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第44話 鴉、再び

 回収屋・鴉羽が、二年ぶりに現れる。残党に雇われ、星を確保しにきたのだ。

 その男は闇に紛れて、地下へ、降りてきた。


 夜。人々が、寝静まったころ。俺は水路の奥で、姉さんのノートをまた繰っていた。星を解き放つ道を、探して。だが、答えは、まだ見えない。そのあいだにも、二つの締め切りは、刻一刻と、迫ってくる。


 そして、その夜。片方の脅威が、思ったより早く、牙を剥いた。


 星は俺の隣で、浅い眠りに、ついていた。近ごろ、この子の眠りは、いつも浅い。うなされることも、増えた。知らない誰かの名を寝言で、呼ぶことも。……あの、記憶の混濁は。日ごとに、ひどくなっていた。器としての、静かな崩壊が。もう、始まっていたのだ。


 ふと水路の奥から、かすかな、足音が、した。


 俺は身構えた。この時間に、想いを預けにくる者は、いない。星読みの勘が、告げていた。悪いほうの、予感だ。


 闇の、向こうから。ゆっくりと、影が、浮かび上がった。


 黒ずくめの、装束。腰に、何本もの、道具を下げている。そしてその顔を覆う、鴉の面のような、目もと。……忘れるはずが、なかった。


「……鴉羽」と、俺はつぶやいた。


 回収屋の、頭目。価値ある終縞を奪って売る、あの男が。二年ぶりに、俺の前に、姿を現した。



◇



「久しぶりだな、星読みの、坊主」と、鴉羽はしわがれた声で、言った。「派手に、やってくれたじゃねえか。塔を、崩して。評議会を、ひっくり返して。……おかげで、街は、大騒ぎだ」


「何しに、来た」と、俺は星を背中に、かばいながら、低く、言った。


「決まってる」と、鴉羽は笑った。面の下で。「そこの、お嬢ちゃんを、いただきに、な」


 俺の、背筋が、冷えた。


「評議会の、残党が、いい値を、つけてくれてな」と、鴉羽は続けた。「原初の終縞を、生きたまま、確保しろ、と。……なんでも、その娘を、街の、動力源に、するらしい。想いを、注ぎ続ける、器としてな。永遠に、閉じこめて。……お前さんが、証明した、その使い道を。連中は、しっかり、いただいたわけだ」


 俺はこぶしを握りしめた。


 やはりそうか。あの、残党の男。星を器として、利用する。俺たちが、街を救うために、見つけた道を。連中は、この子を縛る鎖に、変えようとしている。永遠に、動力源として、閉じこめるために。



◇



「させるかよ」と、俺は言った。「こいつは、道具じゃない。誰かの、動力源になんて、させねえ」


「威勢が、いいな」と、鴉羽は面白そうに、言った。「だが、坊主。お前さん一人で、俺を、止められると、思うか。……昔、仕事場で、会ったときとは、わけが、違うぜ。今日は、本気で、来てる」


 鴉羽が、腰の、道具に、手をかけた。


 その瞬間、俺は動いた。星を抱え上げ、水路の、奥へと、走る。逃げるしか、ない。星は消耗しきっている。力は、使わせられない。俺も、腕っぷしじゃ、この男に、敵わない。 なら、頭を使うしかない。俺は走りながら、必死に地下の地形を思い返した。この水路の、どこかに、上へ抜ける、隙間が、あったはずだ。そこまで、たどり着けば。人々のいる、区画に、出られる。鴉羽も、大勢の目の前では、手荒なことは、できまい。……賭けだった。だがやるしか、ない。星の、細い体を抱え直して、俺は暗い水路を駆けた。なら逃げて、人々のいる、場所まで。


 だが鴉羽は速かった。


 闇を縫うように、先回りされた。行く手を塞がれる。俺は足を止めた。星を抱えたまま。息が、切れていた。


「無駄だよ」と、鴉羽は言った。「この地下は、俺の、庭みたいなもんだ。逃げ道なんて、とっくに、読んでる」


 俺は奥歯を噛んだ。囲まれた。星を抱えて、動けない。……どうする。



◇



 そのときだった。


「灯……」


 腕のなかの、星が、目を覚ました。だがその目が、おかしかった。焦点が、合っていない。うつろで、まるで、別の、誰かを見ているような。


「……たろう?」と、星が、つぶやいた。「たろう、なの……? よかった、ぶじで……」


 俺はぞっとした。またあの名だ。星が、あずかった、誰かの、記憶。それが、今この子の心をのっとりかけている。危機の緊張が、引き金に、なったのか。


「星! しっかりしろ! 俺だ、灯だ!」


 俺は必死に呼びかけた。だが星の目は、うつろなままだ。その手から、光が、乱れ、飛び散りはじめた。制御を失った、光。むき出しの力が、暴走しかけている。他人の記憶に、のみこまれて。自分を見失って。


