第42話 瓦礫の街
崩落の傷が残る街。星は、力を使い果たして、青ざめている。だが、街の人々の目には、確かな希望が宿っていた。
崩落は、都市の、東側を大きく、えぐっていた。
評議会の白い塔は、半ばまで、崩れ落ちていた。その周りの建物も、いくつか、倒れている。夜が明けて、その傷あとが、はっきりと見えてきた。俺は瓦礫の上に立って、その光景を見渡した。
だが都市は、落ちなかった。
雲の上に浮かぶ、この終端が。天網の暴走で、崩れ落ちることも、なく。傷つきながら、それでも、空に留まっている。原初の終縞は、読まれなかった。世界は、終わらなかった。それだけは、確かだった。
俺の隣で。星が、青い顔をしていた。
「星、大丈夫か」と俺はその肩を支えた。
「……うん」と星は弱々しく、笑った。「ちょっと、つかれた、だけ」
昨夜、街じゅうの想いを受け止め、天網へ、注いだ。その反動が、まだ抜けきっていないのだ。むき出しの肌の、光の粒も、いつもより、薄い。俺は心配になった。あれだけの力を使ったんだ。無理も、ない。
◇
俺は星を瓦礫のふちに座らせた。そしてそっとその手を握った。
与える術で、光を注ぐ。自分のなかの、あたたかいものを細く、この子へ。星の頬に少しずつ、赤みが、戻ってきた。
「ごめんね、灯」と星が、言った。「また、灯の、ひかりを、もらってる」
「気にすんな」と俺は笑った。「分け合うって、決めただろ。減ったら、足す。それだけの、話だ」
星が、こくりとうなずいた。だがその顔には、まだ疲れの色が、濃かった。俺はふと不安になった。
昨夜のことは、一度きりの、決戦だった。街じゅうの想いを集めて、天網を鎮めた。だがあの想いは、無限じゃない。天網は、本当にこれで、鎮まったのか。それとも、また飢えて、原初の終縞を求めはじめるのか。……もし、そうなら。星はまた力を使うことになる。そのたびにこの子は消耗する。
その考えが、頭をよぎった。だが俺は首を振った。今は、考えても、仕方がない。まずはこの子を休ませることだ。それからこれからのことを考えればいい。
だが心の底では、わかっていた。この問いから、逃げられないことを。星が、原初の終縞である、その事実は、消えない。天網が、また飢えれば。この子はまた狙われる。読まれれば、世界が、終わる。その危うさを抱えたまま、この子は生きていかなきゃ、ならない。……根っこの問題は、何も、解決していないんだ。昨夜の勝利は、あくまで、その場しのぎ。ほんとうの答えは、まだどこにも、なかった。
俺は眠る星の横顔を見た。この子が、安心して、笑って、暮らせる。ただそれだけのことが。どうして、こんなに難しいのか。世界を救ってなお、この子には、安息の場所が、ない。……俺はそれが、悔しかった。
◇
そのとき。瓦礫の向こうから、人々が、集まってきた。
地下の人々。街の人々。昨夜、想いを放った者たち。みんな、傷つき、疲れきっていた。だがその目には、確かな、光が、あった。
「灯さん」とあの老人が、進み出た。地下で、最初に俺たちを匿ってくれた、爺さんだ。「あんたのおかげで……あたしらは、助かった。街も、世界も。……礼を、言わせてくれ」
老人が、深く頭を下げた。するとうしろの人々も、いっせいに頭を下げた。
俺は面食らった。星読みが、街の人々に頭を下げられる。こんなことあるはずが、なかった。星読みは、死者から奪う、疎まれ者だ。それが、今こうして、感謝されている。
「やめてくれ」と俺は慌てて、言った。「頭を、上げてくれ。……礼を言うなら、あんたたち自身に、言うべきだ。世界を救ったのは、あんたたちの、想いなんだから」
俺はみんなを見回した。
「俺は、ただ、道を、示しただけだ。想いを、差し出したのは、あんたたちだ。星を、信じてくれたのも、あんたたちだ。……胸を、張ってくれ。あんたたちは、この都市の、救い主だ」
人々の顔にじんわりと誇りの色が、広がった。奪われるばかりだった人々が、初めて、自分たちの力で、何かを守り抜いた。その、誇りが。
◇
だがその、あたたかい空気を。
鋭い声が、断ち切った。
「救い主、だと? ……ふざけるな」
人々が、振り返った。瓦礫の、向こうから。汚れた、評議会の外套をまとった、男が、歩いてきた。数人の、兵を引き連れて。崩落を生き延びた、評議会の、残党だ。
男は歩きながら、乱れた外套の襟をきっちりと直した。崩れた瓦礫の街で、その所作だけが、妙に几帳面だった。指先で、留め具の位置を一つずつ、確かめるように。……そういえば、と俺は思い出した。この男は榊といった。評議会で、都市の物資を一粒残らず数え、管理する男だ。飢えたこの街で、配給の一かけらまで、帳簿につけていた。狂おしいほど、秩序にこだわる男。
「よくも、言えたものだ」と榊は俺をにらんだ。目を血走らせて。「お前たちが、あの少女を、匿ったせいで。儀式は、乱れ、都市は、崩れた。……この惨状を、見ろ。東区は、壊滅だ。何千という人間が、家を、失った。……これが、救いだと?」
