第38話 街の灯
地下の想いだけでは、足りない。だが、星の光が塔を貫き、夜空へ立ちのぼる。
その一本の光の柱を、街じゅうの人々が、見上げる。
地下の人々の想いが、星のなかへ、流れこんでいく。
俺は星の手を、握りながら、自分の光を、細く、注ぎ続けた。この子が、消耗で、消えてしまわないように。街じゅうの想いを受け止める、その重さを、二人で、分け合う。約束したとおりに。
星の体は、集まる光で、まばゆく、輝いていた。祭壇の中心へ向けて、その光が、糸のように、伸びていく。姉さんの終縞がはまった、装置の、繋ぎ目へ。天網へと繋がる、その一点へ。想いが、注がれていく。少しずつ。だが確かに。
装置の唸りが、わずかに弱まった気がした。俺は、息を、詰めた。効いている。天網が、原初の終縞じゃなく、生者の想いを、飲みはじめている。第三の道は、絵空事じゃなかった。姉さんの、たどり着いた答えは、正しかった。
だが。
「……足りない」と、俺は、つぶやいた。
地下の、数百人ぶんの想いでは。天網の飢えを、満たしきれない。装置の唸りは、弱まりはしたが、止まらない。都市の崩落も、続いている。壁の亀裂は、広がり、天井は、崩れ落ち続けている。もっと、いる。もっと、たくさんの想いが。街じゅうの、何千という人々の。
◇
だが街の上の人々は、まだ動いていなかった。
塔の外、崩れゆく都市のなかで。多くの人々は、ただ逃げまどっているだけだった。何が起きているのか、わからないまま。星を、まだ災いだと、思ったまま。評議会の恐怖に、縛られたまま。
俺は焦った。このままじゃ、間に合わない。街じゅうの心を、動かす。その、いちばん難しい仕事が、まだ残っている。
そのときだった。
塔の高い窓から、外の光景が、目に入った。
崩れゆく都市の、広場に。人々が、集まりはじめていた。だが逃げるためじゃ、ない。何かを、見上げている。塔を。この、評議会の塔を。
星の光が。塔の壁を、突き抜けて。夜空へと、立ちのぼっていたのだ。
◇
それは、まるで、一本の、光の柱だった。
崩れゆく塔から、天へと伸びる、あたたかい光。地下の人々の想いが、より合わさって、生まれた、その光。人工の夜に、覆われて久しい、この都市に。久しく、忘れられていた、あたたかい光が。今天を、貫いていた。
街じゅうの人々が、その光を、見上げていた。
俺はその光景に、はっとした。これだ。言葉なんて、いらない。この光が、何よりの、証だ。星は、災いなんかじゃない。あたたかい光を、生む存在なんだと。この光を、見た者は、きっとわかる。
俺は崩れた窓辺に、駆け寄った。そして外の人々へ向けて、腹の底から、叫んだ。
「見てくれ! この光を!」
俺の声が、届いたかは、わからない。だが光は、届いていた。
広場の人々の顔が、その光に、照らされていた。恐怖に、引きつっていた顔が。ふいにやわらいでいく。子どもが、光を指さして、何か言った。母親が、それを、見上げた。老人が、涙を、ぬぐった。
この光を、恐れる者は、いなかった。誰の目にも、それは、ただ清らかで、美しかった。
無理もない、と俺は思った。この都市の人間は、生まれてこのかた、本物の光を、見たことがない。人工の夜に、ずっと覆われて。星読みが読む星屑の、冷たい光しか、知らずに。だがこの光は、違った。誰かの、遺したい想いから生まれた、あたたかい光。人の胸を、まっすぐ打つ光。それを見て、恐れる者など、いるはずがなかった。評議会が、どれだけ星を災いだと言い聞かせてきても。この一本の光の柱の前では、その嘘は、通じなかった。
俺は崩れゆく塔のなかで、その光景を、目に焼きつけた。二年前、姉さんが、たった一人で夢見た景色。誰も助からないと思われた場所で、たった一人、手を伸ばした、あの人の願い。それが今、街ぜんぶを包む光に、なっていた。……見てるか、姉さん。あんたの夢は、間違ってなかった。ちゃんと、ここに、届いてる。
◇
変化は、じわじわと起きた。
広場の、一人の女が。胸に手を当てて、目を閉じた。何かを、祈るように。するとその胸から、小さな光が、ふわりと、立ちのぼった。地下の人々が、そうしたように。遺したい想いが、光になって、天の光の柱へと、吸い寄せられていく。
それを、見た、隣の男も。同じように、目を閉じた。また、光が、立ちのぼる。
