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第43話 想いを寄せる場所

 与え合う世界が、動きだす。人々は、遺したい想いを、星に預けにくる。星は、その器になることに、生きる意味を見つけた。

 あの夜から、数日が、過ぎた。


 都市は、少しずつ、傷を癒しはじめていた。崩れた東区の、瓦礫を人々が、片づける。倒れた建物を組み直す。誰かが、誰かに、手を貸す。奪い合うんじゃなく、支え合って。その光景は、これまでの終端には、なかったものだった。


 俺は瓦礫を運ぶ人々の列を地下の隙間から、眺めていた。かつて、この街では、誰も、他人のために、手を動かさなかった。その日を生きるので、精いっぱいで。他人を気づかう余裕なんて、とうに、失っていた。だが今は、違う。若い男が、老婆の代わりに、重い石をどける。子どもが、水を運ぶ。誰かが、誰かに、握り飯を分ける。……昨夜、みんなで、世界を救った。その手応えが、人々を変えたんだ。自分の想いにも、力がある。誰かのために、何かができる。それを知ってしまった人間は、もううつむいてばかりじゃ、いられない。


 俺と星は地下水路の、あの隠れ場所に、身を寄せていた。評議会の残党は、まだ星を狙っている。表に出れば、またあの男が、兵を差し向けてくるだろう。だから俺たちは、地下に、留まっていた。


 二つの締め切りを、抱えたまま。天網が飢える前に。残党が星を奪う前に。星を、原初の終縞から、解き放つ道を、探す。……だが、その日々の入り口で、俺は、思いもよらないものを、目にすることになる。奪う世界が、与え合う世界へと、変わりはじめる、その最初の芽を。


 だが地下の暮らしは、前とは、まるで、違った。


 毎日、誰かが、星に、会いにくる。地下の人々。そしてこっそり地下へ降りてくる、街の人々も。みんな、星に、手を合わせて、何かをつぶやいていく。死んだ家族への、言葉。届かなかった、想い。それを星に、預けにくるのだ。


 その日も、若い母親が、赤ん坊を抱いて、地下へ、降りてきた。灼き落としで、夫を亡くした女だった。


「この子に」と、母親は、星に、言った。「父親の顔を、覚えて、いてほしくて。……でも、あたしの記憶だけじゃ、いつか、薄れてしまう。だから……あたしの、夫への想いを。この子のなかに、遺してもらえませんか。いつか、この子が、大きくなったとき。父さんは、こんなに、愛されてたんだって。……わかるように」


 星はこくりと、うなずいた。そして母親の手に、そっと自分の手を重ねた。母親の胸から、あたたかい光が、立ちのぼる。それを星が、静かにあずかる。


 母親は、涙をこぼしながら、何度も、頭を下げて、帰っていった。俺はその背中を見送りながら、思った。……これが、姉さんの、夢見た世界だ。奪うんじゃない。遺す。消すんじゃない。伝える。生者と死者の、過去と未来の。そのあわいを、つなぐ架け橋に。星はその、架け橋に、なっている。



◇



 最初は、俺には、その意味が、わからなかった。


「星に、想いを、預けて、どうするんだ」と、俺は老人に、聞いた。


「天網は、鎮まったが」と、老人は言った。「消えたわけじゃ、ないんだろう。灯さんが、言ってたじゃないか。飢えれば、また、原初の終縞を、求める、と。……だから、飢えさせなきゃ、いい。あたしらの想いを、少しずつ、この子を通して、天網に、注ぎ続ける。そうすりゃ、天網は、ずっと、満たされたまま。……もう、二度と、飢えない」


 俺ははっとした。


 そうか。昨夜の、あの、一度きりの奇跡を。人々は日々の、営みに、変えようとしているのだ。街じゅうの想いを一気に集めるんじゃない。少しずつ、絶えず、天網に、注ぎ続ける。そうやって、天網を飢えさせない。原初の終縞を読ませない。……星を永遠に、守る、ただ一つの、方法。


 それは、俺の思いつかなかった、答えだった。街の人々が、自分たちで、たどり着いた、答え。



◇



 星はその、預けられた想いを静かに受け止めていた。


 むき出しの手を差し出す人に、そっと重ねる。するとその人の胸から、あたたかい光が、ふわりと、立ちのぼって、星のなかへ、流れこむ。星はそれを体のなかに、ためて、少しずつ、天網へと、送っていく。


 俺はその光景を隅で、見ていた。星が、人々の想いを受け止めるたびに。この子の体が、ほのかに、明るく、輝く。まるで、人々の想いをあずかる、器のように。


「灯」と、あるとき、星が、言った。想いを預かり終えたあとで。「わたし、やっと、わかった気がする。……わたしが、なんのために、ここに、いるのか」


「なんのためだ」と、俺は聞いた。


「みんなの、たいせつなおもいを、あずかるため」と、星は言った。おだやかな、笑顔で。「わたしは、みんなのおもいの、いれもの。……こわいものじゃ、なかった。ずっと、そうなりたかったんだ。だれかの、やくに、たつ、そんざいに」


