第15話 光のなか
宵のもとで、星は力の抜き方を学ぶ。
消すだけじゃない。与えることもできる。星の力の、もう一つの顔だ。
宵の教えは、地味な、繰り返しだった。
星は毎日、宵の前で、力の練習をした。だがそれは、力をあふれさせる練習じゃ、ない。むしろ逆だった。あふれそうになる光をいかに、抑えるか。心の、どこに、力をこめれば、光が、こぼれずにすむか。宵はそれを根気よく何度も教えた。焦らず、急かさず。
「力ってのはね」と宵は言った。「水と、同じさ。せき止めようと、すれば、あふれる。無理に、押さえこもうと、すれば、決壊する。……大事なのは、逆らわず、流すことだよ。少しずつ、細く、自分の、思うほうへ。手のひらから、こぼす、ひとしずくの水みたいに」
星はそれを真剣に、聞いていた。眉を寄せて。そして何度も何度も試した。目を閉じて、自分の内側に、耳を澄ますように。
最初は、うまく、いかなかった。ちょっとした拍子に、光が、どっと、あふれる。宵の部屋の、古い皿が、いくつか、光の粒に、なって、消えた。壁の、星屑の灯りが、一つ、また一つと、弾けて、消えることもあった。星はそのたびに、しょげた。肩を落として、ごめんなさい、とつぶやいた。だがあきらめは、しなかった。
俺はそのそばでずっと見ていた。手伝えることは、少なかった。ただ星が疲れたら、湯を淹れる。落ちこんだら、大丈夫だ、と言う。それくらいのことしか、できなかった。もどかしかった。だがそれでもそばに、いた。
宵は教えるのが、うまかった。星のいいところを必ず、先に、ほめる。それから、直すところを一つだけ静かに伝える。決して、叱らない。焦らせない。星が失敗しても、笑って、またおやり、と言うだけだ。そのやり方に、俺は感心した。星はほめられると、みるみる、伸びた。恐れが、消えていくぶん、力の扱いも、なめらかに、なっていく。
宵は時々、俺に姉さんの話をしてくれた。詩織は、こんな子だった、と。星読みの筋は、よかったが、それより、人の話を聞くのが、うまかった、と。よく、この地下に、来ては、宵の昔話を何時間も、聞いていた、と。俺の知らない、姉さんの顔が、そこに、あった。俺はそれを聞くのが、好きだった。姉さんがまだどこかで、生きているような。そんな気に、させてくれたから。
でも星はそれで、いいらしかった。
「灯が、みてて、くれると」と星は言った。「わたし、がんばれる。ひとりじゃ、ないって、おもえるから」
その言葉が、俺には、うれしかった。俺の存在が、この子の力になっている。二年間、誰の役にも立てなかった俺が。
◇
十日も、経つと、星は驚くほど、上達した。
指先の光を自分の意志で、強めたり、弱めたりできるようになった。物に触れても、崩さないでいられる。人に触れても、記憶を消さないでいられる。むやみに、こぼれることも、なくなった。ふだんはそっと内に、しまっておける。必要なときだけそっと引き出せる。
「見てて、灯」
ある日、星はそう言って、一輪の、枯れかけた花を手に、のせた。避難区の隅に、かろうじて咲いていた、名も知らぬ、小さな花だ。星はその花にそっと光を注いだ。ほんの、ひとしずく。
すると枯れかけていた花が、少しだけ、生き返った。しおれた花びらが、ぴんと、張りを取り戻す。色が、鮮やかに、なる。
俺は目を見張った。信じられない、光景だった。
「消すだけ、じゃ、ないのか」
「うん」と星はうれしそうに、笑った。「ひかりを、あげることも、できる。……たぶん、ちょっとだけ。むずかしいけど。けすよりずっとちからが、いる」
宵がそれを見て、感心したようにうなずいた。
「たいした、もんだ。……あんた、ただの、こわい力の持ち主じゃ、ないよ。使いようによっちゃ。たくさんの人を、救えるかも、しれないねえ。奪う力は、与える力にも、なる。表と、裏さ」
星の顔が、ぱっと、明るくなった。救える。その言葉が、この子には、何より、うれしいらしかった。ずっと自分の力を恐れてきたのだから。人を傷つけるだけの、呪いだと、思ってきたのだから。それが、誰かを救えるかもしれない。その希望が、この子を変えていく。
