第45話 器を壊す
灯は、想いを預けるのをやめてくれ、と人々に頼む。星を休ませるために。だが、それは天網を、また飢えさせることでもあった。
翌朝。俺は地下の人々を集めた。
あの、鴉羽の襲撃から、一夜が明けた。星はまだ眠っている。浅い、うなされる眠りだ。近ごろ、この子は目を覚ましている時間より、眠っている時間のほうが、長くなっていた。人々の想いに、心を削られて。
集まった人々の前で。俺は腹を決めて、切り出した。
「みんなに、頼みがある」と、俺は言った。「今日から……星に、想いを、預けるのを、やめてくれ」
人々が、ざわめいた。
「どういう、ことだい、灯さん」と、老人が、聞いた。「その子に、想いを、預けなきゃ。天網が、また、飢えるんだろう。……原初の終縞が、読まれちまう」
「わかってる」と、俺はうつむいた。「……でも、星が、限界なんだ」
◇
俺はみんなに、打ち明けた。星が、人々の想いを溜めすぎて、壊れかけていること。他人の記憶に、のみこまれて、自分を見失いかけていること。このまま、想いをあずかり続ければ。星は消えてしまうかもしれないこと。
人々は静まりかえって、聞いていた。
「……そんな」と、あの、若い母親が、つぶやいた。夫への想いを預けた、あの女だ。「あたしらの、想いが。あの子を、壊してた、なんて」
「あんたたちのせいじゃ、ない」と、俺は慌てて、言った。「星が、優しすぎたんだ。断れなかったんだ。誰かの、役に立ちたくて。……悪いのは、その優しさに、甘えた、俺だ。この子が、無理をしてるのに、気づいてやれなかった」
言いながら、俺は悔やんでいた。星が、器としての役目に、喜びを見出していたとき。俺はその笑顔に、ほっとして。この子が、幸せそうだから、と。それを良しとして、しまった。だがあれは、幸せなんかじゃ、なかったのかもしれない。ずっと災いと呼ばれてきた、この子が。ようやく、必要とされる場所を見つけて。だから無理をしてでも、その役目に、しがみついた。……そういう、痛々しさだったのかもしれない。俺はそれを見抜いてやれなかった。いちばん、そばに、いたのに。
俺は深く頭を下げた。
「だから、頼む。想いを、預けるのを、やめてくれ。……星を、休ませてやりたいんだ」
人々は顔を見合わせた。困惑と、罪悪感と、そして、不安が、入り混じった顔で。
◇
「だが、灯さん」と、一人の、男が、言った。「そうすると、天網は、どうなる。飢えて、また、原初の終縞を、求めるんじゃ、ないのか。……そうなりゃ、その子は、休むどころか。無理やり、読まれちまうぞ。世界も、終わる」
俺は言葉に、詰まった。
そのとおりだった。星を休ませれば、天網が、飢える。天網が、飢えれば、星が、狙われる。星が、想いをあずかり続ければ、壊れる。……どっちに、転んでも、星は助からない。堂々めぐりだった。
「……方法を、探す」と、俺は絞り出すように、言った。「星が、器にならずにすむ、別の道を。天網を、鎮めながら、星も、無事でいられる道を。……必ず、見つける。それまで、なんとか、しのぐしか、ない」
「あてが、あるのかい」と、老人が、聞いた。
俺はしばらく黙った。それから顔を上げた。
「一つ、ある」と、俺は言った。「宵さんだ」
◇
宵さん。引退した、老星読み。姉さんの、旧知。
二年前、俺と星を隠れ里で、匿ってくれた。星に、力の抜き方を教えてくれた、あの人だ。あの逃避行のさなか、俺たちを逃がすために、評議会の追手の前に、立ちはだかり……捕らわれた。
あれから、消息は、知れなかった。だがと、俺は思った。評議会の塔が、崩れた、今なら。もしかしたら。囚われていた宵さんも。まだどこかで、生きているかもしれない。
「宵さんは、星読みの、力に、誰よりも、詳しい」と、俺は言った。「力の抜き方を、星に、教えてくれたのも、あの人だ。……なら、この、溜まりすぎた想いを、星から、抜く方法も。知っているかもしれない」
俺の胸に、かすかな、希望が、灯った。宵さんなら。あの人なら、何か、知っているかもしれない。星を器の運命から、救う、手がかりを。
「だが、宵さんが、生きてるとは、限らねえ」と、俺は続けた。「捕らわれて、二年だ。……それでも、確かめに、行くしか、ない。今の俺には、それしか、手がかりが、ないんだ」
◇
人々はしばらく考えこんでいた。それから老人が、口を開いた。
