第30話 継ぐ者
第三章前半の、山場だ。灯は、奪う力を、与える力に変えて、星に光を注ぐ。
読まずに、生かす。第三の道の、最初の一歩が、ここにある。
俺の手のひらから、星へと、光が、流れていった。
根拠なんて、なかった。星読みの技術書にも、こんなことは、載っていない。読んで奪うことしか、教わってこなかった。だが俺は信じた。姉さんの言葉を。読むんじゃなく、語りかける。奪うんじゃなく、与える。それができるはずだと。
目を閉じたまま俺は星に語りかけた。声に出さずに。心のなかで。
――消えるな。俺のそばに、いてくれ。お前と、生きたいんだ。名前を呼んで、飯を食って、くだらないことで、笑って。そういう毎日をこれからも、ずっと。
俺のなかの、あたたかいものが、指先から、こぼれていく。星のときみたいに光の粒には、ならない。だが確かに、何かが、俺から、抜けていく。体が、だるくなる。頭が、ぼんやりする。星を読んだあとの、あの消耗に、似ていた。
構うものか。俺は注ぎ続けた。この子が生きるなら。俺の光の、いくらでもくれてやる。
――星読みは、奪うことしか、知らない。ずっとそう思ってた。
俺は歯を食いしばった。指先から、俺の何かが、この子へと、流れ出していく。
――だがな、姉さん。あんたの弟は、今日、覚えたぜ。奪い方じゃない。与え方を。……星を殺す手で、星を生かす。上等だ。それでこそ、星読みだろうが。
不思議な、感覚だった。星を読むときは、他人の死が、冷たい水みたいに流れこんでくる。だがこれは、逆だ。俺のなかの、あたたかいものが、外へと、流れ出していく。星への想いがそのまま光になって、この子に届いていく。名前をつけた夜のこと。白湯をあたたかいと喜んだ顔。好きだと、言い合った、あの夜。俺と星の過ごしてきた時間の、一つひとつが、光の粒に、なって、この子のなかへ、還っていく。奪うんじゃない。与えるんだ。姉さんの言葉のとおりに。読むんじゃなく、語りかける。
◇
どれくらい、そうしていただろう。
腕のなかで、星の体がかすかに光を取り戻し始めた。
消えかけていた輪郭が、少しずつ、はっきりしていく。青白かった頬に、ほのかな、赤みがさす。指先から、また、あの、小さな光の粒が、こぼれ始めた。
「灯……?」
星が目を開けた。夜色の瞳が、俺を映す。
「星っ」
俺はこみ上げるものをこらえきれなかった。生きてる。戻ってきた。俺の光が、届いたのか。それとも、この子自身の、生きようとする力が、勝ったのか。わからない。だが星は確かに、俺の腕のなかで、息を吹き返した。
「灯……わたしに、なにか……あったかいものが、ながれてきた」
「俺の、光だ」と、俺はかすれた声で、言った。「お前が、俺に、くれたみたいに。……今度は、俺が、お前に、やった」
星の目が、大きく、見開かれた。それから、その頬を涙が、伝った。今度は、光の粒の、涙だった。ちゃんと、光っている。戻ってきた証だ。
「……ありがとう、灯」
俺は星を抱きしめた。安堵で、腕が、震えた。
◇
そのやり取りを久遠はじっと見ていた。
その顔に、驚愕の色が、浮かんでいた。
「……ばかな」と、久遠がつぶやいた。「星読みが、光を、与えた。読むのではなく、与えた。……そんなことが、できるのか。原初の終縞に、命を、注ぎ返すなど……聞いたことが、ない」
俺は久遠を見た。まだ体は、だるい。だが俺のなかに、確かな、手応えが、あった。
「久遠さん」と、俺は言った。「わかったよ。姉さんの、探してた答えの、入り口が」
俺は星を抱いたまま立ち上がった。
「原初の終縞は、読むものじゃ、ない。……与えるものなんだ。天網が、この子を、呼んでるのは、読ませて、世界を終わらせるためだ。でも、逆に、この子に、光を、与え続ければ。……天網を、鎮められるかもしれない。奪うんじゃなく、満たすことで。眠らせることで」
久遠の目が、揺れた。
「それが……詩織の、たどり着いた、答えか」
「まだ、入り口だ」と、俺は言った。「でも、姉さんの遺したノートと、この、たった今、起きたことが、その答えを、指してる。……読まずに、閉じる。第三の道は、確かに、ある。俺が、証明してみせる」
言いながら俺は確かな、手応えを感じていた。ついさっき、俺は星に光を与えた。奪うためだけの手で、与えることが、できた。それは、姉さんの言う「語りかける」の、いちばん小さな、けれど確かな、第一歩だった。星読みが、原初の終縞に、光を注ぐ。それをもっと大きく、天網そのものに、向けられたら。飢えた天網を満たしてやれたら。読ませずに、眠らせることが、できるかもしれない。まだ遠い。だが道は、確かに、そこに、つながっていた。
