↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
22/60

第22話 天網観測所

 姉が、続きを遺した場所。それは、旧・天網観測所だった。

 外縁のさらに奥へ。二人の、探す旅が、始まる。

 観測所へは、丸一日、歩いた。


 外縁の廃墟を抜けると、道は、いよいよ、荒れていった。焦げた瓦礫が、行く手をふさぐ。地面は、ひび割れ、ところどころ、雲海がのぞいている。踏み外せば、底のない白へ、まっさかさまだ。俺は星の手を離さないよう、慎重に、足を運んだ。


 人の気配は、まるでない。だが油断は、できなかった。評議会も回収屋も、俺たちをまだ探している。こんな辺鄙な場所にも、いつ、目が、光っているか、わからない。


 歩きながら俺は何度も空を見上げた。人工の夜は、外縁でも変わらず、広がっている。無数の星屑。そのどこかに、姉さんがいる。そしてそのどこかに、原初の終縞が、抜け落ちた、あの穴も、あるはずだ。星を墜としてからもうずいぶんになる。だがあの穴は、今も、塞がっていないだろう。星は俺の隣を歩いているのだから。


 星は疲れも見せずに、ついてくる。裸足のままだ。俺が拾ってきた布を足に巻いてやったが、この荒れた道では、すぐに、ぼろぼろになる。それでも文句ひとつ、言わない。ただ俺の手を握って、一歩ずつ、進んでくる。その健気さが、俺の足を前へ、前へと、動かした。この子のためなら、どんな道でも歩ける。そう、思えた。


 途中、何度か、休んだ。星の光が、薄れかけると、俺は足を止めて、この子を休ませた。急ぐ旅じゃない。急いで、星を消耗させるくらいなら、ゆっくり行くほうが、いい。俺はそう決めていた。


「灯、あれ」


 星が前方を指さした。


 崩れかけた、細い橋。二つの瓦礫の山を渡している。その下は、深い、雲の谷だ。橋板は、半分、朽ちている。渡れるのか。俺はためらった。


「先に、俺が行く。お前は、俺の足跡だけを、踏め」


 俺はそろそろと、橋に足をかけた。板が、みしり、と鳴る。冷や汗が、背を伝う。一歩、また一歩。風が、下から吹き上げて、体を煽る。それでも進んだ。


 下を見ないようにした。見れば、足がすくむ。底のない、白い谷。落ちれば、二度と、浮かんでは、こない。雲海の下に、何があるのか、誰も知らない。焼けた地上か、それとも、無か。この街の誰も、それを確かめたことは、ない。俺はその、底知れない白から、目をそらしてただ前の板だけを見つめて、渡った。


 半ばまで来たとき。


 背後で、音がした。


 振り返ると、瓦礫の陰から、人影が、二つ。ぼろをまとった、痩せた男たちだ。だがその目は、ぎらついていた。飢えた、獣の目。外縁をうろつく、はぐれ者だろう。俺たちの荷を狙っている。


「星っ、走れ!」


 俺は叫んだ。だが橋の上だ。走れば、落ちる。男たちが、じりじりと、迫ってくる。手には、錆びた得物。飢えた目が、俺たちの荷を値踏みしている。荷といっても、水とパンと、姉さんのノートだけだ。だが外縁のはぐれ者にとっちゃ、それでも奪う価値のある、獲物なんだろう。生きるために、なりふり構わない。そういう連中だ。話が、通じる相手じゃない。


 もう逃げ場は、ない。星の指先から、光が、こぼれかけた。あの、記憶を消す力を使おうとしている。


 だが俺はその手を握った。


「星。使うな。……光を、減らすな」


 星の光はまだ完全には戻っていない。ここで使えば、また、削られる。それだけは、避けたかった。


 星は俺を見た。それからこくりとうなずいた。目を閉じる。深く、息を吸う。隠れ里で、宵に教わった、あの、力の抜き方だ。


 星の指先から、今度は、ほんのわずかな光が、細くまっすぐ伸びた。爆発じゃない。制御された、一筋の光。


 その光が、男たちの、足元の橋板に、触れた。


 朽ちた板が、光の粒になって、さらさらと、崩れ落ちた。ちょうど、男たちと、俺たちのあいだの、一枚だけ。


 男たちは、ぎょっとして、足を止めた。目の前に、ぽっかりと、穴があいたのだ。渡れない。雲の谷が、口を開けている。


「ば、化けもんだ……っ」


 男たちは、悲鳴をあげて、瓦礫の向こうへ、逃げていった。得物を放り出して。化けものに、関わりたくない。そういう、逃げ方だった。


 俺はほっと、息をついた。星は必要な板を一枚だけ、消した。人を傷つけず、記憶も奪わず。ただ道を断っただけだ。あの、鴉羽の手下を抜け殻にしてしまった、あのころとは、まるで違う。この子は確かに、力を飼いならしつつある。恐ろしい力を優しい形で、使えるようになってきた。宵さんが、教えてくれたことが、この子のなかで、ちゃんと、根を張っている。


