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第27話 久遠の真意

 逃げ道を塞がれ、灯たちは、久遠と対峙する。

 久遠の、本当の狙いが、少しずつ、見えてくる。

 塔の裏手に、崩れた非常口が、あった。


 俺は星の手を引いて、そこから、外へ、飛び出した。松明の列は、正面から、迫っている。裏へ回ればまだ逃げられる。瓦礫の陰を縫うように走った。


 だが甘かった。


 俺は星の手をしっかりと、握って、瓦礫のあいだを駆けた。星は必死についてくる。だがその足取りは、重かった。塔にいるあいだに、天網の声で、消耗していたのだ。息が、切れている。俺はその手を引きながらなんとか、裏手へと、回りこんだ。ここを抜ければ、外縁の廃墟へ、逃げこめる。そこまで行けば、まける。そう、思っていた。


 裏手の瓦礫を抜けたところで。俺たちは、足を止めた。


 そこにも、兵が、いた。灰色の外套。数人。ぐるりと、囲むように待ち構えていた。逃げ道を塞がれた。久遠は裏へ回ることまで、読んでいたのだ。俺の考えそうなことなど、とっくに、見抜かれていた。俺は奥歯を噛みしめた。


 俺は舌打ちした。裏も、塞がれていたか。この男はいつも俺の一手先を読んでいる。逃げ道を二つ、用意しておいて、両方に、網を張る。星読みとしても、策士としても、俺なんかとは、格が違う。二年前、俺に星読みを教えたのも、この男だ。俺の考えることなど、手のひらの上、というわけだ。


 そしてその兵の、うしろから。


 久遠がゆっくりと歩いてきた。黒い傘をつきながら。相変わらず、静かな、底の見えない目で。急ぐ様子は、まるでない。獲物を追い詰めた者の、余裕だった。その落ち着きが、かえって、俺の神経を逆なでした。こっちは、必死なんだ。この子の命が、かかっている。なのに、この男は、まるで散歩でもするみたいに歩いてくる。


「逃げなくて、いい、灯」と、久遠は言った。「今日は、話をしに来た。……前にも、そう言っただろう」


「話すことなんて、ない」


 俺は星を背中に、かばった。だが逃げ場は、ない。囲まれている。星の光は、また、薄れかけていた。天網の声に、削られて。ここで力を使わせるのは、危険だった。


「詩織の、ノートを、見つけたようだね」


 久遠の言葉に、俺はぎくりとした。懐のノートを押さえる。


「あの子が、この観測所で、何かを、調べていたことは、知っていた」と、久遠は続けた。「だが、その中身までは、つかめなかった。……君が、見つけてくれたなら、好都合だ。見せてもらえるかな」


「断る」


「そう、つれないことを、言うな」と、久遠は微笑んだ。「私と、詩織は、同じものを、追っていた。この世界の、行く末をね。……あの子の、たどり着いた答えを、私も、知りたいのだ」


 姉さんと久遠。二人は、知り合いだったのか。俺は初めて、それを知った。考えてみれば、当然かもしれない。久遠は星読みの頂点。姉さんも腕のいい星読みだった。世界の行く末を追う者どうし。どこかで、交わっていても、おかしくない。だが二人は、同じものを見て、まったく、逆の答えに、たどり着いた。姉さんは守ることを。久遠は賭けることを。同じ絶望を前にして、人は、こんなにも、違う道を選ぶ。俺はその分かれ道の、意味を噛みしめた。



◇



 俺は久遠をにらんだ。


「姉さんは、あんたとは、違う答えを、探してた」と、俺は言った。「原初の終縞は、鍵じゃない。錠だ。読めば、世界は、やり直されるんじゃない。……完全に、終わる。姉さんは、それに、気づいてた。だから、読ませないために、鎮める方法を、探してたんだ」


 久遠の眉がわずかに動いた。


「……錠、か」と、久遠はつぶやいた。「詩織は、そう、結論したのか。なるほど。……あの子らしい」


 久遠は少し目を伏せた。その顔に、初めて、迷いのような色が、よぎった気がした。


「灯。一つ、教えておこう」と、久遠は言った。「私も、以前は、迷っていた。原初の終縞を読めば、世界は、やり直せるのか。それとも、終わるだけなのか。……確かに、どちらとも、言い切れない。詩織の言うとおり、終わりかもしれない」


 俺は驚いた。この男が、それを認めるとは。


「では、なぜ」と、俺は言った。「終わるかもしれないのに、なぜ、読ませようとする」


 久遠はしばらく黙っていた。それから静かに言った。


「……このまま、緩やかに、飢えて死ぬくらいなら。いちど、賭けてみたいのだ。やり直せるほうに。たとえ、その裏が、完全な終わりだとしても。……何も変えられずに、じわじわと、朽ちていくよりは、ましだ」


