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第17話 露見

 久遠の予告どおり、評議会の兵が隠れ里に迫る。

 二人を逃がすため、宵がある決断をする。

 久遠が去ってから。俺は落ち着かなかった。


 次は、力ずくで、来る。あの男は、そう言った。宵の隠れ里は、もう知られている。ここに、居続けるのは、危険だった。長居すれば、宵まで、巻きこむ。


「宵さん。俺たち、ここを、出る」と俺は言った。「これ以上、あんたに、迷惑は、かけられない。久遠は、また来る。今度は、兵を、連れて。……あんたに、危害が、及ぶ前に、俺たちは、消える」


 宵は俺をじっと見た。それから静かに首を振った。


「行くあては、あるのかい」


「……ない。でも、逃げるしか、ない」


 宵はしばらく考えていた。皺だらけの指で、あごをなでながら。それから、部屋の奥から、一枚の、古い地図を取り出した。手ずれで、すり切れた、羊皮紙だった。


「街の、いちばん外れ。誰も、寄りつかない、忘れられた区画が、ある」と宵は地図の、端のほうを指さした。「灼き落としで、焼けてそのまま打ち捨てられた場所さ。人も、住んでない。評議会も、見張っちゃいない。……そこなら、しばらくは、隠れられる。少なくとも、この街の底よりずっと安全だ」


「案内は、できない。あたしは、足が、悪くてね」と宵は自分の膝をさすった。「だが、道順は、教えられる。今夜、暗くなったら、発ちな。夜のうちに、外縁まで、抜けるんだ」


 俺は宵に頭を下げた。この人には、返しきれない恩が、あった。姉さんの話を聞かせてくれた。星に力の抜き方を教えてくれた。何日も、匿ってくれた。あたたかい湯を飲ませてくれた。ほんの、半月ほどの、縁だった。だがその半月で、俺たちは、この人に、家族のような、あたたかさをもらった。二年間、俺がずっと飢えていた、あたたかさを。


 星も宵になついていた。宵さん、宵さん、と、幼子のようにまとわりついて。宵はそのたびに、うるさいねえ、と言いながらうれしそうに、笑っていた。子も、孫も、いない、と宵は言っていた。だから星の存在が、この人には、めずらしく、いとおしいものだったんだろう。この、つかのまの、疑似家族のような、日々を。俺は手放したくなかった。だが手放さなければ、宵を危険に、さらす。それは、できなかった。


「……ありがとう、宵さん」


「礼は、いいよ」と宵は笑った。皺を深くして。「詩織の、弟のためだ。当たり前の、ことさ。……あの子に、してやれなかったぶん。あんたに、してやりたいのさ」



◇



 だがその夜を待つことは、できなかった。


 昼過ぎ。俺が旅の支度をしていると。外で、物音が、した。


 いくつもの、足音。金属が、触れ合う音。剣の、鞘の鳴る音。そして鋭い、号令の声。地下の部屋にまで、その気配が、伝わってくる。


 まだ昼だ。今夜、発つはずだった。あと、半日。あと、半日、早く、動いていれば。俺は自分の、判断の甘さを呪った。久遠は次に来るとき、話し合いでは、すまない、と言った。その言葉を俺はもっと、重く、受け止めるべきだった。あの男は、言葉どおりの、男だ。予告した以上、必ず、やる。それをわかっていながら。俺は一夜の、ためらいで、動くのが、遅れた。


 俺は入り口の穴に、駆け寄った。隙間から、外をのぞく。血の気が、引いた。


 評議会の兵たちだった。十人以上。隠れ里の路地を埋め尽くすようにこちらへ、進んでくる。松明を掲げ、剣を構えて。先頭には、灰色の外套の、久遠の姿も、あった。ゆっくりと傘をつきながら。


 ――見つかった。もう時間がない。


「宵さん、逃げるぞ! もう、来てる! すぐそこまで!」


 俺は叫んだ。だが宵は動かなかった。ゆっくりと立ち上がって、俺と星を見た。その顔は、不思議なほど、穏やかだった。覚悟を決めた者の、顔だった。


「……坊や。裏に、抜け道がある」


 宵は部屋の、奥の壁を指さした。そこに、また崩れた隙間が、あった。人ひとりが、やっと通れる、暗い穴。


「そこを、抜けて。地図の、道順どおりに、行きな。……あたしは、ここに、残る」


「なに言ってるんだ! 一緒に、逃げるんだ!」


「足手まといに、なるだけさ」と宵は静かに笑った。「この足じゃ、走れない。あんたたちの、荷物になる。……それに。あの兵たちを、少しは、足止めしないと。あんたたちが、逃げる、時間が、いるだろう」