 俺はそれが、うれしかった。だが同時に、胸の隅が、痛んだ。うまく使えるようになるほど、この子は、迷いなく力を差し出す。俺のために。守るために。上達が、そのまま、無理につながっていく。だから俺は、できるかぎり、この子に力を使わせたくなかった。この笑顔のまま、ただ、そばにいてほしいだけなんだ。



◇



「……たいしたもんだ」


 俺は星の頭をくしゃりとなでた。


「人を消すんじゃなく、道を消した。うまく、力を、使えるように、なったな」


 星は少し照れたように笑った。だがその顔は、青ざめていた。細い光を絞り出しただけでも消耗するらしい。俺はその体を支えた。


「無理を、させたな。……もう少しだ。渡りきったら、休もう」


 俺たちは、慎重に、橋の残りを渡った。崩れた一枚を大きくまたいで。渡りきったとき、俺の足は、震えていた。星も荒い息をついていた。それでも二人とも、生きて、向こう岸に立った。


 そして顔を上げた、その先に。


 それは、あった。



◇



 巨大な、塔だった。


 半分、崩れている。だがその威容は、今も、残っていた。天を突くような、細長い影。てっぺんには、砕けた、丸い硝子の目。かつて、そこから、天網を監視していたのだろう。今は、暗く、うつろに、空を見上げている。


 旧・天網観測所。


 姉さんが続きを遺した場所。すべての始まりを見た場所。


 俺はその塔を見上げた。胸の奥が、ざわついた。ここに、姉さんがいた。灼き落としの前、この場所で、姉さんは何かを見て、何かを書き遺した。二年の時を越えて、それが、俺を待っている。


 塔のまわりには、焦げた瓦礫が、散らばっていた。灼き落としの夜、ここも、無事では、すまなかったのだろう。硝子の目が砕けているのも、そのときの傷かもしれない。だが塔そのものは、倒れずに、立っていた。まるで何かを待つように。誰かが、来るのを待つように。俺には、そう、見えた。


 二年間、俺は姉さんの面影を夜空にばかり、探してきた。星屑のなかに、姉さんがいると、信じて。だが姉さんの本当の足跡は、こんな地上に、遺されていた。焼け残った、古い塔のなかに。俺はどうして、もっと早く、気づかなかったんだろう。姉さんは空の上じゃない。地に足をつけて、最後まで、生きていた。世界を守るために、あがいていた。その姿を俺はこれから、知ることになる。


「灯」と、星が俺の手を握った。「ここ……なんだか、かなしい、におい、がする」


 俺は星を見た。この子は時々、こういう、不思議なことを言う。原初の終縞だからだろうか。天網の生き残りだからだろうか。この塔が、天網とつながっていた場所だから何かを感じ取っているのかもしれない。


「大丈夫だ」と、俺は言った。「姉さんの、遺したものを、受け取るだけだ。……行こう」


 星はうなずいた。だがその手はかすかに震えていた。


 俺は大きく、息を吸った。心の準備が、いるような気がした。ここから先は、姉さんの遺した世界だ。二年前に逝った人の、生きた証が、待っている。うれしさと、こわさが、ないまぜになって、胸の奥で、渦を巻いた。


 俺たちは、崩れた入り口をくぐって、塔の、暗い内部へと、足を踏み入れた。


 空気が、変わった。ひやりと、冷たい。埃と、古い機械の、匂いがする。長いあいだ、誰も、足を踏み入れていない、そういう、淀んだ空気だった。俺たちの足音だけが、やけに、大きく、響いた。


 星は俺の手をいっそう、強く、握った。この塔に、何かを感じているのだ。天網とつながった場所。この子の生まれ故郷のような場所。だがその感じ方は、なつかしさとは、違うようだった。むしろ怯えに、近かった。何か、呼ばれたくないものに、呼ばれている。そんな、顔だった。


 俺はこの子を抱き寄せるようにして、奥へ進んだ。何があっても、離さない。そう、決めて。そしてその奥から。かすかに聞こえた気がした。


 冷たいはずの塔の奥で、たしかに、あたたかい何かが、俺を呼んだ気がした。


 二年前に逝った、姉さんの声が。


 俺は大きく息を吸って、暗い奥へ足を踏み入れた。二年前に逝った人の、遺したものへ。


 冷たい空気の奥から、あたたかい何かが、俺を手招きしている気がした。姉さんの声に、どこか似ていた。星の手を握りしめて、俺はその気配のほうへ、一歩ずつ進んだ。

 橋の危機を、星は、うまく力を使って切り抜けた。人を消さず、道だけを消して。

 そして二人は、姉の生きた塔に、たどり着く。次で、姉の足跡に、触れる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。