「おいおい」と、鴉羽が、後ずさった。「なんだ、そりゃ。……様子が、おかしいぞ」


 星の体から、あふれた光が、水路の壁を焦がした。制御を失えば。この子の力は、記憶を消す力だ。触れたものを無に、帰す力だ。……このままじゃ、暴走して、誰かを傷つける。あるいは、この子自身が、消えちまう。



◇



 俺は決断した。


 星の、暴れる手を。両手で、しっかりと、握りしめた。むき出しの光が、俺の手を焼く。痛い。だが離さなかった。


「星! 聞け!」と、俺は叫んだ。「お前は、たろうじゃない。誰かの、記憶に、のまれるな! お前は、星だ! 俺が、名前を、つけた、星だ!」


 俺は与える術を使った。自分のなかの、あたたかいものを。この子への、想いを。乱れた光の、なかへ、注ぎこむ。他人の記憶に、押し流されそうな、この子の、芯を。俺の想いで、繋ぎとめる。


「思い出せ! 墜ちてきた夜を! 名前を、あげた朝を! 白湯を、あたたかいって、笑ったことを! ……それが、お前だ! 星、お前自身の、記憶だ!」


 俺の想いが、届いたのか。


 乱れていた光が、少しずつ、静まっていった。星の目に、焦点が、戻ってくる。うつろだった瞳が、俺をとらえる。


「……灯?」と、星が、かすれた声で、言った。「わたし……灯……あれ、わたし、なにを……」


「戻ったか」と、俺は安堵で、力が、抜けた。「……よかった。お前が、お前で、よかった」


 星は自分の手を見つめて、震えていた。何が、起きたのか、わからない、というふうに。


「……こわい」と、星はつぶやいた。「灯……わたし、へんなの。……しらないひとの、きおくが。あたまのなかで、いっぱい……わたしが、だれだか、わからなく、なる……」


 俺はその体を強く、抱きしめた。 あたたかい。だがその、あたたかさが。この子自身のものか。あずかった、誰かのものか。俺には、もうわからない。それが、たまらなく、こわかった。この子が、少しずつ、俺の知らない、誰かに、なっていく。そんな気が、して。


 この子は優しすぎたんだ。人々の想いを断れなかった。役に立ちたくて。必要とされたくて。かつて、災いと呼ばれた自分が。誰かの、支えに、なれることが。うれしくて。……その優しさが、今この子自身を蝕んでいる。俺はそれを止めてやれなかった。そばにいながら。この子が、無理をしているのに、気づいてやれなかった。



◇



 その、俺たちの、様子を。鴉羽はじっと見ていた。面の下から。


「……なるほど、な」と、鴉羽はぽつりと、言った。「そういう、ことか。その娘、人の想いを、溜めすぎて。……壊れかけてる、ってわけだ」


 俺は鴉羽をにらんだ。星を抱きしめたまま。


「連れて、いけると、思うなよ」と、俺は言った。「こいつを、器にしたって、無駄だ。……こいつは、もう、限界だ。無理に、想いを、注がせ続ければ。……こいつは、壊れる。消える。動力源になんて、なる前に、な」


 鴉羽はしばらく黙っていた。それからふっと、笑った。


「……坊主。一つ、教えといてやる」と、鴉羽は言った。「俺は、金で、動く。だが、壊れかけの、商品を、無理に、運ぶほど、無粋じゃ、ねえ。……今日は、引いて、やる。だが、これは、俺の、気まぐれだ。評議会の残党は、そうは、思わねえ。連中は、その娘が、壊れる前に、確保しようと、躍起になる。……せいぜい、急ぐんだな。その娘を、救う道を、見つけるのを」


 鴉羽はそう言うと。闇の、なかへ、溶けるように、消えていった。来たときと、同じように。


 俺はその場に、へたりこんだ。星を抱えたまま。焼けた手が、ずきずきと、痛んだ。だがそれどころじゃ、なかった。手の痛みなんて、今はどうでも、よかった。


 星が、壊れかけている。他人の想いを溜めすぎて。自分を見失いかけている。……器になるという道は。この子を救う道じゃ、なかった。ゆっくりと、この子を殺す道、だったんだ。


 俺は腕のなかの、星を見た。青ざめた、顔を。


 ――急がなきゃ。


 鴉羽の言葉が、胸に、突き刺さっていた。この子を救う、ほんとうの道を。器でもなく、動力源でもない。星が、星のまま、生きられる道を。俺が、見つけるしか、ない。時間は、もうあまり、残されていなかった。だが、俺は下を向かなかった。焼けた手を握りしめて、立ち上がる。器でもない、動力源でもない、ただの星として、この子を生かす。誰もたどり着けなかった道でも、俺が切り拓く。姉さんの夢の、その先へ。

 危機のなか、星が暴走しかける。溜まりすぎた他人の記憶に、のみこまれて。灯が、名前を呼んで引き戻す。器になる道は、星を救う道ではなかった。ゆっくり殺す道だったのだ。

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