第36話 塔へ
闇の日。二人は数百の人々を率いて、評議会の塔へ乗りこむ。
星が、生贄にされた星読みたちを、一人ずつ正気に返していく。
闇の日が、来た。
人工の空が、いちばん暗くなる夜。星屑が、いちばん読みやすくなる夜。久遠が、原初の終縞を読むために選んだ、その夜が、とうとう訪れた。
地下水路から、俺たちは、動きだした。数百の人々を率いて、忘れられた水路の道を塔の真下へと、進んでいく。灯りは、最小限だ。息をひそめ、足音を殺し、ただ前へ。先頭を俺と星が、歩いた。俺の懐には、姉さんのノート。星の手は、俺の手をしっかりと握っていた。
道々、俺は頭のなかで、段取りを繰り返した。塔の下から、儀式の広間へ抜ける。街じゅうの目が塔に集まる、その瞬間に、星の力をみんなに見せる。奪う力じゃない。返す力。救う力を。人々の心が動けば、想いが集まる。集まった想いを星に注ぐ。天網を鎮める。読ませる前に。
絵に描いた餅かもしれない。だがこの筋書きに、星の命と、世界の行く末が、乗っている。しくじれば、終わりだ。俺は奥歯を噛んで、足を速めた。
◇
塔の真下に、たどり着いた。
古い配管が這う、暗い基部。その天井の、格子の隙間から、上の広間の様子が、うかがえた。俺は格子に、顔を寄せた。
息をのんだ。
広間の中央に、巨大な装置が、組まれていた。無数の管が、天井へと伸びている。天網へ、繋がる管だ。そしてその装置を囲むように。何十人もの星読みが、椅子に、座らされていた。うつろな目で。手には、力を増幅する器具が、はめられている。久遠が集めた、生贄たちだ。街じゅうの星読みを束ねて、原初の終縞を一気に読む。その仕掛けが、目の前に、あった。
装置の、いちばん中心に。ひときわ高い、祭壇のような台が、あった。まだ空だ。あそこに、星を据えるつもりなんだ。何十人もの力を一点に、集めて。
そしてその祭壇の傍らに。灰色の外套が、立っていた。
久遠だ。
黒い傘をつき。静かに装置を見上げていた。まるで、これから始まる、世界の終わりを待ちわびるように。
◇
俺は星を振り返った。
「いいか、星。……ここからは、賭けだ」と、俺は小声で言った。「合図で、俺が、広間に飛び出す。街じゅうの目が、こっちに向く。その隙に、お前は、力を、みんなに見せろ。記憶を返す、あの光を。恐れられてる自分を、ひっくり返すんだ。……できるか」
星はこくりと、うなずいた。夜色の瞳に、恐れは、あった。だがそれ以上に、覚悟が、あった。
「うん。……やる。灯と、いっしょに」
「ああ。俺が、そばにいる。何があっても、な」
俺は格子に、手をかけた。古い留め金は、錆びていた。力を込めれば、外れる。俺は深く、息を吸った。心臓が、うるさいくらい、鳴っていた。こわい。正直足が、すくむ。だがこわいまま、行くんだ。姉さんが、そうしたように。
格子を押し上げた。
◇
「久遠さんっ!」
俺は広間に、躍り出た。
俺の声が、高い天井に、響きわたった。座らされた星読みたちが、うつろな目をこちらへ、向ける。壁際の兵が、いっせいに身構えた。そして祭壇の傍らの久遠が、ゆっくりと、振り返った。
「……来たか、灯」と、久遠は言った。驚きは、なかった。「来るだろうと、思っていた。詩織の弟なら、な」
「その儀式を、やめろ」と、俺は言った。まっすぐ久遠を見て。「原初の終縞を、読むな。世界は、やり直せやしない。……完全に、終わるだけだ。あんたも、それは、認めたはずだ」
「認めたとも」と、久遠は静かに言った。「終わるかもしれない。それでも、私は、賭ける。……このまま、朽ちていくよりは、ましだと」
久遠が、兵に、目配せした。兵たちが、俺を取り囲む。
だが俺は退かなかった。今だ。俺は格子のほうへ、叫んだ。
「星っ!」
その声を合図に。
星が、格子の下から、広間へと、姿を現した。むき出しの肌から、光の粒をこぼしながら。
◇
広間が、どよめいた。
原初の終縞。世界を終わらせる、少女。その姿をその場の誰もが、知っていた。兵が、星読みたちが、いっせいに星を見た。恐怖と、憎悪の目で。
だが星は退かなかった。震える足で、うつろな目をした星読みの、一人に、歩み寄った。そしてむき出しの手をその額に、そっと当てた。
「……なにを」と、久遠が、眉をひそめた。
星の指先から、細い光が、伸びた。座らされた星読みの、うつろな目に、ふいに光が、宿る。その男はまばたきをし、あたりを見回し、そして、震える声で、つぶやいた。