俺は言葉に詰まった。確かに崩落の直接の引き金は、久遠の儀式だ。だがそれを招いたのは。俺たちが、星を守り、抵抗したから、とも、言える。この男の、言い分にも、一分の、理は、あった。
「その少女は」と男は星を指さした。「今も、危険なままだ。原初の終縞。読まれれば、世界が、終わる。……そんなものを、街に、置いておけるか。……こいつは、評議会が、確保する。安全な場所に、封じるためにな」
兵たちが、じりっと星のほうへ、間合いを詰めた。
◇
俺はとっさに星を背中にかばった。
「させるか」と俺は低く、言った。「こいつは、もう、危険じゃない。昨夜、証明しただろう。こいつの力で、天網は、鎮まった。……こいつは、災いじゃない。この街を、救った、光だ」
「鎮まった、だと?」と男は鼻で、笑った。「一時的に、だろう。天網の飢えは、消えちゃいない。……その少女が、いるかぎり。原初の終縞という、引き金は、この街に、あり続ける。……いつ、誰に、読まれるか、わからん、爆弾を。野放しに、できると、思うのか」
俺は奥歯を噛んだ。
この男の、言うことにも、一理、あった。星が、原初の終縞である、その事実は、変わらない。天網が、また飢えれば。誰かが、星を読もうとするかもしれない。……その、危険をどう、なくすのか。俺には、まだ答えが、なかった。
「だが」と俺は男をにらみ返した。「だからって、この子を、封じさせは、しない。……こいつは、道具じゃない。人だ。俺の、大切な、人だ。安全のためなら、人を、檻に、閉じこめても、いいってのか。それは、久遠と、同じ理屈だ。……あんたたちが、いちばん、繰り返しちゃいけない、間違いだろうが」
男の、顔が、険しくなった。
「……力ずくでも、連れていく」
男が、兵に合図した。兵たちが、剣に手をかける。
昨夜、世界を救ったばかりだというのに。もう次の、争いが、始まろうとしていた。俺は星の手を握った。だがこの子はまだ消耗しきっている。力は、使わせられない。俺一人で、どう、この場を切り抜けるか。
そのとき。
人々の、あいだから。あの老人が、一歩、前に出た。
◇
「その子には、指一本、触れさせないよ」
老人が、両手を広げて、星の前に立ちはだかった。痩せた、小さな、背中で。
「爺さん……!」
「あたしらの、救い主だ」と老人は震える声で、だがはっきりと言った。「この子と、灯さんは。……あんたら評議会が、あたしらを、見殺しにしてきたあいだ。この子は、あたしらに、想いを、遺す場所を、くれた。奪われるばかりだった、あたしらに。……その恩を、あたしは、忘れない」
そして老人に続いて。一人、また一人と。街の人々が、星の前に立ちはだかった。地下の者も。上の者も。昨夜、想いを放った者たちが。星を守るように。壁になって。
評議会の男が、たじろいだ。数人の兵で、この、大勢を相手にはできない。
俺はその光景に胸が、熱くなった。昨日まで、星をこわがっていた人々が。今身を挺して、この子を守ろうとしている。……街の心が、変わったんだ。ほんとうに。奪う世界から、与え合う世界へ。その、変化が。今目の前にあった。
「……覚えて、おけ」と評議会の男は悔しげに言った。「この件は、終わりじゃ、ないぞ。その少女が、危険であることに、変わりは、ない。……いずれ、都市の総意が、その子を、裁く。そのときは、この街の人間全員が、敵に、回るぞ」
男は兵を連れて、瓦礫の向こうへ、去っていった。捨て台詞を残して。
俺はその背中を見送った。ひとまずこの場は、しのいだ。だがあの男の言葉が、胸に引っかかった。星が、原初の終縞である、その危うさは、消えていない。
そして俺ははっきりと悟った。俺たちには、二つの、締め切りがある。
一つは、天網だ。今は、あの夜の想いで、鎮まっている。だがいつまた飢えて、星を求めるか、わからない。もう一つは、榊たちだ。連中は、星を動力源に封じるまで、あきらめない。……天網が先に飢えるか。残党が先に星を奪うか。どちらが来ても、終わりだ。
その、二つが来る前に。俺は星を原初の終縞そのものから、解き放つ道を見つけなきゃならない。読まれる危険も、器にされる恐れも、根こそぎ断つ、本当の答えを。……時間は、限られていた。目に見えない砂時計が、もう落ちはじめている。そんな焦りが、腹の底にこびりついた。
俺は星の手を握りしめた。世界は、救った。だが戦いは、終わっていない。むしろいちばん難しい戦いが、ここから、始まるのだ。この子が、ただの女の子として、生きられる、その日を掴みとるための。
だが、評議会の残党が現れる。星を、街の動力源として封じるために。人々が壁になって、この場はしのいだ。けれど、星が安心して生きられる場所は、まだ、どこにもない。




