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28.エピローグ1

 結婚式から一週間別荘でのんびりして、お盆明けから数日後、ハルと共に自宅に戻った。

 これまでも毎日のようにお邪魔していたハルの家が、今ではオレの家で、ハルの部屋がオレたちの新居だ。別荘に行っている間に、頼んであった部屋の模様替えはすっかり終わっていた。


 家に戻った二日後、長距離移動のダメージからほぼ回復したハルは、予定通りに入院した。

「叶太さん、院長がお呼びです。院長室に行ってもらって良いですか?」

 ハルが術前検査に行ったと思ったら、じいちゃんからの呼び出し。

 この入院から、叶太さんと呼ばれるようになった。オレとハルの結婚は、院内のほとんどの人が知るところらしい。

 ……そんな内々の話、一体誰が言ったんだ?

 ともあれ、じいちゃんもお義母さんも牧村だから、明兄の『明仁さん』にならって、オレも下の名前で呼ばれることになったようだ。

 ハルのばあちゃんなんかは、オレのことを叶太さんと呼ぶし、聞き慣れない訳でもない。だけど、なんか、やたらとくすぐったいのは、多分、これがハルの夫としての呼び名だから。

 ちなみに、じいちゃんは院長、お義母さんは牧村先生。そして、お義父さんは理事長と呼ばれているらしい。

 結婚して初めて知った事実。なんと、じいちゃんよりお義父さんのが偉かった!

 病院のバックヤードに入り、院長室へ続く廊下を歩く。

 小さい頃は、ハルとよく遊びに来て、おやつをもらったりジュースを飲ませてもらったりした。懐かしいと思いながら、ドアをノックする。

「叶太です」

「どうぞ」

 ドアを開けると、久々の院長室。

 大きな執務机から、じいちゃんが立ち上がるところだった。

「カナくん、悪いね、呼びつけて」

「いえ、大丈夫です」

「なんで急に敬語?」

「え? ハルの婿だし?」

「堅苦しいのはやめよう。陽菜の婿以前に、君はもう孫同然だ」

「え? ありがとう、じいちゃん」

 いつもの軽い口調で返すと、じいちゃんは

「そうそう、それが良いんだ」

 と楽しげに笑った。

「何か飲むかい?」

「何がある?」

「コーヒーならサーバーがあるし、冷たいのも色々あるよ。そこの冷蔵庫を開けてごらん」

 昔もよく、冷蔵庫から飲み物をもらった。

 調度のほとんどに変わりはなかったけど、冷蔵庫は最新のものに入れ替わっていた。

 最後にこの部屋に来てから何年経った? 何となく中学に入った辺りから、来なくなった気がする。

「……じいちゃんも飲むんだ、栄養ドリンク」

 冷蔵庫の中に見慣れた銘柄を見つけて、お義母さんみたいだと思ったら、

「それは響子さんのストック」

 とのこと。

 あっちにもこっちにも……と思わず笑いながら、無糖コーヒーを取りソファに座る。

「君くらいの年の男の子にしては珍しいくらい、カナくんはヘルシー嗜好だよね」

「そうかな? ハルを守るには、やっぱ健康第一だしね」

「君の価値観の中心には、きっと陽菜がいるんだろうね」

「……価値観の中心? 何か難しくてよく分からないけど、……うん、オレの思考の中心にハルがいるのは確かだよ?」

 オレが言うと、じいちゃんはひとしきり笑ってから、ふと真顔になった。

「カナくんには言っておかなきゃ、と思ってね」

「え? 何を?」

「陽菜の今度の手術、けっこう難しくてね」

 思わず居住まいを正した。

 ハルも大きな手術になる……とは言っていた。

「平たく言うと、かなり危険だ」

 じいちゃんの言葉に、オレは持っていた缶コーヒーを取り落としそうになった。

「じいちゃん!? ちょっと待って!」

 大きな手術だとは聞いていた、けど、難しくて危険だとは聞いていない。

 っていうか、かなり危険って、どういう意味だよ!

 何を伝えたいんだよ、じいちゃん!?

 ……分かってる。

 本当は、分かってる。

 心臓の手術で危険って言葉が何を意図するかなんて、一つしかないだろ?