その日から、星は暇があれば、枯れかけた草花を探しては、光を注いで、練習した。避難区の、日の当たらない路地にも、しぶとく、命をつなぐ草が、あった。星はそれを一つひとつ、生き返らせては、うれしそうに、笑った。むずかしいから、失敗も、多い。だがあきらめなかった。いつか、あの、抜け殻になった男たちにも、何かを返してやりたい。星はそう口にした。奪ったものを少しでも返せるように。俺はその言葉を聞いて、胸が、熱くなった。この子は自分の犯した過ちから、目をそらさない。そしてそれを償おうとしている。強い子だ、と思った。俺なんかより、ずっと。
◇
その夜。俺と星は地下の部屋の、片隅で、並んで、座っていた。
宵はもう眠っていた。奥のほうで、静かな寝息が、聞こえる。青白い星屑の灯りだけが、部屋を照らしている。ほかには、物音一つ、しない。街の底の、深い夜だった。
「灯」と星がぽつりと、言った。「わたし、ここ、すき」
「そうか」
「宵さんも、すき。灯も、すき。……ずっとここに、いられたら、いいのに」
その言葉に、俺は胸が少し痛んだ。
ずっとここに。それが、叶わないことを俺は知っていた。追手は、いつか、ここも、嗅ぎつける。俺たちは、また逃げなければ、ならない。この、つかのまの平穏は、長くは、続かない。永遠になんて、ありえない。この子は世界の運命を背負っているのだから。
でも今は、その現実を口に、出したくなかった。この、静かな時間を俺の言葉で、壊したくなかった。
「……そうだな」と俺は言った。「ずっといられたら、いいな」
星は俺の肩に、頭を預けた。もう手袋は、していない。むき出しの手が、俺の手にそっと重なる。指先の光が、俺の手をあたたかく、包んだ。消えない。俺は消えない。もう何度、確かめても、消えない。
「灯には、ふれられる」と星はつぶやいた。「さいしょから、そうだった。ほかのひとは、こわくて、さわれないのに。灯だけは、へいき。……どうして、なのかな」
俺には、答えられなかった。なぜ、俺だけは、平気なのか。星読みだからか。それとも、別の、何かか。理屈では、説明できない、何かが、この子と俺のあいだには、あるのかもしれない。
「……たぶん」と俺は言葉を選びながら言った。「お前が、俺を、信じてくれてるからだ。消したくないと、思ってくれてるからだ。……そうだろ?」
星はこくりと、うなずいた。それから少し顔を赤くして、俺を見上げた。灯りの光で、その頬が、ほんのり、染まって見えた。
「うん。……灯のことは、ぜったい、けさない。ずっとそばに、いてほしいから。灯が、いなく、なったら……わたし、いきてる、いみが、ない」
その言葉に、俺の胸が、とくん、と、鳴った。
この子はただ素直に、そう言っただけだ。深い意味は、ないのかもしれない。だが俺の胸のなかで、その言葉は静かにあたたかく、広がっていった。消えると決まっている子。読まれれば、世界を終わらせる子。それでも俺はこの子のそばに、いたいと、思った。この、あたたかい光の、そばに。ずっと。
消えると決まっている。読まれれば、世界が終わる。そんな、恐ろしい事実を抱えた子。だがこうして、隣にいると。そんなことは、遠い、絵空事のように思えた。ここにいるのは、ただ俺を慕う、一人の女の子だ。あたたかくて、やわらかくて少し泣き虫の。俺はその子を守りたい。世界の運命なんて、知ったことか。俺はただこの子と明日も、白湯を飲んで、笑っていたい。それだけだった。それだけが、俺の願いだった。
俺は星の手をそっと握り返した。細い指を包むように。
地下の部屋に、二人ぶんの、静かな光が、寄り添っていた。この時間が、永遠に、続けばいい。そう、願わずには、いられなかった。叶わないと、知りながら。いつか、この平穏が、砕ける日が来ると、知りながら。だからこそ、今、この、ひとときが、いとおしかった。俺はその光を目に、焼きつけるようにいつまでも見ていた。忘れないように。いつか、この時間が、遠い日になっても。今夜のことを思い出せるように。二人ぶんの光が、寄り添った、この、静かな夜のことを。きっとこれから、つらいことが、待っている。それでもこの夜が、あったことは。俺の支えに、なるだろう。そう、思えた。
この一夜のあたたかさが、のちの俺を、幾度も支えることになる。そのときはまだ知らずに、俺はただ、その光を見ていた。指のあいだからこぼれる星の光が、部屋の闇を、やわらかく染めている。その寝息が、俺の胸の上で、静かに、上下していた。
つかのまの平穏だった。二人の距離が、少しずつ縮んでいく。
叶わないと知りながら、灯は、この時間が続くことを願う。次で、静かな敵が訪ねてくる。




