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第37話 儀式発動

 儀式が発動し、都市そのものが崩れはじめる。

 灯は崩れゆく塔のなかで、人々に想いを預けてくれと呼びかける。

 装置が、唸りをあげた。


 天井へ伸びる無数の管が、いっせいに脈打ちはじめた。天網へと繋がる管が。祭壇にはめこまれた姉さんの終縞が、深い光を放ち、その光が、装置の隅々へと、流れていく。起爆剤だ。久遠の言葉のとおり。姉さんの最後の一行が、世界を終わらせる装置の、心臓に、なっていた。


 座らされた星読みたちの、まだ正気に返っていない者が、うめきはじめた。手にはめられた器具が、その力を無理やり吸い上げていく。何十人ぶんの力が、束ねられ、祭壇の中心へと、集められていく。あとは、そこに、星を据えれば。原初の終縞は、抗いようもなく、読まれる。世界の、終わりが、始まる。


 そしてそのとき。


 塔が、揺れた。


 どこか遠くで、低い地鳴りのような音がした。天井から、細かい塵が、降ってくる。俺は身をかがめた。何が起きた。星読みたちの力を無理やり吸い上げた反動か。それとも。


「……始まったな」と、久遠が、つぶやいた。「原初の終縞に、手をかけた瞬間から。天網は、目を覚ます。この都市を、支えてきた網が。ほどけはじめるのだ」


 俺はぞっとした。この、雲の上の都市は、天網の力で、空に浮かんでいる。その天網が、原初の終縞に手をつけられて、揺らぎはじめた。つまり。


 都市そのものが。崩れ、はじめている。



◇



 広間に、悲鳴が、走った。


 壁に、亀裂が、走る。天井の一部が、崩れ落ちる。兵たちが、浮き足立った。正気に返った星読みたちが、逃げまどう。俺が率いてきた、地下の人々も、格子の下から、広間へ、なだれこんできていた。混乱が、混乱を呼ぶ。


「灯っ!」


 星が、俺のもとへ、駆け寄ってきた。俺はその手を握った。あたたかい光。それだけが、この混乱のなかで、確かなものだった。


「都市が、崩れはじめてる」と、俺は言った。「久遠が、儀式に、手をつけたせいだ。……こうなったら、もう、後戻りは、できねえ。原初の終縞が読まれるまで、崩落は、止まらない。……逆に言えば」


 俺は星の目を見た。


「儀式を、止めて、天網を、鎮めれば。崩落も、止まる。……止めてみせる。今すぐ、だ。星、力を、貸してくれ」


 星が、うなずいた。


 だが久遠は祭壇の前から、動かなかった。崩れゆく広間のなかで、ただ一人、静かに装置を見上げている。まるで、この崩落すら、望んでいたかのように。


 俺は祭壇の姉さんの終縞を盗み見た。深い光を放ちながら、装置に力を吸われ続けている。姉さんの、最後の一行が。世界を守ろうとした人の、想いそのものが。皮肉にも、世界を終わらせる装置の、燃料に、されている。


 ――待ってろ、姉さん。


 俺は心のなかで、呼びかけた。あんたの終縞は、こんなことのために、あるんじゃねえ。必ず、取り返す。あんたの想いをあんたが守ろうとした、この世界を救うために、使ってやる。それが、弟の、俺の意地だ。


 足元がまた大きく揺れた。天井の梁が、軋む。時間が、ない。崩落は、刻一刻と進んでいる。俺は恐怖を奥歯で噛みつぶして前を見据えた。怖がってる暇なんて、ありゃしねえ。



◇



「久遠さん!」と、俺は叫んだ。「見ろ、都市が、崩れてる! このままじゃ、やり直すも、何も、都市ごと、消えちまうぞ!」


「かまわん」と、久遠は静かに言った。「原初の終縞さえ、読めれば。天網は、再起動する。……そうすれば、この崩れた都市も、灼き落としも、なかったことに、なる。すべて、やり直せる。……崩落など、その、産みの苦しみに、すぎん」


「やり直せやしねえって、言ってるだろうが!」と、俺は声を荒げた。「読めば、終わる。完全に、終わるんだ! あんたが、賭けてるのは、やり直しじゃねえ。ただの、皆殺しだ!」


 久遠の目が、初めて、揺れた。だがその揺れは、すぐに、静かな絶望に、のみこまれた。


「たとえ、そうだとしても」と、久遠は言った。「私は、もう、この世界を、見ていられんのだ。……緩やかに、飢えて、朽ちていく人々を。守る価値も、失った、この都市を。……いっそ、終わらせて、やりたい。それが、私の、慈悲だ」


 慈悲、と、久遠は言った。


 俺はその言葉に、寒気が、した。この男は本気で、そう信じている。世界を終わらせることが、救いだと。絶望が、ここまで人を狂わせるのか。いや、狂っていない。だからこそ恐ろしい。



◇



 俺は拳を握りしめた。


 言葉じゃ、この男は止まらない。ならば行動で、示すしかない。第三の道が、本物だと。世界は、終わらせなくても、救えるのだと。


「星」と、俺は言った。「予定どおり、やるぞ。人々の想いを、集めて、天網に、注ぐ。……あの祭壇だ。姉さんの終縞が、はまってる、あそこ。あそこが、天網との、繋ぎ目だ。あそこに、想いを、流しこむ」


