第12話 底の街
二人は、街の底へ逃げこむ。日の当たらない、避難区ってやつだ。
そこで星は、自分の力が何をしたのかを、思い知る。
夜が明ける前に、俺たちは、街の底へ、潜りこんだ。
終端の底は、避難区と、呼ばれている。灼き落としのあと、行き場を失った者たちが、寄り集まって、暮らす場所だ。崩れた建物を板や布で、つぎはぎして、かろうじて、雨風をしのいでいる。日の光は、ほとんど、届かない。人工の空の明かりさえ、ここまでは、薄い。一日じゅう、うす暗い、灰色の街だった。
だがそのぶん、評議会の目も、届かない。誰もが、名を捨て、過去を捨てて、息をひそめている。逃げ隠れするには、うってつけの場所だった。
俺は星の手を引いて、狭い路地を歩いた。すえた匂いが、する。饐えた食い物と、湿った布の匂い。あちこちで、誰かが、咳きこんでいる。痩せた子どもが、道の隅から、俺たちをじっと見ていた。物欲しそうな目でもなかった。ただ生きているものを確かめるような、うつろな目だった。
「灯、ここ……くらい」
「ああ。あんまり、いい場所じゃ、ない。でも、しばらくは、ここに、隠れる」
星は頭巾を目深に、かぶり直した。むき出しの光を見られないように。この街の底では、あの光は、金に、なる。飢えた人間は、何でも売る。誰かに知られれば、すぐに、鴉羽のような連中が、群がってくる。ここは、そういう場所だった。
俺は空き家をひとつ、見つけた。半分、崩れているが、屋根は、ある。壁も、かろうじて、立っている。とりあえず、身を隠すには、じゅうぶんだった。俺は床の埃を手で払って、星を座らせた。
この街の底で、生きていくには、金がいる。だがその金の稼ぎ方も、上層とは、違った。星読みの仕事なんて、ここには、ない。人々は、拾い物を売り、日雇いの荷運びをし、その日の、糧をかろうじて、得ている。俺も正体を隠して、そういう仕事に、混じった。重い荷を運び、崩れた壁を片づけ。そうやって、わずかな、パンと、水を手に入れた。慣れない、力仕事だった。手のひらが、すぐに、豆だらけに、なった。だが星のためだと思えば。不思議と、つらくは、なかった。
夜になると、俺はその日の稼ぎを星と分けて、食った。かたいパンを水で、ふやかして。それでも星はうれしそうに、食べた。二人で、食べるから、おいしい、と言って。その一言で、俺の一日の疲れは、消えた。豆だらけの手も、痛まなく、なった。この子の笑顔が、俺の薬だった。どんな重い荷も、この笑顔のためなら、軽く、感じられた。逃げる暮らしは、つらい。だが隣に、この子がいる。それだけで、俺は明日も、歩いていける気が、した。
◇
その空き家で、星の光は、少しずつ、戻ってきた。
一晩、ぐっすり眠ると、頬に、赤みが、さした。指先から、またいつもの光の粒が、こぼれ始める。俺はそれを見て、ようやく、ほっと、息をついた。眠れば、戻る。星の言葉は、本当だった。ひとまず、命に、別状はない。そう思うと、張りつめていた肩の力が少し抜けた。
だが安心は、長くは、続かなかった。
昼過ぎ、俺が水を汲みに出た帰り。路地の一角で、俺は足を止めた。
男が、三人。壁にもたれて、座りこんでいた。うつろな目で、宙を見つめている。誰かが、飯を差し入れても、ぼんやりと、受け取るだけ。手が、震えて、うまく、口に運べない。自分の名前も、わからないらしい。近くの女が、憐れむようにその世話を焼いていた。まるで大きな子どもの、面倒でも見るように。
その顔に、見覚えが、あった。
鴉羽の手下だ。
あの夜、仕事場で、星に記憶を消された、あの男たちだった。自分が、誰かも、なぜ、ここにいるのかも、わからないまま。あれから、この、街の底に、流れ着いたんだ。名前を失い、過去を失い、ただ生きているだけの、抜け殻になって。
俺は息が詰まった。
あの一件から、この男たちはずっとこうだったのか。記憶を失い、廃人のようになって。悪党だったとは、いえ、その姿は、あまりにも、憐れだった。あの、獲物を狙う、ぎらついた目は、もうどこにもない。ただ空っぽの目が、宙をさまよっているだけだ。
そして俺は思った。
この光景を星に見せては、いけない。この子はきっと耐えられない。
◇
だが隠しきれ、なかった。
その日の夕方。水を分けてもらいに、俺が星を連れて、路地へ出たとき。星はあの男たちを見ちまった。
星の足が、ぴたりと、止まった。
うつろな目の、男たち。世話を焼く、女。その光景を星はじっと見ていた。頭巾の奥で、その顔が、みるみる、青ざめていく。何かを悟った顔だった。
「あのひと……たち」
星の声が、震えた。
「わたしが……けした、ひと、たち」
「星」