 俺は言葉を失った。宵は俺たちを逃がすために、残ろうとしている。あの、老いた体で。大勢の、兵の前に。



◇



 入り口の穴が、外から、壊された。


 石が、崩れ落ちる。土煙が、舞う。兵たちが、なだれこんでくる。剣を構えて。狭い地下の部屋に、いくつもの、剣先が、向けられる。


「星っ、下がってろ!」


 俺は星を抱き寄せた。だが多勢に、無勢だった。兵たちが、俺たちを取り囲む。壁を背に、逃げ場は、ない。


 星の指先から、光が、あふれかけた。あの、記憶を消す力を使おうとしている。俺を守るために。無意識に。


「星、待て! 使うな!」


 俺は叫んだ。ここで、大勢の記憶を消せば、星はまた消耗する。光が、激しく、減る。そして――こんな大人数を一度に、消せば。星自身が、もたないかもしれない。空へ、昇ろうとした、あの夜のように。命を削っちまう。


 だが星は止まらなかった。俺を守ろうと、必死だった。俺の言葉さえ、届かないほどに。


「灯を……まもる……っ」


 星の体から、光が、あふれ出した。まばゆい光が、部屋を白く、染める。先頭の兵、数人が、その光に、触れて、うつろな顔に、なり、崩れ落ちる。剣が、床に、転がる。


 だが星の光は、みるみる、薄れていった。あんなに、あふれさせたのに。すぐに、力が、尽きかけている。制御を覚えたぶん。無茶な、放出が、体に、こたえるんだ。少ない光を無理やり、絞り出している。


「星っ!」


 俺はふらつく星を抱きとめた。星の顔は、真っ青だった。光が、ほとんど、消えかけている。息も、荒い。膝も、立たない。


「……ごめん、灯。もう……ひかりが……でない」


 星の力は、そこまでだった。倒れた兵は、数人。だがまだ大勢が、残っている。久遠がその後ろで静かにこちらを見ていた。哀れむような、目で。


 もう逃げられない。俺は星を抱えたまま絶望した。ここまで、なのか。宵さんの、覚悟も。星の必死も。全部、ここで、終わるのか。


 そのときだった。


「――こっちだよ、坊や!」


 宵の声が、した。宵は部屋の奥の、抜け道の前に、立っていた。そしてその手に――使い古した、星読みの道具を握っていた。黒い、鏡のような、あれを。


「あたしが、こいつらを、食い止める。あんたは、その子を、連れて、逃げな! 早く! 二度は、言わないよ!」


「宵さん、だめだ! あんたが……!」


「行けッ!」


 宵の一喝が、地下に、響いた。しわがれた、老いた声。だがその声には、二年ぶりに、聞く、あの、力が、こもっていた。姉さんが俺の手を離した、あの夜の声と。同じ、響きだった。人を生かすために、自分を投げ出す者の、声だった。


 俺は唇を噛んだ。血の味が、した。


 ――わかった、宵さん。あんたの命、無駄にはしねえ。この子は俺が生かす。あんたが繋いだこの火、絶対に、消させねえ。


 声には、出さなかった。出せば、涙で、崩れる。俺はそれだけを胸に刻んで、星を抱え直した。そして抜け道へ、走った。振り返りたい。だが振り返れば、足が、止まる。


 背後で、宵の声が、聞こえた。兵たちに、立ち向かう、老いた星読みの声が。何かが、光る気配が。


 俺は振り返らなかった。ただ前だけを見て、暗い抜け道を走った。腕のなかの、消えかけた光を守りながら。涙があふれた。それでも走った。走り続けた。宵さんの、覚悟を無駄にしないために。


 走りながら俺はまたあの夜と、同じことをしている、と気づいた。誰かの、犠牲の上を走って、逃げている。姉さんのときと、同じだ。あのとき、俺は姉さんの背中を置き去りにした。今、俺は宵さんの背中を置き去りにしている。守られてばかりだ。俺はいつも守られてばかりだ。悔しかった。情けなかった。だが今は、立ち止まれない。腕のなかの、この命を消させないために。宵さんが、命がけで、つないでくれた、この命を。俺は歯を食いしばって、走った。せめて、生き延びてみせる。それが、宵さんへの、たった一つの、報い方だった。抜け道の闇の奥で、宵の道具が放つ、最後の光が一度大きく、瞬いた。そして消えた。その光を俺は生涯、忘れないだろう。老いた星読みが、最後に、燃やした、命の光を。あの人は、涸れたと言った。だが最後の最後に。あの人の力は、たしかに、燃えた。俺たちを生かすために。俺はその光に、背中を押されるように走り続けた。前へ、ただ前へ。


 振り返らないと決めた背中に、宵さんのあの一喝が、いつまでも焼きついて離れなかった。

 宵は、二人を逃がすため、大勢の兵の前に立ちはだかった。

 姉と同じ、生き方で。灯はまた、誰かの犠牲の上を走ることになる。

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