「……わかった」と、老人は言った。「あんたの言うとおりに、しよう。今日から、その子に、想いを、預けるのは、やめる。……天網が、飢えるのが、こわい。世界が、終わるのが、こわい。……だが」
老人は眠る星のほうを見た。
「あの子を、犠牲にして、生き延びる世界なんて。……あたしらは、もう、望まないよ。あの子は、あたしらに、教えてくれたんだ。奪って生き延びるより、与え合って、共に、生きる道を。……その、あの子を。あたしらの、都合で、壊すわけには、いかない」
人々が、うなずいた。一人、また一人と。
俺はその光景に、胸が、熱くなった。かつて、星を化けものと、こわがっていた人々が。今自分たちの、安全よりも。この子の、命を選ぼうとしている。……街の心は、ほんとうに変わったんだ。奪う世界から、与え合う世界へ。そしてその中心に、いつも星が、いた。
俺は眠る星の顔をそっと見た。この子は自分でも、気づかないうちに。街の人々の、心を変えていた。ただそこに、いるだけで。優しい光をこぼしながら。誰かの想いを受け止めながら。……こんな子を。器だの、動力源だのと、扱わせて、たまるか。俺はあらためて、こぶしを握った。この子は道具じゃない。一人の、女の子だ。俺の大切な。
◇
その夜。俺は旅の、支度を始めた。
宵さんを探しに行く。評議会の、崩れた塔の、地下。囚人が、いたとすれば、そのあたりだ。危険な、道のりだった。残党が、まだうろついている。鴉羽も、いつ、また現れるか、わからない。だが行くしか、ない。
支度をしていると。星が、目を覚ました。
「灯……どこか、いくの?」と、星が、不安そうに、聞いた。
「ああ」と、俺はその手を握った。「お前を、助ける方法を、探しに行く。……宵さんを、覚えてるか。あの、優しい、おばあさんだ。あの人なら、お前を、救う手がかりを、知ってるかもしれない」
「よい、さん……」と、星はつぶやいた。記憶をたぐるように。「……うん。おぼえてる。やさしい、ひとだった」
「そうだ」と、俺は笑った。「あの人を、見つけて、お前を、治す方法を、聞いてくる。……だから、それまで、頑張れるか。想いを、あずかるのは、もう、やめだ。ゆっくり、休め」
星はこくりと、うなずいた。だがその顔は、まだ不安げだった。
「灯」と、星は俺の手を握り返した。「……はやく、かえってきてね。わたし……灯がいないと。じぶんが、だれだか。……もっと、わからなく、なりそうで」
俺の胸が、締めつけられた。
この子は俺という、繋ぎとめる、錨を失うことを恐れている。溜まりすぎた、他人の記憶の、海のなかで。俺だけが、この子を星として、繋ぎとめる、最後の、糸なんだ。
「大丈夫だ」と、俺は力強く、言った。星の両手を握って。「必ず、帰ってくる。すぐに、な。……お前は、星だ。俺が、名前を、つけた、星だ。それだけは、絶対に、忘れるな。何が、あっても。……俺が、いない、あいだも。その名前を、抱きしめてろ。それが、お前を、お前で、いさせてくれる」
俺は星の額に、そっと額を合わせた。与える術で、あたたかいものを少しだけ、注ぐ。他人の記憶の波に、のまれそうな、この子の芯を。俺の想いで、しっかりと、繋ぎとめるように。せめて、俺が、帰るまで。この子が、この子で、いられるように。
星は涙ぐんで、うなずいた。
「うん。……わたしは、星。灯の、星」
その、たった一言が。俺の胸を締めつけた。同時に、力をくれた。この子をなんとしても、救う。この、繋いだ手を離さない。何が、あっても、絶対に。
「そうだ」と、俺は笑った。「忘れんなよ。……すぐ、帰る」
俺は立ち上がった。姉さんのノートを懐に。焼けた手を握りしめて。
――待ってろ、宵さん。生きててくれ。
俺は暗い水路の、奥へと、歩き出した。星を救う、その手がかりを求めて。第四の、戦いが。今始まろうとしていた。奪い合いでも、崩落でもない。この子を器の運命から、救い出すための、静かで、切実な、戦いが。
水路の出口で、俺は一度だけ、振り返った。眠る星を。守ってくれる、地下の人々を。この、あたたかい、小さな灯りの、群れを。……必ず、答えを持って、帰る。この光を守るために。
――行ってくる、星。
俺は暗がりの、なかへ。一歩、踏み出した。もう振り返らなかった。この足で必ず答えを持って帰る。
街の人々は、自分たちの安全より、星の命を選んでくれた。灯は、星を救う手がかりを求めて、宵を探しに発つ。「わたしは、星。灯の星」――その名を抱いて待て、と告げて。