「ねえ、ハル、それ知ってるの?」

「……どれくらいとは聞かれないけど、察しているだろうと思う」

「察してるって、何!?」

「本当は夏休みに入ってすぐに手術をしたかったんだ。けど、陽菜がカナくんの誕生日の後が良いと言ってね」

 ……ハルは、手術をすることになるかも知れないから、式をするならオレの誕生日か、その次の週末くらいが良いと言った。

 実際には、そこまでの半月以上、既にハルが手術を送らせていた……と言うこと?

「覚悟しろなんて言わないよ。覚悟なんて必要ない。……けど、陽菜を支えてやって欲しい」

「言われなくても!」

 言われなくてもハルに寄り添うし、言われなくても覚悟なんてものができるはずはない。

 ようやく結婚にまでこぎつけた。

 オレはハルとの未来を夢見て結婚したんだ。

 それが新婚生活わずか10日やそこらで終わるなんて、そんな覚悟なんてできるわけないだろ!?

「うん。そうだよね。……陽菜を頼むよ。あの子はカナくんにだけは弱みを見せるから」

 確かに……確かにハルは、家族の誰にも弱音も吐かなきゃ愚痴も言わない。

 けどオレだって、こんな長い付き合いなのにハルの愚痴なんて聞いたことはない。

 体調が悪くても会ってはもらえる。そういう意味での弱った姿は見せてくれるけど、心の方の弱みなんてものは見せてもらったことがない気がする。

 ……だけど、最近、以前よりもオレの前で色んな顔を見せるハルがいる。

「じいちゃん、ハルは多分、じいちゃんが思ってるより、オレとは遠いところに一人で立ってる。だから、ハルはオレにも弱音なんて吐かないよ」

 オレはギュッと拳を握りしめた。

「けど、オレ、いつまでもこのままでいるつもりはないから。ハルがちょっと寄り掛かってみようかなって思うくらい、ハルの近くに寄り添ってみせるから」

 じいちゃんは小さく頷いた。

 じいちゃんの目が少し赤くなっている気がした。



   ☆   ☆   ☆



 朝八時に手術室に入ったハルが、十五時間に及ぶ手術を終えてICUに移ったのは日が変わってからだった。

「ハル、よく頑張ったね」

 手術は成功したけど、人工心臓を外した後、心拍がなかなか戻らなかったと聞かされた。

 過去何度も開胸手術をしていたせいで癒着がひどく、出血もかなり多かったと聞かされた。今もまだ輸血を続けている。

 深夜だというのに昼と変わらず明るく、人の声が飛び交い機械音の鳴り響くICUで、オレはハルの冷たい手を握っていた。

 いつも以上に血の気が引いたハル。

 人工呼吸器や点滴や輸血を始め、様々な管と機械につながれたハル。

 こんなに早く術後のハルに会わせてもらえたのは、初めてだった。

「叶太さん、そろそろお時間ですよ」

 看護師さんに声をかけられる。

「後少し」

 と言うと、思いがけない言葉が返って来た。

「術後の執刀医からの説明ですから」

 ……ああ、そうか。パートナーになるってのは、こういう事か。

 ハルの側にいられるだけではなく、ハルよりも早くにハルの状態を教えてもらえる。

 想像以上の待遇に身が引き締まる。

 たった十八歳の若輩者のオレへの敬語にもじき慣れるんだろう。いやむしろ、ハルの周りに普段からいる看護師さんみたいに、軽口を叩いてもらえる関係になっておきたい。

 ハルは一生、病院と切れない縁がある。ハルを託す人たちとは親しくなっておきたい。

「院長室の隣の第一会議室に、みなさん集まられます」

「ありがとう。すぐ行きます」

 それから、オレはまだ目の醒めないハルの手を両手で握り、

「ハル、ちょっと行ってくるね。ハルがどんなに頑張ったか教えてもらってくるね」

 とささやき、パイプ椅子から立ち上がった。



   ☆   ☆   ☆



 ハルは本当に何度も、生死の境目まで行っては戻って来た。

 術後、なかなか高熱が下がらなかった。

 大きな不整脈が何度も現れ治らず、二度目の心停止では、電気ショックも心臓マッサージも効かず、緊急開胸で直接心臓マッサージをするまでになった。


 学校が始まった。

 不整脈は相変わらず完全には抑えられていなかったけど、ハルの意識はハッキリしていて、

「行かなきゃダメだよ?」

 と諭された。

 ハルにそう言われたら行かない訳にもいかず、後ろ髪を引かれまくって始業式に出た。

 ハルの欠席は夏であればいつもの事だから、クラスのみんなにはスンナリと受け入れられる。だけど、どうせバレるのだと、手術をして入院中なのだと言うと、みんな、言葉をなくした。

 去年もハルが入院して手術をしているのを知ってるヤツも多い。そいつらすら言葉をなくしたのは、きっとオレがあまりに憔悴していたからだろう。

 いいだろ?