一人、また一人。広場の人々が、胸の光を、天へと、放ちはじめた。誰かに教わったわけでも、ない。ただあの光を見て、心が、動いたのだ。奪われてばかりだった人々の、奥底に、眠っていた、遺したいという願いが。今目を、覚ました。
俺には、その一つひとつが、見える気がした。星のなかに流れこんでくる想いを通じて。市場で店を張る老婆の、死んだ孫への詫び。塔の下で朽ちかけた男の、若いころに別れた女への未練。子を亡くした母の、その子の笑い声を忘れたくないという祈り。名も知らぬ、何千という人々の、名も知らぬ、小さな痛みと、愛おしさ。それが、次から次へと、光になって、天へ昇っていく。
この街は涸れちゃいなかった。俺は確信した。姉さんの言うとおりだった。奪われて、忘れさせられて、うつむいて生きてきた人々の胸にも。手放したくない、たった一つの光が、ちゃんと残っていた。ただ、それを差し出す場所が、なかっただけだ。今、星という受け皿が、その場所になった。堰を切ったように、想いが、あふれ出していた。
光の柱が、太く、なった。
俺は、塔のなかで、それを、感じた。星のなかへ流れこむ想いが、急に増したのだ。地下だけじゃない。街じゅうから。今想いが、集まりはじめている。
「灯……!」と、星が、声を、あげた。苦しげに、けれど、喜びに、震える声で。「いっぱい……いっぱい、ながれこんでくる……! あたたかいのが……街ぜんぶから……!」
「ああ!」と、俺は、叫んだ。「街が、動いた! お前を、信じたんだ、星! ……もう少しだ! 街じゅうの想いを、天網に、注ぎこめ!」
◇
だが想いが増したぶん、星の負荷も、増していた。
星の顔が、苦痛に、歪んだ。街じゅうの想いという、途方もない量を、その細い体で、受け止め、天網へと、流している。いくら俺が、光を足しても。この重さは、一人と一人ぶんの光では、支えきれるものじゃ、なかった。
「星、無理を、するな!」と、俺は、叫んだ。「お前が、消えちまう!」
「だいじょうぶ」と、星は、笑おうとした。だがその口元は、震えていた。「まだ……いける。……あと、すこし。せかいが、たすかるまで……!」
俺は必死に光を、注いだ。自分のなかの、ぬくもりを、根こそぎ、この子へ。だが俺の光も、無限じゃない。頭が、ぼんやりし、指先が、冷えていく。俺自身の光も、削れはじめていた。
それでも俺は、手を、離さなかった。
――守り抜く。
あの夜、この子に、誓った言葉が。胸の奥で、燃えていた。星の命も、世界も。どちらも、諦めない。そのために、俺は、ここにいる。
削られていく体のなかで、俺は歯を、食いしばった。指先の感覚が、遠のいていく。視界の端が、暗んでいく。星に光を注ぐたび、俺自身の命が、少しずつ、こそげ落ちていくのが、わかった。星読みが星を読んで消耗するのと、まるで同じだ。奪う代わりに、与えている。それだけの違いで、削られる痛みは、同じ。いや、それ以上かもしれなかった。
だが、悔いは、なかった。この子のために、削れるなら。この子を生かせるなら。俺の光の一滴くらい、いくらでも、くれてやる。二年前、俺は、姉さんを守れなかった。何もできずに、失った。あの無力さを、俺は、二度と味わいたくない。今度こそ、守る。この手で。たとえ、俺のなかが、空っぽになっても。
光の柱は、天を、貫き続けていた。街じゅうの想いを、集めて。都市の、崩落と、競い合うように。
だがそのとき。
祭壇の、久遠が、静かに動いた。
「……見事だ、灯」と、久遠は言った。「街を、動かすとは。詩織の夢を、ここまで、形にするとは。……本当に、大したものだ」
久遠の手が、祭壇の、姉さんの終縞へと、伸びた。
「だが、ここまでだ。……その光を、断ち切らせて、もらう」
俺の背筋が、凍った。久遠が、姉さんの終縞に、手をかける。あれを、装置から、引き抜けば。天網との繋ぎ目が、断たれる。集めた想いを、注ぐ、その道が、消える。
「やめろ、久遠さんっ!」
俺は、叫んだ。だが星の手を、離せない。離せば、この子が、崩れる。動けない、俺の目の前で。久遠の指が、姉さんの終縞に、かかる。せっかく、街ぜんぶが、動きだしたというのに。せっかく、姉さんの夢が、形になりかけているというのに。その、細い糸を。久遠の指が、無造作に、掴んだ。
恐怖に凍った街の心が、あたたかい光にほどけていく。姉が夢見た景色だ。
だが、久遠の指が、姉の終縞に、かかる。せっかく動きだした、その糸に。