「あんなふうに……なっちゃったの……? わたしの、せいで……?」
俺は答えられなかった。嘘は、つけなかった。この子はすぐに、見抜く。ごまかせば、もっと、傷つく。
「……ああ」と俺は正直に、言った。「でも、あれは、あいつらが、お前を、傷つけようと、したからだ。お前は、身を、守った。それだけだ」
「でも……あのひとにも、なまえが、あったはず。かえる、いえも。まってる、ひとも、いたかも、しれない」
星は両手で、口を覆った。指のあいだから光の粒が、ぽろぽろと、こぼれる。
「わたし、それを……ぜんぶ、けした。あのひとの、いままでを、ぜんぶ」
その声は、悲鳴のようだった。だが星は叫ばなかった。ただ静かに震えていた。自分の力が、何をしたのか。今、はっきりと、思い知ったんだ。抽象的な、怖さじゃない。目の前に、その結果が、座っている。抜け殻になって。
俺は星の前に、しゃがみこんだ。目の高さを合わせて。
◇
「星。聞け」
俺はできるだけ静かに言った。
「お前の力は、確かに、恐ろしい。人の記憶を、消してしまう。それは、事実だ。ごまかさない。……でも、鐘楼のとき、お前は、違ったろう。あのとき、お前は、鴉羽の、悪い記憶だけを、選んで、消した。ほかの記憶は、残した。……お前は、力を、選んで、使えるように、なりかけてる」
星が顔を上げた。涙で、濡れた目が、俺を見る。すがるような、目だった。
「制御だ」と俺は言った。「その力を、暴走させるんじゃ、なくて。自分で、選んで、使う。誰を、どこまで、消すのか。消さないのか。……それが、できれば。お前は、もう誰も、傷つけずに、すむ」
「……できる、かな。わたしに」
「できる」と俺ははっきり、言った。「一緒に、練習しよう。俺が、手伝う。時間は、かかるかもしれない。でも、必ず、できるようになる」
根拠は、なかった。力の制御なんて、どうやれば、いいのか、俺にも、わからない。星読みの知識にも、そんなものは、ない。誰も、教えてくれる者は、いない。だが言わずには、いられなかった。この子に自分の力を憎ませたくなかった。自分を呪わせたくなかった。
星はしばらく俺を見ていた。それからこくりと、うなずいた。
「……うん。がんばる」
まだ涙は、止まっていなかった。それでも星の目に、小さな光が、戻っていた。決意の、光だった。
俺はその光を消させはしないと、また心に、誓った。あの、うつろな男たちの姿をこの子に二度と、味わわせない。そのためなら、俺は何だって、する。
◇
その夜、俺はあの男たちのことを考えていた。眠る星のそばで。
星の力は、記憶を消す。だが鐘楼では、選んで、消した。悪い記憶だけを。ということは――消すだけじゃ、なく、残すことも、できるのか。あるいは、いつか、返すことさえ、できるようになるのか。
馬鹿げた考えかもしれない。星読みだって、読んだ星は二度と、戻せない。消えた記憶は、消えたまま。それが、この世界の、理だ。だがもし、星の力が、その理を超えられるなら。あの男たちに、名前を返してやれるかもしれない。奪われた、過去を。
俺は隣で眠る星を見た。薄い光をまといながら静かに寝息を立てている。あんなに、泣いたのに、今は、穏やかな顔だ。
この子の力は、呪いなんかじゃ、ない。使い方次第できっと誰かを救える。俺はそう信じたかった。信じて、この子と生きていきたかった。いつか、あの男たちにも、笑って、名前を返してやれる。そんな日が、来ることを願いながら。
だがその日が、来るまで。俺たちは、逃げ続けなければ、ならない。追手の手を逃れ、身を隠し、明日をつなぐ。それが、どれほど、過酷な道か。まだ俺には、わかっていなかった。ただ隣で眠る、この子の光を守りたい。その一心だけで、俺は走っていた。行く先も、知らずに。俺は目を閉じた。せめて、今夜だけはゆっくり眠らせてやりたい。そう、願いながら。
それでも、この子と分け合う、かたいパンの味だけは、妙にあたたかかった。逃げる暮らしの、たった一つの、ごちそうだった。
だが、その夜。眠りかけた俺の耳が、避難区の路地の奥から、かすかな足音を、拾った。一つじゃない。幾人もの、忍ぶような足音が、こっちへ、近づいてくる。俺は、はっと、身を起こした。……もう、嗅ぎつけられたのか。この街の底まで。俺は、眠る星を、起こさないように。だが、いつでも、抱えて走れるように。暗闇のなかで、そっと、身構えた。安住の場所なんて、どこにも、ありはしないのだと。思い知らされながら。
記憶を消された連中の、その後。星は、それを目の当たりにした。
だが、灯は力の制御を誓う。奪う力は、救う力にもなるはずだと。