久遠はしばらく黙っていた。それから、深い、ため息をついた。傘を握り直す。
「……今日は、引こう」と、久遠は言った。「だが、灯。覚えておけ。……評議会は、待ってはくれない。星が、これ以上、減れば、街は、終わる。私は、その前に、原初の終縞を、読ませる。君の言う、第三の道が、間に合わなければ。……次に会うときは、力ずくだ」
久遠は背を向けた。兵を率いて、闇へと、去っていく。
「証明してみせろ、灯。詩織に、できなかったことを。……その子を、生かしたまま、世界を、救う道を。私は、それを、見せてもらう。……あの子の、弟に」
その言葉を残して、久遠は消えた。
◇
俺たちは、観測所を後にした。
塔を出るとき、俺は一度だけ、振り返った。姉さんの生きた場所。世界を守るために、たった一人で、あがいた場所。ありがとう、と、心のなかで、つぶやいた。ここで、俺はたくさんのものを受け取った。姉さんのノート。第三の道の、入り口。そして星に光を与えるという、新しい力。全部、姉さんが遺してくれたものだ。塔は、暗く静かに俺たちを見送っていた。まるで役目を終えたみたいに。
久遠は去った。だが猶予は、長くない。評議会はいずれ、原初の終縞を力ずくで、読ませようとする。それまでに、俺は第三の道を完成させなければならない。読まずに、天網を鎮める方法を。星を生かしたまま。
だが今日、俺はその、最初の一歩を踏み出した。星読みが、光を与える。奪うんじゃなく、満たす。姉さんの遺したノートが、その先を照らしてくれるはずだ。
「灯」と、星が俺の手を握った。少し光を取り戻した手で。「わたし、いきてる。灯の、おかげで」
「ああ。……もう、二度と、消えさせない。今日、わかった。俺は、お前に、光を、やれる。……何度でも、やる。お前が、消えそうになったら、何度でも」
星はうれしそうに、笑った。頬に、赤みが、戻っている。指先から、光の粒が、また、こぼれ始めた。生きている。ちゃんと、俺の隣で、笑っている。それだけで、俺はこの命を賭けた甲斐が、あったと、思えた。
だがその顔に、少しだけ、影が、さした。
「でも、灯。……灯の、ひかりを、あげたら。灯が、へっちゃう。……灯まで、きえちゃったら」
俺ははっとした。
そうだ。光を与えるということは、俺の何かを削るということだ。星が力を使って消耗するように。俺も光を与えれば、消耗する。何度も繰り返せば、いつか、俺のほうが、尽きるかもしれない。
だが俺は笑った。
「そのときは、そのときだ」と、俺は言った。「お前が、消えるより、ましだ。……それに、俺たちは、二人だ。俺が減れば、お前が、与えてくれる。お前が減れば、俺が、与える。……そうやって、支え合えば、いい。一人ぶんの光を、二人で、分け合えば」
星は俺を見つめた。それからこくりと、うなずいた。目に、また、涙をにじませて。
「……うん。ふたりで、わけあおう。ずっと」
俺は夜空を見上げた。姉さんの終縞が、東のはずれで、青く、またたいている。読まなかった、あの星。手を伸ばせば、届いた。読めば、会えた。だが俺は読まなかった。姉さんの願いを選んだ。そしてこの子を別の方法で、救った。二年間、俺を縛っていた、過去への未練。それを俺は今夜、ようやく、乗り越えた気が、した。
姉さんの星はこれからも、あの空で、またたき続けるだろう。俺が読まないかぎり、消えることはない。いつでもあそこにいる。それで、いいんだ。会いに行かなくても。読まなくても。姉さんは俺のなかに、生きている。その生き方が、俺のなかに、受け継がれている。それで、じゅうぶんだった。
――見ててくれ、姉さん。
俺は心のなかで、語りかけた。
――あんたの遺したものを俺が継ぐ。読まずに、生かす道を必ず、見つける。あんたに、できなかったことを。あんたの弟が、やってみせる。
星の手を握って。俺たちは、また、歩き出した。第三の道の、その先へ。二人ぶんの光と、一つの願いを抱いて。長い夜はまだ続く。だが俺たちはもうただ逃げるだけじゃない。前を向いて、進んでいた。
第三章前半、これで一区切りだ。ここまで、ありがとうな。
灯は、姉の星を読まずに、星を救った。第三の道の入り口を、その手で、開いた。
だが、猶予は長くない。久遠は、原初の終縞を、力ずくで読ませようとする。戦いは、これからだ。次回、また会おう。