 俺はその言葉に、胸を突かれた。かつて、自分を災いだと、泣いていた、この子が。今自分の存在の意味を見つけて、笑っている。……よかった。心から、そう思った。



◇



 だが俺の胸には、小さな、棘が、刺さっていた。


 星が、人々の想いの、器になる。それは、確かに美しい。天網を鎮め続ける、唯一の道でも、ある。……だが、それは、この子が、永遠に、この役目から、逃れられない、ということでも、あった。


 人々の想いをあずかり続けるかぎり。星はこの都市に、縛られる。どこにも、行けない。ただの、一人の少女として、生きることは、できない。……救われたはずなのに。この子はまた別の、檻に、入ろうとしているんじゃ、ないか。


 俺はその考えを振り払おうとした。星は笑っている。役目を見つけて、幸せそうだ。それで、いいじゃないか。……だが、心の、どこかで。俺はこの子に、ただの、女の子として、生きてほしいとも、思っていた。誰かの器じゃなく。俺の、隣で。ふつうに、笑って。ただ、それだけを、俺は、願っていた。



◇



 その夜。星が、眠ったあとで。


 俺は姉さんのノートをまた開いた。第三の道の、その先に、何か、書いていないか。星が、器にならずにすむ、別の道は、ないのか。それを探して。


 ノートの、ページを繰る。姉さんの、細かい符牒を一つずつ、読み解いていく。だが第三の道の、記述の、その先は。ほとんど、白紙だった。姉さんも、そこまでは、たどり着けなかったのだ。想いを集めて天網を鎮める。その先の、星をどう生かすか、までは。


 俺はノートを閉じた。ため息をついた。


 答えは、自分で、見つけるしか、ない。この子が、他人の想いに、のみこまれてしまう前に。星が、星でいられるうちに。


 俺は暗い地下の天井を見上げた。世界を救っても、次から次へと、難題が、降ってくる。だが弱音を吐いてる暇は、ない。この子を守ると、決めたんだ。姉さんの夢の先を生きると、誓ったんだ。ならどんな宿題だろうと、解いてみせる。姉さんが、残してくれた道の、その先を。俺が、歩いて、切り拓くしか。……重い、宿題だった。だがやるしか、ない。この子をほんとうの意味で、自由にするために。



◇



 ふと俺は眠る星の、顔を見た。


 そしてあることに、気づいた。


 星が、寝言をつぶやいていた。


「……ごめんね、たろう。……あのとき、たすけられなくて」


 俺は眉をひそめた。たろう。……そんな名前の人間を俺は知らない。星も、知らないはずだ。この子の、記憶は、墜ちてきた夜から、始まっている。それより前の記憶は、ない。……なのに、なぜ、知らない誰かの名を呼ぶ。


 星の、寝言は、続いた。


「……にげて。はやく。……わたしのことは、いいから」


 それは、まるで、別の、誰かの、言葉のようだった。星の、口を借りた、別の、誰かの。


 俺はぞっとした。


 俺は思い出していた。星が、街じゅうの想いを受け止めた、あの夜のことを。あのとき、星は言っていた。おもいが、いっぱい、ながれこんでくる、と。苦しげに。あれは、ただの、負荷じゃ、なかったのかもしれない。他人の記憶が、この子の内側で、渦を巻いていたのかもしれない。


 あれから、毎日。この子は人々の想いをあずかり続けている。少しずつ。だが確実に。他人の記憶が、この子のなかに、積もっていく。雪みたいに、静かに。そしていつか。


 もしかして。星が、あずかった、人々の想い。その、記憶が。この子のなかに、少しずつ、たまって。……星、自身の、心と、混ざりはじめているんじゃ、ないか。


 器になるということは。他人の想いを自分のなかに、溜めるということだ。それが、度を越せば。星は自分が、誰なのか。わからなく、なるかもしれない。無数の、他人の想いに、のみこまれて。


 俺は眠る星の、手をそっと握った。


 ――大丈夫か、星。


 その手は、あたたかかった。だがその、あたたかさが、この子自身のものなのか。それとも、あずかった、誰かのものなのか。俺には、もうわからなかった。


 新たな影が。この子の、内側から。静かに、忍び寄ろうとしていた。世界を、脅かす影じゃない。この子自身を、少しずつ、蝕んでいく、影。俺の知らないところで。それは、確かに、動きはじめていた。

 だが、灯の胸には棘が刺さる。器であり続けるかぎり、星は自由になれない。そして、預かった他人の記憶が、少しずつ星自身を蝕みはじめていた。

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