く方法を。この子を、器にせずに、天網を、鎮める方法を。……あんたなら、知ってるんじゃ、ないかって。それだけを、頼りに、ここまで、来た」
◇
宵さんはしばらく黙っていた。
落ちくぼんだ目で。じっと俺を見て。それから深い、ため息をついた。
「……灯。一つ、聞くよ」と、宵さんは言った。「あんたは、星を、どうしたい。……ただ、器の役目から、解放したい、だけかい。それとも」
「星を、生かしたい」と、俺は即座に、答えた。「器でもなく、動力源でもなく。……ただの、女の子として。俺の、隣で。ふつうに、笑って、生きられるように。それが、俺の、願いだ」
宵さんは俺の目をじっと見た。俺の覚悟を測るように。
やがて宵さんは静かに口を開いた。
「……その道は、ある」と、宵さんは言った。「星を、器から、解き放ち。ただの、人として、生かす道は。……詩織も、それを、探していた。ノートの、その先を」
俺の心臓が、跳ねた。
「ほんとうか! 教えてくれ、宵さん! どうすれば、星を……」
「だが」と、宵さんは俺の言葉をさえぎった。その顔に、深い、悲しみの色が、よぎった。「……その道は。あんたに、とてつもなく、重い、代償を、求める。……聞いて、後悔しないかい。知らないままのほうが、幸せかもしれない。……それでも、聞くかい、灯」
俺は宵さんの、目を見返した。
代償。重い、代償。その言葉が、胸に、重く、響いた。だが俺は迷わなかった。この子を救えるなら。どんな代償だろうと、払う。俺の光でも、命でも。惜しくは、ない。二年前、姉さんを守れなかった。あの無力さを二度と、味わいたくない。今度こそ、この手で、大切なものを守り抜く。その覚悟は、とうに、できていた。
「聞く」と、俺は言った。「星を、救えるなら。俺は、なんだって、払う。……教えてくれ、宵さん。星を、生かす、その道を」
宵さんはしばらく俺を見つめていた。俺の覚悟が、本物かを確かめるように。
そしてゆっくりと。その、重い口を開きかけた。
――だが、そのときだった。
崩れた廊下の、向こうから。複数の、足音が、響いてきた。松明の、明かりが、揺れる。
「……そこにいるのは、わかっているぞ、星読み」
聞き覚えのある、声だった。評議会の、残党。あの、榊という、男の声。
俺と、宵さんの、居場所は。とうに、突きとめられていた。星を救う、その答えを聞く、寸前で。追手が、迫っていた。
俺は宵さんをかばうように、立ち上がった。焼けた手を握りしめて。ここで、捕まるわけには、いかない。星を救う、その答えをまだ聞いていない。何としても、この場を切り抜ける。そして宵さんを連れて、星のもとへ、帰る。俺は崩れた廊下の、闇をにらんだ。
――邪魔をするな。今は、一秒だって、惜しいんだ。この子の、命が、かかってる。俺はそう、心のなかで、吐き捨てた。何がなんでも、宵さんの言葉を聞き出す。そのためなら、この追手くらい、蹴散らしてやる。柄にもなく、そんな、荒っぽい気持ちが、腹の底から、湧いてきた。捕まってなるものか。俺は闇の奥へ足を踏み出した。
宵は、生きていた。そして告げる。星を器から解き放ち、ただの人として生かす道はある、と。だが、それには、とてつもない代償がいる。その答えを聞く寸前、追手が迫った。