 心配なんだ。仕方ないじゃないか。

 笑顔も元気も全部、ハルのために取っておくんだ。

 そう思いつつも、今までハルの状態があまりに悪い時は会わせてもらえなかった理由も悟る。

 例えば、修学旅行の時。旅行中に報せをもらい、オレが動揺していたり飛んで帰ったりしたら、きっと一緒にいるクラスのみんなにもそれは伝搬する。ハルが、みんなの楽しい気持ちに水を差したがる訳がない。

 ……オレは多分、もっと精神的に強くならないといけない。


 翌日、授業中に緊急呼び出しを受けて、既に呼ばれていたタクシーで病院に向かった。

 血栓が心臓に飛んで、よりによって冠動脈を塞いだと言う。

 大きな手術の直後、薬物治療やバルーンカテーテルの選択はできず、再度開胸でバイパス手術をすると言われた。

 オレが到着すると、ハルは既に人工呼吸器を挿管され意識をなくしていた。

 ほんの数時間前には顔色は悪いながらも笑顔で、

「行ってらっしゃい」

 と言ってくれたのに。

 山ほどある同意書にサインする手が震えるのを止められなかった。

 ハルは自分の意思など何一つ挟まず、まな板の上の鯉状態。運命というものに振り回されているとしか思えなかった。

 オレはただハルを見ているしかできず、何一つ代わってあげる事もできず、ずっと側にいる事すらできず……。

 正直、しんどかった。

 想像以上にツライ状況。

 けどだからと言って、何も知らずに蚊帳の外に置かれて、後から聞かされるよりは百倍いい。

 ハルが手術室に入って数時間後、明兄が帰郷した。

「お前、大丈夫か?」

 聞かれて、

「大丈夫に決まってる」

 と答える。

 オレが大丈夫じゃなくて、どうする?

「眠れてるか?」

「まあ、そこそこには」

 ぐっすりには程遠いんだろうけど、一睡もできないなんて事はまったくない。

 逆に、ハルがオレを必要とした時にいつでも飛んで来れるように、ガッツリ眠ろうとして気合を入れすぎて眠りそびれてるくらいだった。だから、体力に不足はない。

 ただ、やっぱり、どんなに強がってみたところで不安は胸をよぎるから……。

 心配で胸がちぎれそうになるから……。

 本当はきっと、全然大丈夫でなんて、ないんだろう。

「大丈夫だ」

 明兄が言った。

「陽菜は正直、大きな手術では毎回、かなり危険なところまで行く。なぜかトコトン手術と相性が悪い。……けど、ちゃんと戻って来るから」

「……うん。分かってる」

 ハルの手術が無事に終わったと聞かされたのは、やっぱり深夜。

 昼と夜に何か食べたような気はするのに、何を食べたのかも覚えていない。お腹が減ったという感覚もまったくなかった。

 ただ喉だけがカラカラに乾いて、やたらとミネラルウォーターを飲んだ気がする。

 ハルに会いに行くと、前回同様呼吸器を付けられ、たくさんの管につながれ、機械に囲まれ、痛々しい姿のハルがいた。

 胸だけでなく、バイパスに使う動脈を取るために腹部も切ったと聞いている。

「……ハル、よく頑張ったね」

 ハルの心臓はちゃんと動いている。

 傍の心電図のピッピ、ピッピと言う音が、たまらなく愛しかった。


 数日後、人工呼吸器が取れたハルは、かすれた声でたどたどしく心配かけてごめんねと言った。

「ぜんぜん気にすることないから! あ、もちろんハルのことが心配じゃなかった訳じゃないよ!?」

 慌てて言い訳をすると、ハルがかすかに笑った。

「ハル、オレにして欲しいことない?」

 聞くと、

「……手、にぎって……ほし…」

 とねだる。

「もう、握ってるよ」

 とつないだ手をそっと上げると、ハルはまたふわっと笑った。

 まるで力の入らない冷んやりしたハルの手を、オレは面会時間中ずっと握り続けていた。

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