 星が、祭壇を見た。それから俺を見て、うなずいた。


 俺は崩れゆく広間を見回した。逃げまどう、地下の人々。俺が、半月かけて、心を動かしてきた、数百の人々。今こそ、その想いが、いる。


「みんな、聞いてくれ!」と、俺は腹の底から、叫んだ。「怖いのは、わかる! 都市が、崩れてる。逃げ出したいのも、わかる! ……だが、聞いてくれ。この崩落を、止められるのは、あんたたちの、想いだけなんだ!」


 人々が、足を止めた。恐怖に、引きつった顔で、俺を見た。


「あんたたちの、遺したい想い! 誰かへの、愛! 届かなかった、言葉! ……それを、この子に、預けてくれ! そうすれば、天網は、鎮まる。都市は、崩れ落ちずに、すむ。世界は、終わらねえ!」


 俺は星をみんなの前に、押し出した。星は震えながらも、まっすぐ立った。むき出しの肌から、あたたかい光をこぼしながら。


「……おねがい」と、星が、言った。小さな、けれど、必死な声で。「わたしに、あずけて。みんなの、たいせつな、おもいを。……わたしが、まもるから。ぜんぶ、まもるから」


 一瞬広間が、静まった。崩落の轟音のなかで。人々は迷っていた。この、恐ろしいと聞かされてきた少女に、自分のいちばん大切なものを預けていいのか、と。


 その、迷いを断ち切ったのは。


 あの、老人だった。



◇



 地下で、最初に俺たちを匿ってくれた、痩せた爺さんが。よろめきながら星の前に、進み出た。


「あたしの、想いを、預けるよ」と、老人は言った。「死んだ、女房に。……もういちど、詫びたいっていう、この想いを。……あんたに、託す」


 老人が、星の手に、自分の、しわだらけの手を重ねた。


 その瞬間。老人の胸から、あたたかい光が、ふわりと、立ちのぼった。それが、星の手を通って、星のなかへと、流れこんでいく。星の体が、ひときわ明るく、輝いた。


 それを見た人々の目の色が、変わった。


「……あたしも」と、一人の女が、進み出た。「戦で、はぐれた、幼なじみに。……会いたいっていう、想いを」


「俺も、だ」と、別の男が、続いた。


 痩せた、少年が、星の前に、進み出た。まだ十かそこらの。「……お母ちゃんに。おいしいご飯、ありがとうって。言えてなかったから。……それ、預けても、いい?」星が、うなずくと、少年の胸から、小さな、けれど、まぶしい光が、こぼれた。


 次に、手の甲に、星読みの焼き印を持つ、老いた男が、来た。「俺も、昔は、星読みだった。……人の死ばかり、読んで、生きてきた。奪ってばかりの、人生だった。……最後に、一度くらい。与える側に、回らせてくれ」その声は、震えていた。長年、抱えてきた、悔いのぶんだけ。


 一人、また一人と。人々が、星のもとへ、集まってきた。崩れゆく広間の、瓦礫のなかで。それぞれの、遺したい想いを抱いて。星の体が、集まる想いの光で、まばゆく、輝きはじめた。


 それは、不思議な光景だった。人の想いというものが、こんなにも目に見える形で、あたたかいものだとは。老人の詫び。女の恋しさ。男の悔い。ひとつひとつはささやかな、けれど、かけがえのない、光。それが、星のなかでより合わさって、大きなひとつの輝きに、なっていく。奪われてばかりだった、この街の底の人々が。今生まれて初めて、自分の想いを誰かに、与えている。その顔は、みな憑きものが落ちたように、晴れやかだった。


 俺はその光景に、胸が震えた。


 姉さんが、夢見た景色だ。奪う世界じゃない。与え合う世界。その景色が、今崩れゆく塔のなかで、確かに形になっていた。地下の、数百人。まだ街ぜんぶには、遠い。だが確かな、うねりだった。


 ――止めてみせる。俺は奥歯を噛んだ。この想いを天網に、注ぐ。星を読ませる前に。都市が、崩れ落ちる前に。


「灯」と、星が、俺を呼んだ。集まる光の、真ん中で。その顔は、苦しげに、歪んでいた。「おもいが……いっぱい、ながれこんでくる。……からだが、あつい。……もちこたえ、られる、か、わからない」


 俺ははっとした。街じゅうの想いを注ぐ、その負荷。星一人では、耐えきれない。約束したはずだ。お前が減ったら、俺が足す、と。


 俺は星の手を握った。そして自分のなかの、あたたかいものをこの子へと、流しはじめた。


 ――ここからだ。俺と、星の二人の力で。街の想いを天網へ。世界の、命運を賭けた戦いが。今始まった。絶対に、負けられない戦いが。

 最初に動いたのは、あの老人だった。奪われてばかりの人々が、初めて与える側に回る。

 星の体が、集まる想いの光で、まばゆく輝きはじめる。

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