「……ここは。俺は……そうだ、俺は、星読みだ。……なぜ、こんなところに」
久遠に、記憶をいじられ、意志を奪われていた星読みが。星の力で、正気に、返ったのだ。
広間が、静まりかえった。
俺はその光景に胸が熱くなった。あの、地下水路で、抜け殻の男に、名前を返した夜。あのとき芽生えた、小さな力が。今この、世界の終わりの舞台で、生贄にされた星読みたちを一人ずつ、人間に、戻している。星は震える足で、それでも、退かなかった。恐れられ、憎まれ、狩り立てられてきた自分の力で。今大勢を救おうとしている。俺はその細い背中を目に、焼きつけた。よくやってる。ほんとうに、よく。
星は次の一人へ、歩み寄った。また額に触れる。また一人が、正気に返る。奪われた意志が、記憶が、戻っていく。久遠の生贄の仕掛けが、星の手によって、一つずつ、ほどけていく。
「……見ろ」と、俺は広間じゅうに、叫んだ。「これが、こいつの力だ! 奪う力じゃねえ。返す力だ。救う力だ! ……こいつは、災いなんかじゃねえ。この世界を、救う光だ!」
俺の声が、響いた。兵たちが、動揺し、顔を見合わせた。正気に返った星読みたちが、星を信じられないという目で、見つめた。
場の空気が、変わりかけた。その、決定的な、瞬間だった。
◇
「……なるほど」
久遠の静かな声が、その空気を断ち切った。
「返す力、か。詩織のたどり着いた、第三の道。……なるほど、大したものだ。だが、灯」
久遠は懐から、何かを取り出した。小さな、硝子の、筒だった。そのなかに、一つの、星屑が、揺れていた。ほかのどの星屑よりも、深く、あたたかい、光を放つ、一つの星屑が。
俺の心臓が、止まりかけた。
その光を俺は知っていた。二年間、夜空に探し続けた、その光を。忘れるはずが、なかった。
「……姉、さん」
俺の声が震えた。
二年だ。二年ものあいだ、俺はこの光を探してきた。仕事の合間に、夜空を仰いでは、姉さんの終縞を探した。読めば、姉さんの最期に、触れられる。あの夜、燃える建物のなかで、姉さんが、何を思ったのか。それを知れる。何度もその誘惑に、負けかけた。だが、姉さんの遺言が、俺を押しとどめた。私の終縞は探すな、前を向いて生きて、と。……その、探してはいけなかった一行が。今俺の目の前で、世界を終わらせる引き金に、されようとしている。皮肉にもほどがあった。
「そうだ」と、久遠は言った。「冬瀬詩織の、終縞だ。……私は、とうに、見つけていた。君が、夜空を、あてどなく探しているあいだに、な」
久遠はその硝子の筒を祭壇の、装置に、はめこんだ。
「原初の終縞を読むには、莫大な力が、いる。星読みを束ねても、まだ、足りん。……だが、この、詩織の終縞を、起爆剤に使えば。装置は、完全に、動きだす」
俺はその場に、立ちすくんだ。姉さんの、最後の一行が。姉さんが、あれほど守ろうとした世界を終わらせるための、鍵に、される。よりにもよって。
「さあ、灯」と、久遠は言った。「選ぶといい。……その子を、渡して、装置を止めるか。それとも、姉の終縞が、世界を終わらせる引き金になるのを、黙って、見ているか」
久遠の指が、装置の、始動の鍵に、かかった。
俺は動けなかった。星を守れば、姉さんの終縞が、世界を終わらせる。姉さんを止めようとすれば、星から、目を離すことになる。……久遠は俺のいちばん柔らかいところを正確に、突いてきた。
だが。
俺は震える足を踏みしめた。そして顔を上げた。姉さんの終縞をまっすぐ見た。
「姉さん」と、俺は声を絞り出した。「あんたなら、どうする。……いや、聞くまでもねえな」
俺は久遠をにらんだ。腹の底から、声を出した。
「二つとも、守る。姉さんの想いも、星の命も、この世界も。……どれか一つを、諦める? ふざけるな。俺は、星読み、冬瀬灯だ。奪い方じゃなく、与え方を、覚えた男だ。……全部、掴んで、帰る。あんたの、賭けごと、ぶち壊してな」
久遠の目が、細くなった。
そしてその指が、装置の鍵を回した。
俺は、腹を、くくった。もう、後戻りはできない。姉さんの終縞も、星の命も、この世界も。何ひとつ、諦めるものか。震える足を、地に、踏みしめる。久遠の、賭けを、ぶち壊す。この、闇の日の夜に。俺と、星の、二人で。
――闇の日の、儀式が、始まった。
だが久遠は、切り札を持っていた。二年間、灯が探し続けた、姉の終縞だ。
それを起爆剤に、儀式が始まる。全部掴んで帰る――灯の戦いが、幕を開ける。