 その声には、深い、あきらめと、そしてかすかな、狂気が、にじんでいた。


 俺はぞっとした。この男は、正気だ。正気のまま、破滅に、賭けようとしている。それが、いちばん、恐ろしかった。狂ってくれていたらまだ救いようが、あった。だが久遠は冷静に、理屈で、そこに、たどり着いている。このまま、緩やかに、死ぬくらいなら。いちどだけ、賭けたい。その理屈は、ある意味、筋が、通っている。反論するのが、難しいくらいに。だからこそ、たちが悪い。絶望が、理性の顔をして、目の前に、立っている。


 俺は久遠の目を見た。その奥に、何が、あるのか。ただの、街への責任感か。それとも、もっと、個人的な、何かか。長いあいだ、この人を見てきた俺には、わかる。この目は、公のために、動いている目じゃない。もっと、深い、私的な、痛みを抱えた目だ。何かを失った者の、目だった。俺と同じ。



◇



「あんた……」


 俺は言葉を失った。


 この男はもう救いなんて、信じていない。ただこの、終わっていく世界に、耐えられないだけだ。だから賭けに出る。世界が、やり直せるほうに。たとえ、その賭けが、みんなを道連れにする、破滅だとしても。


 絶望した人間の、いちばん、恐ろしい形だった。


「久遠さん」と、俺は言った。「あんたにも、失った人が、いるんだろう。……その人に、会いたくて。やり直したくて。だから、賭けようとしてる。違うか」


 久遠の動きが、止まった。


 図星だった。この男も、俺と同じだったのだ。失った誰かを取り戻したくて。過去をやり直したくて。ただ俺は星に出会って、前を向くことを選んだ。久遠は選べなかった。ずっと過去に、囚われたままだ。


 もし、俺が星に出会わなかったら。俺もこの男のようになっていたかもしれない。姉さんを取り戻すためなら、何をしても、いいと。世界を道連れにしても、かまわないと。そう、思いつめて。……ぞっとした。久遠は俺のなりえたかもしれない、もう一つの姿だった。過去に囚われ、絶望に、のみこまれた、俺自身の影。だからこそ、俺はこの男をただ憎むことが、できなかった。憐れで、そして怖かった。


「……立ち入るな」と、久遠は低く、言った。初めて、声に、感情が、こもった。「私のことは、いい。……ノートを、渡しなさい、灯。そして、その子を。悪いようには、しない」


「渡すもんか。……姉さんの願いは、俺が、継ぐ。世界を終わらせるためじゃない。守るためのものだ。あんたの、賭けの道具になんて、させるか」


 久遠の目が、細くなった。だがその表情は、すぐに、もとの、静けさに、戻った。


「……残念だよ、灯。君は、詩織と、同じ道を、歩もうとしている。優しさに、殉じる道を。その先に、待つのは、破滅だけだというのに」


「上等だ」と、俺は久遠をまっすぐ見返した。「破滅の先だろうが、地獄の底だろうが。姉さんが歩いた道なら、俺は、迷わず、そこを行く。……あんたが選んだのは、過去だ。俺が選ぶのは、こいつと生きる、明日だ。同じ絶望を見て、あんたは、うしろを向いた。俺は、前を向いた。それだけの、違いだよ、久遠さん」


 俺は必死に頭をめぐらせた。逃げ道は、ない。星の力は、使わせたくない。だがこのままでは、ノートも、星も久遠の手に、落ちる。何か、手はないか。一つでも活路はないか。だがいくら考えても、答えは、出なかった。俺はただの、街のはずれの星読みだ。腕っぷしもない。策もない。あるのは、この子を守りたいという、意地だけ。それだけで、この、絶望的な状況を覆せるのか。


 俺はじりじりと、後ずさった。だがうしろは、瓦礫の壁だ。もう逃げ場は、ない。星の細い体を背中に、かばう。この子にだけは、指一本、触れさせない。たとえ、俺がどうなろうと。そう、腹をくくった。


 久遠が兵に、合図した。兵たちが、じりっと、間合いを詰める。


 星の指先から、光が、こぼれかけた。俺を守ろうとして。だがその光は、あまりにも、弱々しかった。天網の声に、削られ、消耗しきった、わずかな光。


 ――使えば、この子が消える。


 俺はとっさにその手を握った。


「星、使うな!」


 だが兵の一人が、俺の腕をつかんだ。引き剥がされる。星と俺のあいだに、兵が、割って入る。


「灯っ!」


 星の悲鳴。


 万事休す、かと思った、そのときだった。

 久遠は、もう救いを信じていない。ただ、終わっていく世界に耐えられず、破滅に賭けようとしている。

 過去に囚われた、その姿は、灯の、なりえたかもしれないもう一つの姿だった。

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